従妹の事情
時間がとれるようになったと言っておきながら、学校の課題に追われる毎日となってしまいました。結局以前とまったく変りない状況に陥ったわけですが、時々暇を見つけては投稿をしていくつもりです。
信じるって一体なんだろう。人の言葉と書いて『信じる』と読むが、人の言葉は嘘ばかりで到底信じられる代物ではないと思う。そういう意味じゃないんだろうか。まあともかく、信じるということはそう簡単なことではない。ましてや、信じてもらうとなるとなおさらだ。
俺はちょっぴりセンチメンタルになりながらそんなことを考えて時間を潰していた。
以前、五月くらいだったか、俺は一度維月の信用を失墜させている。勿論全ての元凶は俺であり、そのことを責められればぐうの音も出なくなるわけだが、それでも一応彼氏としての立場を取り戻したわけだからもう少し信じてほしいところだ。
まあ自分のわがままだというのも重々承知だが、やはり好きな人から信頼されていないというのは非常に辛い、寂しい、悲しい。
俺が早弥に如何わしいことをするかもしれないから、俺の家に早弥が泊まることに反対していた。というのが先ほどの維月の心境だろう。そうでないのなら自分の家にも宿泊を許しはしないはずだ。そもそもの話が無断外泊をするのは駄目だよって話なんだから。
勿論、俺は早弥を泊める気は毛頭ない。当然、如何わしいことをする気も全くない。
しかしそんな俺の気持ちが維月に通じるはずもなく……。
なんだろうこの気持ち。めちゃくちゃしょげるぞ。
「この漫画読んでもいい?」
俺が水分を失ったもやしのようになっているのを気にも留めず、人の家をいいように荒らしている早弥さん。お前なんで俺の家に来たんだよ。
俺が何も言わずに睨んでいることを了解と受け取ったらしく、早弥はしばらく俺の目を見た後に勝手にページを開き始めた。まあ全然構わないのだが、自由奔放過ぎないだろうか。まるで自分の家にいるみたいじゃないかコノヤロウ。
……あ、そういえば思い出した。
俺は漫画を読みだして大人しくなった従妹を依然として睨みつけながら、その従妹を取り巻く状況を思い出していた。
俺の母親が話していたことになるが、コイツの父親は相当乱暴で逆らう者は何だろうと容赦せず殴りつけるという、人類のクズらしい。俺の死んだ父親の三兄弟の二男坊ということだったが、親戚からの受けはすこぶる悪く、たまにある親戚同士の集まりにも滅多に顔をださない。無職に暴力、ギャンブラー、酒癖が悪い、女癖も悪いという、ポーカーでいうところのロイヤルストレートフラッシュが最悪の形で揃えられている男だ。
そんな男に、早弥を生んだ母親がついていけるはずがなく破綻。その母親も母親で、そのクズ男の元に自分の娘を置いてきたのだ。おそらく、クズ男の血を引く早弥を連れて行きたくなかったんだろうと親戚連中が言っていたらしいが、それにしてもひどい話である。
クズ男は妻と別れてからも反省の色など見せず、別の女とひっついては離れ、ひっついては離れを繰り返しているらしい。それを考えると、俺が先ほど受話器の前で言い放った『伯父さん伯母さんに連絡するぞ』という言い方は結構無神経な発言だったと言える。猛省。
俺が小さい頃に聞いた話だから、記憶が曖昧なところもあるが大体こんな感じだ。とにかく、早弥の父親は手に負えないクズ男だということだけは印象に残っていた。俺とは直接的な接触はなかったためか、どうにも記憶に残っていなかったみたいである。
「おい早弥―――」「ただいま」
「おぉおかえりー」
……む、維月の突然の登場で何を言おうとしたか忘れてしまった。
早弥は読んでいた漫画を元の場所にしまい、立ち上がって維月の言葉を待った。
「お母さんに聞いたけど、泊めても大丈夫だって」
「おおおおおぉおぉぉぉぉぉぉ!」
返事が期待通りだったらしく、早弥の反応は非常にうるさいものだった。近所と言えば浅田家か育毛剤が友達の岩崎さんかだから迷惑ではないだろうが、しかしさすがに黙れと思ったので「うるせぇよ」とだけ言っておいた。
早弥はなおもやかましく歓喜しながらそのまま走りだし、扉付近に立つ維月に突進。そのまま抱きついた。維月はそうなるとは全く思っていなかったらしく、自分+早弥の体重を支えきれずに倒れる。不憫に思えるほど鈍い音が響き、されど早弥はお構いなしに維月に頬ずりしたりくすぐったり全身をまさぐったり……、っておい。
