三話 ドレスで駆けると転びますよ
「おはようございます。オーリス様」
ノックの後、そっと入室して来られた侍女さんが声をかけてきました。
昨日教戒をしたおひとりですね。
窓を開け朝の空気を入れてくださりお茶を用意して下さいます。
浸蝕された私の右手親指は夜の糧のおかげで元に戻っています。
“美味しいお茶です。ありがとうございます”
侍女さんにお礼を言うと少し頬を染められ顔を背けられてしまいました。
紅茶の茶葉と淹れ方が似ていますね。
“マリスさんがお手隙のようでしたらお目にかかりたいのですが”
侍女さんに頼むと、伺って参りますと部屋を出て行かれました。
しばらく待つとマリスさんが駆け込んで来られました。
「オーリス様! 私にふたりきりで大事なお話があるとか!」
“ふたりきりでの大事なお話ではありませんが、この国の事や世界の事がわかる物、そうですね書庫の様な物はありますでしょうか?”
「御座いますぞ! 朝早く陛下より、オーリス様に協力せよと申しつかりましたのでご案内できます」
“それと本日披露目を行うとの事でしたが?”
「はい、夕刻からになっております。お時間前に迎えをよこします」
“ありがとうございます。では、ご案内お願いします”
「はい、御一緒に行きましょう! 何処までも!」
“書庫までお願いします”
教戒した黒騎士さんの先導で城の奥へと進んで行きます。
すれ違う人は、はて、どこかの貴族かそれとも子息かと興味深げな様子です。
先導する黒騎士さんは誇らしげに堂々と案内してくれています。
どのくらい奥へ来たのかわかりませんが、書庫管理室と言われる部屋へと案内されると、管理者と思われる老人女性がいらっしゃいました。
“初めましてオーリスと申します。読書日和のちょうどよい暖かな日ですね”
「あらあら、ダーラ・ガトルードです。良い日ですね。初めてお見かけしますね」
ダーラさんはにこにこしながらご挨拶を返して下さいました。
赤髪に少し白髪が交じった笑い皺のとても似合う方です。六十代くらいでしょうか、そうでしょうね。素敵な歳の取り方をされているようです。
「ダーラ! オーリス様を書庫へ案内しなさい。さっさと仕事しなさい!」
「あらあら、なんだか小蠅が着いてきているようですね。ああ、五月蠅い五月蠅い」
マリスさんとダーラさんが口でそうは言っても仲が良さそうです。
ダーラさんは私へ向き直るとにこやかに対応して下さり、さらに奥の部屋へと案内して下さいました。マリスさんと黒騎士さんは先ほどの部屋で待機しているそうです。
書庫には二百を越える数ではなさそうですが、古い本から新しめの本まであります。本の大きさは多種多様ですが、全体的に大きめです。
ダーラさんに世界史と王国史、地図とこの世界の神の事が書かれている本をお願いし持ってきていただきます。
世界史と王国史を読み込んで、各国の位置関係とこの世界で崇められている神を頭に入れていきます。
現在確認されている大陸は三つ、国は五つ。昨夜ヴォルブ様が言われた通りかなり少ない国の数です。
ロムダレン国がある大陸には三つの国、この大陸は三大陸の中で一番小さいようです。
ロムダレン国は小国で、国全体が深い森に囲まれており、海にはたどり着けそうにありません。北にしか行けず、その先にはノバル王国があり、また今から五年ほど前にノバル王国へ独立宣言をしたノバル公国があるようです。
他の二大陸はそれぞれひとつの国が治めているようで、一番大きい国がトリストロイト聖皇国、そのすぐ近く、もうひとつの大陸に帝王国エランがあるようです。
まだ見つかっていない陸地があるかもしれませんが、この世界は小さめのようです。
そしてこの大陸ではガイア神を、トリストロイト聖皇国では聖皇を現人神とし、帝王国エランは自由信仰を取り入れているようです。
獣人という言葉を見つけ、昨晩ヴォルブ様がおっしゃった言葉を思い出します。その言葉は国史の初期の頃に出て以来ありませんね。
ヴォルブ様が言われた時も引っかかりましたが、獣人とは何でしょうね。
そこまで調べた所でいったん書庫を出ることにします。ダーラさんに感謝をし、お返しに教戒をしてあげました。
『跪け!』
「はううっ!」
「ひぅっ!」
マリスさんとダーラさんの顔が朱に染まり、イイお顔です。
マリスさんよだれを拭きなさい。
『主は唯一神であらせられる。改心せよ!』
親指の先が浸蝕されているはずです。
ダーラさんが涙ながらに私にすがりつこうとしましたが、マリスさんがそれを阻止し、かわりにマリスさんが向かってきます。
「オ、オーリス様……もうよろしいでしょうか! よろしいですよね!」
マリスさんがよだれはそのままキリッとした顔で私に迫ってきます。
何がよろしいのでしょうか、よろしくないでしょう? 何が「もう」でしょうか、「もう」も「あと」もダメです。
察した黒騎士さんがマリスさんを抑えつけてくださいました。ありがとうございます。
教戒済みである黒騎士さんは、マリスさんが宰相であろうとも私を優先して下さいます。
ふと足元を見るとダーラさんが五体投地のような格好で私の足首を掴んでいます。結構なお力です。息が荒いようです。
