016 カミングアウト
「こことは異なる世界……、ですか?」
俺の言葉を聞いて、可愛く首を傾げるニーナ。
現在はいつものジョギング移動で、街道沿いに1つ目の野営地に向かっているところだ。
奴隷契約とは言え生涯を誓ったことだしね。ニーナには俺の事情も話すことにしたのだ。
「例えるなら転移型の罠に引っかかって、この世界に飛ばされてきたって感じなんだ。だから記憶は失くしたわけじゃなくて、始めっから持ってないんだよね」
どうせ帰れないんだから、日本の説明は大雑把でいいだろ。
異世界転移の方は、トラップとか普通にある世界みたいだし、ゲーム風に例えて説明してみた。
「異なる世界というのはいまいち分かりませんけど……」
俺の言葉に戸惑いを見せていたニーナが、沈んだ表情で恐る恐る俺に質問してくる。
「……つまりご主人様はいつかその世界にお帰りになると、そういうことでしょうか?」
「いや。飛ばされる前に帰ることは出来ないと断言されてるし、そもそもニーナを置いて帰る気はないよ。ずっと一緒に居るから安心して」
ニーナの表情が目に見えて曇ったので、慌てて否定する。
異世界への興味よりも、離れ離れになることへの恐怖の方が強いらしい。
そりゃそうか。異世界なんて想像もつかないだろうし。ピンと来ないよね。
「えっと……。でしたら私に打ち明けなくても良かったのではないですか? あ、勿論打ち明けてくれたのは嬉しいですよ?」
「それがさぁ。実は異世界から来た事で、俺にはちょっと変わったことが出来るみたいなんだよねぇ。この世界ではちょっと常識外れの能力みたいだし、先に俺の事情を説明した方が受け止めてもらいやすいかと思ったんだ」
異世界転移の話は、鑑定と職業設定を説明する為の前振りみたいなものなんですわ。嘘を言ってるわけじゃないけど、異世界の話よりも実際に俺が使える能力の方が重要だからね。
「ずっと一緒にいるニーナにそれを隠しておくのは難しいし、なによりニーナにもその能力の恩恵を享受してもらいたかったから打ち明けたんだよ」
兎狩りやナイトシャドウ狩りで経験値が無駄になるの、結構ストレスだったんですぅ。だから早くニーナの職業を変えてあげたくて仕方ないのっ。
「事情は分かりましたけど……。変わった能力、ですか? 私にも恩恵が?」
「うん。百聞は一見にしかず。まずはステータスプレートを出してもらえる?」
転職しても体感での変化はあまりなかったからね。自分のステータスプレートで視覚的に変化を見せた方が分かりやすいだろ。
ニーナにステータスプレートから目を離さないように言って、鑑定、職業設定。とりあえず旅人かなっと。
「えっ……、ええっ!? な、なんでっ……!?」
驚愕の声をあげるニーナ。驚くニーナを鑑定して、ちゃんと旅人に転職したことを確認する。
ニーナ
女 16歳 獣人族 旅人LV1
装備
状態異常 呪い(移動阻害)
そう言えば今更だけど、鑑定にはパーティ表示は出ないんだなぁ。鑑定した対象以外の情報は閲覧できない、ってことなのかもしれない。
戸惑うニーナにお願いして、ステータスプレートも確認させてもらう。
ニーナ 女 16歳 旅人
呪い(移動阻害)
ダン
ダン(隷属)
うん、問題なく転職しているね。
出来るとは思っていたけど、今まで試す機会がなかった他人への職業設定。それが可能だとたった今証明されたわけだ。
「ご、ご主人様っ! せ、説明してくださいっ! な、なんで突然、私が旅人に……!?」
俺の顔と自分のステータスプレートを交互に見ながら、バタバタした感じで俺に詰め寄ってくるニーナ。
「うん。どうやら俺は職業を自由に変えられるらしいんだ。自分のも、他人のもね。前に突然インベントリが使えるようになったでしょ? あれはこういうことだったんだよ」
「こここ、こういうことって言われても……、えぇ!?」
ニーナの混乱が治まらない。この世界で職業設定というスキルは、それほどに常識外れの能力なんだ。
「どうしてこんなことが出来るかは俺にも分からないよ。どうやらこの世界に来る時にこの力を授かったみたいなんだ」
能力をもらえたのは転移ボーナスだったわけだけど、転移ボーナスってどう説明すればいいのか分からないよね。だから単純に能力を貰ったことだけを伝える事にする。
「でも職業が選べると言ってもそれだけで戦えるわけじゃないからね。ちょっと便利な能力、くらいに思ってて」