「維月から離れろこの女狐」
「やめてよ! ウチと維月ちゃんのお楽しみを邪魔する気なん!?」
「ア、アハ、く、くすぐったい! くすぐったいからやめて! アハハハハっ!」
維月の憑き物を半ば本気で引きはがすと、維月は普段の仏頂面にもどって後頭部を抑え、沈痛な面持ちになっていた。先ほど打ったところは結構痛かったらしい。
「いやー、でもほんまにありがとうなー。ウチ家に戻るんも嫌やったし助かったわ!」
維月がダメージを負ったのにも悪びれず、とりあえず礼を述べる早弥。維月は今ので恨みを募らせたようで、後頭部を抑えて睨みながら僅かに顎を引いた。
今の様子を見ていると、今夜はもっと大変そうだな。修学旅行みたいな、いつもとは違う空気に酔った馬鹿が一人いるだけで騒がしくもなるものだ。早弥のような、テンションが常に上昇傾向にあるやつは寝ることも許してくれないかもしれない。
「んじゃあウチは早速維月ちゃんの家にお邪魔しよっかなー」
「それじゃあ私はここにいるから」「いってこい」
「いやん二人ともひどいわあ。一緒に行こうや!」
早弥の動きは俊敏だった。未だ後頭部の鈍痛に顔をしかめていた維月が捕まるのは実に早く、そのまま階下へ。あぁ、維月が拉致られた。
「フハハハハハ! 早く来ないと維月ちゃんがあんなことやこんなことになっちゃうぞー!」
「いたたたっ! ちょ、髪! 髪の毛が痛い!」
「維月ちゃん! 髪の毛に痛覚はないんよ!」
「そういうことじゃなくて!」
ばたばた走りながら遠ざかる声。
その最後に「助けてーっ!」とか、RPGのゲームに登場する姫様のような叫び声を残していくものだから俺が動かずにいると物語が進まないじゃないか、とか思っちゃうわけで。
とにかく、維月にあんなことやこんなことをするのは俺の役だと自負しているのでまずは立ち上がる。首を回すと骨のずれる音が頭に響いた。
「あー、面倒くせえ……」
どこかの漫画の主人公気どりで、俺は維月の家へ向かうのだった。
あ、ってか。
忘れていた。買い物行ってねぇな。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
「あら、彼氏君まで来たの?」
ニコニコと年不相応な笑顔を向けてくれたのは、維月の母親、萌さんだった。どう見ても四十を過ぎているとは思えない肌のハリ、ツヤ。制服を着ればたちまち高校生にさかのぼれるという、化物じみた若さを保った女性だ。
萌さんは俺のことを名前で呼ばない。それは俺の名前が娘さんの名前と被るからで、一応呼ばれていた時期もあったのだが、高校に入って正式にカップル関係が成立してからはこの名で呼ばれるようになった。父親の晃さんからも同様だ。
「さっきね、彼氏君の従妹と維月が一緒に帰ってきて、これからベッドに入ってお楽しみなんだって」
「助けに行ってきます」
「フフ、お願いね」
「それから、早弥を泊めてくれてありがとうございます」
礼もそこそこに、俺は早歩きで進みだす。
あいつはいつからレズになったんだ。どうでもいいが俺の血筋と維月の貞操を貶めるのだけはやめてほしいところだ。
維月の家も俺の家と似たような造りで二階建て。維月の部屋も俺の部屋と同じく二階の最奥部にあるため、非常に覚えやすい構造だ。階段を登り切ったあたりで、維月の部屋から「よいではないか、よいではないか」という早弥の声が聞こえてきた。維月は「やめてっ! やめてっ!」と案外必死な声を振り絞っている。可哀想に。
「よいではないか、よいでは―――」「人の彼女にトラウマ植え付けてんじゃねぇよ」
俺は勢いよく扉を開け、萌さんが言うところのお楽しみを邪魔する。
そこには下着姿の維月がいた。
ここからは猛スピードで事が進行する。
まずは維月の絶叫。次いで襲い来るぬいぐるみや枕や目覚まし時計。俺は間一髪でぬいぐるみと枕をかわし、枕によって隠れていた目覚まし時計に直撃する。以降投擲された様々なものはことごとく命中し、俺のライフはゼロになった。
まあそんな大袈裟なことにはなっていないが、投げつけられた全てが当たるという維月の命中率に辟易。早弥のケタケタという笑い声と投げつけられる恐怖で、勢いよく開けてしまった扉のノブをなかなか掴むことができない。
痛ぇ! やめろ金属製のものはマジで痛いから! プラスチックも何気に痛いんだけどな!
