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斎藤との出会いは、今日子がようやく新人の肩書が取れて、一人で外回りを任せられるようになったばかりの頃だった。
女性の社会人にとって独り立ちするということは、ある意味で本格的に厳しい社会の荒波に揉まれるということでもある。
端的に言えば、セクハラパワハラモラハラといった、ハラスメントの嵐だ。
さすがに明確に犯罪と認定される類のものはともかく、取引や契約の継続のためなら、
「お、今日子ちゃんのお尻の形は安産型だね。こりゃ将来の旦那様は良い買い物だ」
と言って毎回撫でられるとか、
「ああ?女のくせにこんなことも分からないのかよ。使えねえな、さっさと代わりを寄こせ!」
みたいな、ある程度の暴言を我慢する必要があった。
もちろん、営業部のエースと呼ばれるようになるには、やられっぱなしで済ませるタイプでは勤まるわけもない。
数々の嫌がらせやセクハラを限界を超えない程度に愛想笑いでやり過ごしながら証拠を集め、労働基準監督署に通報しない代わりに新たに良好な関係を気づいた経験は、今ではいい思い出だ。
そんな今日子も神様でもなければ万能でもない。
取引先との付き合いの中で心を確実に抉りつつも、対処できない問題が一つあった。
今日子の名前に対する、悪意のない言葉だ。
「今田今日子?うーん、覚えやすいのは助かるけど、親御さんも罪なことをするよね」
多少文言の違いはあるものの、物心ついた時から自己紹介の度に言われ続けてきた反応。
大学生までは相手にも遠慮があったらしく明確に口にする人は少なかったが、就職してからははっきりと言う人が格段に増えた。
今日子自身、自分の名前に思うところが無いわけでもない。
母親や親戚一同の反対を押し切って名付けたのは父親だと聞いている。
なんでも、地に足をつけて今日一日をしっかりと生きてほしい、という真っ当な理由があるそうで、最終的に離婚寸前まで行きながらも頑固に自説を曲げなかった父親に、結局母親と周囲も認めざるを得なかったらしい。
もちろん今日子も、名前を巡って父親と喧嘩した回数は両の手で足りないくらいだが、それ以外は惜しみなく愛情を注いでくれた父親に結局は折れる形になり、みょうちくりんな自分の名前を受け入れた。
だが、受け入れることと、生温い同情の眼で見られ続けることは、全く別の話だ。
人間関係、特に仕事上の付き合いで最も困るのは、相手から同情の眼で見られることだ。
本来ビジネスライクな間柄でいなければならないはずなのに、相手からは情の籠った気遣いをされる。
人によってはそれも武器の一つだという考えもあるだろうが、今日子はとてもそんな風には考えられなかった。
ひょっとしたら、強固に男ができなかった原因は、名前の件で同情されたくない余りに自然と異性を遠ざける空気を今日子自身が出していたせいかもしれない。
そう言えるほどに、一通りの仕事を覚えて自分のスキルとして振るい始めた今日子に、男の影はなかった。
斎藤が現れるまでは。