パンの配達、やってます
「おい、ルビィ! いつまで寝てやがる!」
そうは言ってもまだ早朝と呼べる時間。パン屋の朝は早い。
男はそんな時間から怒声を飛ばし、手早くパンを焼いていく。
鈍い鉄板の音がガンガン鳴り響く中、眠そうな目を擦りながらルビィと呼ばれた女の子がフラフラと二階から下りて来た。
「おい、挨拶くらいしろ。どうせまた夜中までガラクタを作ってたんだろ?」
「ん……てか、ガラクタじゃないんだけどなぁ」
まだ眠いんですけどオーラを放ちながら、真っ赤に燃えるような長い髪を左側の高い位置で束ねる。
男はそんなルビィの姿を見て、呆れた顔で溜め息を吐いた。
「そんな顔して手伝いされたんじゃ、パンが不味くなる。とりあえず切れかけてるランプでも直しておけ」
そう言われたルビィはリズムを刻むように何度か首を縦に振った。
この口の悪い男。モンドはルビィの叔父である。
ルビィの両親は冒険者で、旅に出たままもう何年も帰ってきていない。
なので、幼少の頃から叔父であるモンドの経営するパン屋の手伝いをしながら共に暮らしている。
店で使用しているランプの光源は夜光石という。
橙色の優しい光を放ち、パンがより美味しそうに見えるとモンドが愛用している。
火を使わないので気軽に持ち運びが出来る為、ルビィもよく使用している。
普通の石に見える夜光石だが、爪で弾き衝撃を与えるとだんだん光が溢れ、息を吹きかけると光は消えるという摩訶不思議な石だ。
ルビィは木箱の中から予備で買い溜めしてある夜光石を一つ取り出すと、それを爪でピンと弾く。
夜光石から光が溢れてきたのを確認したルビィは、ランプの中心に置かれている切れかかって光が弱くなった石と交換をした。
光が弱くなり役目を終えた夜光石にルビィはそっと息を吹きかけ、近くの泉に沈めてやる。
役目を終えた夜光石を泉に沈めるのは、ルビィが覚えている数少ない母親からの教えの一つだ。母親はいつもこうやって夜光石に感謝の意を込めて沈めていた。
焼きたてのパンは町民を中心に売れていき、朝のピーク時を過ぎると驚くほど閑散とするが、モンドが手を休めることはない。
モンドのパンは大陸を越えて評判がいい。
その為、午後には配達も行っている。
もちろん足を動かすのはルビィの仕事だ。
この日は久しぶりに獣人界からの依頼もあり、ルビィは胸を躍らせて手早く支度を済ませた。
「全く、こういう時だけは早いんだからな」
「久しぶりの獣人界だよ! 人間界には無い珍しい物が出回っているから楽しみなんだぁ」
本音をさらっと漏らすルビィに、モンドは右の唇の上をピクピクと震わせる。
それでも、モンドは配達カバンにパンを丁寧に詰めていく。
「浮かれて転ぶなよ」
そう言いながらルビィにパンの入ったカバンを託す。
ルビィは重さを確かめるように受け取ると、慎重に肩に掛けた。
「もう子供じゃないってば!」
「ちげぇよ、おめぇの心配なんて誰がするか。パンが潰れちまう方がよっぽど心配だ」
「え、そっち!?」
モンドにいつも通りイジられると、店の外まで見送られルビィは配達へと繰り出した。
ルビィが配達の為にひたすら歩くここは、人間の住む大陸。人間界と呼ばれている。
大昔には一つの大陸しかなかったこの世界だが、大陸全土を巻き込む大きな戦争が起き、激怒した神が大陸を分けた。
今は人間、獣人、妖精、天使、悪魔がそれぞれの種族毎に一つの大陸に集まり暮らしている。
だが、大陸間で交流が無い訳ではない。各大陸を渡る手段として飛行船が利用されている。
人間界での配達を済ませたルビィも、獣人界へ向かう為に飛行船乗り場へと向かう。
ルビィは獣人界へ向かう飛行船に慌てて飛び乗った。
先程まで配達していた町からこの飛行船乗り場の間には大きな森がある。
崖の岩肌沿いを歩けば迷わない事は知っていたが、森を抜けるのに時間がかかってしまったのだ。
