042 ※閑話 おかしなご主人様
ニーナ視点。
時系列は033の前、ティムルがネプトゥコへ向かう前です。
「卵、砂糖、ミルクはあるのか。小麦粉もあるな。でも生クリームは無いしオーブンもない。果物やハチミツは普通に売ってる。チーズはあるけど……、バターは無いかぁ。この状況で作れそうなものは何かなぁ」
ダンはお店に並んだ食材を見ながら、ウンウンと唸っている。
今日は魔物狩りはお休みの日。
だからダンと一緒にマグエルの市場に食材の買出しに来たんだけど、ダンったら随分熱心に市場を見て回ってるみたいなの。
「う~ん……。食材が無いのもキツいけど、実際は調理器具のほうが致命的だよねぇ」
唸りながらも色々な食材を購入するダン。作るものが決まったのかな?
ダンは特別に料理が上手いわけじゃないけど、別に下手って事もない。
そんなダンはたまに変わった料理を作ってくれる事があって、そのどれもが初めて食べる料理なの。だからダンの作る料理はちょっとだけ楽しみっ。
「ご主人様。またなにか振舞ってくれるんですか?」
「あー、まぁそのつもりなんだけど、ちょっといいものが思いつかなくて悩んでるんだ。前に住んでた場所とは食材も調理器具も全然違うから、俺の作れる物ってあんまりなくてさぁ」
ダンのいた世界の料理かぁ。
ダンのいた世界は音と光が溢れていて、人は空を越えて夜空の星にまで出かける事が出来る世界なんだって。
そんな世界と比べちゃうと、この世界は不便で仕方ないんだろうなぁ。
「パンは普通にあるんだよなぁ。じゃあピザとか菓子パンとか? ただ窯なんて使ったこともないし、自分で組めるわけでもないし……」
次々とダンの口から零れてくる様々な料理の名前。
そのどれもがどんな料理なのかも分からないのに、なんとなくどれも美味しそうなの?
「う~ん、無い物ねだりしても仕方ないし、出来る範囲でやるしかない、かぁ……、もう少しくらい料理しておけば良かったなぁ」
ダンの顔を横から盗み見てみる。うん、変な悩みじゃなさそう。
ダンはいつも色々な事を考えるけど、たまに悩みすぎてどんどん磨り減っちゃう時がある。そうなるとダンは自分だけじゃ調子が戻せなくなるの。
ダンが沈んじゃった時は私が無理矢理にでも引き上げてあげないと、ダンはどこまでもどこまでも、たった1人で沈み続けてしまう。
ダンっていっつも誰かの為にしか悩むことがない。
何にも悪いことしてないのに、何かしてしまったと自分を責め続ける。
だけど今悩んでいるのは、自分がしたい事が上手く出来ないって感じかな? 前向きに悩んでるみたい。
「ごめんニーナ。ちょっとティムルのとこ寄っていいかな? どうせアイツもうちで毎晩夕飯食ってるし、ちょっと協力してもらおう」
食材は買ったのにシュパイン商会にも行くんだ? 何か思いついたのかな?
「勿論構いません。何をするのか分かりませんが楽しみにしてますね。ご主人様っ」
期待に胸を膨らませながら、ダンと一緒にシュパイン商会のお店に向かった。
もうすっかり見慣れた店舗に入り、ティムルに取り次いでもらう。
もう何度もこの店には来ているし、店員さんたちの取次ぎもスムーズになった。
「お客様ー? こう見えて私、この店で1番偉い人なんですけど? そう簡単に取り次いでもらっちゃ困りますぅ」
「毎晩うちで夕食食ってくタダ飯喰らいの間違いだろ? 気安く扱われたくないならウチにも気軽に訪問してくるなっつうの」
挨拶代わりに軽口を交す2人。
ティムルとダンは、私とダンより年が近い。
だからなのか、2人の関係は遠慮がなくてとっても気安い気がするの。
「今日はちょっとお願いがあってさ。作ってもらいたいものがあるんだよ」
ふんふん。どうやらダンは調理器具の注文に来たみたい。注文と言っても特注品みたいだけど。
私たちにはティムルくらいしかツテがないけど、そのティムルが大商人だから、大抵の事はティムルに頼めば解決しちゃうのっ。
身振り手振りを交えたダンの説明に、納得したように頷くティムル。
「うん、構造は単純だし簡単に作れると思うわ。でもそんなもの作って、いったい何に使うわけ?」
「一般に流通させても仕方ないと思うよ? 俺が個人的に使いたいってだけだから」
商売人としてのティムルの質問をバッサリ切り捨てるダン。
2人の話を横から聞いていたんだけど、どうやらダンは薄手のフライパンを2枚重ね合わせたようなものが欲しいんだって。
う~ん、確かにそんなもの、何に使うんだろ?
