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10〜12


 10


 そんなこんなで黄金の鍋亭でウェイトレスをして過ごしているうちに、冒険者学校の入学試験当日がやってきた。


「忘れ物はないか、マーリン」


 ハスティアから冒険者学校のあるテザリアへ向かう方角の門前。幌馬車の荷台にいくつか荷物を乗せ終えたカールさんが、最後に確認するように話しかけた。


「はい、バッチリです」


 最後にウィンドウを開いて、持ち物の最終確認をする。奨学金の申請書類に受験票、それからマルコさんたち一家の養女であることを示す戸籍謄本の写し。


 それらの書類をストレージから取り出して、カールさんに確認してもらう。


「……ははぁ、てっきり俺に後見人の話を振ってくるかと思ってたけど、そっかそっか、あのご夫婦に」


 戸籍謄本の写しを見て、僅かに複雑そうな顔を浮かべながら呟くカールさん。


「カールったら、あなたが後見人のお願いをしに来てくれるって期待してあの話をマーリンちゃんにしてたのよ」


 積荷の確認を終えたサーシャさんが、こっそりと耳打ちして教えてくれる。

 高い背丈故に、少し上の方から話しかけてくれるものだから、その長い金色の髪が顔に触れたりして少しくすぐったかった。


「あはは、ごめんなさい……。カールさんのことも考えたんですけど」


 奨学金申請の条件については、冒険者ギルドで説明を聞いたときにも聞いていたが、実はそれとは別にカールさんからも同じことを聞かされていたのだ。


「良いよ別に、気にしてないからさ」


 言って、カールさんが書類を返す。表情の上では気にしていないように見えるが、しかしどことなく残念そうな雰囲気である。


 俺が勝手に思ってるだけかもしれないけど。


「それにしても、そのアイテムストレージっていうの? 便利だよなぁ」


 御者席に乗り込み、馬車を動かし始めてしばらく。

 ふと思い出したように彼は口を開いた。


「こうやっていちいち馬車に荷物を積む必要もないし、確か中身も時間経過で腐らないんだろ?」

「はい。中の時間は、どうやら止まってるみたいなので」


 この一ヶ月、気になって調べたことの一つだ。

 ゲーム時代のアイテムには全て、耐久値というパラメータがあった。簡単に言えば物のHPだ。これは時間経過や何か衝撃を与えたりすると減少するのだが、ストレージに入っている間はそれが起こらない。


 それはどうやら現実になったこの世界でも同じようなのである。火をつけた葉っぱをストレージに入れて実験して判明した事実だ。


 火のついたものは取り出した時は消火されていて、濡れたものは乾いた状態で取り出せる。洗濯の時はかなり便利だった。


「それ、本当に術式とかわかんないのか?」

「はい。自分で使ってる感触では、何かの魔法って感じでもないんですよ。魔力を流してるわけでもなんでもないので、仕組みとかは本当に」


 そもそも、ゲームのシステムだし。でもそんなこと言ったところで、多分彼には伝わらないだろう。


「何か魔道具を使ってるわけでもないのよね?」


 荷台の方からニョキッと顔だけを御者席に出しながら、サーシャさんが話に加わる。


「えぇ。何かそれらしいものを身につけてるわけでもありませんので」


 ゲーム的なシステムが残っているのは、今のところこれくらいしか無い。そこまでして徹底的にゲームチックなものを排除している世界であるにもかかわらず。


 現実的に考えるなら、やはりサーシャさんの言う通り魔道具か何かによるものなのかもしれないが──今のところ、自分の体を解剖して調べるつもりは毛頭ないので、真実はきっと闇の中に埋没したままになるだろう。


「ほら、見えてきたぜ、マーリン」


 そんな風に三人で雑談をしていた時だった。

 前方へ視線を促すように、カールさんが話題を変えたのである。


「《サーチアイ》」


 ボソリと呟くと、遠くて見えなかった平原の奥に、何やらポツポツと建つ黒い影が、はっきりと像を結ぶ様になっていく。


 弓術スキルレベル一で取得できる、強化系のアーツ《サーチアイ》。


 視力を強化し、遠方の情景をはっきりと視界に映すアーツで、魔法スキルのアーツに組み込むと射程距離と命中率が上がる。


 カールさんに教えられて使えるようになったアーツの一つだ。


(あれは……外郭がいかくがないけど、規模からして街……か?)