「え、えええ。ちょっとどころか、とんでもないことだよねこれ……? 確かに職業を変えるだけじゃ意味はないかもしれないけど、えええ……?」
おお。ニーナの口調が普通に戻った。奴隷であることを忘れるくらいの衝撃だったんだなぁ。
「ははは。ニーナ、口調戻ってるよ」
戸惑うニーナがあんまり可愛いので、詰め寄ってきた彼女の頭をよしよしと撫でる。
「ニーナが言った通り他人に知られて良いことだとは俺も思ってないから、このことは俺たちだけの秘密だからね?」
「い、言えるわけないよこんなこと……。というか、言っても誰も信じないと思うよ……?」
どうなんだろうなぁ? ユニークスキルじゃなくて、この世界に存在する職業スキルって書いてたから、知っている人は知ってるんじゃないかな。
ただ知られてる方が危ないんだよね。法王なんていう明らかに上級職っぽい職業のスキルなわけだから。
「ニーナは今、村人、旅人、商人、戦士の4つに変わることが出来る状態なんだ。どれか希望の職業があるなら聞くよ」
「ええっと、ええっと、ちょっと待ってね……」
混乱と興奮が冷めやらぬ中、俺の言葉に応えて必死に考え込むニーナ。
「村人になる意味はないし、丸腰の私が戦士になっても意味はないし、商人になっても商売してるわけじゃないし……。」
「希望がなければ、ニーナは暫く旅人になってインベントリを成長させて欲しいと思ってるんだ」
迷うニーナに俺の希望を伝えてあげる。強制するつもりはないけど参考にしてもらえればありがたい。
「……うん。私も旅人がいいと思う、じゃなかった。旅人が良いと思います、ご主人様」
思案の結果、ニーナは俺の希望に沿って旅人になってくれると言ってくれた。
商人の目利きってスキルの効果も気になるけど、今一番効果が大きそうなのはやっぱりインベントリだしね。それに当分旅生活が続くわけだから、旅人の補正である持久力上昇-は効果が期待できる。
戦士のスキルは、装備品が無い今のニーナには死にスキルになっちゃう、よねぇ。
「はぁ~……。ご主人様が違う世界から来たって、疑っていたわけじゃないけど、今心から納得した……」
異世界から来たから特殊な能力がある、じゃなくて、こんな特殊能力があるから異世界から来たに違いないってことかな? どっちでも変わらない気はするけど、職業設定を受け入れてもらったので問題ないか。
ニーナは俺に撫でられながらも、ジトーっとした視線を送ってくる。
「ねぇご主人様。他には何か隠してることはない?」
「うん、他には無いかなー? 隠し事が生まれるほどの時間を過ごしてないわけだし」
ニーナの問いかけに、この世界に来た瞬間の光景がフラッシュバックする。
そしてそこから、ある1つの可能性に思い当たってしまった。
「……いや、1つあったか」
これこそ打ち明ける意味があるかは、分からないけれど。
だけど思い当たってしまった以上、ニーナに告げないわけにはいかない。
「俺がこの世界に飛ばされた場所は、フレイムロードに襲撃されて炎に包まれた開拓村の中だった」
全身から冷や汗が止まらない。
この先をニーナに伝えるのが恐ろしい。
フレイムロードと対峙した時以上に、ニーナにこれを知られるのが怖い。
もしもニーナに拒絶されてしまったら……。
きっと俺は、もう生きていけない……。
「だから……、開拓村を壊滅させ……。ニーナのお母さんの命を奪った、フレイムロードの襲撃……」
喉がカラカラだ。
しゃべりにくいったらない。
まるで俺の体が、この先の言葉を発するのを拒絶してるみたいだ。
でも、伝えなきゃいけない。
ニーナを独りぼっちにさせてしまったのは、俺のせいだったのかもしれないのだと。
「もしかしたら俺は、無関係じゃないかもしれ「それは無関係ですよ。ご主人様」
「……って、え?」
俺が言い終わる前に、断固とした口調で俺の言葉を否定するニーナ。
「フレイムロードとご主人様は無関係です。魔物に村を襲われる事はそこまで珍しいことじゃない、って聞いてますし」
それはこの世界の常識的な考え方なんだろう。
でも俺は異世界から転移して来たんだよ。この世界の常識に当て嵌めちゃダメだと思うんだ。
「ご主人様の転移のために魔物が村を襲撃したとは考えられません。魔物が襲撃した場所に、偶然ご主人様が来たと考える方が自然ですよ」
1つ1つ理路整然と、俺とフレイムロードの関連性を否定するニーナ。
……でも、本当にそうか?
