043 謀略
シュパイン商会に赴いた俺とニーナは、ティムルが窃盗の容疑で投獄された事実を知る。
はっきり言って、ティムルが窃盗を働くとはとても思えないんだけど、詳しい事情が分からなければ判断のしようがない。もうちょっとエンダさんの話を聞いてみよう。
「ティムルが窃盗をしたっていう根拠は? ステータスプレートが盗賊にでもなってたの?」
ステータスプレートは魂の端末。職業設定でも無い限りは犯罪職を誤魔化すことは不可能だろう。
もしも現在ティムルが犯罪職になっていたとしたら、言い訳のしようもないところだけど。
「いえ奥様……、ティムル様の職業は変わっていないそうです。ですが被害者側は人を雇って盗ませたに違いない、と主張しているそうですね」
なるほど。犯罪に加担するにしても、直接関わらなければステータスプレートは誤魔化せるのか。
そういえば野盗にも荷運び人っていう奴がいたな。
あれも奪った荷物を運搬する前に、荷物の物色を盗賊の仲間に任せてしまえば、犯罪職になるのを防げるわけかぁ。
おいおいラスティさん。ステータスプレートを誤魔化す方法なんて、いくらでもあるじゃないかよ。
……まぁいい。今はティムルのことを聞かないと。
「そんでその盗品、世界樹の護りだっけ。それは見つかってるの?」
「残念ながら見つかっておりません。ティムル様も無罪を主張しておりますし、犯罪に関わった証拠もございませんので、少々事態が複雑でして……」
ごめん。エンダさんの言ってることの意味が分からないよ。
盗品が見つかってなくて、ティムルが関わった証拠もなく、本人が無罪を主張しているのに、なんでティムルは拘束されて、婚姻契約の破棄なんて事態に陥ってるわけ? 被害者側の主張が優遇されすぎてないか?
日本では痴漢冤罪の話を良く耳にした。
なんとなくそれと同じような、片方だけに慮った一方的な判断を感じる。
「……実は窃盗の実行犯はティムル様と一緒にネプトゥコについていった、シュパイン商会の商人なんですよ。これが非常に厄介でしてな? その実行犯は既に捕まっており、盗品は既に売却した、全てティムル様に指示されてやったことだ、と主張しているんです」
はぁ? そりゃ単に責任転嫁、容疑を擦り付けてるだけだろ。
アホらしい。ティムルよりもその実行犯を締め上げるべき話だろうが。
「ティムル様は今回の商隊の責任者でございますし、関わっていない証拠、というのは非常に証明しにくいものです。このままではティムル様に盗品の賠償責任が科される可能性が高いのですよ」
悪魔の証明って奴ね。
犯罪に関わっていないことを証明するのは本当に難しい。
だってやってないんだから証拠も何もない。
「いくらティムルが責任者だったとしても、実行犯じゃなくてティムルに賠償請求がいくのは理屈に合わない。監督責任はあるにしてもさぁ」
実行犯の男が掴まっているなら、ティムルがどうこう以前に実行犯が賠償すべき話だろ。
それに大商会であるシュパイン家がティムルを切り捨てるのも早すぎない? ティムルが無実の可能性だって、まだちゃんと残ってるはずなのに。
訝しがる俺に、エンダさんはゆっくりと頷いてみせる。
「……ちゃんとティムル様の立場から、推移の矛盾を理解されているようですね。お2人が本当にティムル様のご友人のようで安心致しました」
「……どういうこと? エンダさんも違和感に気付いていて、それでも放置しているわけ?」
俺の問いかけに、エンダさんは1度大きく息を吐き、両手で顔をぐにぐにと強く擦った。
その仕草はまるで、気合を入れ直しているかのように思えた。
「お恥ずかしい話でございますが……。今回の件は全て、当シュパイン商会の内輪揉めでございます」
内輪揉め? ティムルってあんまり上昇志向を持っている感じじゃなかったのに?