 普通、街というのは巨大な壁──外郭という──に囲われている。

 これは、街の中に魔物が入ってこないようにするためで、黄金の鍋亭があったハスティアの街も、そこそこ高い壁で囲われていた。


 カールさんによればこのテザリアという街は、周囲をカタカナと呼ばれる、アザミなどの棘のある植物が生えている岩山のような地形で囲われていて、それが自然の要塞になっているから、この辺りのモンスターは街に入ることができないらしく、外郭が必要なかったらしい。


 ゲーム時代、外郭がない場所で街みたいに規模が大きいものは見なかったが、こういうところにも変化が生まれていたわけだ。


 ちなみにテザリアもゲーム時代にはなかった街だ。

 ハスティアもそうだけど、この世界がリアルになった影響でマップの面積が広がって、ゲーム時代にはなかった街や都市が生まれているのだろう。

 黄金の鍋亭で働いてた時に、カールさんに地図を見せてもらったことがあったが、ゲームだった頃とは若干変わっていたことからも窺えた現象だった。


 そんなこんなで雑談を挟みながら馬車を進めているうちに、俺たちはようやくテザリアへたどり着いた。


「それじゃあ、俺たちは別の仕事があるからここでお別れだな」


 テザリアの街の厩舎で馬車から降りると、カールさんからそんな言葉を受けた。


「そう、ですね。ここまで送っていただきありがとうございました、カールさん」

「おいおい、何悲しそうな顔してんだ? 三年後にはまた冒険者として会えるんだぜ? ま、死んでなきゃだけどな!」


 冒険者は便利屋と同一視されるが、彼らの大半はモンスターと直に戦うことを旨としている。

 カールさんもそんな危険な職を務める一員であり、故にいつ死んでもおかしくない。


 彼は冗談めかして──ほんと笑って良いのか困るブラックジョークだ──そんな風に言っているが、実際平均寿命の短い職業だ、可能性もある。


「もう、マーリンちゃんの前でそんなこと言わないの! 冗談にならないわよ?」


 荷台からサーシャさんが出てきて、カールさんの頭をバシンと引っ叩く。


「サーシャさん」


 彼女は、『まったくカールったら』と言葉を吐き捨てながら、その肩にかかった長い金髪を振り払った。


「マーリンちゃん。さっきのは気にしなくていいからね? ホントこのバカったら、言葉を選ばないんだから……」

「あはは……」


 彼女の苦言に、苦笑いを浮かべる。

 ホント、二人にはお世話になった。

 この一ヶ月のことを思い返しながら、俺は少しだけ笑みを口元に浮かべた。


「ま、三年なんて直ぐよ、直ぐ。卒業してハスティアに帰ってくるのを楽しみにしてるわ!」


 それから、俺は二人から応援の言葉を貰うと、ペコリと頭を下げて、その場を後にした。


 11


(それにしても、思ってたより結構田舎だなぁ。これならハスティアの方がまだ都会感あったぞ)


 テザリアの街は、立地としてはハスティアとほとんど変わらない。

 しかし周囲を見渡してわかる様に、外郭が無い分、カタカナと呼ばれる岩がちな地形に街が挟まれていて、余計に田舎感を覚える。

 多分、建物が全部平家なのもその影響かもしれない。


 試験は昼からだったので、まずは昼食を済ませようとテザリアの散策を始める。


 一ヶ月黄金の鍋亭で働いて稼いだお給金や、カールさん達とモンスターを倒して得たお金、それに家族の三人から貰った支援金もある。

 お昼を済ませるには十分すぎる資金だ。


「……冒険者として働ける様になったら、ちゃんとお返ししないとな」


 足取り軽く店を眺める内に、目頭に温かいものが溜まっていくのを感じる。

 気分は旅行とほとんど変わらないものだったが、どうやらもうホームシックになっていたらしい。


(……ほんと、俺って寂しがり屋だな)


