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【全年齢版】異世界イチャラブ冒険譚  作者: りっち
5章 王国に潜む悪意2 それぞれの戦い
332/637

332 ※閑話 幸せの前日譚

※閑話。リーチェ視点。

 時系列はリーチェがまだエルフェリアを旅立つ前、455年以上前の記憶から、054で語られなかったニーナとの就寝までです。

 珍しく時間が取れたらしい姉さんに、久々に剣の稽古をつけてもらう。


 だけど姉さんは少しウンザリしたような表情を浮かべ、ぼくに見えるようにはぁ~っと息を吐いた。



「……リュート。もう稽古はお終いよ。剣を収めなさい?」


「え~っ!? そんなぁ~……! せっかく久しぶりに姉さんが手合わせしてくれてるのにぃ~っ!」


「私が疲れたのよ、まったく……。貴女いったい何時間剣を振れば気が済むの?」



 外面がいい姉さんが家族にだけ見せる、疲れたような呆れた笑顔。


 エルフ族の代表として忙しく走り回る姉さんが稽古をつけてくれるのが嬉しくて、姉さんの迷惑になる事が分かっているのに、つい我が侭を言ってしまう。



「ぼくならまだ平気だよっ! もうちょっとだけお願いだよ姉さんっ!」


「あーもうっ。リュートったらまたぼくなんて言ったりしてぇ。貴女はとっても可愛いんだから、もっと女の子らしくして欲しいんだけどなぁ~……?」



 姉さんはため息を吐きながら、もう稽古を続ける気が無いと見せ付けるように構えを解く。


 う~……! 流石に構えていない姉さんに切りかかる訳にはいかないよぅ……。



「誰より魅力的な姉さんがいるのに、今更ぼくが女性らしさを求めてどうするのさ。ぼくはもっともっと強くなって、いつか姉さんを守れるようになりたいんだっ」


「はぁ~……。そういうところが貴女の魅力なのは分かってるんだけどね……」



 姉さんの流れるような蒼い長髪の美しさには、見慣れたぼくでさえ息を飲んでしまう。


 アルフェッカの秘宝とまで呼ばれる姉さんの隣に居たら、ぼくなんか霞んじゃうってば。



「まぁいいわ。帰りましょリュート。貴女が中々許してくれないから、私もお腹ペコペコになっちゃったじゃない」



 微笑みながら差し出される姉さんの右手を握って、家までの道を2人で歩いた。


 若くしてエルフ族の代表の1人になった姉さんのことは本当に誇らしいけど、姉さんと一緒に過ごせる時間が減っちゃったのはつまんないなぁ。



 ぼくが生まれる前からエルフ族の族長補佐を務めていた両親は、あまり家に帰ってくることが出来なかった。


 だから自然と、幼いぼくの面倒は姉さんが見てくれることが多かった。



 姉さんが居たおかげで、ぼくは父さんと母さんが家にあまり居なくても、全然寂しくなんかなかったのにぃ~っ。



「……相変わらずリュートはいっぱい食べるわねぇ」



 この日は姉さんだけじゃなく父さん母さんも帰宅して、珍しく家族揃った夕食の時間。


 母さんが作る料理はとっても美味しくて、いつもお腹が苦しくなるまで食べちゃうんだっ。



 いっぱいになったお腹を擦っているぼくの隣りで、姉さんと父さん達がとても真剣な口調で話し始めた。



「それではやはり、ガルクーザを滅ぼさなければフォアーク神殿が利用できないということですか……?」


「そうだ。魔物は我ら人間に対して凄まじい殺意と執着を抱いているからな。隠れてやり過ごすことは出来ないだろう」



 邪神ガルクーザ。突如異界より現れた、凄まじい力を持った魔物。



 強力な魔物が居ても、本来であれば避けて通れば済む話。


 けれどガルクーザの場合、陣取っている場所が問題なんだ。



 ガルクーザが根城にしているのは、人々に職業の加護を与えるフォアーク神殿のすぐ近く。


