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【第01話】見習い迷宮士とパーティー解散


「なぜ、君を助けたかだと? ……そうだね。……気まぐれ、かな? 少しばかり、昔を思い出してね……。なんとなくだよ」


 先の見えない真っ暗闇から、落ち着いた女性の声が聞こえる。

 時折り、悩むような間を空けながら、そう俺に告げた。


 通路の壁が淡く光るおかげで、俺の周りはわずかに見える。

 しかし、彼女の声が聞こえる奥は、まるで意図的に明かりが消されたように、本当に真っ暗で何も見えない。

 でもそこに、人の気配があるのは確かだった……。

 

 迫り来る死の恐怖から解放されて、緊張の糸が解けたからだろうか。

 全力で逃げ回ったせいで、腰が抜けて足に力が入らないし、思い出したように肺が痛くなるくらい、呼吸が苦しい。

 

 酷い疲労で身動きが取れない俺を、暗闇に潜む何者かが襲ってくる様子は、今のところはなさそうだ。

 敵か味方かも、まだ判断はできないが、形ばかりの礼は言っておくか……。

 さっき俺を囮にして、見捨てた仲間だった連中よりは、味方には近いだろう。

 悔しさに唇をかんだ後、俺は暗闇にいる者へ頭を下げる。

 

「道を開けてくれて、ありがとうございます。もう駄目かと、諦めてました……」

「ほう……。ずいぶん若く見えるが。平民の子にしては、礼儀がなっとるね……。少しだけ、驚いたよ」

 

 意外そうな声色で反応した際に、奥でわずかに何かが動く気配がした。

 かすかな衣擦れの音にも聞こえたし、服くらいは着てるんだろうか。

 会話はできるし、一応は人間……なのかな?

 見えない相手と会話をしながら、その姿を想像する。

 

「ちなみに、タダで助けたわけではないぞ? ここに君を招いたのは。少しばかり私とのお喋りに、付き合ってもらいたかったからだ……」

「お喋り、ですか?」

「そうだよ。なにせ私は長い間、この地下に引き籠ってしまい。外の様子を知らんのだ……。たまには、人と話をしてみたくもなるさ……。今日まで、ここに訪れた者と言えば。遺産狙いの墓荒らし(スカベンジャー)ぐらいなものでね……。君が元気に動けるまでの間。私とのたわいもない、お喋りに付き合ってくれたら、外に出してやろう……。どうだい? 悪くない取引だろ?」

 

 それは、俺にとって意外な要求だった。

 ほぼ無一文の俺に対価として、命を寄こせと言われるよりはマシだ。

 俺はその要求を受け入れ、彼女の欲する外の話をしてあげた。

 外の話と言っても、俺がこの地に生まれてからの、楽しくもない半生だ……。

 

 俺のくだらない話に、「ほう、それで」と先を促すように、彼女は相槌を打ってくれた。

 興味を引いてもらえそうな話題が、そろそろ尽きかけた頃……。

 今日まで無かった、久々の平穏な時間に酔ってしまったのか、うっかりと俺はつい口を滑らしてしまった。

 急に押し黙った彼女に、相手の理解できない話を喋ったことに気づき、俺は慌てて話の軌道修正を試みる。


「えっと……。今のは、村に来た商人が、忘れていった本の……。お伽話の内容、だったかな? 気にしないで下さ」

「いや。お伽話では無いな……。君の話しぶりは、どう聞いても。その世界を知ってる、口ぶりだったぞ」


 まるで断言するかのよう口ぶりで、今までとは異なる彼女の鋭い声色に、背筋がゾワリとする気配が満ちた。

 相手は裸足なのか、ヒタヒタと床を歩く音が、こちらに近付いて来るのが分かる。

 

「君に、とても興味が湧いたよ……。もう少しばかり、私とお喋りに興じる時間はあるかね?」

 

 不意に闇から現れた彼女の姿に、俺は息を呑んだ……。

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

 地を這う青いゼリー状の液体が、いきなり靴底で踏み潰され、目の前で弾け飛んだ。

 迷宮内を流れる魔力マナによって、青白く仄かに光る黒い壁に、飛び散った青い液体が付着する。

 粘り気のある液体が、壁からポタリポタリと垂れ落ちた。

 

「チッ……。さっきからスライムばっかで、カスカスの迷宮だな。ずっと焦げ臭くて、吐きそうだしよッ!」

 