「ティムル様の置かれている状況は、彼女を疎ましく思っている別の奥様からの謀略のせいということになりますな」
「……待ってください。ティムルは商会内ではあまり立場が強くないと言っていました。なぜそのティムルを、わざわざ陥れる必要があるのです?」
これまで黙っていたニーナが、ここで初めて口を開いた。
立場の弱い相手を陥れる。確かにティムルの言っていた事と矛盾するね。アイツが俺達に嘘を言うとも思えないしさ。
「旦那様にももう見てもらえていないと、そう言っていたのに……。そんなティムルを、いったいどうしてっ……!?」
思わずといった様子でニーナが叫ぶ。
ニーナにとってティムルは、生まれて初めて出来た友人だ。そして今、その友人が意味も分からず陥れられてるんだもんな。冷静でいられるわけがない。
「後継ぎも産めず、旦那様の関心も失ったティムル様は、確かに権力争いからは1歩外側にいるお方です」
ニーナの言葉を否定しないエンダさん。だけど彼の言葉には続きがあった。
「ですが商人としてこの商会に多大な利益を齎しているティムル様を慕う者が多いのも、また事実なのでございます。私も自分の店が潰れた時に、ティムル様に拾っていただいたおかげで今があるのです」
うちにいる時に見せた様子からは、ティムルが優秀な商人だと言われても納得できないなぁ。
ただ、物凄くフットワークの軽い奴だとは思う。
会長夫人にしては行商に全く抵抗がなさそうどころか、商売そのものを楽しんでいるようにも見えたもんなぁ。
「ティムル様ご本人は自覚しておられなかったようですが……。ティムル様の持つ商会内の影響力は、決して小さいものではなかったのですよ」
本人も自覚していないうちに、かぁ。
将来は商会の中堅どころに収まれれば上出来とか言ってたもんなぁ。出世欲とかティムルには無さそうだ。
エンダさんから受け取った情報をまとめながら、ニーナにも共有するつもりで口を開く。
「他の奥さんたちが面倒くさがった仕事をティムルに押し付ける。ティムルはそういったものを全てこなしているうちに、商人としての様々な経験、多くの顧客との密接な繋がり、従業員との強固な信頼関係を築いてしまったわけだ」
……これってほんとに異世界の話なのかなぁ?
日本でも普通によくある足の引っ張りあいって感じで、言っててゲンナリするんですけどぉ。
「そういった事をティムルに押し付け続けた他の奥さんたちは、いざ同じ事をしようと思っても同じようには出来ない。だから商会全体の不利益を無視してでも、疎ましくなったティムルを排除する気になったと」
なんて馬鹿げた話なんだろうね。自分達が育ててしまった大商人ティムルを、自分たちの手に負えなくなったから陥れようだなんてさぁ。
その時ふと、ある事に思い至った。
「あー……。タイミング的に、もしかしてアッチンから持ち帰った商材が引き金になった? 確か、だいぶ儲けさせてもらったとか言われたような……」
あれって野盗の報奨金と装備の話だけじゃなかったのか? ティムルのことだから、金銭的な利益以上の何かを商会に齎したのかもしれないな。
黙って俺の言葉を聞いていたエンダさんだったけど、アッチンの事に言及した途端に目を丸くして驚いている。
「……どうやらダン様を少々見縊っていたようです。事情の説明は必要なさそうですな」
「分かってるのはティムルの事だけだよ。もっと詳しい説明はしてもらわなきゃ困る」
こんなので褒められても嬉しくないよエンダさん。そして勝手に説明を打ち切られても困るから。
エンダさんの話でティムルの事情は凡そ理解できたと思う。
でもこの段階で婚姻が破棄されてるのは、やっぱりおかしいだろ。
「シュパイン商会の会長殿は、自分の奥さんがピンチに陥ってるのになんで何もしないの?」
「……それは先ほども申し上げた通り、もう旦那様はティムル様に興味を持っておられないからです」
少し言いにくそうにしているエンダさん。だけどここで言い渋られても困る。
俺にこの話を持ち込んだのはアンタだろう。だから洗いざらい喋ってもらうよ。
俺がまったく引き下がる気が無いと悟ったのか、1度小さく息を吐いてから語り始めるエンダさん。
「……会長は非常に好色な方でしてな。若い女性を娶っては、年を重ねた奥様を放り出してしまうのですよ。ティムル様も20を過ぎた頃には、会長は既に別の奥様に夢中でした」
おっと、シュパイン商会会長殿はロリコンであらせられるようだ。まぁ16歳のニーナと散々イチャイチャしてる俺が言うとブーメランがぶっ刺さるかな?
会長の人間性と性癖には反吐が出るけど、ティムルへの興味が残ってないってのは僥倖かな。
ティムルの置かれている状況は大体把握した。これ以上エンダさんから得られる情報は期待できないだろう。
だけど最後に、ある意味最も不思議なこれだけは聞いておかなきゃいけないよな。
「それで? エンダさんはなんで俺たちにこの話を持ってきた? 俺たちに何を期待してこの話を聞かせたのかな?」
俺よりもずっと事情に詳しく、ずっと以前からティムルの状況を把握しているのに、なぜ自分で動かず俺たちに話を持ってきたのか。
ぶっちゃけ想像はつくけど、ちゃんと自分の口から言わせないとね。
「……どうか、どうかティムル様を助けていただけないでしょうか? あの人がいなければシュパイン商会はやっていけません。どうか、どうかおねがいします……!」
「ティムルを助けて欲しい、ねぇ……」
待っていましたとばかりに、俺に懇願してくるエンダさん。
ティムルが優秀だなんて、そんなことは言われなくても分かってんの。
俺が聞きたいのは、なんで俺なんかに話を持ってきたのかって部分だよ。
「それはエンダさんからの個人依頼って事でいいの? シュパイン商会は関わってないって言ってたし」
「……は? 依頼、でございますか……?」
俺の言葉が予想外だったのか、驚いた表情で固まるエンダさん。
なんでびっくりしてんだよ。お前商人だろうが。報酬も無しに人にお願い事をする気かよ?