 とても無視できるような状況じゃなかった。



 アルフェッカは総力を挙げて、フォアーク神殿を封じるガルクーザを排除する事を決定した。



「転職が行えなければいずれアルフェッカも滅ぶのみ。我らに選択肢は無いのだ……」



 フォアーク神殿から距離を離して複数の転職用魔法陣が設置されているけど、フォアーク神殿じゃないとなれない職業も少なくないんだ。


 姉さんと母さんがついている巫術士だって、フォアーク神殿で転職したらしいもんなぁ。



「各種族から代表者を1名ずつ選抜して、ガルクーザに挑むパーティを育成することになった。エルフ族の代表はリーチェ、お前だ」


「……はい。覚悟は出来ております。任せてください」



 各種族から最も武芸に優れた者を1名ずつ選び、6人でパーティを結成する。


 ガルクーザと戦う為に組織された、まさに選ばれた者だけのパーティだ。



 ガルクーザと戦う6人は職業の浸透を進めて力をつけていき、アルフェッカの住人全員で6人のサポートを行なっていくことになった。



 6人がフォアーク神殿を利用する間に、囮となってガルクーザを引き付けたりする人間も必要なので、サポートする側も決して安全じゃない。


 けれど、やらなければ滅びを待つだけになってしまうんだ……!



 エルフ族の代表として選出された姉さんは忙しさを増して、これ以降殆ど家に帰ってこなくなった。

 


 ……まさかこの日が、家族みんな揃って夕飯を食べた最後の日になってしまうなんて。




 選出されたパーティは蒼穹の盟約と名付けられ、ガルクーザとの決戦に備えて職業の浸透が進められていった。


 元々武芸に秀でた者たちが選出されたパーティだけあって、魔物を狩って浸透を進めるのは何の問題も無かった。



 問題は、ガルクーザがあまりにも強大すぎたことだけ……。



「この程度では……。この程度ではまだまだあの邪神と相対することすら出来ない……!」



 どれほど職業浸透を進めても、ガルクーザを滅ぼす見通しは全く立たなかった。



 転職する度に出る犠牲者。結果の出せない自分たちへの苛立ち。


 これじゃまるで姉さんも他のメンバーも、そしてアルフェッカ全体も、邪神に心を蝕まれているみたいだよ……!



「これ以上手を拱いている余裕は無い……! 一刻も早く邪神を滅ぼしフォアーク神殿を解放せねば、アルフェッカは滅亡してしまう……!」



 焦りと不安に駆られた蒼穹の盟約とアルフェッカは、とうとう禁忌に手を出してしまう。



 古からアルフェッカに伝わる、神に賜ったとされるレリックアイテム始界の王笏。


 己が身を犠牲にして、あらゆる存在を滅ぼしうると言われる神の杖。



 邪神を滅ぼす英雄になるはずだった6人は、いつしか邪神に捧げられる生贄になってしまった。


 彼ら自身も生贄になる事を望むほどにガルクーザは強大で、勝ち目が無かったんだ……。





 決戦の日のことはあまり覚えていない。


 決戦の前夜に帰ってきた姉さんが、泣きながらぼくを抱きしめて眠りについたことだけは今でも思い出せるけれど。


 けれど確かにガルクーザは討たれ、その代償として姉さんの……6人の英雄たちの命は、永遠に失われてしまった……。



 慕われていた英雄たちの死。


 ガルクーザが討たれるまでに払われた幾人もの犠牲者の命。



 せっかくガルクーザという脅威が取り除かれたっていうのに、アルフェッカの人々は心身ともに疲れ果ててしまった。


 そこでとある人間族たちがアルフェッカの主導権を握ろうと暗躍しても、疲れ果てたアルフェッカの住人は考える事を止め、流されることを選んでしまった……。



 だけど、そうしてアルフェッカがスペルディア家に掌握されたことが、誇り高きエルフ族には我慢ならなかった。



 なぜ選ばれしエルフ族が、他種族の下につかなければならない?



