132 ※閑話 リーチェの花嫁修業
リーチェ視点。
時系列は本編とほぼ同じ時期です。
「さ、始めようかリーチェ。気楽に気楽に」
「う、うんっ。よ、よろしくね……?」
普段ぼくが入ることの少ない炊事場。
そんな場所で今日はダンと2人きり。ダンに付き添ってもらいながら夕食の準備をすることになった。
料理の出来ないぼくにまともな夕飯が作れるとは思わないけど、ダンが手伝ってくれるなら最低限の物は出来る……よね?
ニーナは花壇の手入れを、ティムルとフラッタは子供達の戦闘指南をしている。
だからまだ明るい炊事場に、今はぼくとダンしかいない。
気にしないようにって思ってるのに、そう思うほど意識しちゃうよぉ……。
どうして料理の出来ないぼくがあえて夕飯作りに挑戦しているのかと言えば、きっかけはダンのひと言だった。
ダンの料理を美味しく食べながら、どうして自分では料理が作れないんだろう、そう零してしまった言葉をダンは聞き逃してはくれなかった。
『料理覚えたいなら教えるよ?』
いつものように、なんでもないことのように言うダンに甘えて、皆がそれぞれ働いてくれているのにダンを独り占めして、ダンと2人っきりで炊事場にいるぼく。
「リーチェ、緊張しすぎだ。肩の力抜いて。余計なこと考えなくていいって言ってるでしょ?」
背中からダンに抱きしめられる。
落ち込みそうになるといつもその気持ちを敏感に察して、すぐにぼくを抱きしめてくれるダン。
なんだか僕自身よりも、ぼくの心の中をよく理解しているみたいだ。
「そうだなぁ。リーチェがみんなに申し訳ないって思うなら、美味しい夕食を作って恩返しすればいいんじゃない? リーチェがみんなのことを大好きなら、ちゃんと美味しい料理が出来るからさ」
ダンの言葉に、少しだけやる気が出てくる。
みんなの事が大好きだから、美味しい料理を作って恩返しをする。それってなんて素敵な考え方なんだろう。
「リーチェって……、まぁフラッタもだけど、俺の料理の隠し味まで完璧に見抜いてくるじゃん? きっと料理の才能はあると思うよ。今までやってこなかったから自信が無いだけでさ」
そ、それはないよダン。ぼくに料理の才能なんて絶対に無いよぅ。
なのにダンに言われると、簡単にその気になってしまう単純な自分に呆れてしまう。
「大体なぁ。お前が作った料理を食べない奴なんてこの家にはいないんだよ。やった事がないんだから下手でもいいんだ。その為に俺が手伝うんだしさ」
た、確かに優しいみんなはぼくがどんな失敗作を出しても食べてくれそうだけどさぁ……。
そんなみんなだからこそ、あまり変なものは食べさせたく無いんだってばぁ。
どうしても不安が拭えないぼくの頬に、ダンの唇の柔らかい感触が触れる。
「気楽に作ろうリーチェ。大好きな気持ちを料理に込めて、みんなに伝えよう?」
頬から伝わるダンの愛情。これを料理に込めて皆に伝えればいいの?
……うん。ダンの事も大好きだけど、みんなのことだってやっぱり大好き。
大好きなみんなと一緒に同じ男性を大好きになっていいなんて、幸せすぎる。
幸せすぎるこの気持ち、料理に込めて伝えたい。
料理を始める前からダンに甘えてばかりだけど、ぼく、頑張るよっ。
ぼくのやる気を察したダンが、それじゃあよろしくねと夕食作りを開始した。
よっ、よろしくはぼくのセリフなのにぃ~。
「これは今茹でたばかりで熱いから、皮を剥くときは気をつけてね。そうそう、上手だよリーチェ。全然料理できてるよ」
ダンが耳元で褒めてくれるのが嬉しい。
ダンはずっとぼくに付きっ切りで、ずっとぼくを背中から抱きしめてくれたままだ。
ぼくを抱きしめながら常にぼくの手元を見て、ぼくが失敗する前に先回りして、こうすればいいんだよって導いてくれる。
ダンが1人でやったほうが間違いなく早いのに。
絶対にダンは1人で調理しないで、ずっとぼくに寄り添ってくれる。
背中からダンに抱きしめられているのに、ドキドキよりも安心する。
もうぼく、ダンがいなくちゃ生きていけないよぅ。
「んー、味覚も鋭いし手先も器用。余計な事もしないし人の言う事も素直に聞く……。なのに料理が下手……?」
ぼくの耳元で、だけどぼくに語りかけている感じじゃなく、思わず独り言を零してしまったようなダンの言葉が囁かれた。
ダンに褒められると嬉しすぎて、料理に集中出来ないってばぁ。
「ねぇリーチェ。なんでリーチェは自分が料理が下手だって思ったの? 俺から見てて、リーチェが料理出来ないのは信じられないよ?」
耳元で囁かれるダンの問い掛けに甘い響きは含まれていない。本当に不思議で仕方ないみたいな言い方だ。
だって、今まで料理なんてしたこと無かったし、教わったことだって無かったんだ。
たまに自分で作っても、人に作って貰った料理の方がずっと美味しかった。あとでその料理を自分で作ってみても、全然美味しくなかったんだよ?
