異世界の宇宙飛行士は月に居る兎を助けたい 短編ver
子供の頃の話だ。物心がつくかつかないかぐらい小さな時の事だけど、その時の会話を僕は克明に覚えている。
僕の祖父は毎夜家の縁側でお月見をするのを習慣としていて、僕はいつの間にかそのお月見に付き合うようになっていた。元々おじいちゃん子だったのもあるけれど、僕自身が夜空に浮かぶ月を気に入ったという事もあるだろう。
とある満月の夜に、祖父は僕を膝の上に乗せてこんな事を言った。
「昇、見てごらん。月にはウサギさんが居て、お餅を作ってるんだよ」
祖父が僕の手を取って、月の模様がそう見えるのだと丁寧に教えると。
「本当だ!ウサギさんがお餅を作ってる!」
それを理解した僕は大興奮で、ウサギからお餅を分けて貰おうと月に向って必死に手を伸ばす程だった。
「でも…ウサギさんはなんで一人でお餅を作ってるの?この前おじいちゃんとおばあちゃんは一緒にお餅を作ってたよね?」
ちょうど正月を過ぎた頃だったからだろう、僕はそんな素朴な疑問を祖父に尋ねていた。
「ふむ…確かにそうだな」
祖父はそう呟くと、僕に見つめられたままじっくりと考え始めた。
子供のたあいもない思い付きだっただろうに、祖父は生真面目に答えを考えてくれたのだ。こうして僕の夢を守ろうと頑張ってくれた事が、僕が祖父に懐いた理由だと思う。
「そうだ、昇が月まで行って手伝ってあげれば良いんじゃないか?ウサギさんも一人じゃ寂しいだろうし、昇が会いに行ってあげれば喜ぶぞ」
きっと祖父からすれば軽い冗談も交えた答えだったのだろう。ウサギを心配している子供心に寄り添った答えでもあり、今の僕が聞いても夢を壊さない程度のいい返答だったと思える。しかしその時の僕は、その言葉を必要以上に受け止めてしまった。
「うん!僕月に行ってウサギさんを助けたい!ウサギさんとお友達になりたい!おじいちゃん!月に行くにはどうするればいいの!?」
あの時の面を食らった祖父の顔もハッキリと思い出す事が出来る。やや困り気味の祖父を気にもとめず、僕はなんでも知ってると思っていた祖父の答えをワクワクしながら待っていた。その後お母さんが僕を呼びに来たのをきっかけにその場はお開きとなったのだが、次の日にはその答えを祖父が用意していた事から、かなり頑張って調べてくれたのだろうと今になって察する事が出来る。
「おじいちゃんありがとう!僕勉強も、運動も頑張って…宇宙飛行士になる!宇宙飛行士になって、月のウサギさんを助けに行くんだ!」
こうして祖父の何気ない言葉から僕の宇宙飛行士への道は始まった。この時の決断が、世界を揺るがす…とは言わないけれど、それなりに大事になるとは思いもしなかった。
――――――――
雲がほとんど無い真っ青な空に輝く太陽。白く輝く巨大な月。海が近いのを示す潮の香り。緑の絨毯と表現出来るような草原の丘。地面は草を抜いて地面を露出させただけのデコボコ道で、その道は丘の向こうの海に向けて伸びている。
そんな絶好のロケーションの中を、僕は後ろに一人の女の子を連れ立って歩いていた。丘を登っていくと地平線をのぞめる海が見え始め、昇り切ったところで丘の向こうにソレの姿が見えてくる。
「………」
ソレは太陽の光を浴びて光り輝く「黄金のスペースシャトル」で、僕はその姿を見て思わず口角が上がるのを感じる。
(遂に…この時が来たんだ)
ニヤニヤが止まらないのも無理はない。僕はこれからあの黄金のスペースシャトルに乗って宇宙へ飛び出す。本来ならば東大レベルの勉強と、人並み以上の身体能力。宇宙に関する研究成果や、多国的な対人のコミュニュケーション能力等々。長年にわたる努力を怠らなかったエリートだけが、宇宙飛行士になって宇宙へ旅立つ事が出来るのだから。
(一年か…長いようで短かったな)
普通に考えれば10代で学生の身分であるはずの僕が、一年足らず頑張っただけで宇宙船になんか乗れる訳が無い。それに僕は先のような厳しい競争に勝ち残った訳では無く、そもそもここはNASAでもJAXAでも無い。さらに空に浮かぶ地球のそれに比べて遥かに巨大な月から分かるように、ここは地球でさえも無い…ここは「異世界」なのだから。
