買い物
「おはよう」「おっはよー……」「おぅ……」
気分が落ち込む夏の午前。俺たち三人は昨日(本日までまたいでいるが)の夜更かしが祟ったらしく、眠気を全体に貼りつかせた顔で挨拶を交わすこととなった。俺に至っては維月の選んでくれたカップ麺も平らげていたので、胃がもたれて食欲がかくれんぼしている。
現在は早朝というには微妙な時間である九時丁度。俺は寝癖のついた髪の毛を指でいじりながら朝餉の席に着いていた。
「みんな眠そうだね」
朝方の親父らしく新聞を読んだりということをしていない晃さんは、俺たちの表情を読み取ってそんなことを言ってくる。無表情なので意図は汲めない。
「昨日、遅くまで起きてたから」
激烈ボンバーな髪形を披露してくださっているマイガールフレンドが父親の質問に答える。どうやら寝癖を直す暇もなく席に着いたらしい。昨日起きてきたときにこの髪型になっていなかったということは、ずっと寝ていなかったということだ。俺は一応睡眠をとっているからまだ眠気がマシな方なんだろうな。
晃さんは無表情のまま、さしたる変化もなしに「そっか」とだけ言っていた。
それにしても。
俺は自分の隣に座る晃さんから、左対角線上に着席する従妹に視線を移す。
寝癖がほとんど見当たらない藍色の長髪、眠たげにとろけている眼、ほとんどの動きを封印し、静けさを保った一挙手一投足。いつもはうるさいと感じるくらいのかしましさは身をひそめ、首をカクカクと前後に振って夢現の境目を遊泳している。今背中を思いっきり叩いたら幽体離脱くらいは出来そうな状態だな、と端的な感想を抱いた。
静かにしていれば、トップクラスの美人なのにな。
ずっと見つめていると維月が怪しむかもしれないので、今度は維月を観察。
少し眠たげに、時々眼をこすりながら朝食の配膳を待っている。着用しているピンクを基調とした熊柄のパジャマが幼さを助長し、個人的に中学生くらいの頃を思い出させる。俺が子供みたいと馬鹿にすると、大人だもんって必死に反論してたなぁ。しみじみ。
「はい、みんなの朝ごはんができたよー」
俺が昔に思いを馳せていると、ニコニコ萌さんが器用に皿を持って朝食の支度が整ったことを伝えてくれた。近くに座る維月がその皿を受け取り、晃さん、俺、早弥、萌さん、自分の順番に配膳していく。素晴らしい親子連携だなあとか思ったりはしないのだが、香ばしい匂いのする目玉焼きには思わず唾液が口内で広がった。かくれんぼしていた食欲が見つかったらしい。
目玉焼きだけでは寂しい色合いに華を添えているレタスとプチトマトもいい味出している。
「晃君、みんなにコップ配って」
「りょーかいー」
萌さんの指示で晃さんが動く。この人たちは夫婦というより、カップルという方が正しいような気がしてくるんだよな。互いの呼び方然り、年不相応な見た目然り。
ふとそこでもう一度早弥に視線を戻すと、よだれが「おい早弥よだれ垂れてるぞ、これで拭け」なんとなく乙女としてはあるまじき気がしたので近場にあったティッシュを差し出した。
「え、あぁ、ありがとさん……」
昨日の馬鹿高いテンションはそこになく、張りとは逆の緩みだけで構成されたような返事を返してきた。笑い方もだらしなく、ニヤっとした笑顔はにへらっとなっている。
その間にコップ、箸、白米、味噌汁といった日本の朝食には欠かせないものが運ばれ、早弥が自分で分泌物を拭きとるころには準備が整い、萌さんも席に着いていた。全員が着席したところで、一瞬の沈黙が落ちる。
「じゃあ、いただきます」「「「「いただきます」」」」
一人の号令に合わせて後が続く食事の際の儀礼は、小学校の給食時の挨拶みたいだと思った。
全員が箸をとって各々の狙ったメニューに手が伸びる。俺は味噌汁をとった。
「宿題が終わったらどうする?」
維月が目玉焼きに醤油をかけながら、時間的には午後からになるであろう予定を聞いてくる。これについては考えてあったので、返事は一考もせずに出てきた。
