015 始まりの日
「ねぇダン。こういうことって、奴隷になるまでしないって言ってなかった?」
俺の胸に顔を埋めたまま、少し不満気なニーナの声。
いやーそんなこと言った様な気がするなー。思い返すと、俺って前言を撤回ばっかしてないかな?
「奴隷だからなんて理由でニーナに体を許して欲しくなかったっていう……。うん、いつもの我が侭です、はい」
腕の中のニーナを優しく抱きしめながらも、しどろもどろになってしまう俺。
ニーナが怒ってるわけじゃないのは分かってるけど。俺がしたことに弁解は必要だよね……。
「ニーナが奴隷になる前に、ニーナのことが大切なんだってちゃんと示したかったんだ。呪いを解く目処も立ってないし、奴隷から解放できる日がいつになるか分からないからさ」
自分で言ってて、これはちょっと格好つけすぎだなと思ってしまった。なのでついつい余計なひと言も加えてしまう。
「あと普通に、ずっとしたかったってのもあります、はい」
俺の言葉にニーナは腕の中でもぞもぞと動いて、俺の胸から俺の顔を見上げてくる。
「私だって奴隷でも奴隷じゃなくっても貴方が好きなことは変わらないよ?」
当然のことのように宣言するニーナ。
こんなに可愛い君が当然のように俺を好きだと言ってくれる事実に、なんだか現実感が湧かないよ。
「でもそうだねー。ダンが、奴隷だから仕方なく受け入れてくれてるんじゃ? って不安に思わないためには良かったのかなぁ?」
ぐぅの音も出ませんねぇっ!
そう、俺が不安だったからしたことなんだよぅ。
「……我が侭ばっかりだけど、今回の事は謝らないから」
今更取り繕いようも無い。だから取り繕うことをやめて素直な気持ちを口に出す。
「ニーナだから生涯一緒にいたいと思ったんだ。いつか呪いを解いて奴隷解放も出来たら、また改めて君に結婚を申し込むよ」
「……うん。ありがとう」
ニーナの方からも俺に抱きついてきてくれる。
触れ合ったお互いの胸から、お互いの鼓動を伝え合う。
「私はもう、ダンがいなきゃ生きていけないからね? 私を死なせたくなかったら、ダンも絶対に死んじゃダメなの」
「当然。ニーナを残して死んでなんかやらないよ」
会話が途切れ、徐々にニーナの顔が近づいてくる。
いつか正式に家族になれる日を目指して。
今はまだ、誓いだけを――――。
「ダンさんもステイルークを離れるんですね」
「ええ、大変お世話になりました。ラスティさんもお元気で」
流石に難民支援の最終日だけあって、ラスティさんが顔を見せにきた。
今日はニーナとも軽く挨拶をしてるね。終わったらすぐに去ってしまったけど。
……以前ならこの態度、ちょっと不快に思ってたかもしれない。けど今日のことを考えると、距離を取ってもらえるのはありがたいな。
ニーナと2人だけの宿の中、覚悟を決めてニーナに振り返る。
「さて行こうかニーナ。君を正式に、俺のものにさせてもらうよ」
「うん。末永く宜しくお願いしますね、ご主人様」
右手を差し出す俺。その手を握り返すニーナ。
役人による監視を感じるようなら自重したけど、その気配も一切無いのでもう気にしないことにした。どうせずっとニーナと一緒のところを見せてきたんだし、今さら取り繕う意味もないでしょ。
2人で手を繋いだまま、ゴールさんの奴隷商館に向かった。
奴隷商館に着くと、何も言わずに商館の奥まで通される。
「あれだけ話し合った計画が、これではあまり意味がなくなりましたなぁ?」
呆れているような、面白い物を見ているような、なんとも言えない表情のゴールさん。
「こんなに幸せそうな顔で奴隷になりに来るものなど、私もあまり記憶にありませんよ?」
「俺たちにとっては結婚するのと大差ないからね」
暗にニーナを奴隷としてみる気はないと告げながら、早速出発について話をする。
「最近はずっと2人で過ごしてたんですけど、役人たちから何か反応は?」
「いえ、特にございませんね。監視もなさそうですし、極力関わりたくないのでしょう」
俺達も監視の目を感じることはなかったけど、第三者から見ても監視されている様子が無かったのなら安心できるな。
肩透かしと言えば肩透かしだけど、無事に出発できるならそれに越した事はない。