「ねぇ…急に立ち止まってどうしたの?」
そんな事を考えていると後ろから声を掛けられた。どうやらスペースシャトルを見てから、僕は歩くのを忘れて物思いにふけっていたようだ。
「ごめんごめん、いよいよ宇宙に行けるかと思うと感慨深くて」
振り返って謝罪をすると、彼女は眉をひそめながらため息をついた。
「楽しみだったのは知ってるけど…まずは成功するかどうかでしょ?正直私はお腹の辺りがキリキリしてるんだけど…」
彼女はこのスペースシャトルの処女飛行に同乗してくれる僕の相棒だ。そしてこの僕を地球からこの異世界に召喚した本人でもある。そう…宇宙飛行士を目指していた普通の高校生だった僕こと月見里昇は、この魔法使いの女の子の召喚魔魔法によってまるでゲームや小説のようなファンタジーな世界に連れて来られてしまったのだ。
「そんなに気を負わなくて大丈夫だよ。あれだけ試験も練習もやったんだし、それに…例え失敗したとしても死ぬわけじゃ無い」
彼女の緊張がほぐれるように僕はフォローの言葉を掛ける。
宇宙に飛ばすロケットが失敗しても大丈夫なんて地球なら大ボラもいいところなのだが、このスペースシャトルに限って言えば本当に大丈夫なのが恐ろしい。地球の歴史で数々の失敗を糧にして宇宙へを目指した人達には申し訳ないが、この異世界は科学の代わりに魔法をはじめとするファンタジーな要素が盛りだくさんなのだ。その結晶である黄金のスペースシャトルは、地球からすればチートなんて言われても仕方の無い反則っぷりとなっている。
「というかなんで私を選んだりしたの?貴方は別として…後は魔法が使える人が居れば良かったんでしょう?私より魔法が得意で、宇宙に行きたい人はいっぱい居たのに…」
確かに、彼女の言う通り初の宇宙飛行に行きたがっていた人は何人も居た。そもそもこの黄金のスペースシャトルを作れたのは本当に大勢の人と種族の人達のおかげだ。異世界から来た僕の、途方も無い計画を応援してくれた掛け替えの無い仲間達でもある。そんな中で彼女を相方として選んだのは僕の一存で、他の人達は残念ながらも僕の意見に従ってくれた形になっている。
「君が僕をこの世界に呼んだ理由を忘れたとは言わせないぞ。結果的に近道になったとはいえ、一年前は本当に大変な思いをしたんだ」
「…う」
僕の反撃に彼女はバツが悪そうに声を上げた。
彼女が僕を召喚してしまったのは偶然といえばそうなのだが、召喚魔法を使った経緯というものは当然存在する。彼女はこの世界の魔法学校というものに通っていて、その成績は少々かんばしいものでは無かった。そこで一発逆転に掛けて行ったのが「成功例が全く無い」とされていた召喚魔法で、その成功をもって成績の向上を図ったのである。
そんな召喚魔法に巻き込まれた僕はとんだとばっちりで、当初は言葉も通じない上に宇宙飛行士の夢を閉ざされた事に絶望感を感じていた。そんな僕を見た彼女は僕を召喚してしまった事に責任を感じ、僕のこの世界での生活をサポートする約束をしてくれたのだ。
衣食住は勿論の事、「意思を伝える魔法」というこの世界の人達の必須魔法の習得。さらにとある出会いが元になり、この世界で改めて目指す事になった宇宙飛行士への道。それらを常に、全面的に応援してくれたのが彼女だった。
「まぁ…つまり、それくらい長い付き合いだから君が一番信頼出来るんだ。それが君を選んだ一番の理由だよ」
ちょっと照れ臭いので振り向いてからそれを伝える。本当の理由は他にもあるけれど、それはまた後で伝えたい事だ。
「…そう」
彼女の控えめな返事を聞いて、僕はまたスペースシャトルへと歩を進めた。そしてすぐ近くまで歩いてくると、その船体がやや赤みがかった色である事が分かってくる。
(このオリハルコンとの出会いが、異世界で宇宙を目指す第一歩だった…)
このスペースシャトルの外装となっている金属は「オリハルコン」だ。良くゲームとか小説で武器とか防具の素材になっている定番の物質で、とんでもない特性を持った高価な金属である。現実には存在しないかまた別の物質だと思われている伝説の金属のハズだったのだが、なんとこの世界では普通に存在しているのだ。