 この世界に来れたのは嬉しかったけど、ホームシックになるのは避けられない。

 これが留学とかならまたいつでも会えるのに、そもそも地続きじゃない世界に来てしまってはそれも叶わない。

 俺は小さく息を吐くと、雲ひとつない青空に視線を向ける。


 しかしそんな感傷も束の間のものである。

 感情というものは実に生物なまもののようなもので、時間が経てばそれは思い出として消化されていく。

 言うなればこのノスタルジーも、長い小説の読後感のようなものだ。時間が経てば自然と忘れてしまう。


 俺は今腹の虫を鎮めるべく、レンガでできた石畳が織りなすオレンジと灰色の街道を歩いていた。

 両脇に走る平家の木骨石造建築の街並み。

 背の高い、幹が細めの並木が植えられ、街の中心を南北に分断する様に用水路に水が流れているのが見える。

 道路にはたまにマンホールがあるのも見えるし、どうやら上下水道も整っているようだ。


(やっぱり、新しい街に来ると心がワクワクするのって、ゲームだった頃と何も変わらないんだよなぁ)


 街の周りが平原とかばっかりでクッソ田舎だからかもしれないけど。

 ハスティアの田舎感は、古代ギリシャの都市国家的なイメージだが、このテザリアの場合は村のイメージに近いというか、スパルタにちょっと似てる。


 ──と、並ぶ専門料理店を見回りつつどこでご飯を食べようかと考えていると、不意に背後から肩を掴まれた。


「っ!?」


 驚いて、思わず足を止めると、二人の男がやってきて、俺の進行方向を塞いだ。

 図体のデカいスキンヘッドの男と、背の高い金髪のチャラそうな男だ。


「ねぇ、君ちょーカワイイね。今一人だよね、よかったら俺らとご飯行かない?」

「え、あっ、え、ちょっ、誰……?」


 あまりに突然の事態についていけず、治りかけていたコミュ障が再発したように頭が真っ白になる。


 道行く人たちに助けを求めようと必死に視線を送るが、誰も関わりたくないのか、目を逸らしてそそくさと通り過ぎて行ってしまう。


 頭の中には、傍観者効果という言葉だけが浮かんでいた。


「でさ、君こんなところいるってことはお腹空いてるんだよね? 俺たちもちょうど腹減っててさぁ──」


 ペラペラと捲し立てる男二人。

 しかし突然の出来事に頭が真っ白になって思考が追いつかない俺は、二人の圧に負けてしどろもどろなというか、もはや言葉にすらなっていない声を出すだけで精一杯だった。


 ──と、その時だった。


「ちょっと、その娘嫌がってるじゃない」


 不意に聞こえてきた、凛と響くような声に、二人の男が視線を持ち上げた。


「あ?」


 俺も釣られてそちらの方へと視線を向ける。

 するとそこには、金色の巻毛を黒のリボンで一つにまとめた、おそらく今の俺と同い年、つまり十四歳くらいの少女が、体の前で腕を組んで、仁王立ちしながら威嚇していた。


「ハッハーン、なるほどわかったぜ。お前俺たちとデートしたいんだな? にしても今日は上玉二人に出会えるたぁ、ついてるぜ俺たち。なぁ、相棒?」

「……」


 芝居がかった様子で、威嚇している彼女をもナンパしようと口説き始めるチャラ男。


 こいつ、なんてコミュ力だ……。胆力がすごいというか、度胸があるというか……。

 敵意剥き出しの相手に対してここまで言えるのは、正直ちょっとすごいと思う。


 俺は心底感心しながら二人のやりとりを眺めていたが、しかしそんな会話もすぐに終わることになった。


「遠慮するわ。貴方みたいな下劣な人は好みじゃないの、他を当たってくれるかしら? 尤も、そんな誘い方じゃ誰も受けてはくれないでしょうけれど」


 手で口元を隠しながら、くつくつと喉を鳴らす様にして笑う少女。


「チッ、見た目と違ってかわいくねぇガキだな。いいぜ、力の差ってやつを思い知らせてやろうじゃねぇの」


 対して、ポキポキと拳の関節を鳴らして威嚇するチャラ男。


 彼女。あえて挑発するようなセリフを選んでぶつけたように聞こえたのは、俺の勘違いだろうか?


 好戦的なギラギラとした強気な蒼い瞳と吊り上がる様に笑んだ口端が、それはおそらく勘違いではないのだろうことを伝えていた。


(まずい、このままじゃ喧嘩になる……!)


