019 ティムル
ステイーダを出発してから既に6日。
間もなく見えるであろう次の目的地を目指して、疲労に鞭打って足を動かしている。
「……ご主人様、大丈夫ですか? 辛ければ休憩を取ったほうが……」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくるニーナ。多分酷い顔をしてるんだろうな、今の俺。
「……いや、もう少しだしここは進むべきでしょ。でも、ありがとね……」
疲労と寝不足で体中が重い。具合が悪くて眩暈までしてくる。
でも次の街、アッチンまでもうすぐだ。ここで休んで到着を遅らせるより、無理してでも進んでアッチンで休むほうが遥かに安全なハズ……!
ステイルークからステイーダ間と違って、ステイーダからアッチンは徒歩だと早くても5日、余裕を持つなら1週間程度見積もらないといけない程度の距離だった。
野営地用に整備された場所までいくにも、ふた晩を2人だけで凌がなければならなかった。
幸いにもナイトシャドウとしかエンカウントせずに済んだけど、波があるとはいえ夜通し襲われ続けるのは精神的にも体力的にもかなりしんどい。
そして苦労して襲撃を凌いでも、せっかく出たドロップアイテムを全て回収できないのがかなりのストレスだった。
夜の間は2人とも眠ることが出来ず、明るい時間に短く睡眠を取りながら移動した。
中間地点にある野営地に到着した時には2人とも疲労困憊で、野営地で丸1日休養を取る羽目になった。
ここで一旦ドロップアイテムを処分できたのは、本当に運が良かったよ。
魔物の闊歩するこの世界で、非戦闘員を守りながら徒歩で旅をするという事の負担を、本当の意味で思い知らされた気分だった。
俺もかなりきついんだけど、そんな俺を見ている事しか出来ないニーナのストレスも、相当なものだと思う。
心配させたくないけど、今の俺にはこれが精一杯かな……。
「流石に疲れたから、アッチンでは数日ゆっくり休もうよ……。ニーナのインベントリも広くなって、多少お金にも余裕が出そうだしね……」
無理矢理に笑顔を作って、楽しい話題を振ってみる。
デスマーチとも呼ぶべきアッチンまでの道中。2人だけで何度も魔物を撃退した甲斐もあって、レベリングは順調だ。
俺は戦士LV11に、ニーナは旅人LV9まで伸びている。
戦士LV10で新しい職業は何も現れなかったのは残念だったけど、ニーナのインベントリが1辺90cmまで成長したおかげで、持てるドロップアイテムの量が格段に増えたのは素直にありがたい。
「済みません……。私が戦えれば……。私が居なければ、ご主人様がここまで苦労することはないのに……」
「苦労してでもニーナと一緒にいたいだけだよ。俺の心配してるけど、ニーナだって相当疲れ溜まってるだろ」
私が居なければ、なんて言うくらいニーナも参ってしまっている。
今の俺達には心と体の休息が必要だ。
「アッチンに着いたら、とりあえず2人で気の済むまで爆睡しようよ。そして起きたらまたデートして、美味しいもの食べてゆっくりしよう」
野営地を出てからふた晩を寝ずに過ごして、日中に短く休憩を取りながらの行軍だ。
昨日まで取っていた休憩時間すら惜しんで、今日はずっと休憩なく進んでいるので、最早意識は朦朧としてニーナとちゃんと会話できているのか自信なくなってきた。
意識を保つために、アッチンでニーナと何をするかを必死に考える。
くっダメだ。だいたいエロいことしか想像できない。これも全て疲れのせいだっ……。
くそ、疲労さえなければ、俺はもっと健全なはずなのにっ……!