この金属の特性は並みの金属では太刀打ち出来ないほどの硬度、そして耐熱性と遮熱性を兼ね備えているという…まるでゲームから出てきたような最強っぷりだ。当然通常の方法での加工は困難で、オリハルコンを扱えるのは「ドワーフ族」だけとなっている。
(ドワーフ族との出会いが無かったら、僕は宇宙を諦めていただろう)
ドワーフ族もゲームや小説そのままと言っていい人達で、小柄で手先が器用な職人気質な人が多い種族だった。彼らは異世界から来た僕に興味を持ち、僕が話した地球の話を食い入るように聞いてくれた。そして僕が宇宙飛行士を目指していた事、人は宇宙という場所に行ける事に感銘を受けてしまい、そこからオリハルコンという素材を紹介してくれる流れになったのだ。
「よっ」
船体の側面にあるハッチ扉のハンドルを回し、扉を押し開ける。当然このハンドルもオリハルコン製なのだが、必要な部品とはいえ、こんなところまでオリハルコンを使うのは凄く贅沢な気がしてならない。実際ドワーフの職人さんに「こんな物までオリハルコンを使うなんて信じられない」と言われたぐらいで、僕の話にノリノリだったドワーフの族長さんの豪気というものが良く分かるエピソードである。
「よい…しょ」
彼女に先に船内に入って貰って、僕は後に続いて扉を閉める。内側にもあるハンドルをガッチリ回し、開かない事を指差しで確認。こうした細かな確認こそ、ヒューマンエラーを防ぐ最大の対策だ。
「光」
先に入った彼女がそう呟くと、窓などから差し込む光だけで薄暗かった船内がパッっと明るくなる。簡単な魔法ではあるけれど、かつての彼女はこんな魔法ですら上手く使えないくらいの落第生だったっけ。確か僕が宇宙を目指し始めた辺りから妙に頑張り始めて、いつしか普通の魔法使い以上の使い手になっていた。
船内を歩くと、コツコツというスペースシャトルらしかなる木の音が鳴り響く。これは船内に使われているのが「世界樹」という植物だからだ。オリハルコンの外装はこの世界における最高の防御力を誇るのだが、その分柔軟性というものが足りなかった。そこを補うべく、骨組みや内装に使う素材で白羽の矢が立ったのが世界樹の木材となる。
この木材は木とは思えないほど頑丈で燃えにくく、さらに木特有の柔軟性もあるというオリハルコンに勝るとも劣らないチート素材だ。これもオリハルコン同様扱える種族というものが決まっていて、協力してくれたのは「ドライアド」という種族の人達だ。
(正直な話、この世界樹が無かったら宇宙へは行けなかったかもしれない)
船内に使われた世界樹は外部の衝撃から中を守るだけでなく、酸素の供給という意味でも役立ってくれていた。世界樹の木は小さな一本が生えているだけで「周辺の環境を人が住めるようにする」という能力を持っている。この世界の世界樹は唯一というものではないのだが、最大の世界樹は富士山よりも大きく、文字通り世界をその効果の範囲に収めて人々を守っているのだ。
ただ欠点として必ず土から生えていないと効果が無いという所があり、その木の大きさに見合った土を確保するため、この船内の大部分は世界樹の為の土となってしまったりしている。当初はそれでどうやって燃料を積めばいいのかと悩んだのだが、これもまたファンタジーな素材で解決する事が出来た。
「じゃあ、席についてベルト固定」
「うん」
コックピットまで来た所で世界樹製の椅子に座る。そして発射に備えてベルトを使ってしっかりと体を固定した。
ここで僕達の格好だが、ハッキリ言って宇宙をなめているとしか思えない格好をしている。ゴワゴワで体を保護してくれる宇宙服なんてものでは無く、まるで普通の服を着ているのだ。しかしここまで来てこの服が普通の素材な訳が無く、これもまた「精霊布」という素材を使ったとんでもない逸品となっている。
