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EP9〜邪悪な視線〜

王宮の広大な庭園には夏の訪れを予感させる青葉が豊かに茂りよく手入れされている芝生の鮮やかな緑は、未知への希望と溢れる生命力に満ちていて、見るものの心にも爽やかな大地のエネルギーを感じさせるのだった。


四神を召喚した儀式からは一か月の時が過ぎていた。


儀式の翌日には王宮から儀式が行われたことの大まかな説明がされたので国民からの不安の声も徐々に収まり、今はもう平穏な日常をすっかり取り戻している。


カディルにとってもあの日の出来事がまるで夢だったかのように思われる日もあり、今も庭園に広がる美しい景色をベンチに座ってひとときの休憩をとっていた。

本当に、まるで夢だったようーー。


しかし、夢ではなく現実であったと突きつけられるのはフィラの存在があるからだろう。


フィラはこのひと月ほど、殆どカディルの前に姿を見せることはなかった。

毎朝と帰宅後に必ずフィラの部屋の扉をノックして声をかけるのだが、小さな返事が返ってくるだけで扉が開くことはなかった。それでも最初の頃はノックしようと扉に近づくと中からフィラのすすり泣きが聞こえてきて、カディルはノックするために上げた腕を下ろし俯いた日も多かったけれど、今はそれも随分と減った。

今、フィラは自身の心の寂しさや不安と戦い続けているのだろう。


フィラにはノエルとエリッサという侍女をつけた。二人ともフィラより多少年上ではあるが、気さくで優しいノエル、姉御肌のエリッサがフィラにとって身近な姉のような存在になってくれたらと考えた。

二人からの情報では、最近のフィラは部屋からは出ないものの、ふとした折に笑顔を見せる回数が増えていること。怪我もほとんど完治して、折れた翼も治療の甲斐あって良い方向に治癒していっているということだった。


二人の侍女に打ち解けていっているフィラの様子と怪我の回復にカディルはホッと胸を撫で下ろして、彼女の心の扉が開くその時を今は静かに見守っている。


「カディル。」


声をかけられて振り返るとアレクスが見下ろしている。アレクスの長い赤髪が太陽の光に透けて薄い朱色に見えた。カディルは綺麗だなぁと思ってぼんやりと見つめていた。


「…?どうした。もうすぐ謁見の時間だぞ。」


「あ…」


カディルは我に返った。


「ああ…もうそんな時間でしたか。考え事をしていたもので。ありがとうございます。」


カディルは立ち上がって杖を持ち直すとアレクスと並んで歩き始めた。


「もうひと月も経つのに何の進展もないな。調査は続いているようだがカディルは何か聞いているのか?」


アレクスが言っているのは時空の亀裂の原因究明調査のことだ。

カディルは首を横に振った。


「いいえ。何も。今日はその報告かもしれませんね。」


「ああ。ーーん?」


「どうしましたか?」


突然立ち止まって後ろを振り返ったアレクスにカディルは首を傾げた。

アレクスは鋭い瞳を細めてしばらく何かを探るように辺りをうかがっていたがやがて首を振って前に向き直した。


「ーーいや。気のせいだろう。」


再び歩き始めたアレクスにカディルは歩幅を合わせた。


「どうしたのです?」


「気配がしたんだ。悪意のある目で誰かが私達を見つめていた。」


「ーえ…。」


「…気がしたのだが、どうやら気のせいだったらしい。」


気を取り直して謁見の間に向かうアレクスと並んで歩きながら、カディルはアレクスが見つめていた先を振り返った。


「ーーーーー…」


なんとも言い難い不穏な黒い影がカディルの胸に広がる。








「久々だが、皆元気そうだな。」


四人のディユを見回してリッカルド王子は端正な顔に笑みを浮かべた。玉座にすわるリッカルド王子は胸のボタンをいつもより1つ、2つ多めに外している。

暑いのだろう。

ひと月前の白龍召喚で小さな白龍しか召喚できなかったリッカルドは修行をさらに積むと言って空いた時間は武道や剣術などに時間を費やしている。先程まで運動していたに違いない。


