623 叱責
「クラーラさんたちと私は他人で、私は今の家族と一緒に幸せに過ごしてるの。今更もうどうしようもないわ」
実の肉親を平静な様子で他人と口にするティムルの言葉に、どうしようもなく打ちのめされてしまう。
今までは原因を取り除けば問題を解決できたし、いつだって取り戻せるものが見つけられたのに。
ティムルとその肉親の話は既に完全に完結していて、これから新たな関係性を築くことは可能でも、過去にも存在しなかった関係性を取り戻したり修復したりすることは出来ないんだ……。
そう思い知らされて、俺はニーナを愛することすら出来ずに、ただ立ち尽くすしか出来なかった。
「……ダン。続ける雰囲気じゃないし、下ろしてくれる?」
「……うん、そうだね……」
俺の代わりにティムルを抱きしめてくれているニーナが、俺とティムルの頭を撫でながら静かに身を離し、そして改めて俺とティムルを一緒に抱き締めなおしてくれた。
……かと思ったら、片手で俺のほっぺを掴んでグイーッと軽めに引っ張ってきたぞ?
「ニ、ニーナ……? い、痛くはないけどいったいなにを……」
「2人の気持ち、どっちも分かるけど……! 今回はダンが間違ってるのーっ!」
「痛ってぇーっ!?」
駄目出しの声と共に、力いっぱい俺の頬を引っ張るニーナ。
その力に釣られて俺の顔も引っ張られるんだけど、ティムルに抱きつかれて固定された体は動かず、引っ張られた頬が限界を超えて痛みを訴え始める。
「いだだだだっ!? ニ、ニーナちょっと待って痛い痛いっ! ティムルもっ! ティムルも一旦離してくれない!? 痛い痛い! マジで痛いんだよーーーっ!?」
「貴方がとっても優しいのは知ってるのっ! だけど貴方は何処までいってもダンで、ティムルじゃないのっ! 貴方の思い込みをティムルに押し付けちゃ駄目なのーーーっ!!」
「いだーーーっ!? と、取れちゃう! ほっぺ取れちゃうからああああ!! ごめんなさい! 謝るから! 謝るから一旦待って……痛ぇ----っ!!」
元竜人族の飼育場だった場所に悲鳴を轟かせながら、ニーナにほっぺを引っ張られ続けてしまった。
けれど謝罪の言葉を口にしたのが功を奏したのか、なんとかニーナはほっぺを離してくれた。
うう、まじで千切れるかと思ったよぉ……。
ニーナにここまで折檻されたの、出会ってから数えても初めてじゃないか……?
「あははははっ! ニーナちゃんに怒られると、ダンってそんなにションボリしちゃうのねーっ?」
ニーナと共に身支度を整えながら、引っ張られたほっぺを擦る俺を腹を抱えて笑うティムル。
こんなに大騒ぎしても誰も戻ってこないなんてと不思議に思った瞬間、リーチェの精霊魔法が俺達を包んでいてくれることに気付いた。
ファインプレーだなリーチェ。あとでお礼言わないと……。
「痛くしてごめんなのっ! だけど今回はダンが悪いのっ! 少し反省しなさいっ!」
「あはーっ! ニーナちゃんがダンより私を優先してくれて嬉しいわーっ。ニーナちゃん大好きーっ!」
「私もティムルが大好きなのーっ」
大好き大好きと言いながら抱き合う2人を見ていると、頬の痛みも気にならないくらい幸せな気持ちになってくる。
だけど頬を緩めそうになる俺を、ニーナの言葉が責め立てる。
「私もティムルが大好きだから、ダンが変な思い込みを大好きなティムルに押し付けようとしてるのが許せなかったのーっ」
「うう……ごめんなさい……。でも俺の思い込みって何? 俺、ティムルに何を押し付けそうになってたの……?」
ニーナにはっきりと俺が悪いと言われるのがこんなに辛いなんて……。
しかもニーナの言い分だと、俺は今ティムルを傷つけそうになっていたっぽいのに、俺は未だにそれに気付く事が出来ていない……。
そのことが不甲斐無くて、情けなくて仕方ない……。
「ダン! 血が繋がってるんだから仲良くなくちゃおかしいとか、肉親との関係をとりなせなくて情けないとか、何を下らないことで悩んでるのっ! そんな下らないことで貴方が悩んだら、ティムルが悲しんじゃうでしょーっ!?」
「え……うぇぇぇぇ!? お、俺って悩んだから怒られてんのーーっ!?」
「悩んでるのを怒ってるんじゃないのっ! 下らないことで悩んでるから怒ってるんですーっ!」
ティムルと抱き合いながらも俺を叱責し続けるニーナ。
そんなニーナを笑顔で抱き締め、大好き大好きと言いながら頬ずりしているティムル。
くっ……! ニーナに叱られているという今まで体験したことのないほどの修羅場だっていうのに、お姉さんが可愛すぎて頬が緩んでしまうっ……!