これは「魔力を物質化する」力を持つエルフだけが作り出せる素材で、概念を付加するという僕自身よく分かってない効果を持っているのだ。簡単に言うと、着てるだけでスーパーマンみたくなれる服だろうか?この状態で顔面を殴られてもまったく痛くないというのは、実際に体験しても信じがたいものだった。
「ベルトよし」
「ベルトよし」
という訳で、この服のおかげでロクに耐G訓練をしていない僕らでも、発射の衝撃に楽々耐える事が出来るという事になるのだ。ちなみにさっきの世界樹との合わせ技で、世界樹の植木鉢を抱えていれば理論上船外活動も出来るかもしれない。流石に最初からそこまでするのは実験不足なのでやめておいたけど。
「賢者の石に魔力接続、監視塔と通信開始」
「賢者の石に魔力接続、監視塔と通信開始」
僕の指示を復唱しながら、彼女はコックピットの金属板に手を当てる。
「テストテスト。監視塔聞こえますか?」
『テストステト。聞こえました。そちらはどうですか?』
「問題無し。これより、発射体制へ移行します」
そう言って僕もコックピットの金属板に手を当てて目をつむった。すると頭の中に俯瞰で見たスペースシャトルと、その中を光の線が走っている映像が浮かんでくる。
まず、このスペースシャトルは通常の燃料では無く「魔力」というものを使って動くように出来ている。この世界には地球には無い魔力というものがありとあらゆるものに含まれていて、この世界の人達はその魔力を使って魔法を使ったりしているのだ。
言わば電気や燃料の代わりになるもので、「賢者の石」はその魔力をとんでもない密度で貯めておける電池のようなものとなっている。普通なら宇宙に飛び立つ…星の重力から脱する為にはとてつもない速度が必要で、宇宙船の大部分はその推進力を生むための燃料である事がほとんどだ。しかし賢者の石は本当に岩どころか石サイズの小ささで、これのおかげげスペースシャトルの重量も頭がおかしいくらい軽量化する事が出来たのだ。
この賢者の石は他の素材と違って一品物だ。我らが人種族の王様が代々守り続けてきた宝物らしい。そんな大層な物を貸して貰ったのには紆余曲折があったのだが…最終的に快く貸してくれたのだから良しとしておこう。
次に僕らが手を当てている金属板は「ミスリル」という金属が使われていて、この世界で一番魔力の伝導率が良い素材である。これを提供してくれたのは「魔族」という種族で、これも当然彼らしか扱う事が出来ない特殊な素材だ。
コックピットという割に各種計器やスイッチ類、操縦かんすらも無いのはミスリルのおかげで、離れた場所との通信にも使われている。電気ではなく魔力を使う以上、それを通す導線も相応の物を使わざるを得ない。このスペースシャトルの魔力系統を繋ぐミスリルもまた、必要不可欠なものだった。
「っ!」
正面の風防から見える景色が徐々に空に向かって傾いていく。隣の彼女はその重力の方向の変化に少しだけ驚いていた。椅子に座ったまま後ろに倒れていくという感覚は初めてだろう…いや、椅子を傾けすぎて後ろに倒れるのを思い出してゾクっとしてるのかもしれない。あれは地味に怖くてかなり痛いのだ。
完全に地面と垂直になったのか、風防からは真っ青な青空が見える。この風防は耐熱ガラスではなく「クリスタル」という特殊な素材を使用していて、オリハルコンと匹敵するくらいの強度と耐熱性、そしてすばらしい透明度をもっている。これはエルフと少し違う進化をした「ダークエルフ」という種族が作り出せる素材で。これもまた魔力を物質化して作られているそうだ。
「ドラゴンエンジンに魔力通せ。監視塔、カウントダウン開始」
ちらりと自分の左腕に巻いてある時計の時刻をチェックする。この時計はこの世界に来る前、高校入学の記念に父親からプレゼントして貰ったものだ。機械式の時計で、僕は貰った時に「この時計をつけて宇宙に行く」と父親に約束をしていたのだ。報告こそ出来ないけど…約束を守る事は出来そうだ。
「ドラゴンエンジン起動」
『了解。カウント開始します』