「あっ! ご、ご主人様! 街です! 見えてきました! もうすぐですよっ!」
街が見えてテンションが上がったニーナ、超可愛い。もう今夜は絶対ニーナを抱きしめて寝よう、絶対だ。
ほら俺の体よ。もう少し頑張れば、可愛い抱き枕付きで好きなだけ眠れるんだから、もっと頑張って。
おいおい両足君、何をそんなに震えてるんだい? ほら歯を食いしばってでも進むんだよ。
歯を食いしばる力もないって? どうしてそこで諦めるんだよ。俺は出来る。やれば出来る子のはずだ。
え、やっても子は出来ない? いやいや今はそういう話してないでしょ。
この辺りから記憶が曖昧なんだけど、気が付いたらアッチンの宿でしっかりニーナを抱き枕にして眠っていた。
どんなに意識が朦朧としていても抱き枕だけは忘れなかった俺、良くやった。
「まだ明るいうちにアッチンに到着できて、宿を取ってすぐに休んだんだよ。夕食を取ろうと思ったんだけどダンが離してくれなかったから、仕方ないから室内に運んでもらったの」
目が覚めたのは夜も遅い時間帯。俺に抱き締められたままのニーナが、テーブルの上に置いてある冷めた料理を指差しながら、俺が覚えていない部分の説明をしてくれる。
「ということで、まずは夕食を食べよう? 起きれる?」
ニーナに手伝ってもらってベッドから這い出て、2人で遅めの夕食を取る。
まだ頭は回ってる気がしないし、吐き気は感じないけど体中が痛くて重い。寝る前よりも体が重く感じるのはなぜなんだ。
スープを掬うのも、パンを千切るのも億劫に感じる。食欲が全然湧いてこない。
だらだらとした動きで少しずつ食事を進めていると、ニーナが俺の肉料理を細かく切り分けてくれた。
「……かなり疲れが溜まってるね。調子が完全に戻るまではゆっくり休んで。用事があれば私に言ってくれればいいからね」
「あー、悪いけどお言葉に甘えさせてもらうね……」
もう取り繕う余裕も無い。今は食欲よりも寝たい。とにかく寝たいことしか考えられない。
「ねぇニーナ。食事が終わったらまた寝たいんだけど、また抱き枕にしていい?」
「うんいいよ。私もまだ眠いし、今日はもう遅いから身動き取れないしね。明日の朝までいっぱい寝よ?」
いつもの何倍も時間をかけて夕食を済ませ、ニーナと抱き合って瞼を閉じた。
「おーいお客さーん。朝食は要るかい? 食べなくても料金は返せないよー?」
乱暴に部屋の扉を叩く声で起こされた。
う、うるせぇなもうっ……!
返事を返して騒音を止めてから辺りを見回すと、すっかり明るくなっていた。今日は流石に2人とも起きれなかったらしいね。ニーナに至ってはまだ寝たままだし。
ニーナが離してくれなかったので、仕方なく部屋に朝食を運んでもらうことにした。
朝食を運んできてもらった時に、ニーナとくっついているところを見られたのがちょっと恥ずかしい。昨日はニーナが同じ想いをしたみたいだけどさ。
昨日は寝落ちしたからお互い服を着ていたのだけが救いかな?
ニーナが目を覚ますまでは、ニーナの寝顔を心ゆくまで堪能した。
遅めの朝食を済ませた後は、まず冒険者ギルドでドロップアイテムの換金をする。
歩いてみて分かったけど、未だに相当の疲れが残っていると実感する。2、3日はここで足止めされることになると思うけどこれは仕方ないよねぇ。
ゆっくり寝たのが良かったのか、それとも最高の抱き枕の効果なのか。疲れはあるけど具合の悪さは無くなって、今日は食欲が湧いてきた。
アッチンでも食べ歩きをしながら、久々にゆっくりとした時間を楽しむ。
日が落ちるまで散策を楽しみ、宿に戻って夕食タイムだ。今日は宿の食堂を利用することにしよう。
宿泊費には朝食と夕食の代金が含まれているので食べなきゃ損だ。それに宿での食事は食堂で取るのが基本で、昨日今日みたく部屋に運んでもらうと別途料金が発生してしまう。
お金に余裕は出てきたけど、無駄遣いをするわけにはいかないのよ。
運ばれてきた夕食をニーナと共に楽しんでいると、ここで1つのイベントが発生した。
「皆様、お食事中失礼致しますっ」
食堂の入り口から、宿の従業員らしき男が大声を張り上げる。
いったい何事かと従業員に注目する宿泊客達。
「先ほど冒険者ギルドより、野盗に関する情報提供がありましたので、この場を借りまして皆様にもご報告させていただきますっ。ここアッチンから北のフォーベアまでの街道で、野盗の襲撃が報告されたそうですっ」
ややや、野盗きたーっ!? 異世界のテンプレ、野盗イベントだーっ!
ってテンションあげてる場合じゃないよっ! 野盗ってマジでぇ?
「報告者は運良く撃退に成功したそうですが、野盗は逃走したままでまだ見つかっておりませんっ。ここから北へ向かう皆様は、どうぞお気をつけくださいっ」
えー。ここから北って、完全に俺らの進行ルートじゃん。
こういうの、フラグって言うのよね、知ってる知ってる。異世界に盗賊はつきものだものね、うん。
うーん、俺たちなんかめちゃくちゃ襲いやすそうだけど……。お金持ってるようには、見えないかな?
