19〜21
19
「いやぁ、まさかまさかだよ。受験生にこれほどの子供が混ざってるなんて、お姉さん感激だなぁ」
第三アリーナの中央。アリスの向かいに立つ黒髪の女性は、うんうんと頷きながら『幅広の木剣』を担ぎ口を開く。
それにしても、黒髪なんて珍しいな。
俺がこの世界で見たのはギルダさんとお姉ちゃん含めて三人目だ。
「ありがとうございます、カナミ教官。でも、私はまだ戦えるわ……!」
「いやいや、もう体力残ってないでしょ、息上がってるよ?」
黒の薄手なロングコートの肩をすくめながら、そう指摘する。
彼女の言う通り、アリスはもう肩で息をするほどの疲労が見えているのに対して、カナミ先生は全く息が上がっていなかった。
受験生は互角に戦っていたと呟いていたが、俺からすればカナミ先生とやらはかなり手加減をしている様に見えた。
「これくらいまだまだ──ッ!?」
アリスの体軸がブレる。かと思えば、そのわずかな隙をついたのか、カナミ先生は消える様な速度で一瞬にしてアリスの懐まで接近し、ブレードを喉に這わせ──
「あら、まだついてこれるんだね?」
──しかし、その攻撃は寸でのところで防がれた。
剣の天地を返して、縦に受け流す様にカナミ先生の剣を受けるアリス。結い上げられた金髪の下の表情は苦渋に歪んでいるが、しかしその顔に諦めはなかった。
むしろ、少し笑っているように見えた。
「……一つ、いいことを教えてあげる」
くるり、アリスの防ぐ剣を支点に、彼女の背後に回り込もうとする。アリスもそうはさせまいと相手の動きに合わせて足を運ぶ。
剣先がくるりと絡み合うようにして、二人が弧を描くように回るその様は、まさに剣の社交ダンスと形容できた。
打ち合い、離れ、重なる剣戟。木剣同士が撃ち合う鋭い音が響く中、カナミ先生がセリフを続けた。
「君、剣士には向いてないよ。君の攻撃は全てが筋力頼りで技の駆け引きという物が足りていない。それでも前衛職になりたいなら、重剣士をお勧めするよ。だって君、相当タフだもの」
《ノタコン》にはジョブシステムが存在しない。
しかしパーティには戦術上の役割というものは必要だ。どんな武器を使い、どんなアーツを使い、どんな仕事をこなすのか。
それらの組み合わせにおける、役割上の名前としてのジョブは、プレイヤー間で勝手に作られる。
魔法使いなら後衛の火力を、弓術士ならば前衛に集まるモンスターのヘイト管理を、剣士ならばパーティの主戦力としての火力を。
重剣士はそんな役割の中でも、特に護りに特化した役割だった。
ちなみにサーシャさんも重剣士だ。
「いいえ諦めないわ! だって私、お母様みたいになりたいもの! なりたいものを諦める人生なんて、そんなの死んだのと同じよ!」
一際大きな剣戟音が第三アリーナに響き渡る。
カナミが彼女の言葉に反応して目を見開いたその一瞬。わずかな隙を突いて、その『幅広の木剣』を巻き上げたのだ。
「せあぁっ!」
フルルルルルルル、と音を風を切りながら空を舞う木剣。
必然、カナミ先生の手には獲物がない。
今が好機。これを見逃すはずもなく、アリスは大振りの一撃を脳天に──
「詰めが甘いよっ!」
──叩きつけようとした瞬間だった。
そこにできた大きな油断を指摘する様に、カナミは沈み込みながらアリスの脇の下に腕を入れ、足を引っ掛ける様にして地面に叩きつけた。
合気術スキルレベル二で取得できるアーツ《大外刈り》だ。それだけじゃない。よく見れば体術スキルレベル一で取得できる《タックル》も入っている。
単純なスキルによらない体術による入り身の技術に《タックル》を加えることで、相手の力が技に乗り切る前に突き飛ばしつつ叩きつけながら脚を刈り上げたのだ。
「カハッ!?」
カナミは、くるくる回りながら落ちてくる『幅広の木剣』をキャッチすると、そのままアリスの喉に向かって下突きを放つ。
彼女も諦めまいと足先を彼女の鼠径へ向けて突き出すが、しかしそこに既に彼女はいない。
アリスの足刀が空を切り、カナミの剣先だけが彼女の急所を捉えて寸でのところで停止する。
これが実戦であればここで彼女は死んでいただろう。