 ランチタイムで人通りの多い路地。

 気がつけば既に騒ぎを聞きつけていた人達で、円い人垣ができはじめようとしていた。このまま騒ぎが拡大すれば、きっと常駐しているだろう騎士が駆けつけて詰所まで連行されてしまうに違いない。


 彼らの事情聴取は長いのだ。

 ハスティアで経験したことがあるからわかる。

 そしてとりあえず疑わしいことがあったら牢に留置するのだ。


 そうなってしまっては昼ごはんを食べる時間どころか、入学試験に間に合わなくなってしまい、実質浪人になる。せっかくお金を出してもらったマルコさん達に迷惑がかかる。

 それだけは阻止しなければならない。


 状況から一瞬でここまで把握できてしまった俺は、どうすればいいか必死に頭を巡らせた。


(怒りを鎮める方法……場を鎮める方法……何か……何か……っ)


 同じ状況を、どこかで見た覚えがあった気がした。デジャヴに似た感覚だ。


 あれはいつの事だったか。そういえば、えっと、えぇっと、確か、そう、初めて黄金の鍋亭で働いた時だ。あの時はカールさんが酔っ払って暴れだした冒険者に──。


「──《ウォーターボール》ッ!」


 突如、二人の男の呼吸を防ぐ様に、水でできた球体が現れた。


「「むぐぼぐむぐむぐぼがぁ!?」」


 魔法スキルレベル一で取得できる《水属性魔術の心得》と《ボール》の二つのアーツを合わせた魔法だ。

 俺はそれ(魔法)の発動を確認すると、慌てて口元にへばりつく水の球に手をやる二人の隙を突いて逃げ出し、ついでに突然のことに唖然としていた少女の手首を掴んで引っ張った。


「こっち!」

「あっ、ちょっと!?」


 気がついた時には勝手に体が動いていた。

 俺は建物と建物の隙間の細い路地に少女を連れ込んで駆け抜ける。


 煉瓦造りの道を走り、建物の裏口に捨てられた樽の上を飛び跳ねて、猫の集会を直進して裏側のもう一つの通りへと躍り出た。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 忘れていた呼吸を思い出して、慌てて粗い息をつく。ちゃんと着いて来られたかを振り返って見てみると、少女は余裕そうな顔で、それこそ文字通り汗ひとつかかずにそこに立っていた。


「ここまで来れば、大丈夫……」


 早鐘を打つ心臓の鼓動に、長い息を吐いて心を落ち着かせる。


「何よ、あなた自分で動けるじゃない」


 両腰に拳を当てて仁王立ちしながら、金髪巻毛の美少女が口を開いた。


「それは……その、無我夢中だったからっていう、いいます、か……。気がついたら、その、体が勝手に動いてた、から……ふぅ」


 服についた些細な汚れを手で払って、ぎこちない笑みを浮かべながら返した。

 正直、うまく笑えているか自信がないが、無愛想よりは良いだろう。


「そ、まぁいいわ。あなた名前は?」


 彼女は一瞬、少し怪訝そうな、というか、何か品定めする様な視線で俺の全身を観察した後、そんなふうに名前を尋ねてきた。


「あ、えっと、マーリンです。その、さっきは助けてくれてありがとうございました」


 やや強めな語調の彼女に、若干気圧されながら応える。

 コミュ障の俺には、たとえ相手が中学生くらいで、元高校生の俺よりも年下とはいえ、特に気の強い相手と──ましてや女の子と──話すのはハードルが高いのだ。

 多少声がうわずってしまうくらいは許してほしい。


「そ、あなたマーリンっていうのね。私はアリス。アリス・ティンゼルよ。呼ぶときはそうね、アリスでいいわ」


 言って、白を基調として金色っぽい刺繍が施された簡易的なサマードレスの様な衣装のその裾を軽く持ち上げて見せる。


 貴族式の礼だろうか? たしかにこの世界に生きる庶民は、こんな華美なデザインの服は着なさそうだし、彼女には苗字もあった。

 おそらくどこかの貴族なのだろう。


 そしてこの装備・・

 たしか、攻略推奨レベル六十以上のクエスト『北の森のオーガロード・パラディンナイトを討伐せよ』の報酬で得られる『剣鬼のドレス』だ。

 俺の記憶が正しければ、これはトレード不可の装備だったはず。


(ということは、それなりに実力者? あ、でも裁縫スキルで作ったレプリカの可能性もあるか)


 レベル六十といえば、ゲーム時代の俺と同じくらいの強さだ。最低限全てのレベル帯のアーツが取得し終えるのも大体この時期で、このクエストをクリアしたかどうかが初心者と中級者を分ける指標にもなっていた。