食材を無駄にしたことだって何度もあるんだ。ぼくに料理なんて出来る訳ないよ。
「あーそっか。そういうことかぁ……。なんとなくリーチェのこと、少し分かった気がするよ」
え? ダンはとっくにぼくのこと、何でも知ってるんじゃないの?
僕の誓約のことは流石に分かってないみたいだけど、他の事はぼく自身よりも詳しいくらいでしょ?
「なぁリーチェ。リーチェは俺の料理をいつも美味しいって言ってくれるけどさ。俺もこの世界に来るまでは料理なんてしたことなかったんだよ?」
え、ええっ!? そ、それは流石に嘘でしょっ!?
……ううん。それこそダンに料理の才能があったんでしょ?
まだこの世界に来て1年も経っていないダンが、ニーナやティムルを護りながら、フラッタやぼくに手を伸ばしながら、それで料理まであんなに上達したなんて、それこそ才能があったからに決まってるよっ。
「そうじゃない。そうじゃないんだよリーチェ。俺の料理が上達して、お前の料理の腕が上達しなかったのは、才能のせいなんかじゃないんだ」
凄く優しく、でも少し悲しげにぼくの言葉を否定するダン。
でもぼくを抱きしめる腕の力は少し強くなって、その感触にぼくは安心して息を吐いてしまう。
だけど才能じゃなかったら、ぼくとダンの違いってなぁに?
「俺はこの世界にたった独りで来てしまったんだけどさ。すぐにニーナと会えたんだ。ニーナと会えてティムルと会えて、フラッタともリーチェとも会えて、俺の料理は少しずつ美味しくなっていったんだよ」
ダンの腕の力が強くなる。
まるでぼくの内側まで、魂ごと抱きしめるかのように、強く強く抱きしめてくれる。
その腕の強さに、ぼくの心が抱きしめられている。
「みんなに美味しいって言って欲しくて、みんなが美味しいって言ってくれるのが嬉しくて、だから俺は料理するのがどんどん楽しくなっていったんだよ」
ぼくの料理が上達しなかったのは、僕がずっと独りだったから。
ダンの腕の温もりを感じながら、その言葉にぼくは、すとん、と納得してしまった。
数百年も生きてきて、なのに常に独りだった僕が、料理の腕が上達するわけがなかったんだ。
大好きな人と料理を食べることもなくて。
大好きな人のために料理を作ることもなくて。
僕にとっての食事は、食事以上の意味を持ったことがなかったんだ。
「だからリーチェもこれからどんどん料理が上手になるよ。もうリーチェにも大好きな家族がいるんだからね」
大好きな家族。ダンだけじゃなくって、ダンを一緒に愛することが出来る大好きなみんながいる。
……そっかぁ。みんなのことが大好きだから、今までやろうとも思わなかった料理を始めたいなんて、凄く自然に思えたのかもしれないなぁ。
「リーチェと初めて会った日さぁ。食べ物のことで必死になりすぎだろ、このポンコツエルフって思ったんだよ」
「なななな、なぁっ!? ポポッ、ポンッ……!?」
いきなり何を……! ポンコツって、ポンコツって酷すぎでしょっ!?
「でもごめんね。俺が間違ってたよ」
「……ダン?」
「完全に偶然だったけど、リーチェはあの時、美味しかったいつかの料理を思い出していたんだね。たった独りで旅する前の、お前にただ美味しいって言ってもらいたいから作られた、誰かの料理を……」
ダンの言葉に、何かが頭をよぎる。
それはとても大切な事で、絶対に忘れちゃいけないものだった気がするのに、何がよぎったのか分からない。
ぼくはあの日ダンの料理を食べて、いったい何を思い出したんだっけ……?