(股関節の駆動を使って地面との反発力を生んで、その慣性を使ってサイドステップを踏んだのか……。恐ろしい技量だな、ただステータスのレベルを上げただけじゃできるようになる技じゃない。さっきの打ち合いを見てアリスの身体操作も半端じゃない事は再確認できたけど、あの人のそれは更に上を行くな……)
入学試験にしてはなかなかクオリティの高い試合だったな、と思いながら拍手を送る。
この分だと、きっと彼女も入学できるに違いないだろう。
20
「それじゃあ、三人で無事入学できたことを祝って、かんぱ〜い!」
最低限度の調度品。
ワンルームの個室の真ん中に設置された丸テーブルを囲んで、アリスの音頭でパーティーが始まる。
というのもお察しの通り、俺たち三人とも無事に冒険者学校への入学を果たしたからである。
ちなみにここは俺の部屋だ。
テザリアの街、学校に程近い位置に建てられた学生寮は、地下に伸びるコの字型の長屋のような形をしている。
コの内側が深く露天掘りされてあって、地下でも地上と変わらず陽光が降り注いでくれる。
俺の部屋はその学生寮の地下一階にあった。
まだ家具は備え付けのベッドと丸テーブル、それからクローゼットくらいしか無いが、いずれちょこちょことスツールとか増やしていきたいと思っている。
アイテムは全部ストレージに入るけど、インテリアで内装を彩るのは結構好きなんだ。
もし卒業しても、ストレージに家具を入れれば持ち運びもできるしね。
気兼ねなく買い揃えられるのは、ゲームのシステムさまさまだよ。
「かんぱーい!」
「かんぱーい」
アリスの音頭に応えて、俺とロゼッタはジュースの入った木のコップに口をつけた。
テーブルの上には、今日のために買い足したり、黄金の鍋亭でおやつにと手作りした時のお菓子の残りがテーブルに広がっていて、なかなかに女子会っぽい。
一ヶ月前までは自分がこんなことをすることになるだなんて夢にも思っていなかったわけだが、そう思うとなんだか感慨深い気持ちになる。
「にしてもアリスってめっちゃ強かったんやなぁ。びっくりしたわ」
「私なんてまだまだよ。だってアーツは一つも使えないし。……チェック柄のクッキーだわ、なんだかかわいいわね」
言って、アリスが丸テーブルに広げられたお菓子を手に取る。
「ありがとうございます。黒いところにはココアが、黄色いところにはバニラエッセンスが練り込まれているんですよ」
「ココアとバニラ……!? ってことはこれ、結構な値段したんちゃうん!?」
驚いた顔をして、口に運んでいたクッキーを取り落としそうになるロゼッタ。
それもそのはず。
ココアとバニラは、この辺りの地域だとかなり単価が高い。
ゲーム時代では売ってすらいなかったアイテムだ。
しかし運のいいことに黄金の鍋亭はそこそこランクの高い宿屋だったから、これくらいの贅沢品を取り寄せることだってできたし、使わせてもらえたのだ。
……ちなみに俺が前世でよく作っていたこのクッキー、知らない間に黄金の鍋亭のメニューにサプライズで追加されていたのは別の話。
「材料はそこそこしましたけど、手作りですから」
「手作り……」
驚きの事実に、ロゼッタはしげしげとクッキーを睨むように眺めた。
そんなに上手にできたわけじゃないし、あまりまじまじ見られると恥ずかしいんだけど。
しかし、そんな俺の心など知らぬ存ぜぬ。
ロゼッタは大事そうに一口齧り付いてゆっくり咀嚼すると、『魔法もすごいのに店開けるレベルの料理までできるんか……。なんや、ここには天才しかおらんのか……?』と小声で呟いていた。
「あはは、ありがとうございます。でもそれ、練習用に作ったものなので……」
あまりの恥ずかしさのあまり、俺は咄嗟にそう反応する。
しかしそんな事はないとロゼッタは否定する。
「いやいや、謙遜せんでえぇって、ほんまに! 店出せるで、店!」
「いやいや、お店だなんてそんな。これはただ食材が良かっただけで──」
「いいえ、ロゼッタの言う通りだわマーリン。これ、とっても美味しいわよ? 甘すぎないし、パサパサしてないし」
「そ、そうですかね……えへへ」
パサパサしないようにするのは基本中の基本では? と思いつつも、しかし純粋に褒められるのが嬉しくないわけではない。
俺は感謝の言葉を口にして、照れを隠すようにコップに口をつける。
──と、そんな風にしていると、ふと、ロゼッタがこちらの方をジッと見つめていることに気がついた。
