552 ※閑話 失伝 精霊魔法
※閑話です。そして失伝です。
リュートの姉、本当のリーチェ視点。
時系列は本編から数えて約550年前から、リュートが生まれた年である471年前までです。
「それではリーチェ、今日から貴女の姫教育を始めますよ。王族エルフェリアの名に恥じぬようしっかりと励みなさいね」
「はい。母さん」
母さんの真剣な表情に、自然と緊張感を覚えてしまう。
いつもの穏やかな母さんとの差に面食らいながらも、何とか返事を返して椅子に座る。
エルフの王族エルフェリア家に生まれた私は、齢50を迎えた今日、王族としての姫教育を始める事になったのだ。
私たちエルフ族にとっては、王族エルフェリア家の存在はさほど重要視されていない。
父さんと母さんも長であるライオット様の側近として仕えているし、エルフェリア家の者が長を務めた記録も残っていないらしいの。
エルフ族の頂点はあくまで族長であり、王族は長を補佐する存在なのだ。
だからエルフの姫君と持て囃されても、いまいちピンとこなかった。
エルフの王とはエルフ族の始祖たる存在ただ1人で、それ以降王族エルフェリア家は形骸化してしまっているとしか思えなかった。
……けれどそんな冷めた私の想いとは裏腹に、姫教育は厳しいものだった。
「魔物が跋扈するこの世界において、気品だけでは生きていけません。有事の際にエルフの前に立ち導ける存在であるためには、戦う力は必要不可欠ですよ」
「はぁっ……はぁっ……。は、はい母さん……!」
弓の稽古から始まって、弓を掻い潜られた場合を想定しての剣の稽古に、精霊魔法を戦闘に応用する術を徹底的に磨き上げられた。
アウター宿り木の根にも定期的に潜らされ、職業浸透も進めさせられた。
だというのに、単純な戦闘力だけではいざという時に生きていけないと、迷いの森で数ヶ月放置させられてみたり、掃除や洗濯、料理に至るまで、徹底的に生きる術を叩き込まれた。
仮にも王族が受ける教育なの、これが……?
「エルフェリア家が王族を名乗るようになったのは、私たちが始まりの王に指名された唯一の一族だからなのですよ」
姫教育は戦闘訓練だけではなかった。
エルフェリアの地理や歴史の把握も王族としてしっかりと記憶し、そして後世に伝えていかねばならないのだと叩き込まれた。
幸い私は訓練よりも座学の方が好きだったので、勉強のほうは苦にならなかったかな。
「それではリーチェ、今日も貴女の姫教育を始めますよ。王族エルフェリアの名に恥じぬようしっかりと励みなさいね」
「……はい。母さん」
そんな訓練と教育の日々が、なんと30年も続けられた。
その甲斐もあって、私は同世代の中では抜きん出た戦闘力を身につける事に成功した。
流石に年長のエルフの実力には、遠く及ばなかったけれどね。
「……素晴らしいわリーチェ。こんなに早く巫術士になったエルフの記録は殆ど無いのよ?」
姫教育の間はひたすら厳しく接してくる母さんが、私のステータスプレートを見て顔を綻ばせた。
真面目に訓練を続け、真面目に職業浸透を進めた結果、私は齢80にして巫術士に転職することが出来たのだ。
「最後に族長ライオットから、王家エルフェリアの意味を伝えていただきます」
「え? さ、最後って……?」
どうやらこの巫術士を得ることが姫教育の1番の目的だったらしく、30年も続いた訓練と研鑽の日々は唐突に終わりを迎える事になった。
私はこれから族長様のところに赴き、何か重要な事を伝えられるらしかった。
「エルフェリア家の意味? でも姫教育の仕上げに伝えられるって事は母さんも既に知っているんじゃないの? ならわざわざライオット様から聞かされなくても……」
「いいえリーチェ。これはエルフ族のしきたりなのです。王族エルフェリアの存在する理由をエルフの長に語ってもらって、そうしてエルフの姫教育は終わりを迎えるのですよ」
どうやら母さんは意見を曲げる気は無さそうだ。
しきたりや風習にあまり価値を見出せていない私は、母さんの言い分に少し辟易としながらも、族長ライオット様に会うために世界樹の元に足を運んだ。
「……世界樹の中にこんな部屋があったんですね?」
「ここは精霊の間と呼ばれる、エルフの中でもひと握りの者しか立ち入りを許されない場所です。殆どのエルフはこの部屋の存在自体を知らないでしょうね。今の貴女のように」
母さんに連れて行かれたのは初めて見る部屋だった。
『精霊の間』……。
世界樹は基本的に開放されているっていうのに、こんな場所があったなんて知らなかったな。
母さんに続いて精霊の間に足を踏み入れると、そこには厳しい表情をした族長ライオットの姿があった。
「よく来たな姫巫女リーチェよ。その歳で巫術士の職を得られるなど快挙と言う他ない。よくやってくれた」