後日、ティムルが出来上がった調理器具を持ってきた。
その手には先日ダンが説明していた通りの、フライパンを重ね合わせにしたような不思議な道具が握られている。
あれ? 思ったよりもずっと小さい。それにかなり薄い? ダンはこれで何を作ってくれるのかな?
「へえ。思ってたよりずっとイメージに近いよ。ありがとう」
ティムルが持ってきたよく分からない調理器具を、ダンは嬉しそうに笑顔で受け取っている。この変な道具はダンの想定していた物で間違いないみたい?
だけど……、私にはどう使うのかさっぱり分からないの。
「それじゃさっそく使ってみる。失敗したらごめんね」
心なしか少しうきうきした様子で、ダンは炊事場に消えていった。
ダンがこの場から去った後、ティムルと顔を見合わせる。
「うーん。不安だったけど、ダンの反応を見る限りあの形で間違いないみたいね。でもあれでどんな料理が出来るのか想像できないわ。ニーナちゃんはなにか聞いてる?」
「聞いてないですね。私もティムルが持ってきた調理器具を見て驚きましたし。でもご主人様が楽しそうにしていましたので、多分期待できると思いますよ」
失敗しなければ、だけどね。
ダンは料理が特別得意ってワケじゃないから、ダンの世界の料理を再現しようと思っても、なかなか成功しないんだよなぁ。
元の世界では殆ど料理をしたことがないって言ってたし。
そんな心配をしながらティムルと話していると、炊事場の方から甘い香りが漂ってきた。
……あれ? なんだかいい匂い?
「なんだか甘い匂いがしてきたわね……。これってダンが作ってる料理の匂い、よね?」
「恐らくは。今日は特に何も用意していませんでしたし……」
ティムルと2人、思わず匂いの元であろう炊事場の方に目を向けてしまう。
う~、甘くていい匂い。お腹空いてきちゃったよ~。ダン、まだなの~?
立ちこめる甘い匂いにお腹がくぅくぅ鳴り始める。
もう匂いだけで口の中がヨダレでいっぱいになったタイミングで、ダンがお茶を持ってやってきた。
「間もなく出来るから先にお茶を持ってきた。結構甘いと思うから、お茶を飲みながら食べると良いと思うよ」
やっぱり甘いのっ!? 甘いものは好きー。
街で買い物できるようになって、世界にはこんなに甘い物が沢山あるんだなぁってびっくりした。
家に居た頃は、森で取れる果物が世界で1番甘い食べ物だったのに。
お茶を用意したダンは、すぐに白い皿に載ったお料理も持ってきてくれた。
「2人ともお待たせ。俺のいたところではフレンチトーストって言われてた料理だよ」
うわわっ!? なにこれ、すっごい甘くていい匂い~っ!
「結構ボリュームがあるから、夕飯代わりでも大丈夫だと思うんだ。だからオヤツじゃなくて、食事として食べていいからね」
ダンは私とティムルの前に、厚く切られたパンの載ったお皿を置いてくれる。
わぁ。なにこれ? 焼き目のついたパン? でもナイフの先でつついてみると、凄く柔らかい。焼き目がついているのに柔らかいパン? どういうこと?
つついた拍子にパンから広がる甘い匂いが堪らない~っ。
もうダメ。我慢できないよぅ……! まだ食べちゃダメなの……?
「あ、2人とも先に食べててね。流石に全員分は1度に作れなかったからさ」
召し上がれ、と私とティムルに両手を広げて見せるダン。
もう、そういうことは先に言ってよねっ。無駄に我慢しちゃったじゃないのっ。
ティムルと同時に動き出し、甘い匂いを発する目の前のパンに、まずはナイフを入れてみる。すると何の抵抗もなく、ナイフはパンに沈んでいった。
うわぁ……。手応えがないくらい柔らかいの……!
ナイフを入れると、また部屋中に甘い匂いが立ち込める。
ヨ、ヨダレが出ちゃいそうだよぉ……。
だからヨダレがたれてくる前に、切り取ったパンを思い切って口に運ぶ。
……ん、んんんん~~っ!
な、なにこれ~~~っ!?