「あはーっ。ニーナちゃんの言う通りよダン。貴方は今、もう終わってしまったどうでもいい事に悩んで、勝手に傷つきそうになってたでしょー? 私のことで貴方が傷つくのは、お姉さん嫌だなー?」
「あ……。傷つきそうになってた、のかな……? 自分じゃよく、分からな……いや、確かに無力感を感じて打ちひしがれてた、かな……」
「あらぁ? いつも自分の事だけ見えてないダンにしては、ちゃあんと自分の心を口に出来たじゃないのー。えらいえらいっ」
正解だと言わんばかりに、俺の頭をよしよしとなでてくれるティムル。
俺が傷ついたらティムルも傷つく。
だからニーナは俺の頬を引っ張って、文字通り俺のテンションを無理矢理引っ張り上げてくれた、のか……?
考え込む俺の手を引いて、ティムルと一緒に俺を抱きしめてくれるニーナ。
「ダンが血の繋がりをどれだけ重視してるかは知らないの。だけど私たちは貴方のおかげでとっくに知ってるんだよ? 血の繋がりよりも、魂で繋がった家族の尊さを」
「あ、えと……」
「あはーっ。ダンが血の繋がりを重要視してしまうのも無理は無いんだけどねー。ニーナちゃんやフラッタちゃんとか、ダンの周りには素敵な親子ばっかりいるんだものーっ」
「あ……そう、か……」
ティムルにはっきりとクラーラさん達が他人だと宣言されたのに、俺はどこかでティムルとクラーラさんたちの繋がりを信じようとしていた。
いや、信じようと言うか、無理に思い込もうとしていたのか?
ニーナとターニア、フラッタとラトリアの強い絆に触れてきたことで、血縁者による強い繋がりを無条件に信じようとしてしまっていた……?
「確かに私と母さんはお互い大切な存在なのっ。だけどダンは今まで沢山見てきてるでしょー? 血の繋がりよりもずっと強い、魂で繋がりあった色んな家族の形をさーっ」
「そうよぉダン? 例えばムーリと孤児たち。例えばリーチェとアウラ。そして例えば私たちとかねぇ?」
「大体ダン自身がこの世界の誰とも血が繋がってないでしょーっ! その自然に自分を除外する癖、いい加減直しなさーいっ」
「あ、そうだった……」
可愛い奥さんのみんなとも、娘のアウラとも俺は血が繋がっていないんだ。
だけどみんなのことを他人だなんて思ったこと、1度だって無かったのに……。
「ダンが私の幸せを考えて、私が過去に失った物を取り戻そうとしてくれるのは嬉しいわ。でもね、私と彼らには何も無いの。他人なの。貴方が無力感を感じる要素はなーんにも無いんだからね?」
「ティムルは私たち家族と一緒に過ごして、とっくに世界一幸せになってるのっ! それなのにティムルを幸せにした張本人のダンが、肉親との関係を取り戻せなかったらティムルは不幸だなんて、ティムルの幸せを疑うようなことは許さないのっ!」
「あっ……! そんなつもり無かったけど、そういうことになっちゃうんだ、な……」
ニーナがこんなに強く怒ってくれた理由がようやく理解できた。
誰よりもティムルの不幸を嫌いながら、俺はティムルの事を不幸だと思い込んで勝手に潰れそうになっていたんだ……。
解決すべき不幸なんて存在していないのに、それを解決出来ない自分の無力を悔やんで……。
だけど解決すべき問題なんて存在しないから、その無力感を払拭する方法も無くて……。
俺の幸せを願ってくれるティムルやニーナを置いて、俺は1人で勝手に沈んでしまいそうになってしまっていたんだな……。
「あはーっ。なんだかこういうの久しぶりねー? フラッタちゃんをお嫁にもらってから、ダンがここまで落ち込むことって殆ど無かった気がするのにねぇ」
「ダンはティムルのことが大好きだからねー。だから空回りしちゃったんだと思うのー。ティムルに嫌われたら生きていけないのは、私も他のみんなも一緒だけどねー?」
