039 魔法使い
フラッタを送った後にニーナによる上書きマーキングの刑を執行され、ご褒美なのかお仕置きなのかわからないけど寝室でたっぷりと捕食されてしまった。
ようやくニーナの気が済んだようなので、ここは真面目な話でもして休憩を少しでも長引かせようじゃないか。
「今回フラッタのせいで予定外の出費を強いられちゃったけど、魔玉が丸々残っているうちはなんとなく余裕が持てていいね」
「うん。光ってる魔玉が5つもあるの。フロイさんの言う通りなら、これで25万リーフになるんだよね?」
ニーナの手には仄かに光る魔玉が5つ。これが俺達の切り札であり、へそくりだ。
ここ2ヶ月で魔玉を5つ光らせる事に成功している。だけどまだ1度も販売したことはないので、魔玉の売値に関してはフロイさんから教えてもらった情報を参考にしている。
25万リーフと言うと凄まじい大金に聞こえるけど、実際は全身の装備品を揃えるのにギリギリ足りる程度のお金でしかない。
副収入として考えるなら高額だけど、これを目当てに魔物狩りをするのは少々心許無い金額だと思う。
「何か使い道は決めてるのダン? それともこのまま貯めておく?」
「ニーナに貧乏暮らしさせて申し訳ないけど、これはギリギリまで取っておきたいと思ってるんだ。今の俺たちはお金に苦労する生活はしてないしさ」
年末に必要なお金はまだまだ足りていないけど、生活費には余裕がある。魔物狩りにも余裕が出始めていて装備品を更新する必要性も感じていないからね。
「幸い俺たちは他の人と比べて強くなるのが早い。これからも報酬は増えていくと期待できる。だから魔玉は貯めておいて、もうダメだって時の切り札にしよう」
「そうだね。自由に転職が出来るおかげで、装備品を更新しなくても魔物狩りが随分と楽になってきたの」
「生活費だけならドロップアイテムで充分稼げてるしね。いつでも換金できる魔玉の存在は、俺たちの心に安心感を与えてくれると思うんだ」
お金がなくなると心にも余裕がなくなっちゃうからね。余裕は大事。
それに装備品って小刻みに更新するよりも、お金を貯めて一気に更新した方が金額的な効率が良かったりする。戦力に余裕があるのならチマチマと更新するのはあまり良くないのだ。
「税金と家賃で今年中に15万リーフ貯めなきゃ、ってなった時はどうしようかと思ったけど、今の私たちなら普通に稼げそうだもんね。まだ4ヶ月は余裕があるしさ」
旅人、戦士、商人あたりがLVMAXになるのと同時くらいに、魔玉の魔力が貯まりきるようなペースかなぁ?
2ヶ月で5つ。単純計算で年末までには更に10個ほど貯められるはずだ。
マグエルまでの道中よりもスポット内の敵の方が強いんだから、更なるペースアップだって期待できるはず。
「ただ……、狩場をどうするかが問題だよねぇ」
効率よく稼ぎたいのならなるべく奥に進むしかない。けれど奥にいくほどに魔物は強くなって命を落す危険性は高まっていく。
このあたりのバランスをどのように判断していくべきだろうか。
「フラッタを拾ったあたりでも戦えるとは思うけど、あの時相手したマーダーグリズリーはかなりの強敵だった。あれがフラッタが奥から引っ張ってきた魔物なら問題ないんだけど、そんなの確かめる術もないしさ」
「う~ん。1対1ならダンが負ける事はないと思うけど、問題は数だよね……」
お、マーダーグリズリー相手に負ける事はないと思われているみたいだ。ちょっと嬉しいな。
ただニーナの言う通り、他の魔物狩りと連携するという手段が選べない俺達にとって、魔物の群れこそが問題なんだよなぁ。
入り口付近での戦闘ならもう多勢に無勢でも慣れたけど、例えばマーダーグリズリーが複数表れた場合とかに対処できるかどうか……。
「フラッタと出会った付近は、今の私たちでも問題なく戦えるけど何かの拍子に事故が起こりえる、ってくらいの場所かも?」
ニーナが今回の遠征で到達した、フラッタと出会った付近の難易度についてまとめてくれた。
でも、う~ん……。凄く微妙なラインなんだよなぁ。
あの場所って俺とニーナの2人で自力到達してるわけだし、普通に考えれば問題ないはずなんだ。
だけどフラッタと出会ったことで、あの場所の適正な魔物っていうのがちょっと判断しにくい状態なんだよね。
「2人でスポットに入ってるのなんて私たちくらいだもんねぇ。他は最低でも4人、10人以上でアライアンスを組んでる人たちも少なくないしさ。ウェポンスキルとかで、広範囲をまとめて攻撃できたら良いんだけど……」
少人数の俺達に範囲攻撃は欲しいよねぇ。ウェポンスキルじゃなければ範囲攻撃魔法とかさぁ。
魔法ねぇ。フラッタの話を聞く限りでは、MPを使い果たせば魔法使いの条件を満たせそうなんだけど。
MPの消費って具体的にどうすればいいのか……。スキルの使用でも魔力を消費してるのかなぁ? 明日ちょっとニーナに協力してもらおう。
今晩のニーナには、脳内に燻ってるフラッタの残り香を消す方向で協力してもらいましょう。ニーナも乗り気みたいですし?