「「お、おいし~~っ!」」
ティムルと一緒に思わず大声をあげてしまう。
ふわふわで、口の中で溶けちゃう。甘くて、ふわふわで、まるで夢の中にいるみたいな気分なのっ。
はぁ……、口の中が甘さと幸せでいっぱいなのっ。
そのあまりの美味しさに、ティムルと向き合って座ったまま、2人で手足をバタバタしてしまったよぅ。
「甘すぎなかったかな? 初めて使う調理器具だから少し心配だったけど、やっぱりホットサンドメーカーは使いやすいよねぇ」
ダンが何か言っているけど全然頭に入らない。
口の中の甘さと美味しさに集中する為に、外部の情報がシャットアウトされてるみたいなのっ……!
「おかわりが欲しいときは言ってね? 作るのは簡単だからさ」
「「欲しいっ!」」
「2人ともまだひと口しか食べてないでしょ! 結構ボリュームあるんだから食ってから言えってば!」
ひと口食べたんだから判断材料はもう充分でしょっ。
早く早くっ! こんなに美味しいもの、すぐに無くなっちゃうってばっ!
料理してくれるダンを急かすように、私とティムルは目の前の料理を平らげたのだった。
夕食後、膨れ上がったお腹を擦りながらぐったりしている私とティムル。
う~……。食べ過ぎちゃったよぅ……。
私とティムルはそれぞれ3枚も食べちゃって、すっかりお腹いっぱいになっちゃった……。
「ダン! なによこれは!? 貴方記憶喪失だったんじゃないの!? レシピ教えなさいよレシピ!」
「ごめん。記憶喪失だからレシピは覚えてないんだ。まぁ頑張って再現してよ」
お腹を擦りながらダンに詰め寄るティムルと、それを飄々と躱すダン。
ねぇダン。真正面から記憶喪失を盾にするなんて、記憶喪失の人はやらないと思うの?
いつも通り一緒にティムルを送り返した後に、今日の夕食の話題になる。
「2人とも気に入ってくれたようで何よりだよ。あの料理は比較的失敗しにくい料理でね。多分大丈夫だとは思ってたけど、美味しくできて安心したよ」
良かったと胸を撫で下ろしているダン。
ってちょっと待って!? あ、あんなに美味しい料理が、失敗しにくい料理なの……!?
「うん。あっちじゃ殆ど料理しなかった俺でさえ簡単に作れる料理だからね。作り方さえ知ってればニーナの方が上手に作れるんじゃないかな?」
え~? それはちょっと信じられないの。
あんなに甘くて美味しくて、まるでダンと出会ってからの日々みたいな味のお菓子、私に作れるとは思えないよぅ。
「ニーナって結構甘いものが好きみたいだからさ。あっちのお菓子を何か作ってあげたかったんだよねぇ。でもバターや生クリームもないし、オーブンもないから、俺に作れるお菓子ってあまりなくってさぁ」
ダンが言っている事はほとんど分からなかったけど、作れるお菓子は、あんまりない?
それってつまり、少しは作れるって事……!?
「異世界と言えばプリンなんだけど、俺ってプリンは作ったことないからさぁ。多分蒸せばいいんだろうけど、試してみないと出せないよね」
プリン? 蒸す?
よく分からないけど、なんだかダンも機嫌が良さそう?
「今回作ってもらったホットサンドメーカーはホント便利なんだ。流石に元の世界の物と同じ水準ではないけど、俺が思っていたよりずっと近いものを用意してもらえてね? 用意してくれた職人さんには感謝しかないよ」
まるで新しい玩具を自慢するみたいに、ホットサンドメーカー? の素晴らしさを語り始めるダン。
ええ? こんなフライパンを重ね合わせただけにしか見えない道具で、なんであんなに美味しいものができちゃうの~?
「ニーナに食べさせる前に練習しなきゃいけないけど、これのおかげで結構色々なものが作れるんじゃないかなって思うんだ。楽しみにしてて」
ダンは作ってもらったホットサンドメーカーを使いたくて仕方ないみたい。
私に何かを作りたいと言うよりも、ホットサンドメーカーを使いたいって気持ちの方が強くないかなー?
……だけど、色々作れる? 楽しみにしてて?
この道具があれば、こんな料理がいっぱい食べられちゃうのっ!?
あ、あんまりこんなこと言っちゃいけないと思うんだけど……。
こんなに美味しいものを食べられるなんて……。私……、呪われて生まれてきて、良かったかも……?




