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老人と少年


 佐伯(さえき)はコンビニの総菜パン一個を缶コーヒーで流し込むだけのさもしい昼食を終え、寒風吹き荒ぶ出口脇で食後の一服をしていた。

 寒い。

 煙草を吸う間、いくら足踏みをしても自然と震えてくる。もう一度店内に取って返すことも可能だったが、ガラス越しに映った自分の身なりを鑑み、止めた。

 煙草を根元まで吸い尽して灰皿にねじ消し、新しい一本に火を点けた。

 こんな仕事放り出して家に帰るか……。

 実に素晴しい思い付きではあったが、年末年始と入用な時期だ。金はないよりある程いい。これも仕事だと納得を収めた佐伯は二本目の煙草を消した。足元に置いていた荷物を手にしようと視線を下げると、思いがけず小さな少年と目が合いギョッとした。

 フード付きの黒のダウンジャケットに同じく黒のランドセルを背中に担ぎ、ちんまりと屈みこんでいる少年はまん丸の小熊を連想させた。

「サンタさん?」

 世知辛い世に生きる幼い子供が、正体不明の老年を相手に邪気もなく話しかけてきた。

 佐伯は咄嗟に知り合いの子供か、と少年の面輪をまじまじと見つめ、結局は知らない子供だった。

「いや、おじさんはサンタじゃない。人違いだよ」

「でもサンタの格好をしてるよ」

 佐伯は真っ赤な上下姿の己に笑った。確かにその通りだが、佐伯の衣装は量販店で誰でも購入できるパーティ用の安手のそれだった。

 ここで頑なにサンタじゃないと言い張ったところで、詮無い話ではある。

「トナカイはどこにいるの。それに、まだお昼だよ」

 大きなランドセルを揺すって大型の駐車場を見渡した少年は、不思議に小首を傾げていた。ソリに繋がれたトナカイが駐車スペースに鎮座する光景は、噴飯か時代の趨勢(すうせい)か。

 果たして聖夜と共にやってくるサンタ何某は夜の夜中に各家に忍び込み――言葉の(あや)だ。明くる朝を待ち望む子らに両手一杯のプレゼントを枕元に並べてやる。

「お手紙はちゃんと届いた?」

「手紙?」

「そう、ずっと前に出したのに、お返事がないから。僕にはプレゼントくれないの」

 佐伯はようやく合点がいった。

「あぁ、あれはだな。スウェーデンって遠いところまで手紙を送るから、ちょっと時間がかかるんだよ」

「フィンランドだよ」

「どっちにしろ北欧だ。日本からは随分と遠い」

 そうなの。少年は小さな手で膝を抱いた。

 と、少年と同年代と思しき三人組が手にした小さなカードを見せ合いながら、興奮気味にコンビニを後にした。

 少年は三人の背中を物憂げに見送った。

 佐伯も少年の視線に倣って見つめた。三人組は一様に嬉々としており、一方の少年は妙に世慣れした溜息を吐いてみせた。

 少年は佐伯の商売道具である大きな袋を指差した。

「この中に入ってるの?」

 曖昧に頷いたものの、中に入っているものと言えば、衣装とお揃いの三角帽子と佐伯の私物が数点入っているだけだった。

「今もらってもいい?」

 可笑しな展開になってきたな。ここを離れる適当な言い訳も思いつかない佐伯は顎ひげに触れた。

「クリスマスまであと何日かあるぞ」

「そうだけど、友達に自慢できると思って……」

「ちょっと頂けないな、それは」

 少年は鼻を鳴らした。小面憎いほどではなかったが、肩を竦めてみせた少年の仕草は堂に入っていた。

「だって前のクリスマスにはもらえなかったし」

 ますます雲行きが怪しくなってきた。

「それは、難儀したな」

 下手に慰めることもできず口を噤んだ佐伯は嘆息ひとつ、辺りを見渡した。大きな商店街の外れにあるコンビニの前の通りには多くの買い物客があったが、サンタの衣装を着こんだ老人と小学生に注視する者はなく、季節柄も相まって、いっそ微笑ましい光景と言えなくもないだろう。