休憩の終わりを宣言するかのように、俺はニーナの上に覆いかぶさるのだった。
翌朝。
ある意味フラッタとの訓練の時よりもボコボコにされたおかげで、もう俺の頭も体もニーナ一色に戻った気がする。
……ニーナのおかげで即死は免れたけど、フラッタってホントヤバいわ。傾国の美女ってフラッタのことを言うんだろうなぁ。
朝食の後、庭でニーナと対峙する。
転職の条件も判明したことだし、陽炎を用いて魔法使いの条件達成にチャレンジしてみることにしたのだ。
「ご主人様ー。準備は宜しいですねー」
「いいよー。フラッタで試した感じだと陽炎って俺が攻撃するか、もしくは相手に攻撃されるかで解除されちゃうみたいだからさ。沢山使って慣れておきたいんだ。宜しくねー」
陽炎の発動で魔力枯渇を引き出す作戦、スタートである。
攻撃によって解除されるとは言っても、俺たちはお互いを攻撃するのは気が引けるので、ニーナが俺に突進して抱きついてくるという方法で妥協してくれた。
妥協してくれたのかな? これってちゃんと攻撃判定されるんだろうか?
疑問に思いながらも試してみると、これでも陽炎がちゃんと消費されることが確認できた。
抱きついてきたニーナを受け止め、そのままぎゅーっと抱きしめる。
「これは確かに少し気持ち悪く感じますね。ぶつかる直前まで、ご主人様との距離が正しく認識できないと言うか……」
「ニーナの事はちゃんと受け止めるから、遠慮しないで飛び込んでおいで。いやぁこれ、最高の訓練だねぇっ!」
自分から胸に飛び込んでくるニーナを抱きしめて、更には魔法使いにもなれるなんてボーナスステージか何かですか?
……なぁんて軽く考えてたんだけど、5回目を越えた辺りから急激に具合が悪くなっていき、陽炎7回目の発動で眩暈までしてくる始末。
最早抱きついているニーナの感触を楽しむ余裕すらない。
それでもニーナが離れたあとに陽炎を発動すると、平衡感覚すらなくなって思わず膝をついてしまった。
「ご、ご主人様!? 大丈夫ですか!?」
「……ごめ、ちょ、余裕ない……。でも、もういっか、い、お、ねがい……」
「……ご主人様、参りますねっ」
膝を着いた俺に、勢い良くニーナが抱きついてくる。
「く、う……」
伝わる軽い衝撃。恐らくかなり手加減してくれたのは間違いない。
でもその衝撃はまるで魂に直接与えられたみたいで、寒気がするほどの1撃だった。
……それでも再度陽炎を発動する。
視界がぼやける。自分の体の奥の、とても大事な何かを失くしてしまったような喪失感。
気持ち悪いだけじゃない。心が絶望で塗り潰されている。
まだか……。まだ終わらないのか……。
「……行きます」
遠くから聞こえるニーナの声。そして直ぐに伝わる軽い衝撃。
だっていうのに、その衝撃で体がバラバラになりそうだ……!