「色々想定しておりましたが、この分でしたら普通に2人で出発しても問題ないかと」
俺とニーナ、そしてゴールさんと確認しあった結果、このまま普通にステイルークを出発することで話がまとまった。
役人さんたちも積極的に排除したいと思ってたわけじゃないのかな? とにかく関わりたくない、って距離を取ってただけなのかもしれない。
どちらにしても、俺たちがステイルークで暮らしていくわけにはいかないんだけど。
「では問題なさそうなので、早速契約を済ませましょう。お2人とも、構いませんか?」
「構いません。宜しくお願いします」
「よ、宜しくお願いします……!」
覚悟を決めて頷きを返す俺。
緊張した様子のニーナ。
これで本当に2人別々に生きていく道は、もう無くなるんだ。
「畏まりました。それではお2人のステータスプレートを貸していただけますか」
俺とニーナのステータスプレートを、ゴールさんに手渡す。
ゴールさんは俺とニーナのプレートを重ねると詠唱を始めた。奴隷契約もやっぱり魔法的なスキルが必要なのね。
ふとニーナに視線を向けると、彼女もちょうどこちらを向いて目が合った。
それがなんだかおかしくて、2人で少し笑ってしまった。
あ~ダメだこれ。気分は完全に婚姻届けの提出だよ。したことないけどさぁ。
ゴールさんが詠唱を終えると、俺とニーナのステータスプレートが淡く発光した。そして発光が収まったステータスプレートを俺達に返却してくれるゴールさん。
「お待たせしました。奴隷契約は無事終了しました。ステータスプレートをお返しします」
ゴールさんに返却されたステータスプレートを、ニーナと2人で覗き込む。
ダン 男 25歳 村人
ニーナ
ニーナ(所有)
ニーナ 女 16歳 村人
呪い(移動阻害)
ダン
ダン(隷属)
何度見ても情報が少ないけど、2列目がパーティメンバーで、3列目が奴隷契約が表示されてるわけか。
状態異常にかかってる場合は名前の下に表示されるのね。
ここまではっきりと呪いが明記されてしまっているのなら、確かに誤魔化しようがない、か……。
だけど当のニーナは本当に幸せそうに、呪いが記載されたステータスプレートを胸に抱いて俺を見た。
「……これで正式に貴方の奴隷となりました。改めて宜しくお願いします、ご主人様」
「……うん。改めて宜しくねニーナ」
奴隷と主人。
財産と所有者。
決して望む関係ではないけれど、それでも俺とニーナに繋がりが出来たことだけは間違いない。
「ほほ。これでは奴隷契約というよりも婚姻のようですな」
見詰め合う俺とニーナを、からかうようなゴールさんの声が邪魔をする。
「ああ、婚姻と奴隷契約は重複できません。彼女を妻に迎えたいのであれば呪いを解除するしかありませんぞ。頑張ってくださいませ」
婚姻と奴隷は重複できないのか。呪いを解く理由がまた1つ増えちゃったね。
俺とニーナのことを軽く笑った後、奴隷制度の説明に入るゴールさん。
俺が記憶喪失だからなのか、それとも奴隷契約をした人には全員に行っているのか、奴隷契約と所有者の義務、奴隷にも認められている最低限の権利など、割と細かい説明を受ける。
親族、血縁者は奴隷契約や婚姻を結べない。
ただしある程度離れていれば問題ないらしく、話を聞く限り3親等、下手すると2親等くらい離れていれば、婚姻も奴隷契約も結べそうだ。近親婚とかもあるのかぁ。
奴隷の所有者は奴隷の安全と生活を保障する義務があり、あまりにも劣悪な扱いを続けると契約が無効になる事があるとのこと。
その代わり、奴隷に関するほぼ全ての意思決定は所有者に委ねられる。
よほどの犯罪的行為でない限りこれは有効らしく、女奴隷に客を取らせる、なんて事も可能ではあるらしい。絶対にしないけどなっ。
奴隷は殆ど全ての権利を所有者に委ねなければいけないけれど、劣悪な環境や扱いが続いた場合に限り、所有者の意志に関係なく、奴隷の意志で契約を破棄する権利を持つ。
これはよほど信頼関係を損ねない限り不可能な行為らしいけれど、これをされた所有者は奴隷の生命を脅かしたとして重い罰則が科される。
奴隷の扱いは財産、物ではあるけれど、人であることを忘れてはいけないのです、とゴールさんは言う。
……お前、ニーナを殺そうとしたこと忘れてねぇ?