本当にそうだったとしても、俺には関係ないからって、簡単に忘れていいことなんだろうか?
「……ご主人様は我が侭すぎますよ。ロード種というのは非常に恐ろしい魔物なんだと聞いています。それを退けられるのはひと握りの英雄達だけであると」
一握りの英雄。
まさに、断魔の煌きのような……。
「ご主人様の転移があってもなくても、開拓村の悲劇には何の影響もなかったんです。自惚れないでください」
俺が無力なのは分かってる。
でもニーナはこう言ってるんだ
今の俺にはあの悲劇を起こす力すら、無いのだと。
「……自分のせいで開拓村が壊滅したなんて。自分次第で開拓村を救えたかもしれないなんて。そんな考え方、傲慢すぎますよ」
「……ニーナ」
あの悲劇を、俺のせいだと考えることは、自惚れであり、傲慢……。
「この世界でご主人様がしたことは、私を死の運命から救い出してくれたことだけです。貴方の意志で、貴方の行動で成し遂げた事は、私を愛してくれたことだけです」
いつの間にかニーナを撫でることをやめていた俺の右手を、ニーナが両手で優しく包んでくれる。
「自分自身を信じられないのでしたら、どうか私の言葉だけ信じてください」
俺を信じられないなら、ニーナを信じる?
ニーナのことを信じるなんて……、そんなのとっくに信じてるってば。
「私は貴方のおかげで救われたんです。貴方のおかげで今も幸せなんです。……ダンがこの世界に来てくれて、本当に感謝しているの」
途中からあえて口調を崩すニーナ。奴隷として言っているわけではないって意思表示なのかもしれない。
俺がこの世界に来た事で、ニーナが救われた?
でも俺が来なければ、ニーナのお母さんがフレイムロードに出会うことも……。
「ダンはこの世界に来ない方が良かったかもしれないなんて、私が絶対に、言わせないからっ……!」
俺の思考を遮る、ニーナの強い強い否定の言葉。
その言葉には、怒りすら感じられた。
「生きるのに誰かの許しなんて必要ない、って言ったのはご主人様でしょう? たとえ貴方がこの世界に来たのが間違いだったとしても、私は貴方がこの世界に来たことに感謝し続けますから」
そうか。俺のせいで開拓村が壊滅したのかもしれないって考え方は、俺がこの世界に来たのが間違いだった、こう繋がってしまうんだ。
ニーナにはそれが、絶対に許せないんだ。
「ご主人様の都合なんて知りません。これは私の我が侭ですから」
俺の、都合なんて関係なく、俺を肯定してくれる……?
「……は、はは。それって、奴隷の言葉としてどうなのさ……? 俺の存在自体が間違っていたとしても、知ったことじゃないって」
「……ダンは不思議だね。私はバカだから、みんなにお前は間違いだって言われたら、もしかしたらそうなのかもって思っちゃったけど。ダンは誰にも言われてないのに、全部が自分のせいだって思っちゃうんだね」
だって……。
この世界に来てしまったのは、俺自身の選択だったんだよ?