「ダーラ! 何を! しているのです! 私のオーリス様に!」
マリスさんが黒騎士さんの腕を振りほどこうとしながらダーラさんに向け声を荒げます。
「ああ、オーリス様結婚して下さい!」
“お断りします”
「ダーラ! あなたには孫がいるでしょうが!」
ダーラさんのお顔は床と接してこちらを見られないので、顔と床の間にお返事を差し込んであげます。
このままでは主ではなく、私を崇める事になってしまいそうですので教戒の内容を変える必要がありますね。
手遅れでしょうか、手遅れではないと思いたいです。
この世界では私の教戒はご高齢の方に特殊な作用をもたらすのでしょうか。危険な感じがします。
黒騎士さんにマリスさんとダーラさんを落ち着かせていただき、貴賓室へ戻りました。
早速、マリスさんにこの国の教会の状況を伺う事にします。
「教会はガイア神とその子らの信仰以外を認めておりません。ここ王都では十二の教会がありますが、七日毎の説法の日は信徒のほとんどの民が教会で祈りを捧げております。ただ教会は民の中でも獣人を排除する傾向にあり、この大陸では獣人を見る事はほぼありません。獣人は帝王国エランに安住の地を求めて移民する事が多いようですな。建国当初はそのような事はなかったようなのですが、先王の時代からです。基本的に王家は中立です。教会に獣人排除の撤回を申し入れた事があります。が、芳しくないですな」
“教会は布教活動をどのようにしているのでしょうか”
「教会内ではもちろんですが侍祭達による街の中での宣教、時には各家庭へ直接訪問し強引に教会へ誘う事があるようですな。民が見回りの兵士に訴える事があります」
信徒を得る為に手段を選ばずという事でしょうね、おっと不可視ブーメラン。
しかし獣人とは何でしょうか。何ですか? マリスさん。
「獣人は獣の姿を受け継ぐ者達です。ガイア信仰教義では人は神がお造りになったが、獣人は獣が変異して出来た者としておるようです。犬、猫、豚、猿などいろいろな特徴を持った者がおりますな」
獣が変異とは……
“人と獣、生きとし生ける者をお造りになったのは主でありますので、結局は人と同じだと思われますね。教会は弱者を作りそれを蔑むことで信仰をより強い物にしているのでしょうか、そうかもしれませんね”
「なるほどそうでありますな。教会は狭量ですな、オーリス様の御心はなんと広い」
うんうんと感じ入ったようでマリスさんは想いを噛み締めながら目をつむり、私に祈りを捧げております。これは何かが手遅れのようです。
マリスさんはお呼びがかかり王のもとへと向かいました。
私には間もなくミージン王女よりお茶のお誘いがありました。
王女専任という侍女さんに庭園の東屋へ案内されます。
東屋にはミージン王女がすでに着席されており、こちらに気づくと笑顔を見せてくださいます。
騎士二名が東屋奥で護衛に立っているようです。騎士も王女専任でしょうか、そうでしょうね。
美しい花々が咲き花の色に合わせて上品に配置されていますね。
「オーリス様、ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」
立ち上がり、丁寧なご挨拶と共に席へ着くよう案内されます。
“お招きありがとうございます。今日も素晴らしい陽の光ですね。神々しくあります”
「そうですね。暖かく包んでくださるような光が眩しいくらい」
“このお誘いが楽しいひと時でありますよう……”
「わたくしもそう思いますわ」
侍女さんがお茶を淹れてくださり、美しい所作で下がっていきます。
お茶請けにクッキーのような物があります。
ああ、美味しいお茶です。昨日頂いたお茶とは違った香りと味です。毒も入っています。
しかし昨日の今日で早速とはもしこの方が次の王ならば安泰でしょうね。
“美味しいお茶をありがとうございます”
ニコッ。
王女の左眉がピクッと上がります。私が平気なのが気に入らないのでしょう。
そのお顔を拝見できただけでも無上の喜びです。ありがとうございます。
「オーリス様にはこの毒は効かないようですね」
ミージン王女が微笑み、手を上げようとしています。専任騎士への合図だと思われます。
“まぁまぁ、ミージン王女少しお話をしましょう”
筆談では間に合いそうになかったので、王女の目の前に言葉を現出させます。
とある種族にしか通じない文字列です。
王女はそれを見て驚きもせず腕を上げるのをやめてくださいました。
専任騎士のおふたりは突然何かが現れたので驚いてくださっているようです。現出させた甲斐がありました。
「お前達は下がりなさい」
ミージン王女は専任騎士おふたりに命じます。素直に下がる騎士によく訓練されている物ですと感心します。
こんな怪しい者と王女を二人にして大丈夫なのでしょうかね。
“なぜ? というお顔ですね。私にはその者の資質が見えます。もちろんミージン王女の資質も。よく隠して来られましたね。それにアルブ殿下は英雄資質ですね。あれは怖いですよね、目覚めれば神さえ討てる。ミージン王女は警戒していらっしゃるのでは?”