手足の感覚が覚束ない。
抱きついているはずのニーナの感触が伝わってこない。
それでもただ機械的にもう1度陽炎と念じる。しかし陽炎は発動しなかった。
どうやら俺の中には、もう魔力なんて残っていないらしい……。
「ご主人様。能力、発動していませんよね? これで終わりで良いのですよね……?」
最早どこから聞こえてくるのかすら曖昧なニーナの声に、気力を振り絞って小さく頷いてみせる。
「……お疲れ様でした。このまま安静にしていてくださいね……」
ごめんねニーナ。言われなくてもちょっと動けそうにないよ……。
気を失いそうなほどに体中の感覚が曖昧なのに、猛烈な具合の悪さが気を失うことを許してくれない。
なるほど。フラッタが言ってた通りだ……。死にはしないけど、確かに死ぬほど具合悪い……。
それでもしばらく安静にしていると、少しずつ状態が改善してくる。
魂の喪失感は薄れ、手足の感覚は戻り、ぼやけた視界も元に戻ってきた。
まだとても動く気にはなれないけど、職業設定を起動し職業を確認してみた。
魔法使いLV1
補正 魔力上昇-
スキル 初級攻撃魔法
来てた……。やった……。良かった……!
嬉しいよりもほっとするよ。こんな想いをしたのが無駄になったらやりきれないってば。
魔法使いを無事に獲得できた安心感と、魔力枯渇を起こした疲労感もあって、そのまま地面に大の字になって少しだけ俺は意識を手放した。
どの程度眠っていたのか、目が覚めるとまだ周囲は朝の雰囲気を漂わせており、俺の頭はニーナに膝枕してもらっていた。
最高の目覚めだ。具合の悪さも残ってない。
「良かった。このまま目が覚めなかったらどうしようかと……」
……だけど俺を見下ろすニーナの瞳には、今にも零れそうなほど大量の涙が溜まっていた。
「ご主人様に抱きつくのがあんなに辛いと思ったのは初めてです……」
俺が目を覚ました事に安心したのか、ニーナの瞳に溜まっていた涙が零れ出す。
俺も最高に苦しかったけど、ニーナだって苦しかったんだね。
って当たり前か。逆の立場なら俺だって苦しい。ごめんよニーナ。
「嫌なことさせてごめんね。でも無駄じゃなかったよ。ニーナのおかげで、どうやら俺も無事魔法使いになれたみたいなんだ」
「……例え必要な事であっても、今回のようなことは2度としたくないですからね? お願いだからさせないでください……」
溢れる涙にも構わずに、悲痛な表情で俺に懇願してくるニーナ。
……参ったな。本当に参った。
ニーナを守る為に力を求めてるのに、そのせいでニーナを泣かせるようじゃ本末転倒だ。
右手を伸ばし、ニーナの零れる涙を受け止める。
「ニーナありがとう。もう大丈夫。同じ事はもうしないから。もうニーナを泣かせることは絶対にしないからね」
膝枕は名残惜しいけど、今は寝てる場合じゃないよなぁ。
体を起こしニーナを抱き上げ、俺の足の上に横抱きにして頭を撫でる。
「今回も絶対に安全なのが分かってたからやったんだよ。仮に俺が動けなくなっても、ニーナの傍なら安心だからね。大丈夫。なんともない、なんともないからね」
「分かってる。分かってるけど、ダンが本当に辛そうで、見てられなかったの……」
寝室の外、しかも屋外だっていうのに素の口調になるニーナ。奴隷モードを忘れるくらいに動揺……、いや憔悴しちゃってるな。
う~ん。ニーナをここまで消耗させてしまうなら、俺1人でやるべきだったかなぁ。
でもあの状況で何かあったら俺は完全に無防備だ。そう考えると、やっぱり心から信頼できるこの人の傍でしか試せなかったよなぁ。
「私が抱きつく度にダンの顔色が悪くなって、それでもやらないとって。ダンが頑張ってるのに、私がやめちゃったら意味がなくなるんだって。でも本当に見てられなくて……!」
ニーナが泣き止むまで溢れる彼女の言葉を受け止め、背中をぽんぽんと叩き、頭をなでなでし続ける。
今日はもう何も出来ないかな? このまま好きなだけ甘えさせてあげよう。
「ニーナ、よく頑張ったね。おかげで俺も魔法使いの試練を乗り越えることが出来たんだよ。ありがとう」