「家の食料が尽きるから、今日は買い物にでも行くかな」
「わかった、ついていく」
「あ、うちもうちもー」
ボンバーヘッドな維月と幼児退行気味の早弥が、ついてくることを表明。
「萌、何か買ってきてもらうものがあったら今のうちに」
「刻みネギとハンドソープ、それから歯磨き粉かな」
しっかりとしたちゃっかり者の晃さんが妻に助言し、萌さんがなくなりそうなものを思い出したながら買ってきてもらうものを言っていく。
「あ、あと牛乳」
しめにそれだけ言って、笑顔で味噌汁を啜っていた。
俺が買い物に行くとき、ついでに浅田家のものも買ってくるのが常だ。俺流恩返しでもあり、相利共生の基本形とも言える。
俺は飲み干した味噌汁の椀を置きながら「わかりました」と頷いた。
「じゃあ今日は宿題早く終わらせないとね」
少し楽しそうに笑む維月の頭は『誰がこんなことを……』と真面目な顔をして訴えたくなるようなものだったが、表情自体は癒されるものだったので言及しないのが華だ。
俺も少し楽しみにしながら、目玉焼きの目玉を潰しにかかっていた。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
そしてお待ちかねの宿題を終え、俺たちは外へ出る。ちなみに宿題は生物と地歴公民が完全終了したという大成果を上げた。わーいわーい。時刻は十一時半だぜわーいわーい。
今は日差しが歩く人を殺しにかかっているとしか思えないほどの熱気と戦いながら、道中を進んでいる。維月は勿論のこと髪を整え、パジャマを着替え、外出用のカチューシャ(チェス盤のような模様をしている)を着用して万全だ。俺も日差し対策に帽子を被り、半袖半ズボンという元気っ子アピールに勤しんでいる。
そして問題が再発生した。こちらも勿論わかってはいたことなんだが、どうにもやるせない。
「いやー、それにしても暑いなぁ! こんな日は海とか海水浴場とか浜辺に行きたいなぁー!」
わざとらしく大声を発しながら近所迷惑に励んでいるのは俺の従妹だ。そう、朝の沈みから浮上してきて今は空へと昇っている感じだ。ただでさえ暑くて死にそうなのに、早弥がぎゃんぎゃんとやかましい所為で一層の疲労と困憊が蓄積される。
俺たちの具合も知らず、早弥がよく通る声で鼓膜に振動を突きたてる。
「でも暑いのさえ我慢したら買い物もええよな。店は涼しいし試食コーナーとかボーナスステージもあるし、何よりアイスとかお菓子とかジュースが買える!」
夏の風物詩にして迷惑代表の蝉にも負けず劣らず声を張って、俺たちを先導する。コイツ道もわかってないのによく前を歩けるな。
それから維月、お前も大変だな。
俺がそう思う目先には、早弥に手を握られて常時体力をドレインされている維月の姿があった。時々勢いよく振り回される手に維月が振り回され、余計な体力が奪われる。見ているこっちが悲しくなる様な光景で代われるものなら代わってやりたいが、それなら俺が維月と手を繋ぐ。
「さ、早弥ちゃん。今から行くスーパーに試食コーナーなんて滅多に出ないよ」
ブンブン腕を回され、手を握られている維月はそれに左右されながらも言葉を繋ぐ。若干息切れしているようで、順調に消耗しているようだ。
早弥はその言葉を聞いて、唖然としたような顔になった。もっと顔に出て驚くかと思っていたが、この反応は意外だな。
「え、試食コーナーってどんなスーパーでもあるんとちゃうん?」
「それは所によるだろ。俺の地域のスーパーにはねぇよ」
こいつ箱入り娘かよ、と思いつつ、単一のスーパーしか行ったことがなさそうな早弥に説明する。先ほど驚愕をしなかったのは、無知ゆえの反応らしい。
家出するくらい行動力があるんだから、もっと世界の広い奴だと思っていたが。
「へぇ、ないとこもあるんやな」
素直に感嘆し、早弥が元通りに維月を振り回す。
「まあ別に今日は食べなアカンってことはないし、ええんやけどな」
……ん?