「ドラゴンエンジン」とはその名の通り、ドラゴンを素材としたロケットエンジンだ。このファンタジーな世界には当然のごとくモンスターという生き物が存在していて、ドラゴンはその中でも最強と言われるほどの力を持っている。その炎は人の使う魔法の炎とは比べ物にならない威力で、その秘密はドラゴンの体内にあるとある器官、魔力を超効率でエネルギーへと変換する器官によって成り立っていた。
そんな器官に膨大な魔力を持つ賢者の石を接続して、その制御を魔法使いが行う。これがドラゴンエンジンの原理で、この世界の物で宇宙に飛び出す推進力を得るための最的確だ。このエンジンの作成の為のドラゴン退治は…これまで協力してくれた種族全員の力を借りた最大の戦いだったと言えるだろう。
『10!9!8!7!…』
少し気になったので隣を見てみると、魔法使いの彼女は緊張をした面持ちでミスリル版に手を当てていた。その手は明らかに震えていて、とてもリラックスをしているとは言い難いものだ。
(そりゃあそうだよね)
いくら練習をしても、実験をしても、心構えをしても…本番というものはまったくの別物だ。けど、それまでに頑張って来た全てが無駄になる訳ではなく、積み重ねてきたそれは自信や信頼へと繋がっていくものなんだ。そして僕は知っている、彼女が僕に選ばれてから…どれだけの努力をしてきたのかを。
「…大丈夫だ」
「えっ!?」
突然の僕の声に、彼女はハッとした顔でこちらを向く。
「ずっと頑張っていた君なら、大丈夫だ」
その顔に、僕は精一杯の笑顔を向けた。
『4!3!…』
「…うん」
彼女は僕に応えるように強く頷くと、顔を引き締めて前を向く。
『1!0!』
「「発射!」」
瞬間、服で守られているにも関わらず結構な衝撃が体に掛かった。物凄い勢いでスペースシャトルが上昇しているというのを体全身で感じながら、頭に浮かぶスペースシャトルの姿勢に集中する。
(角度調整。予備スラスター起動)
彼女はメインのドラゴンエンジンに掛かりきりなので、姿勢制御用の小さなスラスター操作は僕の役目になっている。魔力の制御については本職以下で並以上という中途半端さだが、宇宙の知識についてはこの世界で一番だ。最悪ゴリ押しでも大丈夫なくらいのスペックを持つこのスペースシャトルだが、そうなると彼女の負担がかなりのものになってしまうだろう。プレッシャーを跳ね除けて頑張る彼女に応えるように、僕も僕で出来る限りの補助をしてあげないと。
(…っ!?)
時間も忘れてスペースシャトルの操作を続けていると、フッっと体に掛かる力が弱まった。目を開けて時計を確認すると打ち上げから約8分が経過している。そして顔を上げて風防の外を見ると、そこには星の海が広がっていた。
「…ドラゴンエンジン停止」
「…綺麗」
復唱を忘れ、彼女は目の前の光景に心を奪われている。とりあえず指示通りに停止している事を確認すると、僕は予備スラスターを操作してスペースシャトルが星の軌道に乗るように操作した。念願の宇宙を堪能したい気持ちを押さえつけ、まずは必要な仕事を終わらせなければ。きっと過去宇宙をを目指して来た地球の先人達も、その溢れんばかりの気持ちと戦ってきたんだろう。
ちなみに先ほどからやっているスペースシャトルの制御は全部が手動という訳では無い。僕がこの世界で魔法を覚えて編み出した「魔法コンピューター」が様々な計算などを補助してくれているからだ。宇宙開発当初のコンピューターは某ゲーム機並みの能力だったと言うけれど、それでも全てを手動でやるよりは遥かに効率的で速かっただろう。僕のこの魔法だって完璧な訳では無いだろうが、それでもこうして宇宙にまで来れたのだから大したものだ。
「軌道確保。監視塔へ報告…こちら無事宇宙へ到達しました」
発射を見届けてからきっと、今か今かと連絡を待っているであろう地上へ通信を飛ばす。しかし、地上に居た先ほどと違い通信先からの返答は中々返って来なかった。
「…だ、大丈夫なの?」
彼女が不安そうに聞いてくるけどこれは想定内の事だ。地球で電波を使った通信でもラグがあるのだから、魔力を使ったこの通信でも同じ事が起こるのは当たり前だろう。ただ、電波と魔力で伝わる速さに違いは出るというのは実験から分かっている。