「ありがとうございます。けどライオット様、『姫巫女』とはなんのことでしょう?」
「うむ。今から語って進ぜよう。エルフェリア家の存在する理由と、精霊魔法との関係についてな」
いつの間にか室内に母さんの姿は無く、私は族長に促されて用意されていた椅子に座る。
私が席に着いたのを見た族長は、1度満足げに頷いてから口を開いた。
「種族全体が王の血を継いでいると言われているエルフ族に、王族としてエルフェリア家が存在している理由。それはエルフェリア家が特別な力を持つ家系だからなのだ」
「特別な家系、ですか? 済みません、長の言葉を疑うようで心苦しいのですが、とても自分が特別な存在とは思えないのですが……」
「うむ。お主のその印象は間違っておらぬ。しかしお主が自覚していないだけで、お主も間違いなくエルフェリアの血を継いだ特別なエルフなのだ」
自覚が無いだけで特別なエルフですって? とても信じられないわ。
私に自覚が無いのもあるけど、周囲のエルフたちに特別扱いされた事だって無いのよ?
もしもエルフェリア家が特別な存在であると言うなら、ここまで全く特別扱いをされたことが無いことをいったいどう説明する気なのかしら?
「時にリーチェよ。お主は自分が精霊魔法を習得したのがいつだったか覚えておるか?」
「は? っと、済みません、ちょっとお待ちくださいね……」
いきなり想定外の質問を投げかけられたことで、ついつい長に素の反応を返してしまったわ。
別に形骸化した王族の身分に未練なんて無いけど、ここで私が粗相をしたら母さんに迷惑がかかってしまいそうだから、しっかりしなきゃ……。
「確か……8つの頃だったと記憶しております。幼い頃の記憶なので、少々ズレがあるかもしれません」
「いや、事前にエリューに確認を取ってある。お主が精霊魔法を発現したのは8つの時で間違いない」
「母に事前確認を? ならばなぜ改めて……」
「決まっておろう。その事実こそが、お主が特別である何よりの証拠だからじゃ」
私の疑問を遮って、長が私の特異性を強調する。
けれど言われた私はやはり意味が分からない。
精霊魔法が発現していないエルフなんて、それこそ幼児くらいしかいないハズなのに。
「……どういうことでしょう? ほぼ全てのエルフが習得している精霊魔法が、なぜ私の特殊性の証明に?」
「エルフェリア家に生を受けたお主は勘違いしておるがな。精霊魔法の発現の条件は、各種魔法系統の職業を3種類以上浸透させることなのだ」
「――――えっ? いや、そんなはずは……」
各種魔法系統の職業を3種類って……。
それじゃ最低でも3職は浸透を終えないと、精霊魔法は発現しない事になってしまうじゃない……!
「8つ幼き日のお前は、まだ村人でありながら精霊魔法を発現してみせた。魔法に特化したエルフ族の中でも、ひと際精霊に愛された特別な一族。それこそが王家エルフェリアというわけだ」
「そ、そんな……。精霊魔法は誰もが自然に習得していているものなのではなかったのですか……!?」
「エルフはあまり他者に興味を持たんからな。それに年若い者も少ない。村人の時から精霊魔法を自在に操ったリーチェがそのように思うのも致し方ないだろう」
長が言うには、エルフェリア家に生を受けたエルフ以外は、長い時間をかけて職業を浸透させ、その先でようやく精霊魔法を発現するそうだ。
しかも精霊魔法自体にも差があるらしく、私のように思考しただけで風を動かしたり出来る者は少なく、強い集中力を持って行使しなければ精霊たちは応えてくれないらしかった。
「……正直言って未だに信じられませんが、エルフェリア家が特別だと仰る根拠があることだけは理解しました……」
「うむ。王の言葉は残されてはおらぬが、王がエルフェリア家を王族に指名したのは、精霊に愛されるその体質ゆえなのじゃろうな」
「……エルフェリア家の特殊性と、精霊魔法の関係性については分かりました」
正直に言えばまだ信じ切れていないけれど、客観性があるなら仕方ない。
それに今更この事実を肯定しても否定しても、特に意味は無いでしょうし。
「では先ほど長が仰っていた、エルフェリア家の存在意義とはなんなのです? それに姫巫女とは?」
「それを語る前に宣誓してもらうぞ。リーチェよ、ここから先の話は一切他言無用だ。たとえ私やお前の両親のようにこの事実を知る者が相手でも、決して口にしてはならぬ」
「え? 長の言っている通りなら、長が説明することも出来ないのでは?」
「この事を口に出来るのは、長である者が精霊の間にて新たな長か王族に伝承する時のみ。それほどの秘密であると知らねばならぬぞ」
つまり長と王族、そのどちらが欠けても失われてしまう情報という事?
