第23話 共同作業
大阪白十字病院。地下一階。特別室。
そこは、ナナコのために用意された、完全個室。
ベッドに加え、バスルームや冷蔵庫、テレビがある部屋だった。
「あ、あの……っ!」
勢い余って、部屋を訪れ、声をかける。
目の前には、ベッドに横たわるナナコの姿。
その顔は、あまり血色がいいようには見えなかった。
「なんでしょう? こんな夜更けに」
なんでもないように、ナナコは返事をする。
その姿を見ただけで、ぐっと目頭が熱くなってくる。
全部、打ち明けたい。話したい。理解者になってあげたい。
『本人に悟られたら駄目だよ。余計に、寿命を縮めるだけだから』
だけど、言えない。情報を共有することはできない。彼女の負担になる。
「ふ、不安で眠れなくて……」
とっさに出てきたのは、嘘臭い嘘。自分でも、下手だなって思う。
「じゃあ、一緒に作詞でもしませんか? 眠くなるまで」
ただ、ナナコは気にする素振りを見せず、両手を叩き、微笑みながら言った。
「で、でも……」
その優しい心遣いが、逆に心を苦しめる。
生き長らえる時間が伸びるなら、すぐにでも帰りたかった。
「心配無用です。こう見えても、夜型の鬼ですから!」
でも、そんなことを言われたら、断るわけにはいかなくなった。
◇◇◇
ボールペンの音が広い特別室の中に響く。
メモ用紙に歌詞を書き殴っていた音だった。
「――ここまでにしておきましょうか」
しかし、それは急に終わりを告げられる。
「え? こ、ここからが、いいところなんじゃ……」
歌詞の一番は、すでに完成している。
しかも、メロディがつく前から鳥肌が止まらないデキだ。
「二番はあなたが完成させてください。そうすれば、もっといい曲になります」
それなのに、彼女は無理難題を押し付けくれる。
もう一度、作詞をできる機会なんかないかもしれないのに。
「で、できる気がしません。さ、作詞、やったこと、ないんですよ……?」
声がいつもより震える。不安で仕方がなかった。
この続きを書けだなんて、いくらなんでもハードルが高すぎる。
「心に……意思に従ってください。自分の中にしかないものを書けばいいんです」
だけど、会話はそこで終わり、ナナコはそれ以上、何も語らなかった。
◇◇◇
大阪白十字病院。地下一階。通路。
「自分の中に、あるもの……」
とぼとぼと歩きながら、ナナコに言われたことを反芻する。
思考に没頭しようと、うつむいたまま、曲がり角に差し掛かった瞬間。
「……っ!」
ドンと肩に衝撃が走り、
「ちっ、いってぇな」
恐らく、曲がってきた人にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい!」
反射的に頭を下げる。目の前には、長い青髪に黒いスーツを着た人。
顔はボーイッシュだったけど、まつげと髪が長いところから見て、女性だろう。
「くぅ……肩の骨、折れたかもしんねぇな。今のでよぉ」
すると、女性は痛々しそうに肩を押さえながら、脅してくる。
どう考えても折れてるようには見えないし、あの程度で折れるとは思えない。
「だ、だったら、診察、受けますか……?」
ここは病院。しかも、今はナース服を着ている。
病院関係者になりきること。それが、ベストの反応のはず。
「生憎だけどよ、診察、終わったみたいなんだわ。どうしてくれんの?」
だけど、相手も一筋縄ではいかず、反論してくる。
「わ、わたしが、頼んでみます」
実際、森田医師に頼めば、診てもらえるはず。
専門外だろうけど、レントゲン撮影ぐらいはできると思う。
「……ふーん。ちなみに、お前、何科だ?」
やばい。専門的な質問だ。
でも、焦るな。ひよるな。堂々としろ。
「わ、わたしは、薬剤師、です。科とかありません」
あらかじめ考えていた言い訳を伝える。
普通の人なら、ここで諦めてくれるはずだ。
「なら、アドレナリンの過量投与は体に毒だが、何を投与すれば毒を中和できる」
まずいまずいまずい。もう一歩踏み込んだ質問。
(わたしは薬剤師。誰が何と言おうと薬剤師なんだ……)
心を落ち着けるため、自分にそう言い聞かせ、必死に答えを考える。
「……ケタ、ミン?」
思い出したのは、昔観た殺し屋が主人公のアクション映画の知識。
アドレナリンの過量投与で暗殺を企てるも、標的が麻薬ケタミンを常用。
そのせいで、アドレナリンが中和され、標的を殺せず、トラブルになったはず。
「正解だ。千葉薊死刑囚。茶番はいいから、とっとと面貸せ」
しかし、返ってきたのは、こちらの素性を知る反応。
「ふぇ!? な、なんで……。合ってたのに」
正解に喜ぶ間もなく、地獄に叩き落とされた気分だった。
名前と顔が割れている以上、もう誤魔化すことなんてできない。
「はぁ……。薬剤師が腰に刀なんか差してるわけねぇだろ。馬鹿がよ」
すると、呆れながら返してきた回答は、反論のしようがないほどの正論だった。