 ――迷宮掃除屋の異名を持つ――最弱モンスターを相手に、苛立ちを隠せない金髪の若者が、青いスライムを執拗に踏みつぶす。

 

「地下に降りてから、十分以上は経った気がするけど……。小鬼ゴブリンの一匹すら、見てないわね」

 

 別の小部屋から顔を出した女性探索者が、ハズレ部屋だったことを報告する。

 待ち合わせに決めた場所へ、俺を含めた男女三人が集まり、互いに視線を交わす。

 女性と目が合ったので、俺が担当した部屋も収穫は無かったことを、首を横に振るジェスチャーで伝える。

 

「ホント使えないヤツだな……。さっさと小鬼ゴブリンくらい見つけろよ」

 

 ――どこで拾ったのか分からないくらい、ボロボロな革の胸当てなど――最低限の軽装備に身を包んだ若者が、不機嫌そうな顔で俺を睨みつけてきた。

 若さ故の短気な性格か、未だに一度も抜いてない腰元に提げた帯剣を、男が握り締める仕草をする。

 

「そこまで、彼を責めることもないでしょ? 迷宮士リュートは、まだ一月も満たない見習いなのよ?」

 

 ――わずかな怒りを含んだ声色で喋る――短気な若者の視線を遮るように、俺達の間へ女性が割り込む。

 迷宮士として未熟な俺を、彼女がフォローしたことが気に入らないらしく、今日で何回目になるか分からない男の舌打ちが耳に入る。

 ――たまたま乗り合わせた荷馬車でよくある――同じ目的のために即席で組んだチームとはいえ、俺のせいでパーティー内の空気はひどく悪い。

 

「迷宮士リュート。この先に、モンスターはいますか?」

 

 気を利かせてくれたのか、彼女は俺を責めることなく、探索の再開を促した。

 互いに自己紹介をした時から態度を変えず、親切に接し続けてくれるのは、彼女だけだ。


 今日まで一期一会のパーティーを組んだ探索者達は、どちらかといえば短気な彼と同じ態度ばかりであった。

 見習い迷宮士の俺を軽んじる態度の人達が多かったので、彼女の俺に対する腰の低い対応は新鮮であり、逆に落ち着かなかったりもする。


 でも、彼女にカッコイイ所を見せたくて、薄暗い地下通路の黒い壁に手を伸ばし、迷宮士としての仕事を再開した。

 幅一メートルの黒い立方体である、迷宮ブロックの一つに手を触れる。

 黒い壁に魔力を流し込むことで、接触した掌を中心に青白い光が波紋のように広がった。


 人工的な街灯の無い迷宮壁の表面を、視覚で迷宮探査ソナーを演出するように、青白い光が走る。

 薄暗くて先の見えなかった、長い地下通路の奥が魔法の光によって、一瞬だけ視認できた。

 しばらくして周辺の情報が、俺の脳内に流れ込んでくる。

 

「通路の奥を曲がった先に、五ブロックほどの小部屋がある。生命反応があったから……モンスターがいるかも?」

「どうせまた、スライムだろ?」

 

 俺が少し自信なさげに、言い淀んでしまったからだろう。

 間髪入れずに、金髪の男が嫌味な口を挟んだ。

 

「分からないわよ。もしかしたら、小鬼ゴブリンがいるかもね? 行きましょう」

 

 男の言動をあえて聞き流し、彼女は通路の奥へ足を向ける。

 横に回った彼女の動きを追うように、――髪を後ろで束ねた――ダークブラウンのポニーテールが、尻尾みたいに跳ねた。

 

「ホント。マリーネは、良いケツしてるよなぁ……」

 

 俺に聞こえる程度の小声で、ボソリと呟いた金髪男が、彼女の後を追いながら視線を下げる。

 横に並んで歩く彼が見つめる先には、ムチムチとした大きなお尻が、左右にフリフリと揺れていた。

 

「絶対、ベッドに押し倒して。ヒィヒィ泣かせてやるぜ」

 

 だらしなく隣で鼻の下を伸ばしたチャラ男が、ゲスな笑みを浮かべる。

 まだ出会ってすぐの短い付き合いだが、真面目に迷宮を潜ろうとする彼女の性格的に、俺達を誘惑するつもりは無いだろうけど……。

 性的な目で見るつもりのなかった俺でも、ちょっと目のやり場に困る、大きくて魅惑的な彼女のお尻が、ツギハギの無いボトムズをはち切れんばかりに押し広げていた。

 

「だからテメェは、さっさと小鬼ゴブリンでも良いから、モンスターを見つけろよ……。モンスターを探すしか能の無い、雑魚なテメェと違って、俺が活躍してるとこを魅せないと。俺に惚れたマリーネと、いつまで経ってもヤれねぇからな?」

 

 後半は語気を強め、俺を脅すようにチャラ男が睨みつけてくる。

 荷馬車の中で、しつこく彼女を口説いてる時も思ったが……。

 やっぱりコイツは、迷宮を攻略しに来てるというよりは、女の子をナンパするのが目的なのか?