明朗に言い放った早弥だが、そこに暗いものが沈みこんでいるのが見えた。
今日は? 今日はってことは、他の日は食べなきゃいけないってことだよな。
早弥の性格を考えると、冗談の類でツッコミを期待して言ったとも思えるし、単純に毎日試食しに店に顔を出していただけかもしれない。
しかし、もしそうでなかったとしたらどうだろうか。
俺の考えすぎならそれでいいんだが、可能性として浮かび上がる暗黒面。
俺の脳裏に、顔もよく知らない男の虚像がよぎる。
そいつは暴力で有名な男だ。そいつは近付くなと言われるほど危険視される男だ。そいつは娘に家出されるような男だ。
あり得ないとは、言えない。
夏の日差しが暑い。それも、蒸されるような暑さだ。気分が悪い。
「早弥」
「うん?」
俺は突き進む早弥を呼びとめる。俺たち三人が一斉に足を休め、降り注ぐ太陽光に身が晒される。
確かめておかないと、いけない。
でも、それは触れてもいいことなのか? 昨日、コイツの見せた表情を思い出す。
俺が電話すると言った時のあの顔。
助けなければならないと、思った。
救ってくれと、言われているみたいだった。
本当はどうなのかわからない。
でも俺は問いかけないといけない。少しでも、コイツの状況を知っておかないと。
「あー」
声が吐き出される。
でも理由は?
親戚だから、人として、自己満足。なるほど納得がいく理由が顔を並べてやがる。だがそいつらは負の部分へ一歩踏み込むには、足りない。特に人としてとか、(笑)とか尾の部分につけられそうだ。
そして口にされた言葉は、どうしようもなく情けないものだった。
「維月が疲れてるだろ、手を離してやれ」
結局。
俺は別の言葉を探し当て、逃避に成功する。
「ん、おぉ、悪かったな維月ちゃん。大丈夫?」
「う、ん。平気」
早弥が白々しく維月に訊ねている。俺はその光景に心臓部分を痛めつけられる。
白々しいのは、むしろ俺の方なんだって。
蝉の鳴く声は俺を嘲笑しているようで気分が悪かった。
叶うなら、早弥が普通の生活の中で突発的に家出してきたということにしてほしい。それならば、俺が今ここでこんな態度をとっても時間が解決してくれる。
ああ。
なんでもいい。頼むから、早弥は幸せであってくれ。普通であってくれ。
毎日食事が出されない、試食コーナーに行かなければ空腹が満たせないなんて状況になっていませんように。どうか、どうか。
俺は太陽から眼をそらすように、青空なんかにそんなことを願った。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
自動ドアをくぐると別天地だった。トンネルを抜けるとほにゃららよりも感慨は持てないが、暑さで火照った体には優しい待遇だ。俺の落ち込んだ気分も多少は解消される。
「おっしゃぁ! じゃあ沢山買っちゃうぞぉ!」
「はいはいお菓子はあとでな」
早弥の大声による宣言を一刀両断しながら野菜コーナーに移動する。萌さんに頼まれた刻みネギと、自宅の冷蔵庫の空きを埋める食材を探すためだ。夏が旬の野菜は多いのでよく売り出されているが、どうも手が出しにくいのはその値段だ。最近野菜の価格の高騰がひどくてねぇ、とか主婦の集まる井戸端会議に参戦できそうな気分である。
それで俺が手を伸ばすのはレタス。お手頃価格なわけではないが、付け合わせに何かと便利だか、ら、ら、ら? あれ。
「レタスは今日安くないし、食物繊維少ないそうだから別のに」
俺が決死の思いで手に取ったレタスを元の場所に戻す維月。ふぅむ、なんだか俺の栄養管理に少しばかり義務感を感じているようだ。色々複雑な気持ちだがとりあえず嬉しいのがダントツかな。
維月がレタスの代わりに籠に入れたものはキュウリだった。三本入りで今日の安売り商品。それを二袋入れ、俺の分と浅田家の分に分ける。その次にトマト、ゴーヤ、ピーマンなど、次々に入れていく。まとめ買いなので何も言わないが、それにしても入れすぎじゃないか?