 こんなことは許されないと、エルフ族の大人たちはみんな怒りを口にした。



 エルフ族は他の種族よりも優れていなければならない。


 それを誰にでも分かる形で証明しなければいけない。



『そうだ。ガルクーザとの戦いで、エルフ族の代表だけは生き残った事にしよう』



 誰かが口にしたその言葉が、呪いのようにエルフたちの心を侵食していく。



 他種族の代表が全て落命している中で1人生き残ったのがエルフ族であるならば、それはエルフ族が優れている事の何よりの証明と言えるはずだ。


 常軌を逸したそのアイディアに、エルフ族の憤りが注がれていく。



 次第に狂気に染まり、種族全体で暴走していくエルフたち。


 英雄達によって滅ぼされた邪神ガルクーザは、死してなおエルフ族の心の中を蝕んでいった。



 アルフェッカを牛耳る事に成功した人間族と交渉し、長命であることを活かして歴史を改竄する事を提案。



 エルフ族の体面さえ保てれば他には何も必要ない。


 むしろ他種族の下につくなど我慢ならないと、エルフ族はアルフェッカを去る事を約束し、外側から人間族を援助し続ける盟約を結んだ。



 エルフェリアとスペルディアの者たちの手で、本当の英雄を慕い歴史の改竄を良しとしない者達を追放し、やがてスペルド王国が建国される。


 スペルド王国建国に纏わる話としてガルクーザの逸話を改竄し、エルフ族がその嘘の歴史の生き証人となった。



 人間族とエルフ族の暴走を受けてドワーフ族は北に逃れ、魔人族たちは姿を消し、短命な竜人族はスペルド王国に取り込まれることは受け入れたけれど、竜人族だけの町を作る事をスペルディア家に確約させた。


 エルフ族は約束通りスペルド王国を去り、当時人口の少なかった獣人族はスペルド王国で生きることを選んだ。 



 人間族の統治を受け入れた竜人族と獣人族は優遇され、後に爵位を与えられることになるんだけど、それについてはあまり詳しくは知らないんだ。





「今日からお前がリーチェだ。お前がガルクーザを滅ぼした英雄として振舞うのだ」



 スペルド王国が成立し、偽りの英雄譚が正式に世に出回り始める少し前。


 ぼくはエルフ族の長老たちに呼び出された。



 その中には勿論、ぼくの両親の姿もあった。



「今日よりお前はその生涯をリーチェ・トル・エルフェリアとして過ごし、建国の英雄として振舞うことをステータスプレートに誓ってもらうぞ。エルフ族の名誉のためにな」



 ぼくを追い詰めるように睨み付けてくる長老の眼光はとても正気な人間のものとは思えず、その視線に射抜かれたぼくの体は恐怖に固まり直ぐに頷くことが出来ない。


 そんなぼくに向かって父さんは優しげに、だけど狂った事を言い聞かせる。



「お前がリーチェとして振舞う限り、お前の姉さんは英雄として永遠に崇められ、人々の記憶の中で生き続けられるんだ」


「姉さんが……記憶の中で、生き続ける……」


「お前がリーチェとして生きることを拒んだ瞬間、リーチェは本当の意味で死ぬ事になる。お前の手で大好きな姉さんを殺したくは無いだろう? なら誓いなさい」



 ぼくがこの話を拒否したら、ぼくの手で姉さんを殺してしまうことになる……?



