【第02話】死にたがりの大馬鹿野郎
耳を塞ぎたくなるくらいに甲高い女の声が、迷宮内に鳴り響く。
金髪の男が立っていたであろう場所に、白い髪を腰まで垂らした、幽霊を連想させる半透明の女が立っていた。
――迷宮ブロックに封じられていたはずの――死を泣き叫ぶ亡霊女が赤い血の涙を流し、絶叫している。
迷宮士の魔法である迷宮探査の場合、青白い光が迷宮壁に走る。
バンシーの放つ魔法はそれと異なり、血を連想させる真っ赤な光を黒い壁に走らせ、通路の先にある曲がり角の更に奥へと、赤い魔法の光を伸ばしていた。
探索者に死を招く叫び声を放ち、役目を終えたバンシーが、霧のように消える。
「てめぇらが悪いんだよ!」
小鬼の死骸から回収したであろう、魔石が入った皮袋を握り締め、金髪の男が捨て台詞のような言葉を吐いて、通路へ駆けて行った。
「……屑野郎」
その姿を、呆気に取られて見送った俺の耳に、ボソリと呟く彼女の声が入った。
後ろへ振り返ると、――金髪男が立っていた場所――トラップが設置された床を、マリーネが冷たい目で見下している、
先人の警告である、迷宮警報機のトラップスイッチの存在を、床に書き記していたはずなのに。
あの大馬鹿野郎は、わざとそれを踏んだ。
彼女と俺に嫌がらせをする、それだけのために……。
「うわぁあああああ!」
俺とマリーネの視線が交差し、通路の奥へ条件反射的に目を向ける。
燃えているモノが近くにあると理解できる、明滅するような火の灯りが揺らめき、薄暗い通路内を照らす。
男の叫び声と同時に、曲がり角から姿を現したのは、上半身を燃え盛る火に包まれた人間。
悶え苦しむ男の背中に、横から飛んできた五つ程の火球が、ほぼ同時に着弾した。
火を吐く魔獣が、何体いるのだろうか?
火球と思われる魔法が絶えることなく飛び続け、壁や床に倒れ伏した人間に向けて、執拗に火の球を浴びせ続けていた。
「こっち来て」
耳元への鋭い囁き声と同時に、俺の手首がマリーネに掴まれ、通路に繋がる壁へと引き寄せられた。
彼女の誘導に従って、慌てて移動したせいで、壁に肩口をぶつける。
その痛みを感じる余裕もなく、壁に背中を預けて息を潜めた。
俺の手首を痛いくらいに握り締めながら、マリーネが顔の一部だけを外に出して、静かに通路の奥を覗き込んでいる。
「リュート、数を確認できる?」
「迷宮探査を使ったら、向こうに気づかれるかもしれないぞ?」
「……いいわ。正確な、数を知りたいの」
緊張を隠せないくらいに声を震わせて、俺に問いかけてきたマリーネとしばし見つめ合い、俺は無言で頷いた。
マリーネに握られてない方の手を壁に当て、黒い壁に青白い光を走らせる。
この災厄を招いた大馬鹿野郎の声は、既に聞こえなくなっていた。
「たぶん、死んだ彼を除いて……七体いる」
「私から見えたのは、四体だったけど。まだ奥にいるのね? ……ちょっと、多過ぎるわね」
顔の一部をずらし、通路を覗き込んでいだマリーネが、溜め息を吐きながら俺に報告してくれる。
絶望的な数の魔獣に退路を塞がれてしまい、長い沈黙の間ができた。
魔法の火球を吐く音は止んでおり、獣が獲物へ群がる時に聞く嫌な音だけが、遠くから耳に入る。
「さっき、リュートが魔法を唱えた時に、アイツらと目が合っちゃったわ……。アレの食事が終われば、こっちに来るでしょうね……」
「そっか……」
床に腰を落とし、壁に背を預けながら、二人でぼんやりと遠くを眺めた。
黒こげになった小鬼の死体だけが転がる室内を見つめながら、どうしたものかと考える。
「あなたを守りながら、双頭火犬の群れを突破するのは、私一人では無理だと思う……。良くてもどっちかが死に。悪ければ、両方が死ぬわ……」
「うん……。俺も、そう思うよ……」
「リュートは、死ぬのが怖くないの?」
「……怖いよ。……すごくね」
俺の手首を掴んだまま、痛いくらいに握り締め続ける彼女の腕から、さっきから震えが止まらないことには気づいていた。
冷静を装いながらも、この絶望しかない危機的状況の中で、彼女は強い恐怖と戦っている。
「リュート。あなたに一つ、お願いがあるの」
もう片方の手に持っていた、古びた装飾のカイトシールドを、彼女が膝の上にのせる。