「キュウリとかはカリウムが豊富で利尿効果があるし、水分も豊富。トマトは食欲を増進するし、癌とか老化予防にもなる。ゴーヤは苦いけどビタミンCが豊富で、熱しても壊れにくいんだよ」
夏野菜の大切さを教えてくれる講座が始まった。早弥は維月の講義に、トマトの美白効果についてだけは過剰に反応していたがそれ以外は上の空だった。俺はなんとなく家庭科の授業を受けているみたいだと思ったが、授業ほど嫌悪感は感じなかった。これからは維月に授業してほしい。それは嘘だ。
一通り野菜の効能について説明しながら籠に入れていった維月は、次に肉のコーナーを目指す。
そこでもスタミナとか夏野菜との相性とかどうのこうの説明されながら、早弥念願のお菓子コーナーまで行きついた。
「きゃっほー!」
お前は子供か、と疑いの余地もない早弥はスナック菓子に夢中だ。慎重に品定めをして、少しほほえましくもある。容姿の所為か、普段から大人びた印象があるのでこういう部分を見るとなんとなく安心する。いや、勿論普段から子供全快な同年代なんだが、それは別としてだ。
とにかく、自分の希望を主張できなくなるくらいまで追い込まれていないだけ、安堵の息が漏れる。
「じゃあこれとこれとこれ、あとこれとこれとこれ」
「多すぎだっ! 自重されよっ!」
いかん、昨日やっていたゲームが何なのかばれてしまう。じゃなくて、早弥の次々に持ってくるその手にストップをかける。そして追加商品から四つばかりを手にとって渡し返した。
「えー、買うてくれへんの?」
「ケチー」ではなく、「ケツー」と非難してきたところにコイツらしさがある。
「一、二個なら我慢してやるが三個以上は勘忍ならん」
「早弥ちゃん、そんなに食べたらアレだよ」
「おう嬢ちゃんどれやねんコラ」
早弥の透き通った声にしてはやたらドスの利いた声で維月を威圧する。維月は維月で、いつからこんなに賢しくなったのかと思うほど周到に俺の背後に身を隠していた。狡猾な奴。
そのまま維月と早弥の女の戦いが始まって間に挟まれる俺は退屈のまま、周りを見回していた。
そこで俺は見覚えのあるものを見つける。
商品ではなく、人だ。ものは『物』ではなく、『者』である。
「よお、こんなところでなにしてんだ」
「うぇ!?」
俺は手を挙げて挨拶を交わす。途端そいつはつまづいて、手に持っていたダンボールごと転倒した。中身の菓子類が床に散らばる。俺の挨拶がそんなに気に食わなかったのか、そうでなければ単純に動揺しただけらしい。そして俺の知人の中でこれだけ鈍臭い反応をするのはたった一人だ。
「大丈夫か、相崎」
俺は女の戦いから急遽離れ、散らばった商品を涙眼でかき集める同級生を手伝う。従業員のエプロンをしているから、バイト中ってところか。
「えぁ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
「大丈夫だが、お前は平気か?」
俺の質問にうるうる瞳を滲ませて頷く相崎。手際悪く菓子を集めたあと、ダンボールにまとめて入れようとして更に失敗。また散らばった。
「落ちつけ」「落ちつこう」「アハハ落ちつこう落ちつこう」
俺たち三人はその様子に一様の反応を見せた。相崎は声も出ないらしく、キュゥというような声だけ出して再びかき集めだした。
紹介しよう。俺の数少ない友人の一人にして、俺の命の恩人、相崎美衣だ。ボブカットに切り揃えた髪型に似合う愛らしい瞳と頼りなさげに垂れた眉が、男性諸君の『守ってあげたい症候群』を加速することもあり得る女の子だ。見た通り、生粋のドジっ子である。あとは胸部に凶器、もとい爆弾を抱えているため、肩とか凝るんだろうなーと感想を抱く程度だ。本当に。
俺たちも手伝って、なんとかダンボールに商品を納める俺たち。ひとまず落ち着いた模様。
「相崎はここでバイトしてるのか?」
「え、あ、はい、そう、です」
「なんで途切れ途切れなんだ」
「ご、ごめんなしゃ、ぐぉ、ぎょめんなさい」
「うわあ見事に全部言えてへんなぁ自分」
「おちついて」
「ごめんなさい!」
おぉ言えた言えた。なんでこんなことに感動してるんだろ俺。
相崎は涙眼のまま、すんなりと言えたことに達成感を覚えているようだった。
この子はこんなことで大丈夫なのかねぇ、とかいらん世話を焼きそうになるが、まあ人は人だ。なんとかするだろうということで言及しない。
「いつからバイトしてるん?」
初対面のはずだが、随分打ち解けた様子で早弥が話しかける。こういった対人スキルは俺よりも早弥の方が数倍優れているようだ。俺、顔が怒ってるみたいで怖いというハンデも背負ってるし。
「あ、え、えっとー、夏休みに入ったばきゃ、ばかりの頃、くらいです」
またまともに言えてないな。あがり症なのか?