その為、全力疾走し息も切れ切れの状態で飛行船に乗り込んだのだ。
そんなルビィを見て、操縦士はクスクスと笑っていた。
「キミで最後みたいだね。獣人界行き午後発一便、離陸します」
操縦士はそう言うと操縦桿を引く。
飛行船は操縦士の意思に従うようにゆっくりと大陸から離れていく。
膝に手を付き呼吸を整えながら、ルビィは顔を上げた。
開けた視界の先にあるのは、別れた五つの大陸の中心に位置する六つ目の大陸。
そこには雲をも越える高さの大樹が聳え立っている。
その大樹の名は、階層の大樹イグランシール。
イグランシールを見つめるルビィの瞳はキラキラと輝いていた。
ルビィがイグランシールに目を奪われている間に、飛行船は獣人界へ到着していた。
飛行船から降りた途端、そこで思わず顔がにまぁっと緩んでしまう程の甘い香りが鼻を通り抜けていく。
周囲には無造作に組まれたレンガの道沿いに民家よりも高い木が植えられている。
その木の枝や葉はまるで屋根のように生い茂り、暗がりに付いた木の実がほんのり赤く発光し幻想的な世界を作りだしていた。
ルビィが感じた甘い香りの正体はその木の実であった。
ルビィはそんな幻想的な風景に目を奪われつつも、送られてきた注文書の住所を確認しレンガの道を進む。
少し歩き難いレンガの道。
大型の獣人の爪がレンガに引っかかったりするせいなのだろうか。
割れたり削れたりしたレンガの道は、ルビィの歩に合わせてガラガラと音を立てる。
その音は町の中心地から離れる程、よく響いた。
町から大分離れた場所に可愛らしいウッドハウスがポツンと建っている。
木で出来た立て札には手書きで『路地裏三番地』と書かれている。
ルビィは注文書の住所を再度確認してから、ウッドハウスのドアをノックした。
「どなたかにゃ?」
少し間をおいて出てきたのは可愛らしい猫人だった。
猫人を見たルビィの顔がとろけた。
「か、か、可愛い……」
ルビィが思わず声を出してしまったその猫人は、ルビィの胸辺りまでしか身丈が無く、首の部分に白いふわふわしたマフラーのような毛がある。
更に、掌にある桃色の膨らみは触って~と言わんばかりにルビィを誘惑してくる。
「可愛いとか要らないにゃ。それより何の用かにゃ?」
「あ、えっと。アニタさんですよね? 注文を頂いたパンを届けにあがりました」
「パン屋さん!? そうにゃ、アニタがアニタにゃ! 本当にアニタの家まで来てくれたにゃ!」
「あはは、そりゃ配達ですから」
アニタと名乗る猫人は膝を曲げたり伸ばしたりして、全身をぴょこぴょこ揺らしながらルビィの配達カバンの紐を引っ張る。
「早くっ! パン見せてにゃ」
まるで小さな子供のようにはしゃぐアニタを微笑ましそうに見ながら、ルビィはしゃがんでカバンを太股の上に乗せ、中から注文のあったパンを取り出す。
「うわーぁ!」
ルビィからパンを手渡されたアニタは、感激のあまりパンに頬擦りしながら目を細めた。
暫くしてからハッと気付いたように、アニタはポケットの中からお代を出しルビィに手渡す。
「ごめんなさいにゃ。嬉しくってつい。実はこれ、前祝いなのにゃ」
「前祝い?」
「そうにゃ。寺院からの通達でアニタにパーティ勧誘があったのにゃ。明日からアニタも冒険者にゃ!」
それを聞いたルビィの顔が凍りついた。
ルビィは唇を一度ぐっと噛んで、絞りかすのように声を放った。
「おめでとう……ございます……」
けれど、アニタはそんなルビィの様子に気付かずに嬉しそうに頬を赤らめた。
ルビィは表情を一旦押し殺した後、口角を無理矢理持ち上げて挨拶をする。
「では、私はこれで。お買い上げありがとうございました。えっと……応援してますね」
「ありがとにゃ! 頑張ってくるにゃ!」
ルビィは一度頭を軽く下げると、アニタに背を向けて歩きだした。
アニタの家を振り返ることもなく。
そんなルビィの姿が見えなくなるまで、アニタはじっと見送っていた。