第12話 意思の力③
広島県知事地下一階。ボクシングリング。
グローブ越しの拳がぶつかる音と、軽快なステップ音が響き渡る。
「ジャブ、ジャブ、もう一発、ジャブっ!」
一方的なナナコによるスパーリング。
それも、軽いジャブの連打。ただの牽制。
――そのはずなのに。
「……くぅっ!!」
とんでもなく速く、重い。
ガードする腕がびりびりと痺れてくる。
「そのままだと、次で、死んじゃい、ますよっ!!」
ナナコの猛攻は止まらない。
一切の容赦なくジャブを浴びせ続けてくる。
「……で、でもっ!!」
焦燥感だけが募り、必死で回答を求める。
その隙間を縫うように放たれた、普通のジャブ。
「……あっ」
ナナコの猛攻をなんとかしのぎ続けてきた腕の防御が崩れた。
「隙あり! ここで、ストレートっ!!」
次に放たれるのは、渾身の右ストレート。
今までがジャブなら、次の一撃はただじゃ済まない。
間違いなくダウンさせられる。もしくは、最悪、死んでしまう。
(……なに、これ)
それなのに、目で追える。感じ取れる。狙いが分かる。
時間がゆっくりと進んでいくような感覚。恐らく、死が迫っているせい。
(死にたくない。死にたくない。死にたく、ないっ!)
心の底から溢れ出すのは、『死にたくない』という強い思い。
その純粋な思いの力が、心に火を灯し、体が生存本能に従い動き出す。
「「――ッ!!!」」
スパンと、弾けるような音が鳴る。
グローブ越しじゃない。拳と拳がぶつかる音。
何が起きたか分からないまま、二人の体は反発しあった。
「……あいたたたた」
見えるのは、コースロープを突き破り、倒れるナナコ。
そして、反対側のコースロープに支えられ、リングに残るのはアザミ。
「……こ、これが」
グローブは粉々。体は燃え盛るように熱い。
反射的に放った拳からは、青い光のようなものが見える。
「い、意思の、力……」
説明されずとも理解できた。これが、アミに怯えていた力の正体なんだって。
◇◇◇
東京、滅葬志士総本部。地下闘技場。
「すごい……力が溢れてくる」
ジェノの体の周りには銀色の光が生じている。
「それは、センス。心の内から生じる気持ち。意思の力です」
自らの肩を抱き、悔し気に語るのは、アミだった。
「アミさんって、優しかったんですね」
先の勝負には勝ち、晴れて自由の身になった。
相手からしたら、その時点で他人。放っておけばいい。
だけど、わざわざ教えてくれた。優しい以外に当てはまらない。
「並外れたセンスの持ち主を放っておけません。利己的行為とお考えください」
きっと、建前だ。でも、どっちだっていい。
「じゃあ、お言葉に甘えて、詳しく教えてもらえますか、この力のことを!」
次のステージに早く進みたい。その気持ちでいっぱいだった。
◇◇◇
広島県知事公舎。地下一階。ジム。
ベンチプレスが置かれた近くにアザミたちはいた。
「無意識と意識の違いって、分かりますか?」
そばにいるナナコは、ベンチプレスの台にかかった重い棒。
バーベルの両端に、丸いプレートを何枚も重ねながら、尋ねてくる。
「ゆ、夢と、げ、現実?」
「詩的でいいですね。夢を現実に変えるには?」
「こ、言葉にして、行動に移す?」
「惜しいですが、違います。ヒントは、言葉の前にくるものですよ」
問われるのは謎かけのようなもの。
ヒントは言葉の前。外に出す前の状態。
つまり、体の内側。内側にあるものと言えば。
「……こ、心?」
考えたものが心に浮かぶ。
心に浮かんだから、言葉になる。
言葉になるから、行動に移すことができる。
「正解です。夢を現実に変えるのは、行動したからではありません。行動しようと思った自分自身の心が根っこにあったからです。人も鬼も、悩みや問題の答えを、自分の外側に求めがちですが、大体の答えは、自分の内側にあるものなんですよ」
彼女の言ってることが正しいか、正しくないかはよく分からない。
だけど、不思議と納得できた。
長い時間、自分と向き合って出した、彼女だけの答えのような気がしたから。
「な、なんとなく、分かります。で、でも、意思の力となんの関係が……」
ただ、理解できるのと、知りたい問題に直結するかは別の話。
今のところ、繋がりそうで繋がらない、もやもやした気持ちの方が勝っていた。
「このバーベル。400キロありますが、片手で持ち上げてもらえますか?」
「む、無理ですよ、そんなの」
「何も意識せず、やるだけやってみてください。怪我は絶対させませんので」
もしかしたら、なんて軽い期待を持ちながら、棒に手をかける。
「…………あ、上がりません」
だけど、当然のように上がらない。
何度持ち上げようとしても、びくともしなかった。
「バーベルを上げることが夢だとして、行動したけど駄目だった。それが無意識の限界です。結果を変えるために、ここでフォーカスするべきは、自分自身。どうして、バーベルを上げたいかと心に問いかけ、浮かんだ思いを力に変えてください」
数度頷き、言われた通り、自分に目を向ける。
(バーベルを上げたい理由……。強くなりたいから……?)
真っ先に浮かんだ答え。だけど、まるで力が湧いてこない。
(いや、これじゃ、弱い気がする。もっと深く、心の中に潜り込まないと)
焦らなくても、時間はある。
目を閉じて、自分の心に問いかける。
(強くなりたいのは、どうして? 鬼に加担する理由は? 組織の一員になるために辛い試験に挑んだのはなぜ? わたしはどうなっていたいの? 流されるだけでいいの? 自分で決めなくていいの? 弱いままでいいの?)
考えが全然まとまらない。
たぶん、ずっと無意識で行動していたせいだ。
これに一つ一つ答えを出さないと前に進めない。これ以上強くなれない。
(強くなりたい理由……分からない。鬼に加担するのは、切り捨てられる側の気持ちが分かるから。試験に挑んだのは、弱い自分を変えたかったから。わたしは、自分で物事を判断できる人間になりたい。流されるだけは嫌。弱いのは嫌。刀に支配されるのは、もっと嫌。――わたしはわたしの意見を通すために強くなりたい)
今まで、漠然と、誰かのために行動している気がしてた。
でも、違った。全部、自分のことを思って行動していたんだ。
「目を開けてください」
すとんと自分の考えが腑に落ちた時、声をかけられる。
「……え?」
体からは再び、青い光が溢れ、バーベルは上がっていた。
「夢は現実になった。内に秘めた思いが強いほど力に変わるんです。……ただし」
「……あっ!?」
しかし、ナナコの不穏な言葉が聞こえると。
がくんと腕の力が抜け、体を覆う光は消えていた。
「心が不安定だと、すぐにその光――センスは消えます」
代わりに、赤い光を纏うナナコがバーベルを指一本で支えてくれていた。
「……なる、ほど」
「これから、その制御法。基礎中の基礎――禅を体得していただきます!」
ナナコは、強くそう言い放ち、特訓が始まった。