010 交渉
俺がニーナさんを買いますなんて言ったもんだから、ニーナさんが完全に固まってしまった模様。
まだ色々と確認したい事もあったんだけど、再起動するまで時間がかかりそうなので、今はそっとしておこう。
朝食を食べて宿を出る。さぁ今日から大忙しだ。
まずはニーナさんを引き取る予定の奴隷商人と会わないといけないんだけど、奴隷商人の顔も名前もお店の場所もなぁんにも分からない。
ニーナさんはフリーズ中だし、役人にはなるべく知られたくないし、どうやって探そうかな?
「ああ、あんた確か難民の人だっけ? 今日は何の用だ?」
「ナイフの状態を見てもらいたくて。それと個人的に、聞きたい事があるんですよ」
俺が情報収集場所に選んだのは、ナイフを買った武器屋だった。
選んだ理由は、店主が比較的若そうな男性だったから。
防具屋の初老に見える女性なんかはニーナさん一家のことを記憶しているかもしれないし、下の話題なら若い同性に限るってものでしょ。
「特に状態は悪くなってねぇけど、折角来たんだし研いでやるよ。んで? 聞きたいことってのはなんだ」
ナイフを持ち上げて色んな確度から状態を確認している店主。
結構戦ってるつもりだったんだけど悪くなってないのか。装備品ってのは頑丈らしいね。
まぁいい。今はさっさと本題に入ろう。
「今までは大変な状況で余裕が無かったんですけど、生活が少し落ち着いてきたら、その、ちょっと遊びたくなりまして。この街の娼館か、奴隷商人を紹介してもらえませんか?」
「おうおうおう!? なんだいアンタ、イケるクチかい!?」
ナイフを放り出す勢いで詰め寄ってくる武喜屋の店主。
いやいやっ、食いつきすぎだろコイツ!?
「つっても、ナイフしか買えない様な状態で女遊びは感心しねぇぞ? 適当な女で済ませようなんざ、金の無駄だぜぇ?」
すげぇ食いついてきた直後に真面目な話するんじゃないよっ! 説教好きのおっさんかお前はっ!
「ま、流石に今日明日ってつもりはないですよ。お金が出来たらの話です。でもこんなこと、お役人さんには相談できないでしょ? なので年の近そうだった武器屋さんに聞いてみようかなって」
「ぶははは! 確かに役人にゃあ聞けねぇわなぁ!」
役人に聞けないってところだけは嘘じゃない。理由は全然違うけどね。
「まっ、同じ男としちゃあ協力してやらないわけにはいかねぇ! 研ぎ時間の間だけ、レクチャーしてやるぜっ」
張り切ってステイルークの色街の情報を捲し立てる武器屋の店主。
お勧めの商売女の情報なんて要らないんだよなぁ。なんて断るわけにもいかないので、気付いたら武器屋さんの性癖に大分詳しくなってしまった。辛い。
武器屋の店主によるとステイルークに奴隷商人は1人しか居ないらしい。さっさと向かおう。
武器屋さんに聞いた場所には比較的大きな建物が建っていて、入り口の前には門番らしい屈強そうな男が立っていた。
ええ、ここがほんとに奴隷商館なのぉ……?
「いらっしゃいませ。どのような奴隷をお求めで? 用途別。予算別。期間奴隷の交渉も承りますぜ」
奴隷商館だったらしい。建物に近づいたら門番の男が客引きの様に声をかけてきた。
期間奴隷ってなんだろ? 一定期間で解放されるとか? 契約社員なの?