俺はようやくノブを掴んで入って来た時と同様、勢いよく扉を閉める。そのあとは扉に背を預けて、上がった心拍数を落ちつけるように何度か深呼吸した。かなり焦ったためか、冷や汗をかきながら肩で息をする。いや、なんで維月は下着姿なんだよ。
しかしふむなるほど、純白か。
いやいやいや、殺される。
「この変態っ! 部屋に入るときはノックくらいしてよっ!」
「すまん! まさか早弥が本当にそちら側に目覚めているとは思わなくて!」
「フフフ、お風呂に入ろうと思いましてな」
「この時間帯から風呂かよ」
今はまだ四時前だ。それに部屋で服脱いで風呂場へいく阿呆がいるかよ。
「だからやめてって言ってたでしょ!」
「ええやんか、どうせ彼氏やしいずれ下着じゃ済まへんで?」
「うるさい!」
まだ部屋内からどたばたと暴れるような音がする。
しかししばらくすると、今の騒動が嘘のように静まり返ってしまった。
なんだかとてつもなく疲れたぞ、俺は。
早弥の突然の来訪に、買い物、宿題、約束、親戚関連、そして維月の下着姿。いや、一つはいいものを見せてもらったってところなんだが、とにかく後の言い訳を考えなければならない。
気に掛ける心配事やら懸念が今日一日で膨らみ過ぎて、疲労がたまってしまった。
俺は足元から崩れ、廊下を眺める形で尻もちをついた。うぅむ、眠たくはないんだがなぁ。
とにかく、今の最重要懸念事項は宿題だ。そう、維月との約束を果たすのが最優先。早弥のことも確かに重要だが、今の俺にそこまで考えられる余裕がない。動く気力も湧かない。
早弥は確か、親と喧嘩したって言っていたな。噂に聞くクズ男だ、早弥が愛想を尽かしたか何かなんだろう、きっと。奇しくも母親と似たような理由で出てきた娘か。余程の嫌われ者のようだな、あいつの父親、クズ男は。
俺は近付いたりしないようにって、母親が遠ざけてくれたおかげで接点がなかった。早弥が来たことによって、俺の母親に対する見方が少しだけ変わった瞬間だな。まあどうでもいいが。
まだ何かを考えようとはしたが、大人しくなったはずの女性方がそれを許してはくれなかった。
「……もう、入ってもいいよ」
「……おう」
なんだ、ちょっと気まずいな。まあそれでも許可を得た手前、入らないわけにはいかない。まだ少し恐怖心は残っていたが、勇気を振り絞って入室した。
「変態さんいらっしゃーい」
「ほとんどテメエの所為だよ」
「アハハ、どういたしまして」
「感謝してるんじゃねえって」
久しぶりに感じる維月の部屋。俺の部屋とは随分違うな。当然だが。
本棚も整っているし、物も片付けられている。ちょこんと申し訳程度に置かれた机は可愛らしく、ベッドの方は整然としていた。男と女ではこんなにも差が出るのかと自室を散らかし放題の俺は思うわけだが、全国の男子諸君はどうなのだろうか。
「さっきのことは忘れて」
突然維月が俺の背中をつねりながら言った。その力が存外強く、忘れがたいのに「オーライ」などとほざいてしまった。でもまあ維月が安心したような顔をしたので良しとしよう。
「んじゃあウチらこれからお風呂やからちょっと待っとってな!」
「あ?」
風呂? さっきのは冗談の類じゃなかったのか?
