第47話 みやびフェス東京①
地下牢に空いた円形の穴。
そこから、はしご型ロープが降りてくる。
上には人影が見える。助かった。本当に助けに来てくれたんだ。
「なんとか、無事、みたいですね。早く上がってください!」
声をかけてくるのは、ジェノ。
その姿を見ていると胸が熱くなってくる。
感謝を伝えて、土下座して、謝って、泣いてしまいたくなる。
「……あ、あの、携帯、貸して、ください!」
でも、今はそれどころじゃない。他にするべきことがあった。
鬼気迫る状況だと分かっていながら、アザミは必死で考えを伝えた。
説明する暇があればよかったけど、今はそんな悠長な時間があるわけがない。
「え? はい、どうぞ」
ジェノは戸惑いながらも、制服のポケットから携帯を差し出す。
察しがよくて本当にありがたい。これなら、なんとかなりそう。
「――た、助かります!」
すぐに受け取り、パシャリと床の血文字を撮り、メールを送る。
何より優先すべきは、歌詞。それをキクに送り、編曲してもらうこと。
「フェスはもうすぐ開演です。急いでくださいね!」
そこに、ちょうど聞きたかったことをジェノが教えてくれる。
戦いはすでに始まっていて、閻衆と拳を何度も打ち合わせていた。
ただ、もうこれで不安材料はない。後はステージに向かうだけだった。
「あ、後で、お礼は、必ず!」
すぐさまロープに手と足をかけ、上ろうとする。
そこに、逃走を阻もうとする一心の姿が見えた。
「させると、思うか!」
そして、ロープに目掛け、刃を振るおうとしている。
(……ジェノさんは、赤鬼の人と戦って動けない。どうしよう)
この体勢からじゃ、反撃は間に合わない。
かといって、避けたら、ロープが切断されてしまう。
ライブまで時間が迫ってるなら、ここはなんとしてでも逃げたかった。
(一度、降りて、戦うしか――)
ただ、状況が状況。諦めて、ロープから降りようとした。その時。
「やらせるわけねぇだろ!」
横から現れたラウラの両手が刃とかち合い、火花を散らす。
(素手で……っ!? 嘘……)
白いセンスが纏われているのは見える。でも、刀と真っ向から張り合うなんて。
「いけ、早く!」
そう考えていると、ある違和感に気付く。
(あれって……爪? どこからあんなものを……)
彼女の得物なのか、両手には青藍色と翡翠色のかぎ爪。
それを振り払い、迫りくる一心から引き離してくれていた。
「……」
今は何も言わない。全ては終わってから。
静かにこくりと頷いて、アザミはロープを駆け上がった。
――戦場に残されたのは二人。
「おい、ジェノ。背中は任せていいんだろうな」
意気揚々と問いかけるのは、ラウラ。
表情は明るく、にやりと口端は上がっていた。
言葉の裏の意味をジェノなら伝わると知っているからだ。
「あの時の泣いてた『僕』じゃない。背中は『俺』に任せて」
意気軒昂と返事するのは、ジェノ。
言葉の裏の意味を知っている。分かっている。
だからこそ、その表情はあの頃のように暗くなかった。
なぜなら、これは雪辱戦。立ち位置が変わった、あの日のリフレイン。
「ふん。だったら、合わせろよ、優男!」
「そっちもちゃんと合わせてよね、暴力女!」
互いの背中をしかと預け合い、始まった。二人の共闘が。
◇◇◇
東京都。千代田区。レコーディングスタジオ。ミキシングルーム。
モニター、キーボード、スピーカー、複数のボタンの並んだ機材がある。
「まだなのか……この日のために、俺は……」
密閉された空間に、貧乏ゆすりの音がする。
機材が並んだ広いデスクの前に座るのはキクだった。
服装はいつもと変わらず、黒服にサングラスをかけている。
手元には携帯。かかってくる予定の着信を今か今かと待っていた。
「……っっ」
音が鳴る。ひょこんという小気味のいい着信音。
迷惑メールでないことを祈りつつ、すぐさま確認していく。
「おいおいおい、これ……」
ショッキングな映像。血文字で綴られた歌詞。
それを食い入るよう見る。左から右へと目を動かす。
内容を頭に叩き込む。出来上がった曲を頭でイメージする。
「いける……っ! いけるぞ、これなら!!」
腕が鳴る。身震いしてしまうほどの出来。
一番と二番の繋がりがどうこうの問題じゃない。
実体験を元にしたリアル。人の芯に、魂に触れる歌詞。
「……負けて、られないな」
腕をまくり、サウンド編集ソフトを開く。
みやびフェスはもうじき始まる。公演時間は3時間。
以前、アザミに申告した時間と同じ。失敗は許されていけない。
「待っててくれ、母さん。俺が必ず、歴史に残る名曲に仕上げてみせるから」
◇◇◇
東京都。千代田区。江戸城本丸跡。壱番ステージ。
そこは整えられた芝生や、樹々が適度に生い茂った公園。
中央にある城の土台部分には、黒色のステージが特設されている。
天気は大雨。それでも観客は満員。レインコートを着て、その時を待っていた。
「……17時。もうすぐだ」
ざわざわと声が上げる中、一人の客が興奮気味に言った。
しかし、その時は訪れない。1分経ち、5分経ち、15分経つ。
「……まさか、トラブルか?」
「嘘だろ。トラブルは雨だけにしてくれよ」
「壱番ステージにいくら払ったと思ってんだ。ライブ、舐めんな」
痺れを切らした観客は、不満をあらわにする。
あと、1分。いや、30秒もすれば、暴動が起きそうな空気。
「ふっ、ニワカどもが。みやびフェス広島の予習からやり直せ」
そんな中、訳知り顔の客は一人、優越感に浸りながら語る。
演出だと信じてやまない。トラブルだとは微塵も疑っていない。
今までの積み重ねがあったからこそ信頼。鬼龍院みやびが作った道。
『し、臣民の皆さん。ま、まさか、痺れを切らしたわけじゃないですよね?』
その築き上げた信頼を、作り上げた道を引き継ぐ者がいた。
響くのは、鬼龍院みやびと同じ台詞。ただ、中身は同じではない。
満を持してステージに現れたのは、黒の喪服を着た鬼龍院みやびの継承者。
――伊勢神宮だった。
「ほら、言ったことか」
「嘘だろ……どこから現れたんだ」
したり顔を浮かべる客をよそに、どよめきが上がる。
今回のライブには、黒色のステージ。その床に秘密があった。
『こ、今宵のわたしの晴れ姿。しかと、こ、心に刻み込んでください!!!』
3Dホログラフィックディスプレイ。
特殊な液晶から照射された光が立体映像を作り出す。
その様子はディスプレイカメラを通し、生配信もされている。
巨大モニターも、ホログラムスーツも必要ない、新たな3Dライブの形。
「姫殿下は今日も麗しい」
「姫殿下は今日も麗しい」
「姫殿下は今日も麗しい」
「姫殿下は今日も麗しい」
「姫殿下は今日も麗しい」
かくして、みやびフェス東京は始まった。
舞台裏にあった事件を誰一人として知らずに。
【伊勢神宮公式チャンネル +43万人 チャンネル登録者703万人】