まぁいいや。今はニーナさんの話だ。
「済みません。店長さん? でいいのかな。責任者の方と会えますか?」
責任者に会いたいと告げると、門番の男の雰囲気が変わった。俺をただの客ではないと判断したらしい。
「俺は開拓村から避難してきた1人で、ダンと言います。実は1つ提案がありまして、奴隷商人さんに取り次いでもらいたいんですよ」
身分証明代わりに門番にステータスプレートを見せながら用件を伝える。
「……いきなり来て会長に会わせろって、そう言うわけにもいかねぇんだよ。提案っつうなら俺に言え。内容次第では、取り次いでやるかもしれねぇなぁ?」
さっきまでの客引きみたいな態度から打って変わって、露骨にこっちを見下した態度を取る門番の男。
アポなし訪問だしね。ステータスプレートを見せて村人だと知られれば侮られるとも思ってたよ。
「ニーナさんの件で、力になれるかもしれません、と伝えてもらえますか? それで会長さんに興味を示してもらえなければ、大人しく帰りますので」
今の俺には小細工できる材料も無い。ここに来た用件にして最大のカードをさっさと切ってしまう。
「誰だそりゃ? 難民の誰かか? まぁいい。それくらいなら確認して来てやる。ちょっとこのまま待ってな」
用件を伝えると俺が敵では無いと判断したのか、門番の男は少し態度を軟化させてくれた。
良かった。独断で追い返すような無能じゃなくて。
会長さんが興味を示してくれるかどうかは、正直ギャンブルなんだけどねぇ。
……ここで躓いたら、違う作戦を立て直さないとな。
暫く待たされたけど、中に通してもらえた。会長さんとやらは俺の話に興味を持ってくれたらしい。
門番の男に応接室のような場所に通される。
その部屋の中央のソファには、会長らしき痩せた老人が座っていた。
「どうぞお座りください」
門番の男を下げさせながら、俺に着席を促してくる。ここは素直に従い腰を下ろすことにしよう。
「さて、なにやら私に提案があるとかで。これでも私も忙しい身です。手短にお願いしますよ」
ソファに座りながら鑑定すると、この男は奴隷商人LV34。話をする相手はこの男で間違いないはずだ。
手短にって言われたことだし、単刀直入にいこう。
「実は難民の1人、ニーナという女性がこちらに売却されると聞きまして。私は彼女を購入したいと思っています」
ニーナさんの名前を出すと、奴隷商人の目が鋭くなった様に感じられる。
「……その話、どこから?」
「勿論ニーナ本人から聞いたんですよ。役人にはなにも聞いてません。俺の方も何も告げずに直接ここに来てます」
俺とニーナさんはお互い難民だ。本人から話を聞いたというのは不自然じゃないはず。実際本人に話を聞いたわけだし?
「ふむ、本人からですか。それで本日私に会いに来たのは、確実にその女性を購入したいから購入予約をしたい、という話ですか?」
……まぁそう言うよな。
でも武器屋の話では。金貨単位で取引される奴隷購入。今の俺に手が出せる話じゃ、ない。
手が出せる金額じゃないから、無料で手に入れる方法を考えた。
「いいえ違います。俺が代わりに貰ってやる、そう言ってるんですよ。呪われてるんでしょ? あの女」
思いついたのは、みんなが拒絶する彼女を、俺が引き受けてやると提案することだった。
「彼女から、奴隷商人は引き受けを拒否したがっていた、と聞いています。俺が貰ってやるから、無料で回してもらえません?」
自分で言ってて気分悪くなるけど、ここは我慢だっ。
ここで俺が折れたらニーナさんは命を落としてしまう。絶対に引くわけにはいかないっ……!
奴隷商人は俺の言葉に小さくため息をついてみせる。男の内心は分からない。
「……奴隷商人の前で奴隷をタダで寄越せとは、随分むちゃくちゃなことを言う人だ。そんなことをして、いったい私にどんなメリットがあるって言うんです?」
「ははは。そんなの決まってるじゃないですか。呪われたステータスプレートと契約しなくて済みます。他に何がありますか?」
奴隷商人が頑なにニーナさんの所有を拒んだ理由を俺なりに考えてみた。
その結果この奴隷商人は、ニーナさんと奴隷契約を結ぶ事で自分が呪われることを危惧しているんじゃないか、と睨んだわけだ。
「会長さんこそ大丈夫なんですか? ステータスプレートは魂の端末。心から拒否したい相手と、本当に奴隷契約を結ぶ自信、あります?」
最近聞いたばかりの話を自信満々に語る俺。我ながら恥ずかしくて死にそう。
全部俺のハッタリなんですけどね。お前のことなんて全てお見通しだよ、って態度を見せるべきだ。ハッタリに大切なのは度胸だからなっ。
ステータスプレートは魂の端末。奴隷契約もプレートを介して行われることは、先日ラスティさんに聞いたばかりだ。
そして呪いはステータスプレートに表示されるし、母親からニーナさんに遺伝した。
ニーナさんの両親はこの街出身で、この街の人間は呪われた後のニーナさん一家を受け入れてくれなかったと言っていた。
割と高齢っぽいこの奴隷商人は、当時の事を記憶している可能性も高いんじゃないか? 役人には逆らえないから渋々条件を飲んだだけで、本音はニーナさんと契約を結ぶことを回避したいはず。
街の人間に押し付けたらすぐに分かるけど、ニーナさんと同じ難民で、記憶まで無くしてる俺は、押し付ける相手としてはちょうどいいだろ。
「……そこまで分かっていながら、あえて自分から忌み子を引き受ける理由はなんです? 自分も呪いを受けるとは、考えてないんですか……?」
……忌み子、ね。ま、今はいいや。
呪いを受ける心配は全くしてない。というのも、ニーナさんの父親にして呪いを受けた女性の旦那である男性が、呪いを受けていないから。
婚姻もステータスプレートで結ばれる契約の1つだと聞いたから、ステータスプレートを介して呪いが伝染するなら旦那の方も呪われてないと理屈が合わないでしょ。
まぁ言わないけどね。相手が有利になる情報はたとえ推測だって伝えてやらない。
「皆さんも知っての通り、俺は難民ですから。しかも記憶も無くしていて、頼れる人もない」
目の前の無茶を言う男は、天涯孤独で記憶喪失。
「それに先ほどステータスプレートを見せた通り、俺は未だに村人です。村人の俺がたった1人で生きていけるほど、この世界は甘くないのでしょう?」
それでいて村人の男には後がない。それを強く強調する。
「だから、交渉次第では無料で手に入りそうな奴隷を確保したいんですよ」
今の俺には何の力もない。つまり失うものもない。
失うものがないって事は、守るものもない。
守るものが無ければ、躊躇う理由も無いわけだ。
呪いを引き受けるリスクを度外視する理由として、まぁまぁの説得力があるはず。
「どうせ今のままでは俺も生きて行くのが難しい状況です。ならば呪いのリスクがあっても、奴隷を確保する機会を逃したくなかったんです」
実際、俺の言葉は全くの嘘ばかりってわけでも無い。本心を全部見せていないだけで、言っている事は全て本当のことだ。
だから俺に寄越せ! お前は要らないんだろうがっ……!