まさか形骸化したと思っていた王族エリフェリア家に、そこまで重要な秘密があるなんて想像もしていなかった。
ステータスプレートに『口外禁止』を誓約してから、改めて長の話を聞く。
「いったいいつ誰が言い出したことなのかは分からぬが、エルフとは神がその身を模して生み出した種族だと言われておる」
「え? 情報の出所が分かっていない情報を、ここまで厳重に秘匿していらっしゃるのですか?」
「そうだ。過去に事の真偽を神に問うた者がおったそうでな。この話は真実であるという返答が得られたそうだ」
「神に……? もしや神器に!?」
「このことも他言無用だ。我らエルフにとって重要なのは事の真偽であって、情報の出所ではないのだからな」
神器の無断使用は禁じられているはずだけど、種族毎に持ち回りで管理している以上、隠れて使用するのは難しくない……。
そもそも神器を保管するのは長の仕事なのだから、その長が勝手に使用するのは容易いでしょうね……。
「神を模して創られたエルフ族は、いずれ最も優れた肉体を神にお返ししなければならない。それが姫巫女と言われる、エルフェリア家に生まれた女児の役割だと言われておる」
「なっ!? それではまるで生贄……! 人身御供ではないですかっ!」
「気持ちは分かるが、少し落ち着きなさいリーチェ」
神に捧げられると聞いて思わず食って掛かる私を、穏やかな口調で制する族長。
そして私が次の言葉を探しているうちに理路整然と私を諭してくる。
「神にその身を捧げよと言われて憤るのは分かる。だが私はエルフの長として、エルフに伝わる情報をお主に伝えているに過ぎん。私に抗議されても、残念だが私に出来ることは無いぞ?」
「くっ……! 確かにそれはそうですが……!」
「安心して欲しいリーチェ。実際にエルフェリア家がその身を神に捧げたような記録は伝えれておらんからな」
「あ、そ、そうなのです……か?」
「そうなのだ。エルフ族に伝わる秘密として語り継がれておるが、この情報こそが形骸化していると言ってもいいだろうな」
長の口から発せられた形骸化という言葉を聞いて、私も少し冷静さを取り戻せた。
エルフェリア家が精霊魔法に特化した特殊な家系なことは間違いなくて、それを理由に神への供物とされることが決まっている。
けれど実際に供物になった前例など存在していなくて、ただ伝承のみが語り継がれているということ?
「リーチェも姫教育の中で聞いたかもしれぬが、エルフェリア家にはなぜか女児しか産まれぬのだ。これもまた、女神に最も適した肉体を形作るためだと言われておる」
「女神……。それってもしかして変世の3女神のことでしょうか?」
「それは分からん。しかし他に思いつく神がおらぬのが現状だ。しかし人々を慈しんだ言われている原初の3女神が、生贄のような行為を喜ぶかと言われると疑問ではあるな」
……ん、確かに長の仰る通りか。
原初の3女神は、少なくとも変世神話で語られている限りでは人間に尽くしてくれた存在に思える。
そもそも神など既に存在していないのに、肉体をお返しするもなにもないわよね?
「ただ1つ、エルフに伝わる伝承の中で気になることがある」
「……聞かせてください」
「うむ。これは確認が取れた情報かどうかも伝わっておらぬのだがな。原界に下り立ち、この世界を人の住める世界へと作り変えてくれた女神は、実はもう1人居ると言われておるのだ」
「はぁっ!? い、いくらなんでもそれは嘘でしょうっ……!?」
この世界に生きる人で変世神話を知らない人など殆どいないはずだ。
それほどにポピュラーな神話が実は間違っていたなんて、そんなことってありえるの?