「へぇそうなんやー、ほんなら毎日忙しいんやねー」
「あ、いえ、そうでもないんですよ。先輩、っていうか同級生、なんですけど、その人も、いますし」
言いながら、相崎はその人物を探しているようだった。どうやらお目当ては発見できなかったらしく、再び俺たちの方を見て頬を朱色に染める。なぜだ。
「えっと、みんなは、買い物ですよね?」
「まあスーパーに来てまでスポーツしようぜって奴はいないだろうしな」
「そういうひん曲がったこと言わないの」
とか言いながら維月さん脇をつねるというのは如何なものかと思うんですかその辺どうなんでしょうアイタタタタ。捻るな捻るなっ!
「え、と、浅田、さん?」
「なに? 維月でいいけど……」
「彼氏君、痛そうです、よ……」
「………………………………………………そうね」
うむ相崎優しい。それから維月、今の長い間はなんだ。
ってか、相崎も俺のことを名前で呼ばないんだよなぁ。この間名前を教えた覚えがあるが、やはり俺の名前は維月がいることでややこしくなってしまうためか人から呼ばれることはない。
気にしてはいないが、苗字でも呼ばれないってどういうことだろう。
「ウチ早弥って言うねん。相崎ちゃん? 名前はー?」
「あ、美衣、です」
「美衣ちゃんか、可愛らしい名前やんけ! みーちゃんって呼んだろっ!」
「うぇ、み、みーちゃんですか」
「嫌なの?」
「ひぇ! そ、そうじゃないです!」
「ほぉ、みーちゃんか、呼びやすいな」
「あんたが言うとキャラにそぐわない気がする」
「率直に言うな俺も思ってたことだ」
維月の指摘に大いに賛同しながら、俺はこっそりスナック菓子を入れてきた早弥の頭をはたいた。
「あだっ! 暴力反対ぃ!」
「やかましい、何どさくさに菓子入れようとしてんだ」
しかもなんだ、宇治金チップスて。そういう変わった奴は普通ジュースだろ。
「ええやんかー、買って買ってー」
「お菓子は二つまで」
「ケツ」
「もうツッコまねぇぞ」
「えぇ! ケツからのツッコむとかエロい!」
「うっせぇなそういう意味合いじゃねぇよ」
お前そういう方面大好きだな。あとここ店内だからデカイ声でそういうこと言うな。
……ほら見ろ、周りの視線が一気に冷気を帯びた。これは店内のクーラーの仕業ではないはず。
「じゃあ菓子も買ったし、もうここには用ないな」
「みーちゃんも買ってこう」
「そういうシュールな発言は控えろ」
相崎がものすごく困った顔で俺の表情を窺っていた。うーむ、怒っているように見えるんだろうか。
俺が相崎の考えていることについて思いを馳せていると、シャツの裾を引っ張られた。
「うん?」
振り向くと、懐かしいものを携えた維月が立っていた。
「これ買って」
維月が差しだしてきたものはグミだ。それも、黄緑を基調としたグミに同色か、紫色のブドウ味のグミが付いていて、もいでいく奴。簡単に言えば実のなる木みたいな印象のグミで、百円足らずで買えたから、小遣いの少なかった子供時代に重宝した菓子なんだよなー。俺と維月で半分ずつ出し合って、半分ずつ食べたこともあったっけな。