「シュパイン商会なんて大商会と敵対するリスクがあるんだよ? 安請け合いできる訳ないでしょ?」
心配そうに事の成り行きを見守っているニーナに、エンダさんに気付かれないくらいに小さく頷いてみせる。
大丈夫だよニーナ。ティムルを見捨てる気なんてないからね。
「ってことで報酬の話からはじめよっか。いくら出せるの?」
「報酬、報酬ですとぉ!? 貴方は、貴方はティムル様のご友人でございましょう!? 友を助けるのに……、貴方は見返りを求めるというのですかっ!?」
立ち上がって声を荒げるエンダさん。
友情とは見返りを求めない。その考え方は立派だよ?
……だけどさぁ。俺がティムルの友人なら、エンダさんはティムルのなんなのよ? 自分の店が潰れたところを拾ってくれた恩人じゃなかったの?
「自分は何も動く気がないのに、同情を誘って俺にはタダ働きをさせ、帰ってきたティムルをまた商会でこき使う気? いいとこ取りしようったって、そうはいかないよ?」
「わ、私は、私はティムル様に留守を任されているのです! 私が動いてティムル様の帰る場所を失ってしまっては、本末転倒ではないですかっ!」
「それは逆でしょ。ティムルの留守を守ってティムル本人を守れないほうが、よっぽど本末転倒だよ」
俺の言葉に言葉を詰まらせるエンダさん。
なるほど、店を潰すわけだ。
エンダさん。残念だけどあんた商才無いよ。
「……まぁいいや。情報提供には感謝するね」
これ以上ここに居ても仕方なさそうだ。用事も済んだし家に帰ろう。
「俺もティムルの友人として、力になりたい気持ちはあるからさ。依頼する気になったら是非連絡して。報酬はある程度勉強してもいい。それじゃ行こうかニーナ」
「は、はいっ。ご主人様っ」
俺が席を立つと、慌てた様子で立ち上がるニーナ。
エンダさんを見ると、何か言いたそうな、でも言葉が見つからないといった様子でこちらを睨みつけてくる。
うん、この様子じゃティムル救出の依頼が来ることはなさそうだね。
ずっと何か言いたそうにしているニーナに、家に帰るまで待ってとお願いして、2人黙って帰宅する。
施錠をして、邪魔者が入る心配がなくなってから、改めてニーナと話をする。
「わざわざ家に戻ってから話すってことは、何か考えがあるんだよね……?」
ニーナがまるで俺を責め立てるかのように詰め寄ってくる。
年がひと回りくらい違うのに、随分仲良くなったよなぁこの2人。
「ダン。ティムルをこのまま放ってなんておけないよ? 依頼なんかなくったって、私はティムルの力になりたいっ」
「俺も依頼なんかどうでも良いんだけどね。あれはむしろ商会側への楔みたいなもんだよ」
ニーナの頭をぽんぽんとして、俺もニーナと同じ気持ちだよと笑いながら、改めて俺の考えをニーナに共有していく。
「さっきのは、自分にはティムル救出の意志がなかったという客観的な事実を、エンダさんの心理に打ち込んでおいただけ。ティムルを助けた後に変な横槍を入れられたくないからさ」
「え? え? 楔? 横槍? ……ダンの言ってること、よくわかんないよぅ?」
俺の言葉に首を傾げて混乱しているニーナ。可愛いなぁもう。
でもそんな難しい話じゃないんだ。
俺の思ってる救出とエンダさんの思ってる救出は、結果が違うっていうだけの話だよ。
「前から思ってたことだけど、今回はいい機会だと思う。ティムルはシュパイン商会に居るのが幸せだとは感じてないようだし、シュパイン商会もティムルの事は切り捨てたらしいからね」
ステイルークを思い出してちょっと気分が悪くなる。
ティムルはニーナみたいに呪われてるわけでもなのに、何で同じような展開になるんだよ……!
