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今田今日子はいわゆるキャリアウーマンだ。結婚はしていない。
俗に言う結婚適齢期は数年前に過ぎて、今では本人も気にしていない、振りをしている。
就職時からは半減した同期や、新人期を過ぎても半人前の戦力にしかならない部下たちからは、
「さすがは今田だな。今年だけで大型契約を三件も成立させた。あれでもう少し可愛げがあったら」
「先輩はホントに仕事命ですよね。将来は取締役、もしかして社長を狙ったりもしてます?」
なんて評価されていて、仕事にプライオリティを置いているかのように思われているが、事実は異なる。
身長は172cmでシャープな顔立ちのせいか、子供のころから勉強大好き人間だと思われがちだったが、家では普通に家事を手伝って好きなドラマは恋愛系と、至って普通の少女だった。
そんなわけで結婚願望も人並みに持っていたりもするが、いかんせんその容姿と能力のせいで真剣に今日子とお近づきななろうという男が現れない。
今日子自身は、それなりに努力やアプローチはしている、つもりになっている。
例えば先ほどの同期には、
「あら、それならもう少し可愛げを出したらどうなるのかしらね」
ある意味ハラスメント発言をした後輩には、
「どうして社長業と家庭の家事が両立できないと思われているの?」
とか、結婚への関心を隠したことはないのだが、そのどれも冗談の一環としてしか認識されない。
そんなわけで、さすがに面と向かって言われたことはないものの、端的に言って行き遅れになりつつある今日子は、将来への焦りを感じつつも、それを表だって行動に移せないでいる切実で微妙な問題を抱えていた。
とある夜。
ここ数年の自粛期間のせいで夜間は特に人手の減った街だが、行政の要請などお構いなしに営業する店は確実に存在し、それを目当てにする客も一定数いるものだ。
今日子もそんな一人で、一人暮らしの気安さもあってか、残業が短い、またはなかった日にはほぼ毎日、行きつけのバーを訪れていた。
と言っても、別に一人寂しくほろ酔い気分を味わうためにではない。
「やあ、一週間ぶりだな」
入り口からは観葉植物などが遮ってほとんど見えない、バーの奥まったテーブルでグラスを傾けていたのは、高級スーツに身を包んだ不惑を大きく超えた男性。
彼の名は斎藤。今日子が現在お付き合いしている相手だ。
「マスター、いつものを」
今日子と共にすっかり常連になった特権で、カウンターの向こうのマスターが無言で頷いたのを見てから、斎藤は立ち上がって彼女のための椅子を引く。
「どうぞ、マドモアゼル。今日も来てくれてありがとう」
会社の同僚や後輩がやったらうすら寒い空気になりそうな気障な言動も、仕事帰りではないスーツを軽く着崩した斎藤がやるとなぜか様になって見える。
いつものことながら悪い気のしない今日子は「ありがと」と礼を忘れずに斎藤の向かいの椅子に座る。
やがてマスターが持ってきたお気に入りのあんずのカクテルのグラスを持ち上げると、
「乾杯」
と言った斎藤のそれと合わせた。
「その様子を見ると、仕事の方は順調そうだね」
「ええ。さすがに前年比より、とはいかないけど、なんとか四半期の目標は達成できそう」
大人同士とはいえ、仕事という無粋な話題から入る二人だが、斎藤はもちろん今日子の方も気にした様子はまるでない。
それもそのはず、斎藤は今日子の会社の大口の取引先の取締役で、お互いの勤務先の内情をある程度把握した仲だ。
また、お互いの会社の景況が今後の先行きに密接に関わるため、当たり障りのない程度に話題に挙げることはもはや恒例行事となっていた。
「しかし、仮にもいい年をした大人が夜のバーのデートばかりというのも芸がなさすぎるな。近い内に旅行でもしようか」
「それはいいけど、仕事の都合と自治体の規制が緩和されたタイミングが合わないと。さすがにこっそり飲みに出るのとはわけが違うんだし」
「それもそうだが、早く決めておくに越したことはないだろう。旅行っていうのは計画している内が一番楽しいとも言うしな」
一見穏やかで親し気に交わされる、今日子と斎藤の会話。
だが、その雰囲気とは裏腹に、今日子の胸の内では、いつ斎藤に別れを切り出そうかという思いが大半を占めていた。