第25話 デート
大阪白十字病院。地下一階。病室。
室内には、白いナース服を試着している桃瀬の姿。
「あ、あの、桃瀬さん!」
「なにさ、改まって。抱かれにきたの?」
「わ、わたしと……し、深夜デート、してもらえませんか!」
アザミが申し出たのは、デートのお誘い。
「……へ?」
桃瀬は思ってみなかったのか、目が点になっていた。
◇◇◇
大阪府内。天野町。関西サイクルスポーツセンター。
山間にある、乗り物が豊富に揃った自転車のテーマパーク。
「ここでいいの?」
「……は、はい。運んでくれて、ど、どうもです」
そこに降り立つは、白いナース服を着た鬼と人。
アザミが桃瀬に抱かれ、深夜の大阪を駆け、たどり着いた場所だった。
「どういう風の吹き回し? まさか、本気であーしに惚れちゃった?」
入場口を不正に突破し、狭い坂道を歩きながら、桃瀬は問う。
当然の疑問だった。まだここに来た理由も目的も話してない。
「……す、少し、考えを整理したくて」
間違ったことは言ってない。それ以上は言えなかったけど。
「ライブ前のナーバス、か。……仕方ないなぁ。付き合ってあげるよ」
彼女は良い方に解釈してくれたみたいで、小気味よく坂を駆け上がっていく。
「あ、でもさ。電気止まってると、何も乗れないんじゃないの?」
建物が見えてきた先で、桃瀬はぴたりと足を止め、問う。
「で、電気は必要ありません。ひ、必要なのは、足の力、です」
考えないといけないことはたくさんある。だけど今だけは楽しんでもいいよね。
◇◇◇
サイクルコースター。ジェットコースターと同じような構造。
車両があり、座席があり、レールがあり、疾走感を楽しむアトラクション。
「いくよぉ? 準備はいい?」
「はい……お、思いっきり、漕いじゃってください」
ただし、電気は必要なく、座席にペダルがついている。
それを漕げば、自転車と同じ要領で、進む。漕げば漕ぐほど速くなる。
「じゃあ、遠慮なくっ!」
隣に座る桃瀬は、安全バーをぐっと握りながら、足に力を込める。
「……っ!!!??」
助走なんてなかった。ぐん、と山間の景色が動き、一気に最高速度に到達する。
「いやぁああああほぉおおおおうううう!!!」
「……は、はや、すぎぃぃぃぃぃぃいいいいっ!!!」
一周、二周どころでは終わらない。止まらない。
ぐるんぐるんと何度も周回し、風を切り、悲鳴が山に響き渡る。
周りの目を気にする必要なんてない。ここにいるのは、ただの鬼とただの人。
(……もう少し、もう少しだけ、考えない時間が欲しい)
嫌なことを今だけは忘れ、アザミは風と一体になっていった。
◇◇◇
ハンドル付きのソリ。サイクルリージュ。
目の前には、急な坂道があり、そこを下って楽しむ。
「ちょ、そっちは駄目だって!」
「……ふにゅっ!?」
視界が悪いせいで、コースアウト。肘に擦り傷ができた。
痛かったけど、気分は爽快。夜の坂道はすごく刺激的だった。
◇◇◇
陸と水の上を走れる乗り物。水陸両用サイクル。
平坦な陸路を走った先には、大きな水たまりがある。
水陸両用だからペダルを漕げば、水たまりでも進む仕様だ。
「せっかくだし、ぱぁっとやっちゃおう!」
「あ、あんまり、は、はしゃぎすぎるのは――」
言った瞬間、バシャーンと、水飛沫が舞う。
強く漕がれて、乗り物は転覆。服が水浸しになった。
でも、夜の学校のプールに忍び込んだみたいで、ウキウキした。
◇◇◇
平坦なレールをゆっくり漕いで楽しむ。スカイサイクルウォーカー。
高さ二メートルぐらいの位置に勾配のないレールがあり、漕げば一周できる。
「さぁ、ここも全力で楽しむよ!!」
「……ゆ、ゆっくり、お願いしまっ!?」