 

「シッ」

 

 鋭く息を吐く音が、通路の奥から耳に入る。

 視線を前方に向けると、曲がり角を覗き込んでいたはずのマリーネが、俺達の方に顔を向けていた。

 ――静かにしろの意味を示した――口と鼻先に、人差し指を当てるジェスチャーをしたマリーネが、その人差し指を曲がり角の奥へ指し示す。

 その意味を『黙って、奥を覗け』と認識した俺は、険しい表情をした彼女と入れ替わる。


 曲がり角に身体を寄せながら、その先を静かに覗き込んだ。

 通路に繋がる、薄暗い小部屋が目に映り、その光景におもわず息を呑む。

 ずっと通路内が焦げ臭かった原因は、この部屋か……。

 

「なんだよ。やっと小鬼ゴブリンがいたのか? なにビビってんだよ。邪魔だ、どけ」

 

 静かに後続と入れ替わろうとした俺の肩を、金髪の男が乱暴に掴んだ。

 空気を全く読まずに、俺を突き飛ばすように押しのけ、チャラ男が曲がり角の奥へ無防備に身体を晒す。

 

「あん? なんか……黒い、狩猟犬ハウンドか?」

火球ファイヤーボールが来るぞ、避けろ!」


 アイツは耳が良いから、俺達の存在に気づいて待ち伏せしていたはずだ。

 馬鹿が騒いだせいで、こちらに気づいた四つの(・・・)赤い瞳を目撃した俺は、足下をよろめきながら咄嗟に叫んだが……。

 危機から逃れるために、曲がり角の方へ倒れた俺に、奥を窺っていた男が顔を向ける。

 

「……は? 何言ってんだ。一階層は、小鬼ゴブリンくらいの雑魚しか――」

 

 馬鹿にした笑みを浮かべたチャラ男の胸元に、赤い火の球が衝突した。

 

「アヂィッ!?」


 ボロい革の胸当てに着弾した、魔法の火が衣服に燃え移り、金髪男が手で叩いて火を消そうとする。

 パニック状態になって走り回る男の横腹を、俺の横から飛び出したマリーネが、容赦なく蹴り飛ばした。

 

「邪魔」

 

 火傷した痛みに悶えながら、芋虫のように地面を転がって火を消す男に目もくれず、マリーネが持っていたカイトシールドを構えた。

 魔法の盾なのか、彼女が流した魔力に反応して、見覚えのある家紋が盾の表面に、青白く浮かび上がる。

 間を置かず、通路の奥から飛んできた火球が、マリーネの魔法盾にぶつかり、火の粉が弾けた。

 

「奥にいるのは、双頭火犬オルトロスだ!」

「……なるほどね」


 巻き込まれないよう曲がり角の壁に身を隠しつつ、俺の口から出た魔獣の名を聞いて、マリーネが納得した顔をする。

 直後に、身構えたマリーネの魔法盾に、火球が着弾した。

 

「数は、一体かしら?」

「たぶん、そうだと思う」


 通路の奥から次々と火球が飛び続け、マリーネの持つ盾の表面を、魔法の火で何度も炙っていた。

 普通の迷宮なら、一階層では絶対に遭遇しない魔獣の名を耳にしても、彼女に動揺した様子は見られない。

 断続的に飛んで来る火球を、魔法盾で淡々と受けながら、マリーネが俺の方へチラリと目を向けた。

 

双頭火犬オルトロスが一体なら。私一人でも、なんとかできるかもしれないわ。私の後に、続ける?」

 

 逃げるのではなく、勇敢にも攻めることを、マリーネが俺達に提案する。

 火を消し終えた彼は、既に俺の後ろへ逃げており、「冗談だろ?」と言いたげな顔で俺と彼女を交互に見た。

 戦力になりそうにもない金髪男を無視して、魔法盾を構えた彼女の背後に、俺は移動する。

 