俺の説明を聞いた奴隷商人は、目を瞑り上を向いた。俺の話に嘘が無いか、脳内で吟味しているんだろう。
「ぬ、う……。確かに、確かに一考の余地はございます。ございますが……。独断でここに来たと仰ることからお気づきなのだと思いますが、忌み子の引渡しには、少々問題がございます」
「ステイルークの役人の圧力ですよね? それについてもご提案とご相談があるんですよ」
相手がこちらに甘えやすいように、まずはこっちから相手に甘える。
「役人は確実にニーナさんを処理したい。だから彼女を引き受けた場合、俺もこの街に居られません。なので近場の街までの道を教えてもらいたいんですよ」
交渉に関係なく甘えたい部分だけどね。
せめて近場の街までの道くらいは教えてもらわないと困る。
もうこの街の印象最悪だし、ニーナさんの事がなくても住みたくない。だからステイルークを離れるのは問題ない。
「もしも遠くまで離れて欲しいって言うなら、道を教えてもらえれば従います。俺もニーナさんも2度とこの街に戻らないことは約束します。不安でしたらステータスプレートで契約してもいいですよ」
相手に甘えつつも、こちらから相手に譲歩した条件を提示していく。
移動魔法があるから、どこまで遠くに移動しても意味はないと判断されるか?
いやニーナさんは移動魔法使えないんだから、やっぱり遠くの方が安心できるのかな?
「そ、そこまで申されるのでしたら……。いえ、やはり分かりません。貴方の状況は理解しましたが、それでも貴方にとってはメリットよりもデメリットの方が大きいように感じます」
俺のデメリットなんて気にせず素直に寄越せよ。アンタは要らないって捨てたんだろうが。
大体にしてニーナさんを所有する事にデメリットなんか無いんだよこのボケっ!
「奴隷を無料で手に入れたい。その程度の理由では、貴方の熱意は説明できません」
熱意ねぇ。流石はベテランの奴隷商人。人を視るのはお手の物ってとこか。
さて。あとひと押し。なんて答えるべきかね。
「……彼女を手に入れる理由、ですか。そんなの決まってる」
いや。嘘をつくよりも直球で行こう。今の俺には何のカードも切れないんだから。
「あんな可愛い子を殺すなんて勿体無い。みんなが要らないなら俺にください」
自分が死ぬと分かっていて、それでも自分より俺の身を案じた彼女を。
「呪われるかもしれなくても、それでも彼女が欲しいと思った。理由なんてそれだけです」
あんな女の子をたった1人で死なせてなんて、やるもんか。
辺りが静寂に包まれる。
冷静になって考えて見ると、なんで俺奴隷商人なんかに、嫁実家への挨拶みたいなことしてんだろうね?
「ふは、ふはははははは!」
その気まずい静寂を破ったのは、奴隷商人の笑い声だった。
「そっ、それはっ、それは確かに納得するしかありませんな! 馬鹿馬鹿しい! でも実に男らしい! それは必死になるというものです!」
ひとしきり笑ったあと、愉快で仕方ないといった様子で自分の両膝を手の平でパアンと叩く奴隷商人。
「宜しい! このゴール、全面的に協力しようではありませんか!」
爆笑しながら奴隷商人ゴールから差し出された右手を、俺も力強く握り返す。
あー良かった。とりあえず第一関門は突破だ。
綱渡りもいいところの穴だらけのガバガバな作戦だったけど、何とか乗り切ることが出来たようだ。
というかぶっちゃけ、ニーナさんからの返事がまだなんだよなぁ。
……これでニーナさんに拒否されたら、どうしよう?