説明を求めるつもりで維月を窺うと、何を以て肯定なのかさっぱりわからない頷きが返ってきた。
「部屋あさったりしないでね」
「するか」
「下着はその棚の下から二段目やったで兄ちゃん」
だからあさらねえよ! お前はどこのオッサンだって話だ全く。
「それから覗くならウチから合図送るからその時に」
「お前しばき倒すぞ」
どうしてコイツはこういう発言をすぐにするのだろう。維月がいいタイミングで早弥の高い頭を叩いていたことが何気に小気味いい。ってかさっき会ったばかりなのに仲いいなお前ら。
男性と女性ではそういうところも違うのかね。
「じゃあ行ってくるから」「おう」「例の合図やで、忘れたらあかんで」「さっさと行け阿呆」
なおもボケをかます早弥だったが、延々と続きそうな予感がしたので早めに切ってやった。いつもニコニコと笑顔を崩さない早弥は、そのいつもの分にツッコミを貰った喜びも上乗せして少し嬉しそうに見える。そういえば昔はあんまり笑わなかったような気がするな、あいつ。
維月と早弥が出て行ったことで、蝉が鳴きやんだように静かな部屋。俺のところと違ってクーラーのある維月の部屋は実に快適だ。半袖だと寒くなるくらいの冷気が部屋に充満する。
「涼しいな……」
思わずそんな感想を漏らすほどの快適な空気。くそ、俺の家の扇風機が急に憎たらしくなってきた。
考えても詮無いことを思いながら、とりあえず腰を落ち着ける。
いやーしかしなんだか久しぶりだと懐かしくも感じるなー。昔はクーラーとか下着がしまってあるらしい棚とか投げつけられたでかいぬいぐるみとかなかったもんなー。いやはや懐かしい。
思い出に耽ってぼうっとしていると、扉を軽くたたくノック音が聞こえた。萌さんか?
「失礼するよ」
俺の予想とは反して、聞こえた声は男性のものだった。現れる人影。
晃さんだ。維月の父親でこれまた化物じみた若々しさを誇る四十代。中肉中背の鋭い眼つきが特徴で、同じ男性として嫉妬するほど整った顔立ちをしておられる。半袖にジーンズという、俺と似たような格好で娘の部屋にあがりこんできた。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
軽い挨拶を交わした後、晃さんは部屋内を見渡す。
「維月はクーラーをガンガンいこうぜって感じでつけるね」
「いのちだいじにって作戦にするつもりは毛頭なさそうですね」
「そうだね。電気代の関係で節約するようにって言ってるんだけど」
ほう、珍しい。あいつはいつも、信頼できる人物の言葉は絶対って論理だからそういう言いつけは全部守っているものだと思っていた。思えば、俺と晃さんが維月の部屋で話をするのは初めてだな。
「今日来たあの子は従妹なんだって?」
「はい、今日は本当にすみません」
「いや、構わないよ。ただ、気になったことがあって」
? きになったこと? 早弥に気になったところとはなんなんだろう。俺は興味をそそられ、聴く態勢に入る。晃さんはそれを窺ってか、話を続けてくれた。
「あの子、ふともも綺麗だよね」
「俺の好奇心を返して下さい」
わりとマジで。そんなことを言いにだけ来たのかこの人。
「その太ももに、見えにくい位置だけど火傷した痕があった」
ふざけているのかと思えば、すぐに真面目な話に移る。俺はこの人のこういう会話方法が少し苦手だ。この人とももう十何年来の付き合いになるが、いまだに慣れない。
晃さんは構わず続ける。
「あと首筋にも火傷の痕、手首にリストバンドしてたけど、ほんの少し傷痕が見えたよ。あとはそうだな、額の髪にかくれた部分に切り傷の痕、耳の裏にも同様の傷とかかな」
俺は聞くうちにどんどん恐ろしい気持ちになっていくのを感じた。こんなに近くで見てきたのに、早弥のそういうところにまるで気づいていないのだ、俺は。
「彼女は活発な性格をしているよね」
「そうですね。見た目は」
「でも、あれらの傷は外で遊んでいて怪我をした、ってレベルのものじゃない」
その通りだ。しかも傷痕は、探せばもっと見つかることだろう。そういえばあいつ、今風呂なんだったな。維月は早弥の傷を見て平気だろうか。
「すいません、ちょっと、維月の様子を見てきます」
「あぁ、さっきちょっと短い悲鳴が聞こえたよ」
「っ!? 大丈夫なんですか?」
「案外大丈夫みたい」
「……それなら、いいんですが」
「話を戻すよ」
晃さんは時折背筋が凍るくらい冷徹だ。俺や早弥に限らず、家族である維月や萌さんに対しても。
「ぶっちゃけて言うと、虐待だろうね。それも身体的虐待が主の」
正直俺には、早弥がそれに耐えきれずに逃げてきたのではないかという考えもあった。最悪のロイヤルストレートフラッシュをそろえたクズ男なんだから、それくらいは覚悟していたはずなのにいざ正面切って話を聞くと、前頭葉辺りがジクジクと違和感じみた痛みを感じるようになる。それに伴って、漠然とした不安感が俺を圧迫した。
「あの子は心身ともに限界なんだと思うよ。頼れる親戚がいなかったのかもしれない。だから従兄である君を頼ってきたんだろうね」
「……俺は、なんであいつが俺を頼ってきたのかがわからないんです」
ずっと、早弥が俺の家に来た時からそれが最大の疑問だった。晃さんは『頼れる親戚がいなかったのかもしれない』と言ったが、親戚連中はそんなに頼りないのだろうか。確かに、早弥のことを憐れだの可哀想だのと言うだけ言っているだけのイメージはあるが、それでも母親が不在で経済的にやや不安定な俺のところより、安定した他の人たちを当たるべきだったんじゃないのか?