風がびゅんと吹き、振り落とされそうになる。
「危ない!」
でも、手を掴まれて、なんとか助かった。
死にそうだったけど、スリルがあって楽しかった。
◇◇◇
水浸しになったナース服も、夜風に当たって乾いてきた頃。
(……次で終わり。次で全部、決める)
本当に色々な乗り物を楽しんだ。満喫した。そろそろ、現実と向き合う時間だ。
「これは、どんな乗り物なの?」
「ぺ、ペダルを漕げば、じょ、上空30メートルまで上がります」
残るは、最後のアトラクション。サイクルパラシュート。
長い鉄塔の上からロープが垂れ下がり、きのこ状の乗り物に直結。
中には柵とペタルがあり、漕げば上にのぼり、大阪から神戸を一望できる。
「ほほぅ。そりゃあ、楽しみだ。じゃあ、今度も遠慮なく――」
座席は二つ。隣に座る桃瀬はいつもの勢いで漕ごうとする。
「ま、待ってください。ここは、わたしが」
だけど止めた。もう主導権は譲れない。ここだけは自分のペースで楽しみたい。
「……」
軽く息を吸い、自分用のペダルに足をかけ、漕ぎ始める。
(おかしいな。ペタルが重い。前来たときは、もっと軽かったのに)
違和感を覚えながらも、乗り物はロープに引かれ、緩やかに上昇を始めた。
「それで、何か悩みがあるんでしょ? 聞くよ」
状況を察したのか、桃瀬は気さくに話題を切り出してくる。
こちらに気を遣ってか、視線は合わさずに、景色を眺めていた。
本当に頼りになる先輩だ。彼女を相談相手に選んで本当によかった。
「……わ、わたしが勝手に、775を辞めたら、どうします?」
心置きなく、アザミは話を切り出した。
あくまで相談。あるかもしれない未来の話。
「んー、ラッキーって感じかな。ライバルが一人減るわけだし」
桃瀬は夜景を眺めながら、なんの戸惑いもなく語る。
「で、ですよね」
桃瀬桃子らしい回答だった。初めて会った頃と変わってない。
止められるなんて思ってなかったから、むしろ、心地が良かった。
(お願いするなら、今、かな)
早速、本題を切り出そうとした時、桃瀬はこちらを見つめ、目が合った。
「でも、あーし個人。水瀬ひかるの意見は別だよ」
そして、いつになく真剣な表情、真剣な眼差しで彼女は告げる。
「……え?」
初めて聞いた彼女の本名。
なんでもない情報のはずだった。
それなのに、心が妙にざわつき、熱くなる。
(適当な返しじゃない。ちゃんとわたしを見てくれてる)
恋だとか愛だとか、そんな浮ついた感情じゃない。
本気で接してくれている感覚。言葉が魂に触れてきたような気がした。
「あーしはさ、こんな性格だから、ライバーの友達はいなかったんだ。表では仲良くしてるように見せてたけど、裏では別。あくまで、ビジネス上の関係って感じで、あーしの本名を知るライバーは、775にはいなかった。薊ちゃんを除けばね」
そうして、彼女が語り出したのは、本音。
本来なら、誰にも知られたくないような秘密。
「……」
それを話してくれた意味ぐらいは、さすがに分かった。
信頼してくれているんだ。775プロダクションに所属する誰よりも。
「だからさ、寂しいよ。どんな事情があっても、唯一の友達が抜けちゃうのはさ」
声が震えていた。気になって、横顔を見つめる。
そこには、大阪の夜景とともに見えた涙。一筋の雫。
アトラクションは頂点に達していた。後は、落ちていくだけ。
「……あ、あの! ひかるさんに、一つ、お願いがあります」
「なに?」
「も、もし、わ、わたしが、引退するようなことがあったら、その時は――」
終わらせない。この関係はこんなところで終わらせちゃいけない。
千葉薊は、水瀬ひかるにとある願いを託す。そこで、デートは終わりを迎えた。