俺が懐古に浸っていると、今度は肩を掴まれた。
「なんでじゃー」
「なにがじゃー」
背中に張り付いてきたのは怨霊でも守護霊でもなく、早弥だ。無駄に意識して怖い声を出そうとしているのが子供らしくて好感が持てるが、重たい。いや、何がとは言わないが。
「ウチが買ってと言うたら拒否するのに、維月ちゃんには甘い顔するのかー」
当たり前だ。と断言したいが差別はよくない。
「お前すでに二つ籠に入れてるだろうが」
「それなら君の分をアタスにおくれ」
つまり俺があと二つばかり、自分のためにという名目でお前用の菓子を買えってか。俺はこう見えて菓子類は苦手なんだがなあ。
「お前俺の経済状況を圧迫したいのか」
「ヒモならぬ、モヒになってやる」
「あー、男女逆になってるから逆さ読みしたってことか?」
でもヒモの性別が男女逆だったら、現代社会で言うところの普通に属するんじゃないか。つまり男が働いて女が専業主婦だから……、いや、ヒモは何もしないか。多分。
「合ってないこともないとは言えないことも無きにしも非ず」
「ややこしい言い回しだな」
「ウフフ、君がいっつもやってることやで」
まじか。自覚あるけどなフハハハ。
心の中で自嘲する時ほど虚しいときはないな。
「維月、じゃあそれも買うから籠に」
「うん、ありがと」
維月は籠に例のグミを入れる。それを早弥を引きはがしながら眺めていると、相崎が商品を陳列し始めた。どうやら商品を棚に並べていく仕事を任されたみたいだ。
それにしても、バイトか。うぅむ、俺もやらないといけないな。いい社会経験にもなるし。
今年の夏には無理か、なら来年にでも挑戦してみるかな。
相崎が商品を取りこぼすのを見て次の夏の予定を決める。あともうひとつ思ったんだが相崎にはバックヤードで働いてもらった方が無難じゃないか。また商品落としてるし。
早弥と維月がそれを拾って仕事を助けながら談笑している。
なんだか邪魔をするのも気が引けるので、この場は女子に任せて俺は一人で残りの買い物を済ませることにした。こんな俺でも多少の空気は読める、はず。
ということで俺は日用雑貨が並ぶコーナーに一人移動し、萌さん希望のハンドソープと歯磨き粉、それから俺の家で尽きそうなボディーソープを籠に入れて次に牛乳を求める。
確か牛乳や乳製品のようなものが並ぶのは日配コーナーと言うはずだ。まあそれも和か洋かで二分されるらしいんだが。
まあそんなどうでもいい豆知識はともかく、牛乳ゲット。俺の家の分も手に入れておく。
他は、何がなかったかな。
賞味期限のチェックをしながら足りないものを思い出す。ちなみに俺に足りないものは力だが嘘だ。真面目に言うとオツムの方だろうなきっと。やかましいと誰にともなく言いたくなるぜ。
あぁ、そうだ。トイレットペーパーが尽きかけて「じゃかしぃわこのバカ娘ぇっ!」た、んだ。
あ?