そんな俺の疑問に答えてくれる晃さんは、ちょっと驚いた顔をしていた。
「彼氏君は、自分が頼れるナイス・ガイだということに気づいていないのか」
「そんなことを自覚するのは自分に酔えるナルシストだけですよ」
それに実際、経済力もなければ世間のことも知らない俺なんて頼りないこと藁の如しだろう。
「からかっているわけじゃないよ。本当に思っている。維月を任せっきりにしていられるのもそれが理由なんだからね。彼氏君は多分、いろんな人に頼られるタイプだろうし」
そんなことを言われると照れるな。でもやはり、自分の頼りなさは親戚と比較してみても群を抜いていると思う。
「それに、彼女が今一番求めているのは安心だ。彼氏君のところに来たのは、誰よりも君が最も安心できる存在だからじゃないのかな」
晃さんはニコリとも笑わずに言うが、その分言葉に重みがこもっていた。
「それに僕にも虐待されていた過去があるからなんとなくわかるよ。萌も同じだろうね」
今さらっと衝撃の真実を知ったんだが。晃さんが虐待を受けていたとは、思いもしなかった。ってか、今の言い方だと萌さんも、なのか?
「僕たちに出来るのは彼女をこの家に泊めてあげることだけだ。それ以上は、警戒されて近付けやしない。その反面、君には心を開いていると思う。だから、出来るだけ彼女とは普通に接してあげるのが一番いいだろうね」
こんな話を聞いて、普通に接することができるだろうか。俺は不安で仕方がない。
「まあ彼氏君も随分疲れてるようだから、どうしようもないようだったら僕たちに言うように」
「え、あ、ありがとうございます」
まさか。
俺って疲労とか顔に出ていたんだろうか。
晃さんに指摘された通り、俺は疲弊している。しかし、個人的には疲れているということを悟られないように必死で隠してきたつもりだ。それなのに、こんなにすぐ見破られるなんて。
「俺の顔、疲労しているように見えましたか?」
またも不安になり、訊ねてみる。
「いや? 口数がいつもより少なかったのと最初のツッコミに元気が足りなかったから、もしかして元気がないのかなと思ってカマをかけただけ」
……なんだってー。まさかすぎた。
晃さんは話を終えたらしく、立ち上がって扉へ向かう。
最後、部屋から出て行くときに見せた晃さんの微笑みはひどく心強く映ったが、同時に恐ろしいとも思った。
そして再び部屋内で一人になってすぐ、維月と早弥が風呂から上がったような音がした。
晃さんは勘が異常に鋭く、注意深く、警戒心の強い人だというのは知っていた。
俺は高校生になって初めて知る大人の心強さを、身にしみて理解していた。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
「あれ、帰るの?」
午後五時過ぎからパジャマ姿を披露してくれた維月は、意外とでも言うように俺を呼びとめた。
維月の部屋から出てすぐの廊下での話だ。
「あぁ、これからすぐに買い物いかないと明日の飯がないんでな」
「帰れ帰れーウチと維月ちゃんのアレコレを邪魔すんなー」
「お前黙ってろ」
こいつ、本当に俺を頼ってきたとは思えないんだが。先ほどの晃さんとの会話は俺の夢か。
俺が「それじゃあな」と言って二人の脇をすり抜けると、維月から声がかかった。
「買い物は明日にして、今日は私の家に泊まっていかない?」
やや遠慮がちだったが、維月からそんなことを誘われた。これが幼馴染とかそういう距離感もなしに言われるのなら不純異性交遊フラグが立つが、俺と維月の場合はそんなものはなく、友達同士で遊ぶという行為並みに気軽なものだ。とは言ったものの、さすがに中学時代からは気恥かしさが出てきたので知らぬ間に宿泊回数も減少していったが。
