生き残った少年
少年は気が付いた時には、瓦礫の荒野ではなくベッドの上で仰向けに横たわっていた。見慣れた天井がありホッとする一方で、昨日までここに居た仲間たちが全滅してしまった事に背筋が震えて涙が零れた。
「ぜんぜん敵わなかったなあ…」
少年はそう呟いてから悔しさを飲み込む。
あんな怪物なんて聞いていなかった。敵が出て来るから戦えと言われていただけで、どんなものが相手か誰も明確に伝えたものはいなかった。
少年はふと思いつく。
生き残るのは珍しいと言われた事に。つまりはあの実態を知り得る人が生き残って後続に伝えることは出来ないのではないだろうか。死に絶えてしまって。
少年の背中を悪寒がぞくりと走る。生き延びられたのは奇跡だと。
少年はゆっくりと身体を起すと、辺りが静かな事に気付く。ここで共に訓練をしていた仲間たちは全員が怪物にやられてしまっている。けれど常駐の運搬の係や調理の係は戦いに赴かずに残っているはずだった。
僅かな人数に対して設備が広すぎるのか、話し声も気配も少年には届いていない。
起き上がると空腹を覚えた。あんなに赤い洗礼を受けたのに睡眠が足りたら次は空腹なのかと、少年は自分自身のいい加減さに呆れた。
食堂に足を向けると、やっと人の話し声がした。少年はほっとしてシェフに声を掛ける。
「あの、僕にも何か貰えませんか?」
少年がそう声を掛けると、声を掛けられた白衣姿の男はぎょっと目を丸くして少年を見た。
「…リコ。生きていたのか?」
そう問いかけられた少年、リコはシェフの横でがつがつと肉を喰らっている人物に気付いてポカンとなった。
それは自分よりも小さな少女だったからだ。金髪で紫色の瞳を持った、真っ白な肌のお人形のような少女が行儀を無視したように、口に肉を詰め込んでいる。
少女はもぐもぐと口を動かしながらリコを見た。
それから右手にフォークを持ったまま、ちょいちょいとリコを呼んだ。何となく逆らえなくてリコは呼ばれるままに少女の隣に立つ。その隙にシェフが厨房に入った事にリコは気付いていない。
「なに?」
「…身体の具合はどうだ?」
その声に聞き覚えがあったリコは僅かに体を引く。震えるガラスのような繊細な響きの声。間違えようもなく怪物たちを倒した人物の声だった。
「き、君は」
「ああ。大丈夫そうだな。お前も飯を食ったらいい」
リコの戸惑いなど気にもせずに、少女は肉を口に詰める。
「リコも座れよ」
シェフが両手に皿を持ちながら厨房から戻ってきて、少女の横の席に皿を並べる。疑問は多数あるがまずはお腹が空いていたリコは、黙って椅子に座るとガチャガチャと食器を鳴らしながら食事を始めた。
口に詰めて嚥下する。それをリコは何度繰り返しただろう。
ごくりと飲み込むたびに、涙が零れた。この何十人も座れる食堂には今朝まで沢山の人がいたのだ。半年ほどの付き合いだったが激しい訓練を重ねて、お互いに祖国を守ろうと逃げ出さないように励まし合って。リコより歳が上の人がほとんどだったが、同い年の子供たちも何人かいたのだ。
大きな剣を必死になって振り、手のひらには沢山の血豆を作り。身体を鍛えるために大人に怒られながらも、訓練に食らいついてきた。
全員の技量が揃ったと、隊長格の大人が判断をして戦いに出かけたのだ。
それは何もならなかったのだとリコは分かっていた。
いつしか咀嚼は止まり、リコはただフォークを咥えて泣いていた。
「う、ええぇ…う…」
涙も鼻水も涎も、フォークと手を伝ってテーブルの上に不定形な染みを作っている。
テーブルに突っ伏すように泣いているリコの事を、少女は肉のお代りをしながら眺めていた。
真っ赤な鼻を啜りながらリコが食事を再開する頃には、少女は食後のお茶を飲んでいた。
「…次の奴らが来るのは何時だ?」