「大丈夫。貴女は私の自慢の娘なんだから、1人でも生きていけるわよね? ()()()()



 父さんの言葉に震えるぼくを、やっぱり優しく抱きしめてくれた母さん。


 だけどその母さんもまた、エルフ族の狂気に呑まれてしまっていた。



「エルフ族は盟約に従いスペルド王国には居られません。なので貴女の振る舞いにエルフ族全体の品位が問われることになるのです。貴女は世界を救った英雄として気高く、けれど野に下った気安さも持ち合わせねばなりませんよ」



 優しげでいながらも躾けるような口調の母さん。


 でも、今母さんが抱きしめているのは、もうぼくじゃなくて姉さんなんだ。



 姉さんを英雄にするために……。ぼく自身は死ななければいけないんだ……。



「お前が誓うべきは3つ。その生涯をリーチェ・トル・エルフェリアとして生きること。その宣誓を最大限の努力を持って秘匿すること。そして異性を受け入れ子を生す事を禁じてもらう。お前の意思に関わらず、生殖行為の一切を禁じてもらうぞ」



 長老たちは有無を言わせぬ雰囲気でぼくに宣誓を迫ってくる。



 生殖行為の禁止は、万が一にもぼくの宣誓が子孫に受け継がれることを防ぐ為だ。


 もしも身分詐称が引き継がれてしまったら、偽りの英雄譚の全てが破綻してしまうから。



「分かり、ました……。今日からぼくは……僕はリーチェ・トル・エルフェリアとして生きていくことを誓います……」



 エルフ族の狂気の英雄譚を、結局ぼくは受け入れてしまった。


 きっとぼく自身、大好きな姉さんが死んでしまった事実を受け入れられなくて、たとえ嘘でも姉さんの名を英雄として後世に残す事に意味があるような気がしたんだ。



 救世の英雄に相応しいようにと、エルフ族に伝わるアウターレア製の装備品を贈られる。


 こうして建国の英雄リーチェ・トル・エルフェリアは完成した。



 もうこの世界にぼくのことを知っている人は誰もいない。


 長老たちも両親も、そしてぼく自身ですら、僕のことはリーチェだとしか認識しなくなった。



 ……僕がぼくであったこと唯一の証拠は、母さんに贈られたこの翠色の腕輪だけになっちゃったね。


 子を生す事を禁じられた僕は、この腕輪の作り方も知ることは出来ないんだ……。




 1人になった僕は、それからたった独りで長い長い旅をすることになった。


 詐称と秘匿の誓約のために人と交流する事を控え、英雄たるリーチェ・トル・エルフェリアに相応しい実力を備える為に腕を磨き続ける日々。



 ……始めの50年は辛いことが多かったなぁ。


 だって殆どの人が僕を偽物だって知っているんだもん。いい顔をされるわけがないよね。



 けれど100年、200年と時が進むにつれて、周囲の認識は驚くほど明確に変わっていった。



「貴女が建国の英雄、邪神を滅ぼした英雄リーチェ様ですか……! なんと、なんとお美しい……!」



 長命であるエルフ族が歴史を改竄するその影響の大きさには、恐ろしささえ感じてしまう。



 けれど誓約の為に必要以上に人と関わらないようにしていた僕にとって、向けられるのが敵意でも好意でもあまり変わりはなかったかな。


 どっちにしても煩わしいだけだったかも。



「あ、そろそろ城に顔を出す時期かぁ。……面倒臭いなぁ」



 人とは積極的に関わらなかった僕だけれど、エルフェリアとスペルディアが結んだ密約のせいで、スペルディア王家の人間とは定期的に顔を合わせなければならなかった。


 だけど毎回容姿を褒め称えられて婚姻を迫られるだけの顔合わせに、いくら盟約とは言え流石に辟易させられた。



「お初にお目にかかります、建国の英雄リーチェ様。第2王女のマーガレットと申します。ですが第2王女としてではなく、魔物狩りの1人として接してくださると嬉しいですね」



 スペルド王国の貴族はあまり好きになれなかったけれど、王女であるマギーとはなんだか馬が合った。


 王女でありながら魔物狩りとして活動し、国中の人たちを自らの手で救済し続けるマギーの姿に、身分を捨てて野に下り、人々と寄り添って生きると語った建国の英雄の姿を重ねた。





