第45話 収監
東京都某所。地下牢。
切れかけた電球が、かすかに辺りを照らす。
鉄格子で仕切られた室内には洋式のトイレと鉄製のベッドがある。
「……っ」
そこに放り込まれたのは、アザミだった。
冷たい地面に顔を打ちつけ、その衝撃で目が覚める。
(ここ、は……)
すぐに辺りを見て、事態を把握する。
あの後、気絶させられて、捕まったんだ。
「……あの鬼に、閻衆に感謝することだ。お前は生かされている」
背後からガチャンと冷たい音と、聞き覚えのある声が響く。
千葉一心。恐らく、同じ師の下で、北辰流を叩き込まれた弟子。
「……ど、どうして、こんなことを」
振り返り、鉄格子の外にいる一心に問いかける。
その表情は暗く、眉根を寄せていて、目は血走っている。
父親。千葉一鉄の面影が頭に浮かぶ。怒った時の顔とよく似ていた。
「教えてやるものか。俺の味わった屈辱は、俺にしか理解できない」
唸るような低い声で彼はそう言うと、視線を切って去ろうとしている。
「ま、待って、ください……。あ、明日は大事な、ライブが……」
彼の事情は分からないし、聞いてもどうせ答えてくれない。
だったら、駄目元でも、こちらの事情を伝えてみるしかなかった。
「知ったことか! お前は二度とここから出られることはない!」
返ってきたのは罵倒と、鉄格子を叩く音。
予想通りの反応。怖いけど、今はまだ我慢できた。
(刀も携帯も没収されちゃったけど、わたしにはリンカーがある)
右手には黒い腕輪。外部と連絡できる希望の装置があるからだ。
◇◇◇
東京都。千代田区。喫茶店。
カウンター内には、老年の店員が一人。
店員はテーブルに三つのアイスコーヒーを置いていく。
「それで、新宿警察署の警部殿が僕になんの用ですん?」
カウンターのみの店内。その左端の席に座るのは金髪の男。
黒スーツを着こなし、ホストにいそうな見た目の青年、霧生卓郎。
「あなたには、千代田区の立候補者誘拐に関与した嫌疑がかけられています」
霧生が座る席の隣には、警察手帳を開いている警部。
ネイビーブルーのシャツに紺のスカートの婦人警官服を着た女性。
長い紫髪を後ろで編んでいる、滅葬志士であるはずの彼女の名は、臥龍岡アミ。
「何か知ってることを話してくれませんか!」
そして、その隣には、ぶかぶかの警官服を着たジェノが座り、強く頼み込む。
「えー嫌だなぁ。嫌疑ってことは、証拠不十分。任意聴取っしょ?」
ただ、反応はすこぶる悪い。
しかも、的確に痛いところをついてくる。
「ええ。確かに、黙秘権があなたにはございます。――ですが」
「公職選挙法違反。それを暴露できる証拠と権利がこっちにはあります!」
でも、予想通り。その対策はきちんと用意していた。
犯人でも、犯人じゃなくとも、協力させる、強力な手札を。
「……はぁ? いやいや、俺はちゃんと法に基づいて選挙活動を――」
一方、目を丸くしている霧生は手を何度も横に振り、否定する素振りを見せる。
「マスターさん、例のモノを!」
彼の行きつけで、彼の息がかかっていようと関係ない。
将来の政治家より、現在の警察。法と秩序が、こちらの味方だ。
「……申し訳ありません、霧生殿」
店員が取り出すのは、一枚の領収書。
5日ほど前の日付に「霧生卓郎」と書かれた、店舗側の控え。
「誘拐されたと思わしき、彼女。千代田区の立候補者であるVtuber。伊勢神宮の中の方とあなたはここで密会し、飲食代を支払った。彼女は立候補者でありながら、千代田区に籍を置き、あなたが出馬する選挙区内の投票権を持っています」
「公職選挙法では、投票権を持つ人間に利益を供与するのは違反行為です!」
アミが概要を説明し、ジェノが結論を告げる。
「……」
霧生の顔から、余裕が消えていくのが目に見えて分かる。
「情報提供していただければ、目をつぶります。協力してもらえますね?」
そこにアミはとどめの一言を添える。
それは、法と国家権力を盾にした立派な脅し。
加えて、条件を満たせば見逃す、ある種の司法取引だった。
「断れば逮捕。政治生命が断たれるってわけですか……」
霧生は最悪の未来を言語化しながら、アイスコーヒーに手を伸ばす。
それをぐびっと一気飲みして、空になったコップをテーブルに叩きつける。
「はいはい。分かりましたよ。協力すればいいんっしょ、協力すれば!」
やけくそ気味に返ってきたのは、気持ちのいい返事。
その顔は観念したような感じ、ではなく、どこか晴れやかだった。