この世界のあらゆるものに魔力が宿っているという事は、魔力を伝える時はそれらを媒体…経由して伝える事になる。つまり空気が無い真空では魔力の伝導率は著しく落ちてしまうのだ。一応真空の中でも魔力を通じさせる事は可能なのだけど、その分大量の魔力を消費する。この通信はミスリルと賢者の石の組み合わせだからこそ成立する力技の通信なのだ。
『おめでとう!地上側も消火完了している。今は周りの歓声がうるさいくらいだ』
様々な条件から発射場に適していたからとあそこに決めたけど、やっぱり燃えてしまったか。宇宙に飛び出す推進力の炎なのだから被害は出ると思っていたけど、優秀な地上班のおかげで事なきを得たようである。
「ありがとう。こちらでしばらく滞在した後、速やかに帰還する。例の時間まであと少しだ、地上の混乱抑制に努めてくれ」
「…混乱?何か起こるの?」
地上に送った通信内容に疑問を持ったのか、彼女は首を傾げている。答えて安心させてあげたいところだけど…まだ早い。
「まぁ一応ね、僕らのせいにされても困るから。それよりベルトを外してごらん、これが無重力って状態だよ」
体を固定していたベルトを外し、僕は椅子を掴んでくるりと足を天井に向けた。
「…わ!わ!わ!」
ふわふわと動く僕を見て、彼女は驚きながらも目を輝かせる。慌てて自身のベルトを外そうとするけれど、手がおぼつかなくなってるのか苦戦をしているみたいだ。
「落ち着いて。あと、外してもむやみに動かないように」
なんの前知識も無い彼女をリードするために、ゆっくりと近づいてベルトを外す手伝いをしてあげる。うっかり動いて多少頭をぶつけたくらいなら服のおかげで問題ないだろうけど、それでも注意しないと危ない事には違いない。僕だって無重力は初めてなんだし、せめて彼女がパニックにならないように振舞ってあげないと。
「わぁ~…」
僕は片手で船内の取っ手、片手で彼女の手を取ってゆっくりと移動をする。彼女は僕に引っ張られながら、無重力という地上では経験できない感覚に感動しっぱなしだ。
「これが宇宙から見た星か…」
風防に近づいて二人並んで外の景色を眺める。地上から見るそれとは違うそれは、実際に宇宙に来た者だけが見れる特権だと言える。
「あっ!ねぇ、あっちでぼんやり青く見えるのって…もしかして地面かな?」
彼女が興奮しながら指差した方向には、確かに青く見える大気の層が見えた。次に地上が良く見える窓に移動するつもりだったからちょうどいい、リクエストに応えて見に行くとしよう。
「うん、こっちの窓からだともっと見えるよ」
僕はチラリと時計の時刻を確認してから、彼女の手を取って船体の側面の窓へと移動する。初めての無重力だけど割と上手く移動出来ているのには僕自身が驚いていた。僕の手を思いっきり握りしめてくる彼女の期待にそえるように、ボロが出ないように頑張らないと。
「わぁ…」
「おぉ…」
地上が良く見える窓まで移動した所で、彼女に続いて僕も感嘆の声を上げる。そこから見える風景は、写真や映像でしか見る事の無かった、青いオゾン層越しに見る惑星だった。
(例え異世界の星だとしても…人が住む世界はこんなにも美しいものなんだ)
「えーっと…あそこかな?さっき僕達が出発した所は」
「えっ?どこどこ?」
今は星の自転に合わせて動いているのでそんなところも見つけやすい。彼女は僕が指さした先を食い入るように見つめ、そこを見つけるとまた嬉しそうな声を上げる。昔スカイツリーの展望台に登った時、そこから自分の家がどこにあるのかを探したりしたなぁ。スケールが遥かに違うけど、今まで自分が住んでいた場所をこんな形で見る機会、この世界の人達ではあり得ない事だっただろう。
「…こんな綺麗な世界に、私は生きてたんだね」
うっとりとした表情で地上を眺める彼女の顔に、僕は少しだけ見惚れてしまった。そういえば自然と手を握ってしまっていたけど、こうして手を繋ぐなんて初めてじゃなかったか?彼女の手は柔らかくて温かい女の子の手で、それを自覚したとたん心臓がドクンと鳴ったような気がした。
(…おっと!ダメだ!まだ駄目だ!)