「もしそれが本当であれば、変世神話が根本から否定される事になります! それにその女神が伝わっていない理由にも説明がつきませんよっ!?」
「……先ほども言ったがな。私はエルフの長として、エルフに伝わる情報をお主に伝えているだけだ。それに遥か古の神話の話など、もう確かめる術など無いだろう」
少し投げやりにも感じる長の態度に、長自身もこの話には懐疑的なのだということが伝わってきた。
どうやらこの話をこれ以上続ける事に意味は無さそうね……。
族長ライオットは、その後も幾つかの話を私に伝えたあと、静かに退室を命じてきた。
私はその命に従い家路に就きながら、長から伝えられた情報を整理する。
エルフ族は女神を模して生み出された存在であること。
王族エルフェリア家は、精霊魔法に愛された特別なエルフであること。
精霊魔法の発現には、本来3つの魔法職の浸透が必要なこと。
巫術士の転職条件は、5つ以上の魔法系統を習得する事と、それとは別に更に5つの職業を浸透させること。
エルフェリア家の姫巫女は、神にその身をお返しする日に備えて、必ず巫術士の職を得ていなければいけないこと。
世界に伝わる変世神話の裏に、実はもう1人の女神がいるかもしれないこと。
どこまでが本当かも分からないような情報に頭痛がする想いだけれど、1つ救いがあるとすれば、実際にその身を神に捧げたエルフはいないという情報だ。
長が私に嘘を吐いた可能性も無くはないけど、特別な者しか立ち入りを許されていないあの場所で、長として語った情報を偽るとは考えにくい。
それに現時点でこの世界に神なんて存在していないのだから、肉体を返したエルフもまた居ないと思っていいだろう。
「……なんてことはない。結局のところ王族エルフェリア家もエルフに伝わる伝承も、その両方が形骸化してしまったってだけじゃないの」
たとえ神様にだってこの身を捧げる気なんて無いけど、気にしすぎても仕方ないわね。
エルフの肉体を求めるという神様が居ない限り、エルフェリア家は少し精霊魔法が得意な家系ってだけなんだからっ。
長から聞いた話を忘れることは無かったけれど、それでもほぼ意識せずに日々を過ごすことが出来ていた。
エルフェリア家のご先祖様と同じく、私もこのまま普通のエルフとして生涯を終えるのだろうと、漠然とだけど完全に信じることが出来ていた。
……そんな私の意識が変わったのは、妹であるリュートが生まれた時だった。
「ふふ。今日はちょっと暑いかしら?」
「だうー?」
「ちょっと待っててねーリュート。姉さんが今風を送ってあげ……えっ!?」
「だぁだぁっ」
生まれてからまだ1年も経っていない、正真正銘生まれたばかりの赤子である妹のリュートが、私が風を動かすよりも先に精霊魔法を行使したのだ。
い、いくら精霊魔法に特化したエルフェリア家と言えど、物心つく前から精霊魔法を使用した記録なんて……!
『神を模して創られたエルフ族は、いずれ最も優れた肉体を神にお返ししなければならない』
かつて長から伝えられた言葉が閃光の様に思い起こされる。
精霊魔法に愛されているというエルフェリア家の中でも、更に突出した精霊魔法の使い手であるリュートは、最も優れた肉体として神に選ばれてもおかしくは……。
「……ふふ。リュートは凄いねー? リュートはきっと、凄く偉大なエルフになっちゃうねー?」
「きゃっきゃっ」
内面の動揺がリュートに伝わらないように平静を装う。
どう? どう? と私の顔色を窺うリュートの小さい体を抱きあげて、偉いねーと撫でてあげる。
私に褒められて屈託無く笑うリュートを見て、私は絶対にこの子を神になど渡さないと決意する。
たとえこの子が最も優れたエルフでも、その肉体を神が望んだとしても、私が絶対にこの子を守り抜いてみせる……!
「可愛いリュート。貴女にはずーっと姉さんがついているからね? 貴女のこと、絶対に幸せにしてあげるんだからっ」
「きゃーっ」
きゃっきゃと可愛く笑うリュートを思わず抱きしめた時、私とリュートの世界樹の護りがぶつかり合って小さく音を立てた気がした。
その小さな音は、まるで私の密かな覚悟に応えてくれたみたいに思えてならなかった。
私の半身よ。貴女もリュートのことを守ってあげてね?
何より大切なこの可愛い妹を、私たちが絶対に守り抜いてあげるんだからっ。
たとえこの身が滅びようとも、たとえこの世界が滅びようとも……。
可愛いリュート。姉さんがずーっと一緒だからねー?
※こっそり設定公開。
この失伝はこの作品全体の根幹に関わる話ではあるのですが、私が伝えたかったのは最後の部分だけです。姉のリーチェのこの想いがあったからこそ、リーチェの世界樹の護りはリュートのことも認めたのでした。
本編で語られる事はありませんが、この想いは今際の際に更に強まり、もしかしたらアウラが装備してもリーチェの世界樹の護りは応えてくれたかもしれません。