「私が合図を出したら、一緒に走るわよ……。部屋に入ったら、一気に距離を詰めて、私が仕留めるわ。その間に、他に仲間がいないか確認して……」

「了解」

 

 まるで二人以上の魔術師を相手してるように、休みなく飛び続ける火球を魔法盾で防ぎながら、マリーネが迷いなく前進を続ける。

 なかなか火ダルマにならない彼女に業を煮やしたのか、火を吐く魔獣が火球の軌道を変えてきた。

 マリーネはタイミング良く盾をずらし、前方をしっかりと確認しながら、全ての火球を盾で弾いている。

 

「そろそろ行くわよ……。走って!」

 

 走り出した彼女の指示通り、俺も通路を駆け抜ける。

 小部屋に飛び込んだマリーネが、魔法盾で火の球を弾きながら、魔獣と接敵した。

 マリーネが剣を振り回し、黒い一つの胴体に二つの犬頭を持つ、火を吐く魔獣へ勇猛果敢に挑む。

 激しい攻防を繰り広げる彼女を信じ、他のモンスターが室内に存在しないか、確認する役目に俺は徹する。


「キャイン!」


 迷宮壁に触れながら、己の視覚と迷宮探査ソナーで二重チェックをしている間に、犬頭が一つ斬り飛ばされた。

 

「てやぁあああ!」

 

 気合の入った咆哮と同時に、力強くマリーネが剣を振り抜いた。

 一閃した剣の刃が、もう一つの犬頭を斬り落とす。

 二つの首を失った黒犬の胴体がよろめき、力無く床へと崩れる。


 モンスター特有の青い血液を床にぶちまけ、マリーネが地面に倒れた胴体を、すかさず足で踏みつけた。

 魔獣に剣先を深く突き刺し、迷いなくハラワタを斬り裂く。


 頬に付着した青い体液を、マリーネが手の甲で拭い、緊張が解けたように肩を落とした。

 魔獣を見事に仕留めた彼女が、何度か深呼吸をした後、満足気な顔を俺に向けてニコリと笑う。


「これくらいやれば。流石の魔獣でも、死ぬでしょう?」


 彼女に脅されたわけでも無いのに、無言で首を何度も勢いよく、縦に振ってしまった。

 剣を跳ねて血糊を飛ばし、鼻歌混じりに刃を鞘にしまう。

 魔獣の魔石探しも、ついでに自分でするつもりなのか、マリーネが腰元のナイフに手を伸ばそうとした。

 それを見て、俺は慌てて腰元からナイフを取り出す。

 

「か、解体は俺がするよ」

「あらそう? ……それじゃあ、お願いするわ」

 

 床に転がる双頭火犬オルトロスの犬頭を拾い、額にナイフを突き立てる。

 討伐後の魔石探しは、気分の良い作業ではないが、戦闘では役立たずな迷宮士の俺が、率先してやるべき仕事の一つだ。

 魔獣から手に入る魔石は、雑魚モンスターの小鬼ゴブリンとは比べ物にならないくらい、高く買い取ってもらえる。


 必死にもなるさ……。

 たとえ迷宮攻略後に、迷宮士の俺が貰える報酬が、たったの二割・・だとしても……。

 

「た、倒したのか?」

 

 少し遅れて、身を潜めていたチャラ男が顔を出した。

 怯えた表情で、キョロキョロと首を左右に振って、室内の状況を確認している。

 火の一部が燃え移ったのか、金色だった前髪がチリチリに黒く燃えていた。

 かなり不細工な髪型になってるが、彼に教えてあげた方が良いのだろうか?


 動揺を隠せないチャラ男に、マリーネが何かを投げつけた。

 慌てて受け止めた皮袋を、不思議そうな顔で眺めた後、チャラ男がマリーネの方へ顔を向ける。

 

「あなた、王都の迷宮を十階層まで行ったことあるとか、荷馬車で自慢してたけど……。本当は嘘なんでしょ?」

「な、なに言ってんだよ。ダチと一緒に、俺も十階層まで潜って」

「嘘ね。双頭火犬オルトロスは、王都の十階層でも出る魔獣よ……。さっきのあなた、自分が何してたか覚えてる?」

「え? あー……。いや、あれは……」

「たまたま私が、魔法盾を持ってたから良かったけど。双頭火犬オルトロスを知ってたら、アドバイスの一つくらい出たはずよね?」

 