 下手に不審者として通報されても困りものだが、佐伯は少年の横に腰を下した。

「去年は手紙を出さなかったのかい」

「前は知らなかったから。でも今回はちゃんと書いたから、きっと大丈夫だね」

 どういった家庭環境なのだろうか。小さな子供が随分と楽しみにしているイベントが、誰かの都合でないものとされ、そういう不条理を理解できない子供が無為に悲しむのは他人事ながら寂しいものだ。

 止めた――勝手に詮索して感傷に浸っても意味はないのだ。

「サンタさんはここでなにしてるの」

「バイトかな」

 少年は目を丸めた。素直に驚いた少年の瞳に浮かぶのは、アルバイトに身を(やつ)している老人に対する憐れみだろうか。

 仕事の内容はプラカードを片手にクリスマスケーキの予約を促すものだった。一日中近隣の大通りや商店街を練り歩き、まるで寒行にも近い仕事ではあったが、日当は悪くない。

 不意に悪戯心が湧いた。

「安心しろ。欲しいものはちゃんと解ってるから」

「絶対に?」

 子供とは出所のない確約が好きな生き物だと、妙な関心を覚えた。

「絶対だ」

 そういう佐伯も出所のない安請け合いをした。

「心配するな。ミズノタカシくん。君の欲しいものはちゃんと届けるから安心おし」

 名を呼ばれたタカシ少年は飛び上らんばかりの勢いで驚きを全身で表わすと、黒目勝ちの真ん丸の目を佐伯に向けた。

「なんで僕の名前が分かったの!」

「そりゃあ、決まってんだろ。それは」

 サンタさんだからだね! 佐伯の言葉を引き継いだタカシ少年は頬を紅潮させた。

 タカシ少年の余りにまっすぐな感情を見せつけられた佐伯は、少しばかり度がすぎたと反省した。ネタをばらせば、少年の背に担がれたランドセルにでかでかと名札が貼り付けられていたからにすぎない。無垢な子供を相手に、大人が姑息な手を使ってどうする。

「ここで少し待ってな」

「もう帰っちゃうの」

 邪知を排するフィルターで覗けば、サンタがプレゼントを満載した夢のような大袋を抱えた佐伯にタカシ少年は縋りついた。

「目を閉じてここで待ってろ」

 タカシ少年の口元は不安を綯い交ぜにしたまま薄く笑って固まった。

「俺がいいって言うまで絶対に目を開けちゃ駄目だぞ」

 こっくりと頷いたタカシ少年はその勢いのまま目を瞑った。

 佐伯は踵を返すようにコンビニの店内に入ると、一目散にカウンターに向かった。

 少年が欲しいものはなんとなく察せられた。店員に訊くと、バトルカードだという。なんのために戦うカードかは皆目見当もつかなかったが、子供にとって心沸き立つものなど、大人となった自分には知る由もない。

 購入した商品を受け取ると、クリスマスを基調とした小さなシールが貼られていた。店員の粋な計らいに、佐伯は実に福々しい笑顔で「ありがとう」と言った。

 佐伯は足音を忍ばせ、出口の脇で丸まっているタカシ少年の背後からそっと窺い見た。少年は約束を違えることなく、静かに目を閉じていた。

「タカシ君。二十数えてから目を開けてごらん」

「十じゃ駄目なの」

 佐伯の足では十秒は早すぎる。

「二十数えるんだ」

 佐伯は買ったばかりの小さな袋をタカシ少年の足元に置くと、そのままコンビニを後にした。急ぎ足で角を曲がったところで刻んでいたカウントダウンがゼロになった。

 タカシ少年は歓喜に目を輝かせているだろうか。あるいは、これじゃないと落胆しているだろうか。どちらにせよそれを確認するのは無粋だと、佐伯は振り返ることなく商店街の通りを進んだ。

 もしかすると余計なお節介だったか。親に見咎められれば、タカシ少年は「サンタにもらった」と言うだろう。親は複雑にして説教の文言に苦労するに違いない。

 まあいいではないか。望めばサンタはいるのだ。

 佐伯は満足げにプラカードを掲げ、なにも入ってはいない大きな袋を肩に担いだ。

「しかし世のサンタはフィンランド在住か」



おわり


フィンランドで合ってましたかね?

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