 ──とそんなことを考えていると、不意にどこからか、くぅ、とかわいらしい音が鼓膜を震わせた。


「……その腰の剣からして、あなた冒険者学校の受験生よね?」


 聞こえたはずの音を無視して、アリスと名乗った少女が話を続ける。

 よく見れば、少しだけ耳の端が赤く染まっていた。


「その、お昼は食べたかしら? もしまだなら、私と一緒にランチしましょ!」


 12


 アリスに連れられてやってきたのは、ステーキの専門店。

 周囲の建物と同じく木骨レンガ造建築のお店だが、小さな前庭とテラスがついた、ちょっとオシャレな感じのお店──ではなく、その隣のごく一般的なカフェだった。


(てっきり、貴族だしこっちの方を選ぶんだと思ってたけど……これを見ちゃうと、納得せざるを得ないな……)


 店の前を素通りした時のことを思い出しながら、心の中で一人呟き、目の前の光景に頬をひくつかせる。


「お待たせしました。こちら、『ヒュージカローヴァのエイトポンド・ランプステーキ』になります」


 言って、女給さんがカートの上から机に運ぶのは、嘘だろと思わず声をあげてしまいそうなほど巨大なステーキだった。


(エイトポンド……。一ポンドは一人前の食料だから、換算すると八人前あるんだよな……これ……)


 俺は、銀色のドーム状の蓋の中から現れた巨大なステーキに目を見開いた。


 確かに見てくれは迫力満点で美味しそうではあるが、この膨大な量の肉……。目の前の俺と同じくらいの体格の彼女には、とても食べきれそうには思えない。

 いや、まだ肉だけなら良かった。

 しかしここには大量のマッシュポテトと大量のバゲットまである。


 対して、俺の前に運ばれてきたのは、半ポンドほどのサイズの小ぶりなロースステーキとバゲット、そして葉野菜のサラダとポタージュスープである。


 彼女の量と比べると自分の分がかなり少なく見える。


「……あの、それ一人で食べるんですか?」

「もちろんよ。あなたの方こそ、そんな少量で大丈夫なのかしら?お金がないなら貸してあげるけれど」

「いえ、結構です。お金なら余裕ありますので」


 それ一人で食べるって正気かよ!? 成人男性でも完食できるか怪しいぞ!?


「そう、ならいいわ。それよりあなた──」


 アリスがステーキにナイフを通す。

 プレートに乗っている量が半端なく場違いだが、その仕草そのものは凛としていて行儀正しく、不思議なギャップを覚える。


「──さっきの魔法、とってもすごかったわ!」

「うぇっ!?」


 驚いて、思わずそんな声が出る。

 だっていきなり褒められたんだ、そりゃ驚きもする。

 ……でも、まぁ確かにさっきの魔法は自分でもすごかったと思う。

 無我夢中とはいえ、スキルレベル四にならないと使えないはずのアーツが使えてしまったから。


 《ダブルスペル》、もしくはプレイヤー間では《ダブスペ》と略されることの多いこのアーツは、同時に複数の魔法アーツを発動させることのできる技だ。


 例えば普段だと《ウォーターボール》は同時に一つまでしか射出できないのだが、このアーツをスキルポイントを使って組み込むと、同時に二つ発動させることが可能となる。

 組み合わせるのは《ウォーターボール》だけじゃなくても良い。


 《ファイアーボール》だって組み合わせられて、同時に二種類の魔法を、独立させて発動できるのだ。


 これが使えるようになるレベルは四十以降だから、この歳でこれだけ使えるのは一般的には凄い部類だろう。


 どうやら俺の場合、取得していないアーツでも、自身の発想や技量次第ではマニュアル操作的に使えるようになるのだろう。


 いや、というよりも、この世界の住人が誰かから教えてもらうことでアーツを習得できるように、俺自身が自分で使い方を覚えた、という方が認識的に近いか。


 ともかく、どちらにしろ教えられてないものでも自力でやればなんとかできることは確実らしい。


「それにあなたの手」


 今度は何か、と身構えていると、彼女は食器を置いて俺の手を掴んできた。


「見た感じ剣もそこそこできるみたいよね? 後でぜひ、手合わせ願いたいのだけどいいかしら!?」


 キラキラとした瞳でこちらを見つめながら──しかし手元は上品に──尋ねてくる。

 手を見ただけで剣の腕がわかるものなのかは果たして疑問だったが、それがわかるということは多分、彼女も相当の手だれに違いない。


 トレード不可能の『剣鬼のドレス』を装備しているくらいだし、レベル六十相当の実力があると見て間違いないだろう。


(嫌だなぁ、今はステータス的にも実力に差がありすぎそうな気がして怖いんだよなぁ……)