うっかり口走りそうになったセリフを飲み込み、僕は時計を確認する。
(うん、ちょうどいいタイミングだ)
「ねぇ…これから君に、どうしても見せたいものがあるんだ」
「え?」
彼女の返事を待たず、僕は彼女の手を引いて船の反対側の側面へと移動する。そちらは彼女の魔法の明かりが無くても大丈夫な程明るくて、それは窓から差し込む太陽の光のおかげだ。
「えーっと…」
窓に手を当てて魔力を流すと、太陽の眩しさが少し軽減された。このクリスタルは魔力で作られた物質なだけあって、魔法でちょっと性質を変えたりも出来るのだ。
「眩しい…これが見せたかったものなの?」
「いや、もう少し…」
太陽にだけ目を取られている彼女とは違い、僕はその太陽に近づく一つの影に気付いている。その影はゆっくりと太陽に近づき、遂にその一部を隠し始めた。
「え!?嘘!?」
彼女が驚愕の声を上げるのも無理は無い、それは地域や天体の動きによっては滅多に見れないもので、月によって太陽が隠される…日食と呼ばれる現象だからだ。
「ねぇ!太陽がどんどん隠れていっちゃってるよ!月と…ぶ、ぶつかっちゃたのかな!?」
どうやら彼女は日食を実際に見る事は初めてだったようで、実に良いリアクションをしてくれた。流石にこの様子じゃ話が進まないので、簡単に解説をしてあげるとしよう。
「大丈夫。太陽と月は実際にぶつかる程近くを動いて無いんだ。こんな感じで…太陽と僕たちの間に月が入り込んでいるだけなんだよ」
僕は両手の拳を太陽と月に見立てて、日食の原理を教えてあげた。彼女は僕の両手と実際の日食を見比べながら「はー…」と口を開きながら感心したように頷いている。
「あっ!さっき監視塔に伝えたのってもしかしてこの事?」
「まぁね。何年かの周期で見れるものだけど、知らない人は知らないものだから。今回は僕達が宇宙に飛び出したと同時に起こるタイミングだったから、万が一にも僕らのせいにされても困っちゃうしね」
地球の歴史でいっても、日食や月食などの派手な天体現象は不吉の前兆のように扱われる場合がある。いまでこそ原理が分かっているけれど、知らない人たちから見れば急に太陽や月が隠れるのは恐ろしいものだっただろう。
「…ん?という事は、これが起こる事を知ってたの?」
「うん。。文献を確かめたり、太陽と月の軌道を計算したりしてね。実は今日をスペースシャトルの発射日にしたのは、これを宇宙で見る為だったんだ」
「はー…」
彼女はさっきの感心した感じとは打って変わって、今度は呆れたような声を出す。多分僕の天体バカ加減に対してだろうけど、今回はちょっと話が違う。ただ宇宙で日食を見る為に、この日を選んだ訳じゃないのだ。
「まぁまぁ、とりあえず日食を観察しよう。こんなに綺麗に見れるのは滅多な事じゃないんだから」
そうしている間にも日食は進み、地球に比べて月が大きい分すっぽりと太陽を覆い隠してしまった。
(さぁ…ここからが執念場だ)
僕がこの日この時に、彼女を連れて宇宙で日食を見に来たのには訳がある。彼女に本当に見せたかったものは日食そのものではなく、その後に起こるものだ。
日食が起こる事が判ってから、出来れば彼女と一緒に見たいと思っていた。ちょうどよくスペースシャトルの完成が近づいた事から、二人きりの宇宙で見れたら良いなと欲張ってしまった。
「いつかさ…僕の世界の習慣を教えた事があったよね?」
「え?あ、うん」
僕の唐突な言葉に、彼女は少し驚いて僕の方を向く。
「王都で一緒にアクセサリーの露店を見て回った時、僕の世界では指輪はただのアクセサリー以上の意味を持つ事があるって…」
(もう少しで…月の影から太陽が現れ始める)
「婚約指輪。結婚をしたい相手に高価な指輪を送り、相手への愛を証明する事」
「………」
僕と見つめ合う彼女の顔に、太陽の輝きが差し始めた。
「あれが…僕が君に送れる最大で、最高の指輪だ」