というか奴隷契約の内容的に、奴隷を故意に死地に送り込むことって出来ないように思える。ニーナを引き受けたくなかった一心で、役人に出鱈目言っただけだったのかな?
ああ、だから死ねって命令じゃなくて、魔物と戦って来いって命令だったのか?
「彼女の滞納していた税金は借金奴隷となった時点で免除されますが、来年以降の奴隷の税金は所有者が払わなければいけません」
今年ニーナが払いきれなかった分の税金は免除されるのか。代わりに所有者である俺が負担する額が増えるってわけね。
「通常の奴隷の税金は1万リーフとなりますが、なんらかの瑕疵がある者は、人頭税が5万リーフとなっております。彼女の場合は呪いが瑕疵に当たり、あとは犯罪歴がある者などが該当しますね」
犯罪奴隷の維持費が高いのは、犯罪仲間に救出されるのを防ぐ措置だ。維持費が高いせいで、犯罪奴隷は一般人が所有するには人気がない。殆どの犯罪奴隷は国や領主が買い取って、過酷な労働を科すようだ。
奴隷の分の納税が出来ない場合は奴隷の所有権が失効し、奴隷は奴隷商人の下に返却される仕組みである、と。
俺の税金8万に加えて、ニーナの5万リーフを貯めないといけないのな。それでもニーナが奴隷化したおかげで用意する金額は減ってるんだけど、今の俺達にはとてつもない大金であることは変わっていない。
まだ支払いまでに時間的な余裕があるとはいえ、今の稼ぎでは年が越せそうにないぞ……。
「奴隷については以上になります。本当はもっと細かい禁則事項などもありますが、お2人の様子を見る限り、説明の必要はないでしょう」
ようやく説明が終わったかぁ。何気に細かい確認が多くてちょっと疲れたよぉ。
「役人の監視、干渉がなかったので、この後すぐにステイルークを発てば、遅くなる前に1つめの野営地まで到着することが出来ると思います」
1つ目の野営地ねぇ。
フロイさんやゴールさんに聞いた話だと、ステイルークはこの国じゃまぁまぁ大きめの都市に分類されるらしく人の往来が比較的盛んらしい。
なのでステイルークの周辺には人の往来をサポートする為に、野営用に整備された土地と言うのがいくつか存在するそうなのだ。
「こちら簡易的なものですが、ステイルーク周辺の地図となります。どうぞ」
硬くて布製っぽい地図を渡される。内容は結構大雑把だなぁ。
地図を見ると、ステイルークを中心に一定範囲を丸で囲ってある。
これは……、少なくともこの丸で囲ってある範囲には住むな、ってことかぁ。
これから俺とニーナはステイルークを出て、スペルド王国をあてもなく旅することになる。
ゴールさんからは行き先の指定こそなかったけれど、ステイルークから1ヶ月以上は離れた場所まで移動して欲しいと言われている。しかも徒歩ではなく馬車換算での1ヶ月の距離だ。
拠点を構えるまでは結構な長旅になるんじゃないかなぁ。
「ニーナ。目的地は決まってないから、ステイルークを離れながら、ゆっくり行き先を決めよう。行ってみたいところがあったら教えてね」
ニーナにも地図を見せながら、行き先に希望が無いか訪ねてみる。
「はい。と言っても私も家から離れたことは殆どありませんでしたから、何処と言われても選べません。行き先はご主人様が自由に決めていいですよ」
そっか。ニーナもあまりこの世界のこと知らないんだよな。
行き先は俺の自由かぁ。
「と言っても、俺だって何も分からないからなぁ。ちょっと決めようがないね」
異世界転移したての俺と、4歳からずっと家で過ごしていたニーナの2人で旅の話をするのは無理か? ここはゴールさんにも協力してもらおうかな。
「ゴールさん的にはどっかお勧めはないですか? 魔物狩りで生計が立て易い場所なんかが良いんですけど」
「魔物狩りですか。それでしたらマグエルなどが宜しいかもしれません。ステイルークとも近いですからね」