「えと、な、なんですかロゼッタ。俺がかわいいのは認めますけど、そんなに見つめられるとなんだか不安になってくるんですが……」
紫色の瞳でこちらを穴の開くほど見てくる彼女の不審な動きに、思わずアリスの方へと体を寄せる。
そんなにまじまじと見つめられると変な気分になってくる。
そういえば何かの本で読んだことがあるが、人は何秒か見つめ合うと恋に落ちるそうだが──それはともかくなんだか思考が変な方向に流れていきそうでちょっと怖い。
「なぁ、マーリン。そろそろ他人行儀な言葉遣いやめへんか?」
「え?」
そう言ってくる彼女の瞳は、少し不満そうに見えた。
「うちらもう友達やし、敬語はちょっと距離感じるんよなぁ。マーリンもマーリンで、ちょっと窮屈そうにしてんの伝わってくるし……」
言われて、口を噤む。
ロゼッタのその友達という言葉に、胸の奥で何かが飛び跳ねるのを感じたからだ。
まだ出会って二人とも数時間しか経っていない。それなのに、彼女は俺のことを友達と呼んでくれた。
「そうよ、マーリン。私たちもう友達なんだから、もっと気軽に接してくれた方が嬉しいわ!」
言って、笑いながらアリスが俺の体に抱きついた。
女の子に抱きつかれるのは初めてだったので少し動揺を覚えたが、その上からさらにロゼッタまで笑って飛びついてくるので、抱き返さないわけにはいかなくなった。
……思えば、リアルじゃあ親が転勤族だったから、友達なんてこれまでできたことはなかったんだよなぁ。
……でも、ここではそうじゃない。
行きたい場所は自分で決められる。
その時、俺の心の中で何かの枷が外れたような感覚がした。
きっとそれは、サーカスの象が、子供の頃から足にくくりつけられていた錘のようなもので──。
「──ありがとう、二人とも。これから、改めて宜しくな!」
こうして、俺たち三人は友人として常につるむようになったのである。
それから初めて俺の素の口調を聞いた二人にに『意外やわぁ、素のマーリンって意外と男勝りなんやな?』『もう少し上品な娘なのかと思ってたわ』と笑いながら突っ込まれたりしたけど、そこはとりあえず俺も笑って誤魔化すことにした。
21
その日、俺は謎の腹痛で目を覚ました。
「っ!?」
痛みの発生源は下腹あたりで、妙にじんじんするというか、今まで感じたことのないタイプの痛みに、俺の頭は警鐘を鳴らした。
(胃が痛いわけじゃない、腸のあたりという訳でもなさそう……。なんだ、何だ何が起こってるんだ……!?)
訳のわからない痛みが、波のように下腹を刺激して、まともに頭が働きそうもない。
「と、とりあえずトイレ……!」
上にかけてあったタオルケットを押し退け、足を床に下ろす。
部屋には昨晩のパーティーで散々騒いだ、この世界で初めてできた二人の友人が、各々自室から持ってきた布団にくるまって眠っていた。
俺は、そんな二人に少しだけ癒しを覚えつつも、耐えられそうにない強い腹痛に顔を歪めながら、部屋に設置されていた個室トイレへと駆け込んだ。
「痛い痛い痛い痛い……なんだ、昨日変なもん食ったっけ……?」
『白い紐パン』の紐を引っ張って装備を解除し、便座に腰を下ろす。
この腹痛は、大の方とは全く別種のものだったが、知らない俺にはこうするより他に、対策する方法が思いつかなかったのである。
そうやって便座に腰を下ろし、とりあえず小さい方の用を足すべく前に身を屈める──と、不意に、自分のおろしたショーツの裏面が、じわりと赤く汚れているのに気がついた。
「……ん? 何これ、なまぐさ……ってなんだ血…………えっ、血!?」
一瞬、脳裏に血尿という単語が思い浮かぶ。
しかし、現在絶賛放尿中のその部分からはヒリヒリとした痛みは感じず、というかむしろ痛いのはもっとお腹の奥の方で。
「待てよ? これなんか聞いたことがある……」
そこで、俺はピンときた。
異世界に来て、ちょうど今日で一ヶ月になる。
一ヶ月。女の子。ショーツに血。
これらの要素が示す結論は一つしかなかった。
(あっ、これ……生理だ……ぁ!?)
その後、トイレから出た俺は、助けを求めるべくアリスとロゼッタに声をかけて対処法を知り、とりあえずなんとかなった。
(これで俺も、立派な女の子か……。ハハ……)