 プレイヤースキルを駆使して──そう、彼女が知らないであろうキャンセルコンボを使えば、あるいは渡り合える可能性もある。

 ステータスなんていうのは、リアルになったこの世界ではただの身体能力の差でしかなく、一番重要なのは身体操作技術と判断能力だからだ。


 どれだけ相手が強くても所詮は人間なのだから、急所やクリティカルを狙えば、渡り合える可能性は高い──が、何事にも限界があるのだ。


「……えっと」


 断ろう。

 アリがどれだけ努力してもゾウに勝てないように、高いステータス──それも近接戦闘タイプの彼女に、魔法使いタイプの俺が敵うわけがない。


 そう思って口を開くが、しかしこちらを見つめる彼女の青い瞳がキラキラと眩しかった俺は、所詮コミュ障。そんな勇気など出るはずもなく、目を逸らしつつも渋々といった体で承諾──


「──やめてください!」


 ──と、その時だった。

 カウンターの方から、そんな風に叫ぶ女性の声が響いてきて、視線をそちらへと向けた。


 するとそこには、青色の髪をした、神経質そうな男が女性店員に詰め寄っているのが見えた。


「我輩のどこが不満だというのだ? 地位も金もある、そんな我輩に詰め寄らえてぇ……幸せではないとゆーのか!? ……ヒック」


 徐々にエスカレートして語尾が裏返った怒声が、店の中に響き渡る。


(うわぁ、なんかヤバいの居る……)


 一見理知的そうに見える見た目をしているが、その実やってることは小物な酔っ払い。

 なんでも思い通りになると信じて止まず、自分が目立たなければ我慢ならないといった感じの人間だ。

 あの店員は不憫だが、こういうのとは関わらない方がいい。


(ていうか、昼間から酒なんて呑むなよ……)


 そんな風に眉を顰めてアリスの方へと視線を戻すと、それをどういう風に捉えたのか。彼女はうんと頷いて、食事も途中なのに席を立って男の方へと歩き出した。


「あ、アリスさん……!?」

「私、ちょっと不完全燃焼だったのよねぇ」


 ポツリと聞こえた言葉に、俺は思わず耳を疑った。


(不完全燃焼?)


 まさか、ナンパ野郎と喧嘩できなくてウズウズしてたのかこの人!? それでそのフラストレーションを解消しようと、次はあの酔っ払いに目をつけたのか……!?


 そう思って一瞬彼女の血生臭い思考回路にドン引きするが、しかし次に呟かれた彼女の言葉に、その感想はやや修正される。


「それに、お母様なら困ってる人は見逃さないわ」

「アリスさん……」


 すごいなぁ、と本心からそう思う。

 俺なら怖くて近づくことすらできないのに、彼女は自身の持つ力を信頼して、感情の方向性はどうあれ人助けをしようとしている。


 俺も、黄金の鍋亭でトラブルが起きたときに対処することは何度かあった。

 しかし結局はお姉ちゃんかギルダさんが始末してくれて、結局できるようになったのは、事務的な話なら見知らぬ人にでもできるようになったくらいである。


 ……とはいえ、初めから暴力で解決しようとするのは俺だって見過ごせない。

 これでも俺の方が長く生きてる。人生経験は……歳のわりには多分彼女の方が上だろうけれど、そうやってすぐに暴力に走ろうとするのはいけないことだ。


「待ってくださいアリスさん!」

「怖いなら別に来なくてもいいわよ?」

「いやそうじゃなくて! なんでもすぐに暴力で解決しようなんてダメです! まずは話し合いを──」

「──いいかしら、マーリン? 人間には二種類あるの。話を聞く人間と、聞かない人間よ。あの酔っ払いは素直に話を聞くとは思えない。つまり話すだけ無駄なのよ」


 なんとか勇気を振り絞って彼女を静止しようにも、その言葉は真実そのもので否定することができなかった。


 話し合いというものは、本来話ができる者同士だからこそ成立するのだ。何を言っても無駄なら、話し合いをしたところで意味がなく、もっとわかりやすい原始的なもので主張を押し通すしかないのは世の道理だって夏目漱石とかなんかそこら辺の人が言ってた気がする。