「この魔法盾はね。私の一族が、先祖代々受け継いできた、とても貴重な盾なの……。古代遺物は、知ってる?」
「それは、知ってるけど……。でも古代遺物は、大貴族とかが持つような凄いモノだって……」
「そうね……。普通はね。でも、私は……ちょっと訳アリなの……。運良くこの迷宮から、二人で生きて出られたら。続きを話しても良いけど……。もし、私だけが死んだ時は」
古びたカイトシールドをひっくり返し、裏側が見えるようにした彼女が指を差す。
「ここのポケットに、紙を挟んでるわ。できればメモに書いてる人へ、この盾を届けて欲しいの。コレの価値を、正しく理解できる人に渡してくれたら、きっとあなたに沢山の御礼をしてくれるはずよ……。だから――」
何かの物音に気付いたのか、会話を中断させたマリーネが、静かにと口元へ人差し指を当てた。
曲がり角越しに顔の一部をずらして、通路内を覗き込む。
「駄目ね。時間切れみたい……。もし私を信じてくれるなら。さっきと同じように、私の後について来て……。もしかしたら、あなたを守り切れなくて、死なせるかもしれないけど」
「抜け道が、あるかもって言ったら。俺を信じてくれるか?」
「……え?」
意を決した顔で話していたマリーネが、驚いた表情で固まる。
「さっき、魔法を使った時。向こうにある壁の奥に、空間があることに気づいたんだ……。たぶん、隠し通路があるんだと思う」
俺達がいる部屋は、一メートル立方体の迷宮ブロックが、五×五の広さで造られている。
左から三つ目にある真ん中の黒い壁を、俺が指差す。
通路を挟んだ反対側の迷宮壁へ、彼女の視線も動いた。
「隠し壁を開けれるかは、やってみないと分からない。でも、俺を信じてくれるのなら……」
「まだそっちの方が、生き残れる確率は……高いかもしれないわね」
真剣な眼差しで、そちらをじっと見つめていた彼女が、俺の方へ視線を戻す。
「今日の運の流れは。私より、あなたの方が上よ……。だから、隠し通路を見つけた……迷宮士リュートの幸運に、私の命を賭けるわ」
一月も満たない、見習い迷宮士の案を採用したマリーネが、俺の手を強く握りしめる。
その決断力には驚いたが、彼女の運を掴む嗅覚の鋭さは、本物なのかもしれない……。
俺の案で作戦を実行することに決め、お互いの役割を簡単に打ち合わせした。
「リュートも、夢の一つくらいはあるでしょ? 私も野望を叶える前に、死ぬなんてゴメンよ……。絶対に、生き残りましょう」
「うん」
「……行くわよ!」
マリーネが通路の前に飛び出し、前方へ突き出すように魔法盾を構える。
「古き血の契約に従い、我に力を示せ。顕現せよ、魔力喰い!」
先ほどよりも眩い、青白い光が魔法盾から放たれる。
彼女の存在を捉えた魔獣達が、通路の奥から火球を一斉に吐き出す。
五つ以上の魔法が同時に放たれ、カイトシールドでは守り切れない頭や足にも、火球が襲い掛かる。
「一つたりも、通さないわよ!」
青白く光り輝く魔法盾から、半透明の魔法壁が四方に展開される。
着弾した全ての火球を受け止め、燃え盛る火花を散らせた。
三メートル幅はあるであろう、通路いっぱいに広がった魔法壁を見て、古代遺物の凄さを改めて思い知る。
なるほど……。
十代後半で、コレが使える力が手に入るなら。
古代遺物と血族を巡る、戦争が絶えないわけだ。
「よし、いけるわ……。リュート、今よ!」
「おう」
雨のように絶えず降り注ぐ火球を、魔法盾で受け止めながら、彼女が合図を出した。
彼女が時間を稼いでる間に、俺も通路を横切ろうと走り出す。
「リュート!」
「ん?」
「もし二人とも生き残ったら、報酬は五・五で良いわよ! 私が惚れるくらい、カッコイイところを魅せてちょうだい!」
「……了解!」
背中越しに彼女から言われ、走る足にも力が入る。
失敗すれば、二人とも人生終了だけど……。
ここまで女に言われて臆したら、男が廃るってもんだ。
目的の壁に両手を当て、迷宮魔法を唱える。
「迷宮罠解析術!」
黒い表面にヒビが入り、不規則な線で刻まれた、百ピースにもなるスイッチの凹凸が出現する。
ゴクリと唾を呑み込み、緊張から唇を舌で舐める。
九十九あるダミースイッチを避けて本物の一つを探す、命懸けの難題に挑んだ。