「ごめんリーチェ。ちょっと頼まれてくれないかしら?」



 そんな尊敬すべき友人であるマギーから、ある日1つの依頼が持ち込まれた。


 なんでも大量殺人犯の消息が分からなくなっている為、調査と追跡、可能なら倒して欲しいという話だった。



「出来れば自分たちで動くべきなのは分かってるんだけど、最近妙に強力な魔物の討伐依頼が増えててさぁ……。ちょっと自由に動けそうになくって……」


「気にしないでマギー。こう見えて人探しは得意な方だからね。それに犯人だと思われる相手はかなりの手練れなんでしょ? なら僕が行くべき話さ」



 忙しいマギーに代わって、たまには英雄らしい働きをしよう。


 そんな感じで軽く引き受けた依頼で、僕の人生は一変することになる。



 湯浴み中に外していた世界樹の護りを、迂闊にも盗まれてしまった僕。


 僕がぼくである唯一の証拠が失われてしまったら、ぼくという存在は本当に何処にも無くなってしまう……!



 産まれた時から身につけていた世界樹の護りが無いだけで、エルフェリアを発ったあの時よりも更に深い絶望に覆われ、依頼もそっちのけにして形振り構わずぼくの半身を探し回った。


 けれど精霊魔法で人探しは出来ても物探しは上手く行かず、途方に暮れている時に出会った人間族の男。



 ダンと名乗った彼は、僕を見て見蕩れることはあっても、その瞳に悪意の光を宿した瞬間は1度も無かった。


 ダンは容疑者のドワーフの女性の無実を心から信じ、そしてその為に僕に話を聞いているだけ。



 ははっ。『リーチェは凄い実力者なんだな』なんて、ダンは建国の英雄譚を知らないみたいだ。


 好意も悪意も無い、殆ど無関心に近いこんな対応をされたのは随分と久しぶりに感じられた。



 全ての人に見捨てられ、夫からも商会からも切り捨てられた女性を、それでも絶対に助けてみせると語るダン。


 そんな決意に満ちたダンの瞳を見ていた僕は、ふとドワーフの女性と自分のことを重ねてしまう。



 エルフ族に求められて英雄たる姉さんを演じ、その代わりにぼく自身を殺すしかなかった僕。


 世界中全てに拒絶されても関係ないとばかりにダンに手を差し伸べられる、投獄されたドワーフの女性。



 ……いったいどっちの方が救いが無くて、どっちの方が地獄なんだろう。



 そんなことを考えながらダンのくれた料理を口にしたのが悪かったのかも……、いや良かったのかもしれない。


 料理を口に含んだ時に思い出したのは、姉さんとも一緒だった、家族で囲んだ最後の夕餉。



「お願いだよダン! 毎日僕の食事を作ってくれないかっ!?」



 食べても食べても全然足りない。


 お腹がいっぱいになっても、心が彼の料理を求め続ける。



 まるで長い時間の中で失った何かが、料理と一緒にぼくの中を満たしてくれているみたいだ。


 ダンが持っていた差し入れを全て平らげてしまっても、全然満足できなかった。



 この時は、どうしてあんなにダンの料理に魅了されてしまったのか、自分でもよく分からなかった。


 料理の味付けが偶然家族で食べた料理と似ていたこともあるけれど、いくらなんでもそれだけじゃ説明がつかない。



 随分後になって、ぼく自身もダンに習って料理を覚え始めた頃。


 僕自身ですら忘れていたぼくのことを引っ張り出したあの時の差し入れに、唐突に思い当たってしまった。



 料理に不慣れなダンがニーナと2人で作った、ティムルを想って作られた料理。


 愛し合う2人が大切な人を想って作り上げたその料理には、リーチェになった瞬間にぼくが失ってしまったものが沢山詰まっていたんだ。



 1度は失ってしまったもの。家族自らの手で奪われてしまった大切なもの。


