31〜33
31
「理不尽だぁ〜っ!」
あの後、礼儀とか場の空気を読むこととか色々説教を食らった俺は、精神をすり減らしていた。
マジおまいうだよ。
カフェで暴れて店員さんに暴力振るって連行されていった人に、何で俺が礼儀とか説教されにゃならんのだ!
「あはは……。人間、誰にでも触れられたくないこととかあるんやって」
慰める様に、ロゼッタが俺の背中を撫でる。
「だからって理不尽だろアレは──って、慰めるフリして背中にスライム入れるなぁ!?」
急にやってきた冷たいこんにゃくのような感触に悲鳴を上げる。
「うひゃはぁ! マーリンその反応最高やなぁ! アハハハハハ──へぶしっ!?」
笑いながら遠くに逃げる彼女の頭に《ウォーターボール》を投げつけて反撃しながら、恨みがましくぼやく。
「全くこいつは……」
しかし、おかげで少し心が軽くなったのも事実。
どうやらロゼッタの悪戯のおかげで、少し気分がリフレッシュされてしまったらしい。
ほんと、人付き合いの上手いやつだよ。
それから、俺たちは三人でいつもの商店街へ繰り出すことになった。
ハロウィンの衣装を作るための小道具を買い足すためである。
「いやー、にしてもこの一週間ですっかり仮装してる人も増えたなぁ」
商店街を歩き回りながら、ロゼッタが不意にこぼす。
「だなぁ。これだけ頻繁に見てると、流石のアリスも慣れてきたんじゃなきか?」
笑いながら、アリスに話を振る。
「な、ななな何を言ってるのよ!? 慣れてきたも何も、さ、さいしょからここここ怖くなんか──」
──と、その時だった。
「キャーーーッ!」
ハロウィンの喧騒に紛れて、女性の悲鳴が鼓膜を打ったのは。
「──ひぃぃいい!? ちょっ、ちょっと驚かさないでよ!?」
ぎゅっ、と握っていた俺の袖を、涙目になりながら一層強く握るアリス。
「違う、さっきの悲鳴は俺たちの声じゃない!」
「ぅえ? じゃ、じゃあ誰が叫んだって言うのよ!? ドッキリだったら許さないわよ!?」
涙目になりながら訴えてくるアリスを他所に、俺は悲鳴の聞こえた場所を目指して走り始めた。
32
悲鳴が聞こえた商店街の路地裏を抜ける。
するとそこには、倒れた女子生徒に、今にも剣を振り下ろそうとしている男子生徒の姿があった。
「《ウォーターボール》!」
息を切らしながらも、使い慣れた魔法を使って男子生徒を弾き飛ばす。
「ぐはぁ!?」
うめく男子生徒。思わず剣を取り落としたところを、後からやってきたアリスが接近して組み伏せることに成功する。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。なんとか間に合ったみたいだな……」
ここまで全力で走ってきたせいか、バクバクと鳴る心臓に手を当てながら、頬を伝う汗を手の甲で拭う。
「それで、なんでこんなことになったんや?」
離せ、とわめく男子生徒を横目に、ロゼッタが女子生徒に話を聞く。
「わ、わからないんです! ここを歩いていたら、急に変なあの、あれ、仮面みたいなのつけた男の人に話しかけられて、そしたら、そしたら弟が……!」
「そっかそっか、怖かったな」
安心感からか、急に泣きじゃくり始めた彼女の背中をさすりながら同情するロゼッタ。
どうやらあの男子生徒は、何者かに操られて(?)彼女に襲いかかったみたいだが……。
(それにしても、変な仮面の男の人か。うーん、この話、なーんか、どっかで聞いたことある様な……。なんだっけ?)
「ねぇ、マーリン。ちょっといい?」
そんなことを考えていると、不意にアリスから名前を呼ばれた。
「何?」
「この人、体から何か黒いモヤみたいなのが出ているんだけど、そこの女子生徒の話から思うに、彼が急に襲いかかってきたのってこのモヤが原因じゃないかしら?」
黒いモヤ……?