そんな俺が、あの場所で起きた悲劇と無関係だったなんて、どうやっても思えないよ……。
「貴方が自分自身を許せなくても、そんなこと私には知ったことじゃないから」
正面から俺を睨みつけるニーナ。
その視線を受け止めるのが怖いのに、何故だか動けず視線を逸らすことすらできない。
「貴方がいたから私は今こうして生きていられるの。貴方がいなかったら私は死んでいたの」
まるで必死に訴えかけるようなニーナの言葉。
でも違う、違うんだよニーナ。そうじゃないんだ。
俺が来なければ、君のお母さんは死なずに済んでいたかもしれないんだよ……!
「たとえ貴方が信じてくれなくても、何度でも言ってあげるね」
ふっと表情を崩し、柔らかい笑顔を見せてくれるニーナ。
「ダン。この世界に来てくれて、私を助けてくれて本当にありがとう」
不意に体に温もりが伝わる。
気付くと俺はニーナに抱きしめられていた。
「ダンが自分を責め続けるなら、そんなダンから私がダンを守ってあげるね。貴方がどうしても自分を信じられないのなら、その時は私を信じて欲しいの」
自分を信じられないなら、ニーナを信じればいい? 今だってこれ以上無いくらいに信じているつもりなのに。
そんな風に戸惑う俺に、ニーナは静かに告げてくれる。
「私の存在そのものが、貴方が正しい事の何よりの証拠だから」
その言葉を聞いたとき、俺の魂の奥で何かが弾けた。
「……ニーナぁっ!」
力の限り彼女を抱きしめる。
勘違いで始まった異世界転移。転移場所は地獄で、沢山の命が失われた。
……ニーナの母親だって、その時に命を落としてしまった。
もしあれが、俺のせいだったとしたら。
俺がこの世界に来たりしなければ、死なずに済んだ、沢山の命があったんじゃないか。
ずっと怖かった。
ずっと不安だった。
俺はこの世界に望んできた訳ですらない。ちょっとした勘違いでどれ程の命を奪ってしまったのか、ずっと不安だった。
魔物の襲撃は普通に起こること。
強力な魔物に村が滅ぼされるのも、普通にありえること。
あの悲劇が俺の転移が原因で起こったこととは、誰も思っていなかった。
俺だけがずっと、転移が原因だったんじゃないかって疑い続けてた。
俺こそが、俺の存在を誰よりも否定していたんだ。
今腕の中に感じる体温。
ニーナは、俺がいなかったら死んでいたと言っていた。
俺が来たから生きていると言ってくれた。
ニーナの存在が、俺がこの世界にいてもいいんだと教えてくれる。
「まったく、手のかかるご主人様です。母が死んだ事も、開拓村が壊滅した事も、貴方の責任なんかじゃありませんっ」
ニーナが俺を優しく抱きしめ返してくれる。
ニーナのお母さんの死は、俺のせいじゃないと言ってくれる。
「ご主人様が責任を取るのは私のことだけです。私はもう貴方無しでは生きていけないのですから。責任を取って、ずーっと一緒にいてくださいね……?」
優しいニーナの声に、堪えきれずに涙が零れる。
しばらくニーナの胸を借りて、ひたすらに泣き続けた。その間ニーナは俺を落ち着かせるように、優しく頭を撫で続けてくれた。
この時俺はこの世界に、初めて受け入れてもらえた気がしたんだ。
「ご主人様。悩み事がある時は、なるべく早めに相談してくださいね? 街道沿いであんなことになっちゃったせいで、道行く人に見られて恥ずかしかったんですから」
落ち着いた後、ニーナの報告で俺の死亡が確定した模様。
いっそ殺してくれませんか? やだ? いやいや、そこをなんとか……。
この奴隷、所有者の言うことを一切聞いてくれないんですけどぉ?