ここです、と地図を指指しながらマグエルという街を勧めてくるゴールさん。
「馬車で1ヶ月以上かかるかと言われると微妙ですが……、ここは目を瞑りましょうか」
マグエルを差しながら少し思案したゴールさんだったけど、このくらいならと折れてくれたようだ。
ニーナの呪いの効果で、移動こそが最高に大変だからなぁ。多少の距離でも免除してもらえるのはありがたい。
「マグエルの西側には、魔物が発生しやすい『スポット』と呼ばれるエリアが広がっております。魔物が発生しやすいため危険だとは思いますが、魔物狩りの仕事はいくらでもあるかと」
マグエルの近くには危険な場所があるけど、だからこそ魔物狩りとして生活しやすいってわけか。他に候補地も分からないし、まずはマグエルを目指す事にしようか。
地図を見ながらゴールさんに、マグエルへの行き方を簡単に説明してもらう。
ステイルークを西側に進み、キューブスライムを狩った川を越えて、2つめの大きな街から北に進めばマグエルだ。
ちなみに開拓村はステイルークの南側にあったらしく、ステイルークはスペルド王国の南端の辺境として知られた街なんだそうだ。
もう来る事はないかもしれないけど、いつかニーナが住んでいた家にも行ってみたいので、一応頭に入れておこうかな。
「もしも呪いを解くことが出来て、彼女の奴隷契約を無効化することになったら。その時は是非とも私に彼女の解放をさせてください」
マグエルへの道を確認したあと、ゴールさんはニーナの奴隷解放を自分にさせて欲しいと懇願してきた。
今回ゴールさんにはかなり世話になったしね。奴隷契約をしたこの場所で奴隷解放して夫婦になるのは、少し面白いかもしれない。
「お2人の関係が奴隷から夫婦になる瞬間に、是非とも立ち会わせていただきたい」
ゴールさんの願いにニーナと一緒に頷き、呪いが解けたらステイルークで婚姻を結ぶことを約束する。
奴隷として縛るのではなく、夫婦として繋がる関係。まずはそれを目指して、1歩1歩進んでいこう。
奴隷商館を出たら、俺たちは常に主従として振舞わなければならない。
だからここを出る前に、もう1度だけニーナを抱きしめた。
「これからが本当の始まりだね。沢山苦労させちゃうと思うけど、絶対に呪いからも奴隷からも解放してみせるから」
「ふふ。別にどっちもそのままで構わないよ。呪いも奴隷も関係ない。苦労してもいい。ダンと一緒なら、それだけで幸せだから」
ニーナの方もしっかりと抱きしめ返してくれる。一緒にいるだけで幸せなんて、それこそ俺のセリフだってば。
でもごめんねニーナ。俺って天邪鬼だからさ。しなくていいよって言われると、逆に燃えちゃうんだ。
この世界で呪いを解くということは凄く大変なことなのかもしれないけれど、ニーナをお嫁さんに迎えるために必要なことだと思えばなんて事はないさ。
商館を出る前に、昨日購入しておいた新しい服に着替える。流石にTシャツとハーフパンツで旅は出来ないし、ニーナもスカートからズボンに変更。
最後にお揃いのフードつき布マントを装着して奴隷商館を出る。
奴隷商館を出るとニーナは1歩下がり、俺との間に少し距離を空けた。
これからは、少なくとも人前では気軽に手を繋ぐ事もできないのか……。
うん、奴隷なんてなにも良いことないね。絶対に解放してやる。
この1ヶ月、俺たちは難民として守られていた。しかしこれからは自分の力だけで身を立てなければいけない。それが出来なければ自分だけでなく、ニーナまで不幸にしてしまう。
本当の意味での異世界生活は、これから始まるような気がする。
1度後ろを振り返り、自分が独りではないことを確認する。
ニーナと笑顔で頷き合って、2人一緒にステイルークを飛び出したのだった。