第40話 崖っぷち
東京都。渋谷区。明治神宮。天気はどしゃぶりの雨。
鳥居を境に本殿へ繋がる石畳の道が続き、周りは樹林に囲まれている。
「…………」
雨のせいか、観光客はほとんどいない。そこにアザミはいた。
モーションキャプチャースーツを着ながら、鳥居の前で三角座りしている。
(……なんで、こんなことに)
どうしてここにいるのか分からない。
どれだけここにいたのかも分からない。
ただ、冷たい。心も体も冷え切っていた。
「そんなところで座ってたら風邪引きますよ、アザミさん」
そこに、ビニール傘がすっと現れ、降りかかる雨を遮る。
聞き覚えのある声だった。でも、今はそんなことどうでもいい。
「……かえって、ください」
枯れた喉で、なんとか声を絞り出す。
自分でも信じられないぐらい、かすれた声だった。
「帰りませんよ。アザミさんがここにいるなら、俺もずっとここにいます」
明るい声と、傘をたたむ音が聞こえ、隣に人の気配がする。
「……」
もう、喋る気力がない。他人を気遣う余裕がない。
何もする気が起きないまま、二人の間には、雨音だけが響く。
そんなささやかひと時が、苦にならない沈黙の時間がどれだけ続いたんだろう。
「ライブも選挙も全部忘れて、また三人で伊勢神宮からやり直しませんか?」
不意に聞こえてきたのは、甘い誘惑。
雨音なんか聞こえなくなるぐらいの楽な逃げ道。
はい。と答えるだけでいい。それだけできっと、安息が手に入る。
(全部、忘れる……)
その代償として、失うものは大きい。
これまで積み上げたもの全てを忘れないといけない。
(忘れて、やり直す。彼らがサポートで、わたしが主人公……)
それを承知の上で想像する。もう一度、伊勢神宮でやり直す姿。
決して悪くはない未来。緩やかに、でも、着実に前進する光景が浮かぶ。
「……そ、それもいいかもしれません」
素直に思ったこと。心から感じたことを口にする。
配信のことだけを考えて、ライブも選挙もしなくていい。
絶対楽だ。絶対今より居心地がいいに決まってる。そう確信できた。
「じゃあ、早速――」
すると、隣から石畳から立ち上がる音が聞こえる。
はい。なんて野暮な言葉も、もはや必要ないかもしれない。
一緒に立ち上がって、顔を見るだけでいい。きっと、それで察してくれる。
「で、でも、できません」
だけど、アザミは立ち上がらなかった。
膝を抱える腕にぐっと力を込め、確固たる意思で言い放つ。
「理由を聞かせてもらっても?」
特に驚いた様子はない。
むしろ、優しい声で彼は訪ねてくれる。
「………………な、775の」
ゆっくり、焦らず、言葉にする。
彼は待ってくれる。絶対に急かさない。
何を言っても、必ず温かく受け止めてくれる。
――だから。
「な、775プロダクションの思い出は、なかったことに、できません!」
それが理由。苦しくても、嫌なことがあっても、頑張れる理由。
立ち上がる。もう一度立ち直る。身バレにも真っ向から立ち向かってやる。