「今日お前達を呼んだのは他でもない。これだ。」


「ーーなんです。それは…」


アレクスが嫌な予感がするように眉を寄せた。ゴソゴソと衣の懐をまさぐり、リッカルドは手のひらに乗せた黒い子猫を四人の前にお披露目した。


「ね…猫。だよな…?」


食い入るように目を細めてリアムが黒猫をじっと見つめる。にゃぉーんと小さく鳴いている。


「はぁ。猫に見えますねぇ。」


カディルも呟く。ランベールは無言だった。


「これが犬に見えるのか?美しいサファイヤブルーと金色のオッドアイの黒猫だぞ。」


黒い子猫はリッカルドの手の平の上にペチョンと座ってキョトンとした瞳で四人を見つめている。


「この猫を欲しい者にやろう。」


リッカルドは満面の笑みを浮かべて四人に子猫を差し出している。


やっぱりなぁ。。と四人は心で思っていた。


実はリッカルドには白龍を召喚できない意外にも問題があった。

無類の動物好きなのである。

ならば自分のペットにすれば良いのにと誰もが思うのだが、すでにこの王宮にはリッカルド専用の動物園、もとい飼育室が設けられているほどだ。

猫なら何十匹もいそうなものだ。


「この猫はな、昨日謁見したロシェルコルマールの献上品なのだ。なんと今はほとんど絶滅してしまった魔女猫の純血らしいぞ。とくにこのブルーを含むオッドアイは希少らしい。」


「そんなに貴重な猫ならば王子が飼われればよろしいのではないですか?」


アレクスはなんとか断りたい思いで必死に説得を試みているようだ。

別に動物が嫌いなわけではない。むしろ好きなほうだとアレクスは思っている。

しかし、屋敷にはすでにリッカルド王子から譲り受けた九官鳥と鷲とフクロウがいる。鳥と猫は相性が悪い…これ以上引き受けたら屋敷が動物園になってしまいそうだ。勘弁して欲しいという思いがアレクスの体から滲み出ている。


リッカルドは不満顔だ。


「もちろんそのつもりだった。しかし、先住猫のノアと相性が合わぬ故に仕方なく手放すのだ。」


先住猫のノア。ホワイトタイガーのような模様のメインクーンだ。大型犬のように大きい体でよくリッカルドの膝に伸びている。


「俺は無理です!猫アレルギーだから。」


リアムが後ずさる。猫を見ている分には構わないが抱くとくしゃみが止まらなくなる。


「ほう。白虎も猫の同類みたいなものだがな。」


リッカルドの言葉にリアムは膨れた。


「白虎は虎です!」


「ーーうちには王子から無理や…。いえ、いただいた手長猿がいますから。これ以上無理です。」


さすがのランベールも手長猿を押し付けられた時、青ざめていたのが懐かしい、とカディルは思い出していた。動物にまるで興味のないランベールがそれでも努力して飼育している姿を思い浮かべるとなんだか面白くてつい笑ってしまう。


「ではカディルはどうだ?」


カディルの屋敷にはリッカルドからの贈り物の羊がいる。屋敷の草をムシャムシャ食べている姿を見るのは気ままで可愛らしくてわりと気に入っている。


「はぁ。黒猫ですか…。」


「あの娘の気も紛れるかもしれぬぞ。良いではないか!魔女猫の純血なのだ。天使の役にも立つかもしれん。」


「うーん。そんなものですかね…」


カディルも動物は好きなので別に猫を連れ帰るのは全く構わないのだが、こうやってどんどん屋敷に動物が増えるのが少々心配だ。そのうちキリンや象まで連れて帰れと言われたらさすがに困ってしまう。


でも、この愛らしい子猫がフィラの心を明るくしてくれるかもしれない。

動物がくれる温もりや無条件の愛情は時として孤独から救ってくれるものだ。


「では、その黒猫はわたしがいただきましょう。」


カディルは王子に歩み寄り小さな子猫を受け取り胸に抱いた。柔らかくて暖かい。


「カディル。くれぐれも可愛がってやってくれ。」


「はい。もちろんです。」


子猫の貰い手が決まって内心三人のディユは心底ホッとしていた。


「王子。時空の亀裂の原因についての調査で進展はあったのでしょうか?」


アレクスは気を取り直して疑問を口にした。リッカルドは首を横に振ると、「まだ調査中だ。なかなか進まない。」と答えた。


時空に亀裂が入るほどの原因は必ずある筈なのになかなか見つからないーー。

カディルは違和感を感じていた。

そう、人為的に隠蔽されている「何か」があるような悪い予感を。


さきほど謁見の間に向かう途中でアレクスが感じた悪意の視線ーーー。


子猫の指を優しく撫でながらカディルは思いにふけっていった。


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