それを指差して顔を向ける。それは惑星が恒星を隠し、食の終わりに起こる奇跡のような現象。月の縁から漏れた光がそう見える事から「ダイヤモンドリング」と呼ばれる世界最大の指輪だった。地球に比べて月が大きい為、指輪というよりはティアラとかバックルと言った方が良いような形になってしまったけど…僕の彼女への想いを伝えるには十分過ぎるものだと思う。
「………」
「ずっと好きだった。ハッキリ自覚したのは…賢者の石を借りた時だったかな?僕の夢を最初からずっと信じ続けてくれた事が、本当に嬉しかった」
隣を見ると、彼女は呆けたように太陽を見つめ続けていた。僕の送った指輪を、どう受け止めてくれただろうか。
「そして謝りたい事もある、実は…君の気持ちを、僕は偶然知ってしまってたんだ」
「っ!?」
驚いて僕に振り向いた彼女の顔は、一瞬で真っ赤に染まる。
そう、彼女が僕に好意を持っている事を…僕は本当に偶然知ってしまった。そして彼女が僕をこの世界に召喚してしまった事に、計り知れない程罪悪感を抱いている事も同時に知ってしまったのだ。
「僕の夢や、生活…その全てを奪ってしまった事に、君が苦しんでいた事も知っている。僕は君の事を許さないとは言ったけど、恨んでいる訳じゃ無い。責任感とか罪悪感とか…そういうのは別問題で、僕は…君に恋をした。僕を応援してくれて、自分自身も頑張って…そんな君と、僕はこの世界でずっと一緒に生きて行きたいと思っている」
「………」
キラリと、太陽とは別の輝きが僕の目に入る。それは彼女の瞳から溢れた涙の球体が太陽の光を反射したもので、次々に現れるそれは…まるで夜空に輝く無数の星のようだ。
「だから…僕と結婚してほしい」
「…ばかぁ」
顔を隠しながら、彼女はそう呟いた。
「このっ…宇宙バカ!」
瞬間、彼女は床を蹴って僕に突進してきた。無重力下の為支える事なんて出来ず、僕と彼女は壁にぶつかるまですっ飛んでいく。
「…それを伝えるのに、こんなとこまで連れてきて。本当に…バカ」
「君の気持ちを知ってしまった手前、生半可な方法じゃダメだと思ったんだ。君が抱く、僕に対する負い目なんて吹き飛ぶくらいの事じゃ無いと、僕の本気の気持ちが届かないかなって」
今僕と彼女は、無数の涙の星が散らばる空中で抱き合っていた。こんな告白…例えどんな異世界を探しても、思いつくのは僕くらいだろう。
「私は…ずっと落ちこぼれでひとりぼっちだった。でも貴方と会えて、自分を変える事が出来た。どんな絶望的な状況でも、諦めないで頑張るって事を教えて貰えたから…だからこそ、自分勝手に貴方を召喚してしまった事を…ずっと悔やんでいた」
「うん」
僕の腕の中で、彼女はしゃくりあげながらも声紡ぐ。既に知っていた事だけど、彼女の口から直接聞くのではまったく違うものだ。その声色から、彼女の心情というものが嫌という程伝わってくる。
「そんな私が、貴方を好きになるなんていけない事だって思ってたのに…」
彼女の顔が上げる。顔を真っ赤にした泣き顔だけど、それでも精一杯の笑顔で僕を見つめてながら。
「私も…貴方が好きです。いつか言ってくれたように、私の事を許さなくてもいいから…ずっと私と一緒に居て下さい」
僕は…僕をこの世界に召喚した彼女の事を許さなかった。僕には地球に残して来てしまったものが沢山ある。家族、学校、将来…突然連れて来られた僕は、それらを全て諦めなくてはいけなくなった。それは彼女個人にどれだけ好意を持ったとしても覆してはいけない事だ。けど…。
「うん。君の事は許さない。それでも僕は君の事が大好きだ。これからもずっと…僕の隣で、責任を取ってくれ」
彼女が目を閉じたの見て、僕も目を閉じる。彼女の抱きつく力が強くなり、僕も彼女を抱きしめ返した。
(僕はこの世界に来て、一回全てを失ってしまった)
僕と彼女の唇が重なった。上下左右があいまいなこの場所だからこそ、彼女と触れ合った場所がより強く感じられる。
(でも…最終的には異世界なんて場所で、宇宙飛行士になる事が出来た)
自然と唇が離れて彼女と見つめ合う。きっとお互いのこの顔を、僕達は一生忘れないだろう。
(おじいちゃん…月の兎を助ける事は出来なかったけど。僕は異世界で宇宙飛行士になって、一人で頑張っていた彼女を助ける事が出来たんだよ)