「んもーっ! ニーナちゃん大好きーっ! 私こそ家族のみんなの嫌われちゃったら生きていけないわよぉっ。んもーっ!」
頬ずりを止めたティムルは、んもーっ! んもーっ! と言いながらニーナのほっぺにちゅっちゅっとキスを繰り返している。
最近はリーチェとの仲の良さが目立つけど、ニーナとティムルも元々最高に仲良しだったっけ。
「ダンは私とはまた違った形でティムルに依存してるの。ティムルに嫌われたら生きていけないけど、でもティムルに嫌われるとも思ってないんだよ? だから今の話、本当はティムルに甘えただけなんだよねー?」
「ティムルに甘えただけ……。そう、なのかも……。確かにそうだ……。俺はお姉さんに甘えたかっただけ、だったかも……」
「んもーっ! お姉さんで良かったら好きなだけ甘えなさーいっ! 大好きなダンに甘えてもらえるなんて、もう幸せ過ぎるーっ」
力いっぱいのティムルの抱擁と、頬から伝わるティムルの唇の感触に安心する。
……多分俺、どこか不安になってたんだ。
シャロもキュールもチャールもシーズも、新しく迎えた家族は俺のことを全面的に信用してくれているし、俺の主導でこの国が大きく変わろうとしている。
だけど本当に俺なんかにみんなを幸せに出来るのかなって、単純に自信が無かったんだ……。
そんな時に大好きなお姉さんの血縁者が見つかって、そして両者の関係性を切り捨てる判断をしたことで、漠然と抱えていた不安感がなにも出来なかった無力感と重なってしまったんだ。
そして不安と無力感に怯えた俺は、当事者であるティムルお姉さんに甘えてしまったのかな……。
「ニーナ、教えてくれてありがとう。ティムル、甘えさせてくれてありがとう。2人が居てくれて良かった。2人と出会えてなかったら、俺絶対幸せになんてなれてなかったよ……」
「まったく世話の焼ける旦那様なんだからーっ。自分で幸せにした奥さんのこと、ちゃんと信じなさいっ」
「あはーっ。ほんとまだ3人だった頃のことを思い出しちゃうわねーっ」
くすくす笑うティムルの言葉に、フラッタとリーチェを迎える前の、まだ3人だけで過ごしていた日々を思い返す。
あの頃は毎日のように落ち込んで、毎日のように怒られて、そして毎日のように2人に甘えて過ごしていたっけ……。
「ダン~? 私は貴方とニーナちゃんに家族として迎えてもらったあの日から、この世界の誰よりも幸せな日々を送ってるんだからねぇ? 大好きよ、私の旦那様っ」
ようやくお叱りタイムが終わったのか、ニーナとティムルが交替で俺に唇を重ねてくる。
これってフラッタを泣かせてしまった日にされた、キスリレーの再現かな?
あの頃はこのキスリレーを喰らうと幸せすぎて腰砕けにされちゃったけど、今の俺は2人の愛情を正面から受け取ってもひたすら幸せになるだけでヘロヘロにされたりはしない。
2人のキスに真っ向から向き合って、3人で笑いながらキスを続けた。
……今思えば、リーチェの誘いすら断ってニーナと離れたくなかったのも、無意識にニーナに甘えていたのかもしれないなぁ。
家族のみんなのことは分け隔てなく愛しているつもりだけど、ニーナとティムルはやっぱり俺の原点で、いざって時に甘えちゃうのはこの2人なんだなぁ。2人とも大好きぃ~……。
「あーっ! 本当にニーナさんと離れてる上に、ティムルさんともキスしてるーっ!」
「話が終わるまで待っててあげたんだから、ぼくにもキスしてくれるよねーっ!?」
3人でイチャイチャキスを続けていると、リーチェとシャロのプリンセスコンビがおっぱいをばるんばるん揺らしながら突撃してくる。
だけどその後ろで沢山の荷物を持たされたヴァルゴが、えーっ!? って顔してるから、2人とも気付いてあげて欲しいんだよ?