「だからニーナの時みたいにさ、誰も要らないなら俺たちで貰っちゃおうって思ったんだ」
「私たちで、貰う……? ごめんダン。もうちょっと詳しく説明して?」
俺にティムルを救出する気があると知って、ニーナの顔が真剣みを帯びる。
「ティムルに現状を聞いてみないと確定ではないんだけどさ。シュパイン商会が手を引いた結果、ティムル個人に盗品の賠償請求がいくことになると、シュパイン商会に賠償金を都合してもらえないティムルは恐らく借金奴隷になるでしょ?」
こっちの司法の基準は分からないけど、職業も変わってないらしいし、恐らく証拠不十分で犯罪奴隷まではいかずに済むだろう。
そもそも実行犯がいるのにティムルが拘留されてるのがおかしいわ。
「で、借金奴隷に落ちたティムルを、俺が買っちゃおうかなって話だよ」
ステイルークでの話と同じ流れなら、結末だって同じにしてやればいい。
自分のときと完全に同じ流れだった為か、ニーナの表情にも理解の色が広がっていく。
「……勿論、ニーナが了承してくれるなら、って話になるけどね?」
ニーナがティムルを拒むとは思っていない。けれどティムルを購入するということは、もう俺とティムルは友人関係ではいられないと言うことを意味するのだ。
そのことをニーナに確認しないわけにはいかなかった。
「ティムルはニーナの呪いも知ってるし、同居しても問題にはなりにくいと思うんだ。だからあとは……、俺とニーナが受け入れるかどうかって、そういう話になると思う」
俺はラブコメの鈍感系主人公様ってわけじゃないからな。
俺なんかの何がいいのか分からないけど、ティムルの好意はずっと感じていた。というかグイグイ押し付けられてた。
奴隷契約をして一緒に住むようになったら、きっと俺は……、彼女を拒めない。
俺の言葉を聞いたニーナは、俯いて大きく息を吐いたあと、勢い良く顔を上げた。
「……あーもう、悔しいなぁ! 私だけのダンでいて欲しかったのになぁ」
だけどその表情は、俺の予想に反して眩しいくらいの笑顔だった。
「いつかこうなるんじゃないかってずっと思ってたけど、やっぱりこうなっちゃったかぁ……。んもーっ!」
なぜか最高の笑顔だけど、それでもやっぱり怒ってるよね……。
笑顔のニーナに頭を下げて、心から謝罪する。
「ニーナが怒るのは当然だよ。俺も偉そうなことを言ってニーナを連れ出したくせに、他の女性に手を出すようなことになってしまったんだから。ティムルを助ける為なんてのは、きっと言い訳でしかなくてさ……」
「ううんダン。ダンのやろうとしてること、私は賛成なのっ」
俺の懺悔を遮って、ニーナが力いっぱい抱きしめてくる。
「ニー……、ナ?」
「ティムルを助ける為にティムルを買うこと。それをきっかけにティムルと商会の縁を切ること。私も賛成なんだよ。でもね、それが悔しいの」
賛成だけど悔しい? 表情は笑顔で全然悔しそうには見えないけど……。
ごめんニーナ。ちょっとよく分からないよ。
「ティムルと一緒に生活するのが楽しみで、ティムルと同じ人を愛せるのが、凄く嬉しくて、悔しい。私だけのダンって思ってたのに、ティムルがダンを好きで、ダンもティムルを受け入れてくれるのが、すっごく嬉しくて悔しいのっ」
嬉しくて、悔しい。難しいなぁ。
自分だけで独占しようと思っていたものを誰かと共有することになって、それを嬉しく感じてしまうことが悔しい。
うん、難しいなぁ。
「まぁティムルとのことがどうなるかは、ティムルを助けてから考えようよ。もしかしたら、適度な距離を保って接することが出来るかもしれないし?」
「ダンー? それはありえないって、自分でも思ってるでしょー?」
日和った俺の言葉を、少しイジワルな笑顔を浮かべて否定してくるニーナ。
うん。自分で言ってて可能性は低いと思う。
「大体ティムルがダンに惚れてるのなんてとっくに分かってるんだから。それでピンチを助けて、しかも所有物にされちゃったら、もうダン以外の男に興味なんてなくなっちゃうだろうなぁ?」
ニーナの声に俺を責めるような感情は感じないけど。
それでもやっぱり申し訳ないし、気まずいなぁ。
「ダンは私以外の女の人にも興味津々なんだよねー? まったくもう、いったい何人女の子を泣かせる気なのっ?」
「……返す言葉もございません。しっかり捕まえておいてくれると嬉しいよ」
頭を下げる俺に、ニーナがまるで所有権を主張するように、激しく唇を押し付けてくる。
彼女の想いに応えるように舌を絡ませながら、これでティムルも増えたら普通に身の危険を感じてしまうなぁ、なんてことをぼんやり思ったのだった。