言われて、少し彼に近づいてみる。しかしいかんせん、暗くてよく見えない。
俺は《ファイアボール》を光源の代わりにすると、近くに寄ってよく観察してみることにした。
すると、彼女の言う通り、彼からは黒いモヤの様なものが、水蒸気の様に立ち昇っているのが確認できた。
カフェの事件でのフォルルテ先生や、ガラット・カヴィアロードの体から出ていたモヤと同じものである。
「カフェの時のフォルルテ先生も、同じモヤを出していたの。あの時はモヤも薄かったし、すぐに消えちゃったから見間違いだと思っていたのだけど──マーリン、心当たりないかしら?」
言われて、そこで俺は思い出した。
そうだ、黒いモヤに謎の男。どこかで聞いたことあると思ったらこれ──
「──ハロウィンイベントだ……」
《ノタコン》では、毎年、正月や節分など、何かイベントごとがある時期の約一ヶ月前になると、それに合わせてゲーム内でもイベントが発生していた。
例えば今回の様にハロウィンだと、異世界からやってくると言う設定のパラノイアというイベントボスが発生し、それが街中のNPCを発狂させてプレイヤーや他のNPCを攻撃し始めるのである。
ちなみにこの発狂したNPCは体に黒いモヤが発生して、少しだけ身体能力が強化されると言う特徴がある。
プレイヤーはこの発狂したNPCを鎮静化させつつ、真犯人であるパラノイアを追いかけて討伐するというのが、《ノタコン》で行われるハロウィンイベントだ。
しかし、そうなると少しおかしくなってくる。
もしこのイベントが毎年このリアルになった世界でも行われているとするなら、事態が周知されていなければおかしいのだ。
それに、俺が初めてここにきた時はまだ八月。
時期としては一ヶ月も早く、イベントの特性と符合しない。
しないが、起きている事はイベントと全く同じだ。
理由についてはまた今度考えるとして……。
ちらり、とアリスとロゼッタの方へ視線を向ける。
(とりあえず、騎士団の方に連絡した方がいいか。それから後は……)
ハロウィンイベントについて、二人にどう説明するか。
ゲーム時代なら、時期が過ぎれば勝手にイベントが終了したし、とりあえずここは騎士団に通報して解決を待った方が安全ではある。
でも、この世界はゲームじゃない。ゲーム通りイベントが収まるかどうかもわからないのに、それは博打的すぎる。
やはり確実にこの事件を終わらせるには、プレイヤーである自分の行動が必要だ。
三人で事件を解決しよう。そう言うのは簡単だが、そう思うに至った理由を説明するのが面倒だ。
何せ、この場から推察して事件の概要というか全貌を説明するのには、どうしても材料が少なすぎる。
果たして誰がこの場の状態から異世界の魔人についてまで発想を広げられるだろうか。
思考が渋滞し、無意識に親指の爪を噛む。
その様子を見て心配したのだろうロゼッタが、そばまで寄って一つ提案をした。
「いくらここで考えとっても何もできひんし、とりあえず騎士団に通報しに行こ」
「そうね。私もロゼッタの意見に賛成だわ」
こうして、俺たちは二人を護衛しつつ大通りへと向かい、騎士団の詰所まで歩いた。
大通りに出るまで、俺たちの間には緊張した空気が流れていた。またいつその変な仮面の男が現れないとも限らないのである。しかし、結局それから例の男と遭遇することはなく、俺たちは詰所の方までたどり着いた。
それからは数時間ほどの事情聴取が行われた。
そこで分かったことは、女子生徒を襲い、男子生徒を発狂させて襲わせたその犯人は、赤いローブを羽織り、白い『ペストマスク』で顔を隠していた事と、『お前は違う』だとか、なんとかの魔導書がどうだとかいう話をしていたというが、恐怖のあまり、話の全体はよく覚えていないらしいという事だけだった。
33
翌日。
俺はまだ放課後になっても、件の事情を説明できずにいた。