「……嬉しくないの。あんなのやりたくなかったの……」
あー、こりゃだめだな。この話題じゃ何を言っても機嫌を直してもらえそうもないや。話題を逸らさせてもらうとしよう。
「話は変わるけどさ。ニーナも見てたから分かると思うけど、すっごいキツかったんだよあれ。貴族の人たちって、あれを記憶に残らないくらい小さい子供に強制的にやらせるらしいけどさ、酷いと思わない?」
「……酷い。すっごく酷いと思う。大人のダンでもあんなになったのに、子供だったら耐えられないと思うの……!」
ニーナの怒りを発散させる方向に話題をシフトする。
悪いね貴族の皆さん。ニーナの怒りの矛先を、ニーナ自身から皆さんに変えさせてもらうよ。
「記憶に残らないうちに行うのは、ひょっとしたら親心なのかもしれないけど……。さっきのダンを見たら、やっぱり酷いと思っちゃうよぅ」
「ひょっとしたら、親も覚えてないから辛さが分からないのかもしれないよね。そして子供の様子を見て、自分はなんて事をー、みたいな?」
「そう言えば、今まで出会った魔法使いの人たちは誰も辛い記憶がなかったね? 覚えてたら、自分の子供に同じ事は出来ないのかなぁ」
普通に話せるようになってきたかな? 涙も止まってくれたみたいだし、ようやく落ちついてきてくれたみたいだ。
さてと、このまま庭で抱き合ったままだと子供たちに見られそうだ。そろそろ家の中に移動しよう。
横抱きのままニーナを抱き上げて、お姫様抱っこで家の中に戻り、施錠して邪魔者を排除する。
ニーナを抱っこしたまま食堂の椅子に座り直して、なでなでぽんぽんを再開する。
「ベッドに運ばれるかと思った……。しなくていいの?」
「あは、魅力的過ぎる提案だねぇ。なんとなく勢いで誤魔化しちゃうみたいに思えて嫌だったんだけど、考えすぎだった?」
傷ついたニーナを情事で誤魔化してしまうなんて、そんなことは出来るだけしたくない。
ベッドに運んじゃうとニーナを気遣う余裕もなくなっちゃうからね。
「ニーナが落ち着くまで、これを続けるつもりだったんだけど……。ベッドに運んでもいいなら運んじゃうよ?」
「んーそうだなぁ。もう落ち着いちゃったけど、もうちょっと続けて欲しいのっ」
「はーい、仰せのままに」
腕の中のニーナは、なんだか楽しそうに俺の胸に頬ずりしている。猫かな?
っていうかニーナってなんの獣人なんだっけ? あとで聞いてみようかなぁ? それとも獣化した時のお楽しみにしておくかなぁ。迷うわー。
暫くして、頬ずりしていたニーナが上を向いてキスをねだってきたので、寝室に移動する。
俺の魔力枯渇を見ているのは相当なストレスだったのか、今日のニーナは凄く甘えたがった。
甘えるニーナは俺も大好物なので、夏の暑さも相まって、このまま2人で溶け合っちゃうんじゃないかと思うくらいに甘やかしてやったぜっ。
「っぷはぁ。今日のダン、いっつもよりもっと優しくて、好きぃ」
「俺も普段より甘えてくれるニーナが好きだよ」
甘えるニーナの両頬に何度も軽いキスを落す。
「ニーナはもっと甘えてよ。俺、ニーナに甘えられるの好きなんだよー」
ニーナをぎゅーっと抱きしめながら、もっと甘えてと耳元で囁いてあげる。
ニーナのこと、いっぱい甘やかしてあげたいんだ。
でもきっとニーナを甘やかすことって、俺がニーナに甘えてるってことでもあるような気がするね。
「いっつも甘えてるよ? もうめいっぱい甘えてるよ? これ以上甘えちゃったら溶けちゃうよぉ」
「なら今日は溶けちゃうくらいに甘やかしてあげるからね。溶けたニーナもちゃんと捕まえておくから、心配せずにトロトロになってよ」
宣言通りにニーナを抱きしめて、汗だくのままで溶ける様に肌を重ねる。
結局、俺がやりたい事をニーナが受け止めてくれているんだよなぁ。
そしてそんなニーナが愛おしくて、また甘やかしてあげたくなってしまう。
無限ループって怖くない? 永久機関はここにあった?
甘えるニーナを見ていると色々漲ってきてしまう。
やっぱりこれは永久機関。2人だけの永遠の時間。
大好きだよニーナ。もう君がいなくちゃ1秒だって生きていけそうもないよ。