このままアッチンで休息している間に、誰かが解決してくれることを祈っておこう。
……く、ダメだ。何を言ってもフラグにしか聞こえないぞ……!
「野盗か。対人戦は魔物とは勝手が違うって話だし、会いたくないね。アッチンで休んでるうちに、誰かが解決してくれると良いんだけど」
あえて願望を口に出してみる。
言葉には力があるって言うからね。頼んだよ俺以外の誰か!
俺の言葉に、ニーナは真剣な表情で頷いてくれた。
「そうですね。野盗からすれば、私たちはさぞ襲いやすいパーティでしょう。場合によっては滞在を延ばしましょうか」
滞在期間を延ばす、かぁ。その発想は正直なかったかもしれない。
別に期限があるわけじゃないし、日程を延ばしても別に問題ないのかぁ。
所持金という名のリミットはあるけど、魔物狩りにも慣れてきた。お金が足りなくなったら、ちょっと街の外で滞在費を稼いでくることは十分に可能だろう。
「ちょっとごめんなさい」
考え事をしていると、すぐ近くから声をかけられた。疲れもあってか反応が遅れてしまう。
「間違ってたら悪いけど、貴方達ってステイーダから徒歩でこっちに向かってた子達よね?」
声をかけてきた相手を見ると、褐色で長身、妙齢の女性が、俺達のテーブルの横に立っている。
一瞬警戒しかけたが、この女性の顔には見覚えがあった。確かアッチンまでの途中の野営地にいた商人で、隣りを見るとどうやらニーナも覚えているようだ。
知り合いではないけど全く知らない相手じゃないので、ちょっとだけ肩の力を抜いて応じる。
「そうだよ。貴女のことは途中の野営地で見かけたけど、俺らに何か用?」
「あら、覚えてもらってて嬉しいわ」
嬉しいと言うよりもどことなくホッとしたような表情を浮かべながら、目の前の女性は自己紹介してきた。
「私はティムル。ドワーフで行商人をやってるわ」
ドワーフ? ドワーフっぽいとこって、肌が黒っぽいことしかないな。
モデルみたいに長身だし、背中にかかる茶色のストレートヘア、体毛フサフサでもないし、鍛冶屋とかの職人には見えないな。
美人ではありますけどね。
「俺は人間族のダン。こっちは獣人の奴隷でニーナ。もう1回聞くけど、俺らに何の用?」
「あらせっかちね。でも聞いてくれるのはありがたいわ。ちょっとだけ失礼するわね」
ティムルと名乗った褐色美人ドワーフは、3人分の飲み物を頼んで俺達と同じテーブルに座った。
彼女の注文した飲み物がアルコールじゃなかったことが意外に思えて、つい聞いてしまった。
「へぇ? ドワーフって酒好きのイメージだったけど、フルーツジュースでいいの?」
「ドワーフにだってお酒が飲めない人くらいいるわよ。それに貴方達もお酒じゃないじゃない。私だけ飲むわけにはいかないわよ」
パタパタと片手を顔の前で振って否定の意を表すティムル。
……あっぶねー。ついつい創作物の知識をぽろっと零してしまった。
この世界のドワーフも俺のイメージから大きく外れてなかったようで助かったぁ……。
飲み物が来るのを待って、ティムルは口を開く。
「それで私の用件なんだけど、護衛を依頼したいのよ。野営地の防衛にも参加してたし、2人でここまで来れるって事は戦えるのよね? お願いできないかしら」
護衛~? 無理だムリムリ。
ニーナ1人を守ることすら大変だったのに、護衛対象が増えたら、守りきれるわけがない。
「悪いけど俺じゃ力不足だね。こっちのニーナは戦えないから、俺1人で2人を守る自信はないよ。素直にギルドで依頼したら?」
「そこをなんとか頼めないかしら? 私ギルドから紹介された護衛にあんまりいい思い出がないから、出来れば使いたくないのよね」
ギルドの護衛を使いたくない理由なんてあるの?
ぶっちゃけ俺だったら、俺よりも経験豊かなプロに護衛をお願いするけど。
「普段であれば他の商隊にくっついて移動するところなんだけど、さっき野盗の話があったから戦闘職じゃない私が他の商隊に便乗するのも難しいの」
ふぅん? 戦闘職じゃないと便乗すらさせてもらえないのか。いざって時に足手纏いになられたら困る的な?