ニーナとティムルとの3人の時間は名残惜しいけど、俺の家族はもう2人だけじゃないのが嬉しく感じられた。
その後1人1人帰ってくる毎にキスをする相手を増やしつつ、最後のラトリア、エマペアが戻ってくるまでひたすらみんなとキスして過ごしたのだった。
「リーチェ、ナイスフォローだったよ。ありがとうね」
全員が帰ってきたら、施設内に残されていたテーブルを使用してみんなで食事を済ませる事になった。
精霊魔法でフォローしてくれたリーチェと、荷物を持たされて唖然としていたヴァルゴを両側に抱き寄せて、シャロの手作りの料理をシャロ自身に食べさせてもらう。
「美味しいですかご主人様ー? まだちょっと我が家の味を再現しきれていないと思うんですけど」
「美味しいよー。シャロの手料理が美味しくない訳ないよー。無理にウチの味を再現しようと意識する必要は無いからねー」
シャロたちは一旦我が家に戻って、補正を駆使した高速調理に少しだけ挑戦してみたらしい。
シャロも身体操作性補正と五感補正が沢山累積したおかげで、急いで調理しても乱れることがない自身の動きにとても感動したそうだ。
「さて、アウター内の施設を見学した感想はどうだったかな?」
もぐもぐと食事をしながら、誰とは無しに聞いてみる。
仕合わせの暴君メンバーは特に思うところは無しか。
ムーリとターニア、アウラも別に何も思わなかったようだ。
「もっと歴史がある施設なら、レガリアが建造したって分かっていても感動できたと思うけどねぇ……」
傾国の姫君の3人についていったキュールも、やはりさほど興味を持たなかったらしい。
彼女は少し不満げに肩息を吐きながら、やれやれと首を振ってみせる。
「ここって多分今代のメナス、ノーリッテだっけ? アイツがメナスになってから作られた施設だろうから、歴史学者としては特に興味を引く物は無かったかな」
「……ん~、アウターエフェクトに護衛されてたりしたから、ノーリッテが関わっていた施設なのは間違いないんだろうけど……。ノーリッテが始めたにしては、ここに捕まってた竜人族の数が多く感じられるなぁ?」
「ああダンさん。それは幾つかの竜人族の貴族が協力して、レガリアに竜人族を奴隷を提供していたからだそうですよ。これ、言ってませんでしたっけ?」
「初耳だよー。いつの間にそんな話が出たの?」
キュールの推論を聞いて零れた俺の疑問に、すかさずラトリアが答えてくれる。
でも言ってなかったって、結構前から分かってたってこと?
「ってかなんで忘れてたの? ラトリアが俺への伝言を忘れるなんてちょっと信じられないんだけど。あとその竜人族の貴族っていったいどうなったの?」
「1つ1つお答えしますから落ち着いてくださいー。わざと黙ってたわけじゃなくって、もう報告しても仕方ないから忘れてただけなんですよー」
済みませんとぺこりと頭を下げつつ、ラトリアが事の経緯を説明してくれる。
どうやら竜人族達を救助した時には何も分かって居なかったのは本当で、フラッタがダーティクラスターを滅ぼした後に素材となった竜人族の家を調査したところ、幾つかの家でレガリアとの繋がりが見つかったという事だった。
しかしその時にはもう世界呪を滅ぼし組織レガリアは壊滅状態に至っていて、情報の重要度は高くないとゴブトゴさんから寄せられた報告を俺に伝え忘れてしまったそうだ。
ちなみに、レガリアと繋がりのあった竜人族貴族家は、ラトリアとゴブトゴさんが協力してしっかり潰したらしい。
ラトリアが言うように、確かに大した情報じゃないかなぁ?
忘れていたお仕置きに、今度ひと晩中おっぱい吸ってあげようと思うくらいで。
「……過ぎた事は仕方ないとして、ラトリアとエマはここを見て何か感じたのかな? それとも特に思うことはなかった?」
「ええ。思ったより何も思いませんでした。あまり良くない環境だったんだなぁと思ったくらいでしょうか」
「私もラトリア様と同じですね。監禁されていた同胞を憐れに思ったくらいです」
「う~ん。そんなものかぁ」
もっとこう、同胞を弄ばれたーとかって怒ったりするかと思ったけど、2人とも意外と冷静な反応だなぁ。
同胞が監禁されていたことは知っているけど、監禁されている姿を見たわけじゃないしな。
あまり強く感情を抱けなくても仕方ないか。
「シルヴァ様に本気で斬りかかられたのはまだちょっと引っかかっちゃいますけど、あまり引き摺っているとシルヴァ様にも申し訳ないですしね。気にしない事にしました」
あの時のシルヴァは奴隷契約で縛られていたからねえ。引っ張るのは確かに可哀想だ。
しかしやっぱりエマは、知識よりも実体験の方が優先されてる感じかな?
「じゃあチャールとシーズはどうだった? 何か刺激を受けたかな?」
「そう、だね……。たとえ悪事とは言え、アウターの中にこんなものを建造してしまう人のエネルギーに、ちょっとびっくりはしちゃった、かな?」
「施設そのものは大して面白いわけじゃなかったけどさ。暴王のゆりかごの研究施設といい、人間の持つ熱意と発想って奴には驚かされたぜ……」
チャールとシーズの2人は建造物を通して、人の想いが持つパワーの片鱗に触れることが出来たようだ。
アウター内の施設見学。
この2人にとっては良い刺激になってくれたみたいで良かった。
ま、だからこんな熱意を持って他人様に迷惑をかける組織を放置しておけないよね。
時間的にもまだ日没前だし、レアリアの拠点視察、今日のうちに終わらせておきたいなぁ。
……だからフラッタ、リーチェ。2人とも、そろそろ食べるの止めません?