「いいでしょう、それで? ……オーリス様、わたくしに何か言い訳でもあるのでしょうか」
“ミージン王女の狩り場へ迷い込んだのは偶然……いえ、これも主の思し召しでしょうか、そうでしょうね”
ミージン王女にはもう隠す必要はなくなりましたので言葉を直接現出させています。
「オーリス様の神の御名をお聞かせなさい」
“お断りします”
「あなたの真名をお聞かせなさい」
“お断りします”
「死にますか?」
“生まれ変わって二日ですのでまだ早いかと思います”
「では、余所(他の世界)へ行きなさいな」
“いえいえ、私はまだ好きに生きておりません。主の教えを広めてもおりませんしね。ここへ置いていただければありがたいですね”
「わたくしと敵対すると? わたくしの、十七年を、無駄に、したいと?」
“ミージン王女、あなた様の十七年より主の一秒の方が尊いのですよ”
少し怒りを露わにされたようです。また左眉がピクッと上がりました。
「オーリス様とわたくしは相容れない存在のようですわね」
“ミージン王女が何を求めているかによります”
「その答えからわたくしがナニかを推測などさせませんよ」
“ミージン王女が何者であっても私の答えは同じでしょうね”
「そう、もうお話は終わりね」
そう言って、手を上げます。先程下がった専任騎士が反応し、剣を抜きながら駆け寄ってこようとしています。
この騎士達は先にミージン王女が手を付けているでしょうから、教戒は効かないでしょうね。
当然ミージン王女にさえ。
お互い剣や毒では死なないでしょうにこれは宣戦布告でしょうか、そうでしょうね。
『顕現せよ!』
瞬間、騎士達の前に人の幼児に真っ白な羽を携えた者が三体浮かび上がります。
天使と呼ばれる個体ですね。今では堕天してしまっておりますが、それでも天使くらい顕現させられます。
天使を顕現した事で腕の肘まで浸蝕されていっています。
これくらいでミージン王女が引いて下さるといいのですけどね。
「お前は大天使か! 御使いと言うのは本当だったか! ちっ」
“ミージン王女、お言葉が美しくないですよ”
「エクター! グリフレット! 下がりなさい!」
騎士のおふたりはエクターさん、グリフレットさんとおっしゃるのですね。騎士達が下がると私も天使達を送還しました。
ミージン王女は仇を見るような眼で私を睨んでいらっしゃいます。
「お前、本当は何をしに来た? わたくしを討ちに来たか」
“いえ、ミージン王女のような方がこちらにいらっしゃるのは知りませんでした。昨晩ご説明した通り私はこの世界でただ生きる為に参りました”
「この世界で無くてもいいだろう! 余所へ行けよもう!」
“主が送って下さいましたので”
「お前のせいでわたくしの楽しみが……企てが……」
“ミージン王女の望みをおっしゃってくだされば、ご協力出来るところがあるかもしれませんよ”
なんだかひどく落ち込んでいらっしゃるようです。
私のせいでしょうか、そうでしょうね。
「天界の者など信用できるか!」
“反目し合っても私は構いませんよ。私は私の成すべき事を成すだけです”
ミージン王女は少し俯いて何か言いたそうでしかし言葉が出ないようで、腕をピンと伸ばしたまま両手こぶしをぐっと握り込んでいらっしゃいます。
「…………考えるわ」
涙目になりながらそうおっしゃると王女にあるまじき振る舞いで走って行かれました。ドレスで駆けると転びますよ。