とても大切なことのはずだけど、抱きしめてくれているダンの腕の温もりが心地良くて、頭をよぎったことなんてどうでも良くなっちゃった。
「だから安心して良いよリーチェ。お前の料理はちゃんと上達するから。お前の事が大好きな人が作った食事を食べて、お前も大好きな人に食べて欲しくて料理を作るんだ。上達しないわけがないよ」
……ダンは意外と物凄く繊細だ。
きっと今、たった独りで数百年旅をしてきた僕の気持ちを、ダンは察してしまったんだろう。
もう僕自身すら忘れてしまった、孤独な日々を。
「リーチェには料理を教え甲斐がありそうだね。はは。これからリーチェの料理を食べるの、凄く楽しみになってきたなっ」
でもそんなことはおくびにも出さず、ぼくを楽しい方へ、幸せな方へと導いてくれている。
そんなぼくに対するダンの気持ちが嬉しくて、僕を理解してしまえるダンが、少し悲しい。
「さ、リーチェ。調理を再開しようか。大好きなみんなに、リーチェの作った料理を食べてもらおうな」
ぼくを抱く腕の力を緩めるダン。
僕にとってみんなに出会う前の話は、辛い話だったはずなのに。
ずっとぼくの芯を抱きしめてくれていたダンのおかげで、今ではあの日々を振り返ることが出来る。
再開した夕食作りに、やっぱりぼくは何度も失敗をしてしまう。
でもその度にダンが楽しそうに笑ってくれて、俺もやったことあるよ、そのくらい大丈夫だよって、優しく手を引いてくれたおかげで。
ぼくはなんだか、とっても楽しく料理が出来たんだ。
「う、うまぁっ!? こ、これをリーチェが作ったとっ!? 最高に美味いのじゃーっ!」
「凄いねリーチェ。本当に美味しい。料理出来ないって言ってたけど、これだけ出来れば十分だよ?」
「本当よね。これならダンが作る料理もすぐに覚えられそう。ふふ、ネプトゥコで食べたあの時の料理も、今の貴女なら作れるんじゃないかしら?」
ニーナもティムルもフラッタも、大好きなみんなが美味しいって言いながら、ぼくの料理を食べてくれる。
照れくさくて恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しくて、なんだか皆の顔が見れないよぅ。
そんなぼくに、ダンが笑顔で夕食を差し出してくる。
ダンから料理を受け取って、ぱくりとひと口噛んでみる。
……うん。やっぱり美味しい。
味見した時も信じられなかったけど、本当に僕がこんな美味しいものを作ったの?
「最高に美味いよリーチェ。お前の気持ち、ちゃんとみんなに届いてるみたいだね」
ぼくの気持ち。
みんなを大好きなぼくの気持ち、料理に混ざって届いてるの?
ああ、大好きなダンと一緒に料理をしたのも、凄く凄く楽しかったのに。
大好きなみんなに美味しいって言ってもらえるの、凄く凄く嬉しいっ!
「ダンと一緒にいっぱい作ったんだ! だからみんなも遠慮しないでいっぱい食べてねっ!」
……なんで今までぼくは料理をしてこなかったんだろう。
キスをしなくても、肌を重ねなくても、大好きだって伝える方法はちゃんとあるんじゃないかっ。
「リーチェ。今度は私とも一緒に料理しようね? ダンって結構大雑把なところがあるから、お手本にするにはちょっと良くないの」
「あはーっ。リーチェはやっぱり少し甘党よねー。この味付けがそのおっぱいとお尻の秘訣なのかしらぁ?」
「美味いのじゃっ! 美味いのじゃっ! リーチェ、もう食べないならおぬしの料理も妾に寄越すが良いのじゃっ!」
いつものように騒がしく、笑顔に溢れた食事風景。
ぼくが作った料理でも、このいつもの幸せな食事風景を見ることが出来るなんて……!
みんなと一緒に食べるご飯は最高に美味しい。
みんなが作った料理を食べるのは最高に美味しい。
そして、みんなにぼくの作った料理を食べてもらうのは、最高に嬉しいっ!
……でも、まだやっぱり1人じゃ自信が無いから。
ダン。次の時も、また抱きしめてくれる……?