急な怒声だった。
店内に思い切り響きわたり、一部の客が不審そうに発信源を見つめる。
俺は嫌な予感というか、一瞬で最悪の事態を推測した。
聴きなれた関西弁。バカ娘。男の野太い声。
繋がってしまう。あぁ、繋がるんだよ。ほんとに。
早弥と、あのクズ男が。
俺は籠を置くのも忘れて、菓子コーナーに直行する。早足で、なるべく間違いであってくれと祈りながら。お前が嬉しそうに取った菓子を、そのままの笑顔で食えるように。
「早弥っ!」
それはもう本能的に口走っていた。たとえ最悪のケースでも、維月や相崎は絶対に安全だと思ったからだ。そしてそれは、一切の間違いさえなかった。
「あん? 誰やねん自分。ウチのバカ娘のことを気安く呼びよって」
俺の登場に眉ひとつ動かさず、ドスの利いた声で睨んできたのは眉間にしわを寄せ、耳たぶに派手なピアスをつけた中年だった。紫やら黄色の花や蝶やらがふんだんにあしらわれた服をまとい、やたら丈の短いぶかぶかのズボンを穿いている。顔のほりが深く、威圧感のある造形だ。髪は下手に金髪に染めるような真似はせず、いやに黒々としたボーズヘアーに落ちついてすっきりしている。
一目で、相手をしたくないと思わせる風貌だった。
今は早弥の胸倉を掴んでいて、先ほどの怒声にも合点がいく。予想通りでもあった。
「おい話聞いとんかい、誰やねんお前」
声に僅かな怒気が混じって、こちらにプレッシャーをかけてくる。
「まずはその子を離して下さい。話はそれからです」
この手の人間に対して適切かどうかはわからないが、とりあえずこちらの要望も伝えてみる。これで暴力を振るってくるような短気で損気な奴なら、多少の怪我だけで済むんだが。
「はぁ? こいつはワシの娘や。家出しよったから連れ戻しに来たんや」
それなりに話はできる奴らしい、警察の世話にはなれそうもないな。
「家出っていうことは本人の意思ですよね。まだ戻りたくないって言うのなら俺は本人の意思を尊重するべきだと思います」
「勝手抜かすなアホ、尊重していい意思とアカン意思があるんや。人様に迷惑かける時点で悪いことやっちゅうのは分かるやろがい。ばぶばぶ言うとる赤ん坊やないんやぞ」
なるほど、正論。しかし、こんなところにその『人様』がいるとは思うまい。
「俺とそこにいる女の子は彼女を泊めている『人様』です。俺たちなら構わないんでもう少し彼女に考える時間をいただけないですか」
極力言葉を選ぶようにしているが、何が正解で何が間違いかなんて分かるはずもない。俺はその不安な状態のまま、中年の返事を待った。
中年の視線は維月の方を一瞥し、またすぐに俺の方を見据えてくる。
「お前、早弥の男か?」
「は?」
「早弥の男かっちゅうて聞いとんねん。一発で返事しろやトンチンカン」
え、どう見ても違うだろ。と困った顔で言いたいが、それをすると『ほんならバカ娘は連れて帰るわ、今まで面倒見てもろてあんがとさん』と逃げられそうだ。
いや、でも、どうする?
ここで俺が『早弥の男ですが何か』と言えば維月がまずいい顔をしない。当たり前でもある。
それに俺には前科があるし、なるべく維月を不安にさせたくはない。
しかしかといって逃げられるのも得策じゃない。じゃあ、どうすればいいんだ。
そもそも、どちらを答えたところで結果は同じかもしれないし、俺が決死の思いで嘘をついても損をするだけかもしれない。
だったら、正直に答えた方がいいのか。
嘘をつけば世界が潤滑に回るのか、正直者でいるのが本当の正解なのか、さっぱりわからない。
「俺は」
俺は、俺は、俺は?
どうする、どうなる、どうすれば。
考えても考えてもまるで答えが導き出されない。嘘をつくなら維月に一言謝ってからにしたい。
いやでも、正答は正直者に与えられるものかもしれ、ない。
俺は迷いの中で眼球を彷徨わせ、それとかち合った。
『助けて』
そう、言っているような眼。
俺を苛んできた、早弥の視線だ。
それで思い出すのは、今日この場に来るまでに巻き起こった葛藤。
この男に連れて行かれれば、早弥は確実に壊される。それは、許せない。
そうだ、許せないんだ。ようやく理由を見つけられた。
単純に、俺が納得いかないだけ。
それだけだ。
一歩踏み出す。そのまま進むフリをしながら、俺は維月にポツリと呟いた。
(嘘吐く)
「え?」
多分だが、中年には伝わっていないはずだ。
「ちょっと?」
俺は中年の眼前まで移動し、大きく息を吸う。
「ねえ!」
悪い維月。でも、これが終わったら土下座でも靴舐めでも何でもするから、許してほしい。
早弥の眼は、いつもの冗談が介入する暇なんてない。
本物の恐怖に彩られて、周囲に救助信号を発していた。
「俺はその人の彼氏です」
言いきった。達成感はない。
何せ嘘なもんで。
本当の意味での『偽物カップル』の、誕生誕生ー。