 それでも、ここは現実だし、相手は人間だ。

 話ぶりからしておそらく相手は貴族。

 彼女もおそらく貴族とはいえ、人民の上に立つ存在が全て暴力で解決しようとしてはならないはずだ。


 そんなのはただの暴君だ。

 世界の歴史を紐解けばわかるが、古今東西、暴君は信頼を無くして部下に裏切られて殺される。

 それだけ恨みを買いやすいのだ。

 大袈裟かもしれないが、俺は初めて友人になりそうな彼女に、そんな人生を送って欲しくない。


「だったら、一つだけ約束してください。力に頼るにせよ、最初はちゃんと話し合いを試して」

「……わかったわ、言う通りにする」


 俺の言葉に、一瞬少女の闘気に満ちた瞳が少しだけ火を落とした。


 ──と、そうこうしているうちに、周囲の注目はこちらへと移っていた。


 どうやら酔っ払いのヘイトもこちらに移っていたらしく、神経質そうな青い髪のメガネの男は、しゃっくりをしながらこちらへと一歩足を踏み出した。


「さっきから聞いていればお前ら……。まるで我輩が迷惑をかけているみたいではないか!? 我輩は……我輩はぁ……ッ!!!!!!」


 興奮して発狂を始める迷惑な客。

 良く見てみれば、全身から何やら黒いモヤのようなものが溢れているように見えた。


(このモヤ……そういえばあのガラット・カヴィアロードにも──)


 いろいろバタバタしていて忘れていたけど、こんなところでまた黒いモヤを目にする機会が来るとは。

 天をつくような雄叫び、というか奇声に、何かを感じ取ったのだろう。その場にいた客全員が悲鳴をあげて、蜘蛛の子を散らすように店を飛び出していく。


「……どうやら、話し合いは無理みたいね」


 腰の剣を鞘ごとベルトから抜いて構えながら、アリスが口を開いた。


「はい、これは流石に異論はないです。とりあえずこの人の暴走を食い止めましょう! 俺は店員さんをなんとかするので、暴漢の方をよろしくお願いします!」


 発狂するだけならまだしも、今にも理性を手放して暴れ回りそうな様子だ。

 このままではあの客に絡まれていた店員さんが危ない。


「オーケー、任されたわ!」


 アリスはそう言うと、鞘を抜いていない剣を剣帯から外して、右肩上に切先を立てて垂直に構える構え方──屋根の構えをとって、メガネの男へと走り出した。


「せやぁっ!」

「邪魔すんなぁッ!」


 席同士を隔てる壁を蹴り、三角跳びの要領で立体的に動きながら上段から殴りかかるアリス。


 俺はその隙に座席を迂回しながら、動けないでいた例の女性店員の元に駆け寄る。

 横目に確認してみれば、アリスの攻撃が男の魔法によって受け止められていた。

 魔法スキルレベル三で取得できるアーツ《リフレクション》だ。


 相手の攻撃を反射し、そのダメージを相手に与えるアーツである。

 アリスは受けた魔法によるダメージに顔を顰めるが、しかしそれをものともせず無理やり突き破って男に殴りかかった。


「チッ、なんて馬鹿力だこの小娘は!?」


 咄嗟に避ける暴漢。

 間一髪スレスレを通り過ぎた剣が、カフェのテーブルごと机を真っ二つに圧し砕いた。


(ちょっとアリスさん、それはいくらなんでもやりすぎじゃないですか!?)


 あんな力で殴られれば、きっと気絶どころじゃ済まないだろう。下手をすればモザイク処理の必要が出てくるに違いない。


「大丈夫ですか?」


 ガラガラとインテリアが崩れていく音が響く中、俺は彼女に手を差し出した。


「え、えぇ、なんとか……」


 恐怖故だろうか。膝が生まれたての子鹿のように震えているが、しっかりと俺の肩を掴んで立ち上がることはできるようだ。

 俺は彼女の腰を支えながら、ゆっくりと暴漢に気づかれないように撤退を試みる。


「へぇ、これを避けるなんて、あなたなかなかやるじゃない!」

「うるさい邪魔するな!」


 意識をこちらに向けまいと、アリスが対話で時間稼ぎを試みる。それから数発どんぱちと激しい破壊音が弾け、おそらくその最中、俺たちが避難しようとしているのが見えたのだろう。