 それが目の前に差し出されてしまったあの時のぼくは、どうしても止まる事が出来なかったんだ。




 そして押しかけた日にダンの家で頼まれる、ティムルに対する偽証。


 フラッシュバックする長老衆と両親の姿。



「……エルフの僕に、嘘をついて金銭を受け取れと言うのかい?」


「うん。翠の姫エルフ様に、世界樹の護りは既に手元にある事を隠して、賠償金を受け取って欲しいって言ってるんだ。それが俺達の目的だからね」



 ティムルを助ける為だとしても偽証を渋るぼくに、ダンは1歩も引く気は無かった。



 世界中の誰もが見捨てたなら俺が拾う。


 このままティムルが独りぼっちでいることは、俺が絶対に許さない。



 僕ではなくぼくを見詰めているようなダンの眼が、雄弁に語っていた。



「ティムルはもう俺の女だ。だから手に入れる、それだけだ」



 その決意を証明するかのように、出会ったその日にあっさりと世界樹の護りの奪還に成功したダン。



 ダンが全ての説明を放棄してニーナと一緒に寝室に消えたあと、戻ってきた世界樹の護りを抱きしめながらダンのことで頭がいっぱいになる。



「ダン……。君はいったい何者なの……?」



 あの人はぼくが失くしてしまったものを、なんでもないように取り返してくれる……。


 僕自身が失いかけていたぼくの存在を思い出させてくれる……。



 自覚できなかったけれど、この時にはもうダンのことが大好きになっていたのかもしれない。



「今日はニーナが豪勢な夕食を用意してくれるっていうからさ。みんなで食べよう。ティムルもリーチェも、みんなで一緒にさ」



 翌日、ティムルと頭を下げ合う僕に向かって、ダンは一緒に帰ろうと言ってくれた。



「お帰りなさいご主人様。お帰りなさいリーチェ。そしてお帰りなさい、ティムル。これから先もずっと、宜しくお願いしますね」



 ダンとティムルと一緒に家に戻った僕を、ニーナはお帰りと言って迎えてくれた。


 この日の夕食はムーリや教会の子供達も一緒で賑やかな歓迎会になって、僕もお腹の底から大笑いさせられてしまった。



 夕食が終わって、ティムルと寝室に消えるダン。


 そんな2人の背中を見送ったぼくは、ニーナに引っ張られて地下のベッドに引きずり込まれてしまった。



 他愛もない話……、主にダンの事を色々聞いて、さぁ寝ようかとベッドに横になった時、ニーナがぼくの頭を抱きしめてくる。



「ん、ニーナ……?」


「リーチェのことも、きっとご主人様が幸せにしてくれますよ。貴女の事情は分かりませんが、それでもご主人様が貴女の幸せを諦めることは絶対にありませんから」


「……っ」



 優しげなニーナの言葉に、僕は言葉を返せない。



 彼女にぼくの話をした覚えは無い。


 ニーナはぼくのこと知るはずは無い。



 なのにどうしてニーナは僕の頭を抱きしめながら、こんなにも優しい手付きでぼくの頭を撫でてくれるの……?



「貴女はご主人様に出会ってしまいましたからね。昨日までと明日からは全く違う日々になるはずです。貴女の抱える苦しみも、私にかけられた呪いも解決できる保証はありませんけれど、それらを解決できなくても幸せにはしてくれますよ」


「苦しみも呪いも解決できなくても、幸せにはしてくれる……?」


「お休みなさいリーチェ。明日からみんなで笑って、幸福に過ごせる日々が始まりますからね……」



 ぼくの方がずっとずっと年上なのに、ニーナの言葉に心が安らぐ。


 まるで姉さんに抱きしめてられて眠りについているみたいだ。



 ……流石に姉さんは、もう少しおっぱいが大きかったけどね?

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