この事件を確実に終わらせられるのは俺しかいない。でも、だからといって勝手に一人で事件の解決のために行動し始めれば、おそらくアリスたちは不審に思い、このことについて尋ねてくるだろう。
そこでもし俺が誤魔化すような受け答えをすれば、せっかく友達になってくれた二人と距離が生まれてしまい、また一人ぼっちになってしまうかもしれない。
それだけは絶対に嫌だ。またさみしい思いをする事だけは。
だから何としても事情を説明する必要があった。
しかしそのためには、この世界がゲームをモデルに作られたものかもしれない話とか、この世界の人にとってはいろいろ酷な話をしなければならなくなる。
でも、それはなんだか少しかわいそうで、今日一日ずっと、それについて悩み倒していた。
「なぁ、マーリン。今日なんか元気なかったけど、どうしたんや? よかったらうち話聞くで?」
昼休みの時間からずっとロゼッタはそんな風に気を聞かせて話しかけてくれていたが、苦笑いでなんでもないを繰り返すしかできなかった。
俺の返事に、前を行く二人が顔を向い合せる。きっと、こんな俺のありさまに落胆しているに違いない。そんな表情を目に入れたくなくて、俺は地面へと目をそらした。
「あー、そういえば最近寒くなってきたけれど、二人とも冬服の準備はできているのかしら?」
話題を無理やり変えるかのように、強引に話題を振ってくるアリス。
「あ、そういえばうち、荷物なるからって持って来ぇへんかったなぁ。マーリンは?」
「俺も、そういえば持ってなかったかも」
ぎこちないロゼッタの返答に、頭を持ち上げ二人も顔をおそるおそる確認する。
しかしそこには自分の怖れていたような感情など欠片も見当たらず、どちらかと言えば心配するような気色が窺えて自分が少しだけ情けなくなる。
(十四歳の女の子に心配されるなんて──)
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、肌がかさつくほど冷たくなった両頬にぱちんと強めに張り手する。
心がだめならまずは顔からだ。表面上だけでも取り繕って、二人から心配そうな感情を取り除こう。話をするのは、もう少し後でもいいだろう。
急変した態度にやや驚いているのか、呆然としている二人に自分から口を開く。
「せっかくだし、今から服、身に行こうぜ!」
そんなわけで俺たちは制服も着替えないまま、商店街を練り歩いてブティックを目指した。
どこもかしこもハロウィン一色で、ガラス窓越しに見える店内を覗けば、オレンジや黒、紫といった色を基調にした服が多く目についた。
「あら、あのデザインロゼッタに似合うんじゃないかしら?」
目の端に映ったショーケースのマネキン。
それが着ていた洋服を見て、アリスが足を止める。
「え〜? うちにはこんなんかわいすぎるって!」
ハロウィン限定でしか着れないデザインというわけでもなく、しかしハロウィンに着れば正に狙って仮装しているようにも映るそのデザインに、ロゼッタは少しだけ悩む。
「いいじゃん、試着だけでもしてみようぜ?」
「そこまで言うんやったら……しゃあないな……」
満更でもなさそうに少しだけ口端を歪めさせながら進んで店の中へと足を踏み入れ、早速試着を始めることにする。
「ロゼッタ、素材はそこそこ良いと思うのよ」
衣装を持って試着室のカーテンに消えていったのを見計らい、アリスが小声でそう呟いた。
「言葉を選べよアリス。せめて宝石の原石とか、言いようはあるだろ?」
「あら、キザなレトリックを使うのね。あなた、存外にメルヘンな頭をしているのかしら」
「メルヘンな頭ってどんな頭だよ……」
言うだろ、原石って言い回し。使い古されてるし、キザでもなんでもないと思うんだけどな……。
ニヤけながら話す彼女に、俺は唇を尖らせた。
「……なぁ、ほんまにこれ変ちゃうかな?」