「我輩から逃げられると思うなよ……ッ! 《ツリーバインド》!」

「きゃっ!?」


 暴漢はこちらへと手を向けると、彼女を逃すまいと魔法を放ってきた。


 木の蔓が石床からメキメキと生えてきて女性店員の足首に巻きついていく。


 《ツリーバインド》。

 魔法スキルレベル一のアーツ《風属性魔術の心得》と《地属性魔術の心得》、それから同じく魔法スキルレベル二で取得できる《バインド》を組み合わせる事で使えるようになる魔法だ。


「店員さん!?」


 足を取られて転ぶ彼女を咄嗟にキャッチする──が、避難できていたのもたったの数メートル。


 その程度で逃げきれたはずもなく、男は俺が抱えて受け止めた彼女の襟首を──


「無視しないでくれるかし──らぁッ!」


 ──掴もうとした手が、アリスに掴まれる。


「っ!?」


 そしてそのまま強引に投げ飛ばされ、男はカウンターテーブルの前に並べられていた椅子の列に、まるでボーリング玉のように突っ込んでいった。


 ──ガガン! と激しい音と同時に、木の椅子が壊れて弾け飛ぶのが見える。


「一途は好きだけど、私、無視されるのって嫌いよ」


 言って、振り向きながらこちらにウィンクを飛ばすアリス。


 どうやら決着がついたようだ。

 俺は安堵の息を吐くと、魔法スキルレベル一で取得できるアーツ《ウォール》を使って、店員さんの足に絡み付いている木の蔓を切断する。


 蔓のある位置に紙のように薄い透明な魔法の壁を設置することで、蔓を強制的に分断したのである。


 それにしてもアリス、相手が魔法使いタイプだからとはいえ、大の男を片手で数メートル投げ飛ばすとかどんな筋力してんだよ、STR(筋力値)高すぎるだろ……。


 あの『剣鬼のドレス』はレプリカかもと思ったけど、もしかすると本物かもしれないな。


 だとしたら、彼女のレベルは少なく見積もっても六十相当はあるわけだ。


 レベル六十といえば、俺がこの世界で初めて倒したガラット・カヴィアロードを蹴り一つで倒せるレベル。暴漢からすれば、人間のような理性を持つグリズリーより強い怪物を相手にしているようなものだろう。


 なんかちょっと同情しちゃうね。


「や、やりましたか……?」


 相手が起き上がってこないことから、あの壊れた椅子の中に埋もれている男は、おそらく気絶したのだろうと踏んだ女性店員が、足首の状態を確認しながらぽつりと呟いた。


(おい待て、それフラグ──ッ!?)

「《ウォール》!」


 瞬間、アリスの後ろで椅子の残骸の山が爆発しながらこちらへと吹き飛んでくるのを、魔法で防御することに成功する。


「きゃっ!?」


 店員さんが小さく悲鳴をあげるのを聞きながら、俺は視線の先を椅子の残骸から起き上がってきた男に向ける。


 同時、アリスも体を半身にして剣を下段に構える愚者の構えをとりながら、警戒の姿勢に移った。


「ちょっと力加減が甘かったかしら?」


 青あざだらけになりながらも立ち上がる男を見ながら、アリスがつぶやいた。


(あれで力加減してたのか……。やっぱりこの子、レベル六十くらいありそう)


 彼女の言葉に若干苦笑いを浮かべながら、俺は口を開いた。


「無駄な抵抗はやめてください。一体どうしてこんなことをするんです?」


 良く見ると、黒いモヤのようなものが薄れているような、というかなくなっているような……。


「どうして……? どうしてだって……? ……どうして、なぜ、我輩は……ここで……一体何を……?」


 ボソボソと呟きながら、虚な視線を向ける男。

 その様子は先程の暴力的なそれとは打って変わって、無気力的である。


(何かおかしい?)


 その感想はどうやらアリスも同じだったようだ。

 彼女は怪訝な表情で眉根を寄せて、こちらに視線を流した。


「ねぇ、マーリン。この人どうしちゃったのかしら? 急に覇気がなくなったのだけど」


 これが何かの作戦だとは、今の彼の様子からは到底思えなかった。

 定まらない視線はさながらゾンビのようで──と、そう思った次の瞬間。

 男はその場で人形が糸を切られたように膝から崩れ落ち、突っ伏したのだった。

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