「……あと単純に、買い付けでちょーっとだけ無理しちゃって。正規の護衛を雇うには、手持ちが心細いなー……、って?」
つまり正式な護衛を雇う金がないから、安く雇えそうな俺に声をかけたって訳か。
流石商人、人を見る目はあると言っておく。
「事情は分かったけど、そっちの都合を押し付けられても困るよ」
美人が困ってるなら力になってあげたいけど、今の俺達に出来ることは何も無い。戦闘システムが適用される魔物相手にすら四苦八苦してるのに、それが適用されない対人戦なんて冗談じゃない。
「それに俺たちは見ての通り2人旅で、ここまで少し無理したからアッチンに何日か滞在する予定なんだ。万全な状態でも力不足なのに、万全ですらないんだから普通に無理だね」
「流石にこっちだって、出発予定の前日に声かけたりしないから。私もこの後3日間アッチンに滞在して、4日目の朝に出発する予定なのっ」
俺の言葉に少しむっとしたような表情を浮かべながらも食い下がってくるティムル。
「依頼内容はフォーベアまでの護衛。報酬は成功報酬で5000リーフ支払います。夕食は毎日ここで取るから、考えてみてくれないかしらっ?」
お願いしますっ、と頭を下げるティムル。
提示された報酬が高いのか安いのか分からない。話の流れ的には、相場よりは安いけど俺に支払う額としては精一杯の額って感じ?
「……なんでそんな頑なに俺たちに依頼するの? お金あるならギルドで頼めばいいのに」
隣に座るニーナの顔を見る。どうやら彼女も訝しがっているみたいだ。
「俺たちは事情があって馬車にも馬にも乗れないし、戦いを覚えたのだって1ヶ月くらい前だ。護衛をこなせる自信がないってのは、謙遜でもなんでもないよ?」
本音を言えば5000リーフは凄く惜しい。
でも下手に受けてティムルを護りきれないんじゃ意味がない。
そして無理をした結果、ティムルだけじゃなくニーナまで危険に晒してしまうような事態は絶対に避けなければならない。
「……はぁ。これを言うと自意識過剰みたいに思われるから嫌なんだけど、説得材料として話してあげる」
うんざりしながら吐き捨てるティムル。やっぱりなにか特別な事情があるのか?
「私ね、こう見えてモテるみたいでね。護衛で雇った奴らに結構しつこく付きまとわれた事が、何度もあるのよ」
ティムルから告げられた言葉に、ニーナと2人で唖然としてしまう。
……つまり、ストーカーってこと?
こう見えてって、どう見てもティムルは長身の褐色美人だけど、ギルドで雇われた奴がそんなこと、する?
「ギルドから紹介された奴らが依頼主にそんなことできるわけ? いや仮にその話が本当だとして、女性限定で紹介してもらうとかすればいいんじゃ?」
「依頼を達成した後に接触してくる分には、ギルドは干渉してこないの。だからその子、ニーナちゃんだっけ? ニーナちゃんにしか興味なさそうなダンは安心なの」
会う人会う人に、ニーナにゾッコンなのがバレてる件。隠す気も無いけどねっ。
「それと、以前女性限定で募集した事があるんだけどね。その情報を聞いた馬鹿な集団に襲われた事があるの。幸い撃退できたから事無きを得たんだけど」
ギルドへの依頼内容が普通に漏洩してんじゃん。大丈夫なのか、この世界の個人情報って。
「女性限定って聞くと、女性だけが複数人居る集団って聞こえるみたいで……。一部の男性にはとっても魅力的に聞こえるらしいわ」
呆れる様子で語るティムル。
あー……。女性限定ってことは、男性がいないとも取れるわけかぁ……。
「貴方達の事はステイーダからこっちに向かう途中に見かけてね。2人で旅してるのをこの目で確認済みだから安心なのよ」
つまり、俺とニーナの戦闘力にはさほど期待していない。
でも少なくとも敵対しそうにはないから、俺達を護衛に雇いたいということなのか?
な、なんとも殺伐とした世界ですこと……。
ニーナも引き攣ってるなぁ。世間知らずの俺たちには、世界が違いすぎて想像できない。
また明日の夕食で会いましょう、と言ってティムルは去っていった。
俺とニーナは引き攣った顔で、その背中を見送ることしか出来なかった。