そうこうしているうちに着替えも終わったのか、試着室のカーテンからロゼッタが顔を現した。
頭の上には、猫の頭を模しているのであろう飾りがついた、赤いフードが被せられてある。
「顔だけ出されても分からないわよ、ほら、着替え終わったのなら早くカーテンを開けてくれるかしら?」
言って、強引にカーテンを引っ張る。
「ちょ、やめ、アリスまだうち心の準備が……っ!?」
シャラァ、と滑車が滑る音を盛大に響かせながら、試着室のカーテンが全開になる。
するとそこには、赤いネコミミのフーデッドケープと、同じく赤地にフリルの多いゴスロリチックなドレスローブを身につけたロゼッタの姿があった。
「おお」
思わずため息が漏れる。
洋風、というよりどちらかといえば和風に近いデザイン。
ドレスローブの上から羽織っているワインレッドのフーデッドケープの、服でいう前立てに当たる部分にあしらわれた金色の飾りや、裾につけられた十字の飾りはキリスト教を連想させるが、しかしその袖の形は振袖のようで、和洋混淆の具合が素晴らしい。
前開きになったフーデッドケープの下から見える丈の短いドレスローブはフリルが多くあしらわれながらも、どこか和のテイストを感じさせつつ、一体として洋風に仕上げられている。
特にこの腰の黒いコルセットベルトが、一番に全てをしっかり一つにまとめ上げていて素晴らしい。
ドレスローブの裾の下から見える黒のプリーツスカートの裾にあしらわれた猫のワンポイントもかわいいし、裾から見える絶対領域や、全体的には赤を基調に黒で纏めているところを、その下の赤い猫をモチーフにした赤と黒の縞々ニーハイソックスを履かせる事によってアクセントをつけているところも、現代的でなかなか可愛らしい。
赤い髪の彼女には、かなりお似合いの衣装だろう。
名前の中に薔薇が含まれているところもまた、その服の色との親和性を引き上げ、より似合わせている様にも感じる。
「ふふん、やっぱり私の目に狂いは無かったわね!」
自信満々、とでも言いたげに、両腰に拳を当てて仁王立ちするアリス。
そんな二人からの視線に物怖じしているのか、いつもの元気な彼女とは違って、弱々しげに『あ、あんまジロジロ見やんとってぇや……』と抗議の声を呟く。
あぁ、なんだろう。
今のロゼッタ、普段の元気な子供っぽさを残しつつも、萎れてちょっと恥ずかしがってるこの感じが、別の方向性のかわいさを生んでいてちょっと胸がキュンとなってくる。
「大丈夫、かわいいわよロゼッタ。……そうね、後は髪型かしら。ちょっと弄るわよ?」
言って、彼女の三つ編みを解き、髪型を変えていく。
その時の彼女といったら、もうどうにでもなれとでも言いたげな、少し恥ずかしそうな顔をしていて、そんな年頃の少女同士の絡みに俺は眼福眼福と見守──っていたら。
「次はマーリンの番だからね!」
「うぇ?」
某レモンみたいなうめき声を思わず口からこぼす。
「えじゃないわよ。あなたも冬服持ってないんでしょ? だったら当然あなたも試着するに決まってるじゃない」
言って、ロゼッタに試着させる用の服とは別に用意していたらしいもう一着をカートから引っ張り出して押し付けてくる。
「ま、まぁそうだけどさ……」
チラリ、ロゼッタの方を向いて、しばし考える。
彼女の服はかわいい。
そんなかわいい服を着ているのを見てしまうと、俺もかわいい服を着たくなってきてしまう。
……ていうか、着たい。
(なんだろう、女物の服には慣れたはずなのに、なんかちょっと背徳感を覚えるのは)
いろんな感情がないまぜになって、得も言われぬ表情になる。
──が、今は他の選択肢はない。
俺は表面上は嫌がりつつも、しかし着飾った自分が、自分のアバターがどれだけかわいくなってくれるのかといつワクワク感を胸のうちに秘めながら、アリスに背中を押されるがままに試着室へと足を踏み込んだのだった。