「三日後と聞いています」
「そうか」
リコの横で少女とシェフがそんな話をしている。リコはちらりと二人を見る。シェフが少女に敬語を使っているのが気になって見たのだが、リコの視線に気付いた少女は小さく笑っただけで、話しかけて来る事はなかった。
パンと肉で腹を満たしたリコの前にも、食後の果物とお茶が出て来た。遠慮なく口にするが、やはり少女の事が気になってリコはチラチラと見てしまう。
その視線に業を煮やした少女が、リコに話しかけてきた。
「いったい、お前は何が言いたいんだ?」
「え。いや、別に…」
「何も言いたくない者が、あんなに何度も見て来ないだろう。聞きたいことは何だ?」
何だか詰問されているような言葉遣いだが、聞かれて答えないでいられるほどリコに平常心はなかった。
「君は何なんだ?」
「また、あいまいな質問だな。性別なら多分女だが」
「…みれば分かるよ。そうじゃなくてあんな怪物を瞬殺できるなんて。あの武器は何?何処から来たの?何でもっと早く来てくれなかったの?」
そうすれば皆が生き残ったかもしれないのに。リコの言葉は口の中に残り音にはならない。しかし少女には分かった様で苦笑された。それがリコの癇に障る。
「他力本願で生き残れるならボクの様なものはいないだろう。自分たちの実力不足をこちらのせいにされても困る。戦えなかったのは自己責任だ。違うか?」
「でも」
少女はお茶をひと口飲んでから話し続ける。
「強くなれないのは自分の責任だ。違うのか?」
リコに反論は出来ない。
「…武器の話だが、あれは固有の武器でお前たちが持っているような汎用品ではない。誰でも扱える代物でもないし、武器の違いで戦えなかったと言い訳をされてもな」
「そんなことはしない!…ただ、強い武器みたいだから。」
「まあ、強いだろうな。人間なら十人ぐらいは一振りで切れるだろうし」
リコは絶句する。確かに強い武器だろうとは思っていたが、その威力を表現するのに人間を持ち出してくるとは思わなかったのだ。
「何処から来たのかと言われたら、後方の支援都市として認定されているアンミラルから来たのだ。この場所に来る者たちの大半はあそこから来る」
確かにリコもここに来る前はアンミラルに居た。
その前はもっと小さな町に住んでいたのだが。そこでの生活は酷い物だったので碌な思い出が無い。リコは思い出さないように小さく首を振ってから、少女を見つめる。
「君の名前は?」
「ボクの名前?シルファだ」
金の髪がサラリと額に掛かった。悪戯なネコのような瞳が面白そうにリコを眺めている。
「じゃあ、シルファ。君は何なの?」
「は?また同じ質問とはどういう事だ?」
シルファが苦笑を浮かべると、流石にリコもおのれの質問のふがいなさに顔を赤らめた。間抜けな問いかけだと気付くのには少し遅かったが。
「あの、ごめん。そうじゃなくて。ええと」
自分でも何を質問して良いのか、リコにも分からない。
「聞きたいことが分からないなら、止めろ。ボクも愚かな質問に付き合う義理も無いからな」
「う」
きっぱりとした拒絶に、リコが固まる。そんなリコを気にもせずにシルファはお茶を飲み干す。それから傍らに立っているシェフに話しかけた。
「三日後だったな」
「はい、その予定です」
「そうか。その後訓練だから、またしばらくボクは用がないなあ」
シルファの言い様に、シェフが苦笑する。
二人の会話を聞いているリコに、ちらりとシルファが視線を投げる。何事かと身体を固くするリコをじっと見てから、シルファが席を立った。
「ボクはこいつを連れて、アンミラルに帰る。何か異変があったら機関に連絡を入れてくれ」
「分かりました」
リコは勝手に決められた話に、そこに居る二人を交互に見ることしか出来なかった。