 俺が魔獣の解体作業に勤しんでる傍らで、若い男女二人が口論を始めた。

 おそらくチャラ男君は、探索者になってから日が浅いのだろう。

 ここは一般的な王都の迷宮とは違い、かなり特殊な迷宮なので、一階層でも魔獣と遭遇する確率が高い。

 おもわぬ形でボロが出て、しどろもどろになるチャラ男を、マリーネが冷めた目で見つめている。

 

「悪いけど。遠足気分で迷宮に潜ってる新人君と、危険な橋を渡るつもりは無いわ。今すぐあなたと、パーティーを解散したいから、そこに転がってる小鬼ゴブリンを解体して、魔石を拾いなさい。それは全部、あなたにあげるから」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

「いいえ、待たないわ。わたし、パーティーを危険に晒す探索者と、口だけの男は嫌いなの」

 

 おそらく双頭火犬オルトロスに襲われたであろう、体長が一メートルほどの黒い人型の消し炭が、いくつも床に転がっている。

 黒コゲになった小鬼ゴブリンの死体を乗り越え、俺は床に転がるもう一つの犬頭を拾う。

 

「ちなみに言っとくけど。この迷宮、たぶん双頭火犬オルトロスは一体だけじゃないわよ? 私は彼とすぐ、地上へ戻るつもりだけど。他の魔獣が来ても、あなたを守るつもりはないからね?」

「な……」

 

 絶句するチャラ男の顔をチラ見して、少しだけ気が晴れた。

 俺も鼻歌を唄いたい気分になりながら、ナイフを深く挿した後に、指先を捻じ込んだ。

 マジかよ……。

 

「どうかしたの?」

 

 おもわず手を止めた俺の背後から、覗き込むようなマリーネの気配を感じた。

 手に入れた物を慌ててボロ布で拭き取り、簡単に体液を除いた赤色の魔石を、掌にのせてマリーネに見せる。

 

「嘘……。二つあったの?」

「みたいだね……」

 

 半透明な灰色石の表面に、数滴の赤い液体を垂らしたような小鬼ゴブリンの魔石とは、見た目のレベルが明らかに違う。

 芯まで血が通ってるみたいに、濃厚な赤色の魔石だ。

 

 双頭火犬オルトロスの二つ頭のどちらにしか、本来は存在しないはずだけど。

 稀に両方の犬頭から、魔石が採れることもあると聞いてたが。

 噂じゃなく本当に取れてしまったので、俺も内心かなりビックリしてる。

 まだ生きてるかのように、掌に温もりを感じる二つの赤い魔石を、マリーネが手に取った。


「魔獣の魔石って、鑑定する必要もないくらい見た目で違うから、すごいわよね……」


 青い瞳をキラキラと輝かせ、女性が高価な宝石を見つめるように、うっとりした笑みを浮かべる。

 二つの赤い魔石を握り締めると、分かり易いくらい頬を緩めた、彼女の笑顔が近づく。

 

「今日の報酬は、七・三で良いわよ……。私と協力してくれたあなたで、七・三ね」

「……え?」

「ふふッ。いま、とっても気分が良いから。今夜は、私のおごりで良いわよ……。もちろん、付き合ってくれるわよね?」

「……う、うん」

 

 迷宮探索者によくあるげん担ぎの一つに、『双頭火犬オルトロスの二つ石』の話があったけど。

 報酬の分配が八・二の約束から、七・三に変わっただけじゃなく、好みの女性から晩御飯の誘いを受けるという、ありえない幸運イベントの連続に動揺が隠せない。

 一生分の幸運を使ったような気分になって、逆に不安になってしまう。

 どっかで、この超幸運分の帳消しが、こなけりゃいいけどさ……。

 

「ねぇ。迷宮士リュートはもしかして、かなりの幸運の持ち主?」

「いや……。どっちかというと。ここ最近は、ツイてないことの方が多くて……」

「そうなの? 私は今ので、一期一会で終わりたくないと思ったのだけど……。良かったら次の仕事も、お願いできたり――」

 

 嬉しさのあまり浮足立つ俺の耳に、カチリと嫌な音が聞こえた。

 音の方角的に、金髪男がいた場所へ目を向けた瞬間――。

 

 今日一番聞きたくなかった、迷宮警報機トラップのサイレン音が、迷宮中に鳴り響いた。


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