だからこそ久しぶりに維月の家に泊まりたいという願望もあった。
「ほら、今日晩御飯こっちで食べれば明日の朝は今日の夕飯分でしのげるし」
なるほどね、確かにその通りだ。だが今日の夕飯となる予定のカップ麺を朝に食べるのは、胃に少々負担なのではないだろうか。
「優柔不断な男は嫌われんで! 早く決めてしまい」
「うっせぇ、じゃあお言葉に甘えて泊めさせてもらうよ」
「うんわかった、じゃあお母さんに言ってくる」
少し嬉しそうな維月。なんかかわいいな。癒されるぜ。
「んじゃあウチらは部屋に戻ろか」
「お前何様だよ」
「お生憎様だが教えられんな」
「……誰がうまいことを言えと」
俺は呆れ半分で早弥の誘導に従い、部屋に戻った。
維月が戻ってくるのにそう時間がかからず、返事もOKだったらしい。
それから補足だが、俺が維月の家に泊まると言っても維月の部屋で二人きりとかそういうことはしない。小学校時代まではそうだったが、中学以降俺は晃さんと同じ部屋で寝ているのだった。ちなみに浅田一家が川の字になって寝たこともある。まあ余談だ。
それから俺たちは話やゲームをして時間をつぶし、夕飯時になると萌さんに呼ばれて階下へいって食事。早弥が半暴走気味にマシンガントークをし、晃さんが論理パズルを出題して(全員が)撃沈したり、風呂(着替えは自宅がすぐそこなので取りに帰った)は俺と晃さんが背中の流しあいっこをして女性三人組に憐れまれたりした。
早弥が来た直後はかなり大変だったが、一日も経つともうすっかり溶け込んでしまっていた。
維月との仲も良いようで、お互い女の子らしい楽しみ方をしている。
そんな様子で、一日は終わった。
俺は勿論、晃さんと同じ部屋で寝た。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
夢の話。
やはりいつもの公園。今日も今日とて、以前に張り合った奴が砂場に埋まっていた。首から下は砂の中で、ベンチに座りながら見ているこっちとしては笑えばいいのか呆れればいいのかわからない状況だ。なんにせよ、シュール過ぎる。真面目な顔すんな。
『よう、久々じゃねーか』
あぁそうだな。
『彼女は大事にしているようだな』
言われるまでもねーよ。
『だが何か不安を抱えている様子だな。まあこの夢をみるくらいだから当然か』
漠然としてるが、なんか嫌な予感がするって感じか?
『しるか、答えられない質問を投げかけるな』
そいつはひどく無愛想に言い捨てる。しかも言い捨てながら首をぐるんぐるんと勢いよく振り回すものだから、キモイとしか言いようがない。マジキモイ。
『まあ一度彼女を裏切った前科があるんだ。せいぜい気をつけるこったね』
うるせぇよ。それこそ言われるまでもねぇ。
あの時のことを掘り返され、僅かな罪悪感と共に怒りも込み上げる。
『お前は自分勝手な男だ。彼女に愛想尽かされないよう、頑張れよ』
ニヤニヤしながら言う首だけのそいつは、ひどく腹立たしく感じる。ってか、これどういう夢なんだよ。俺が夢だって認識できているから、明晰夢だってのはわかるけど。
まあ、なんだっていいか。
『そうだな』
お前に同意を求めたんじゃねぇよ。
『ってか今回、ぶっちゃけ何も言うことないんだよなぁ』
じゃあなんで出てきた。
『お前が呼んだようなもんだ』
お前なんか誰が呼ぶかよ。
『早弥のことどう見る?』
突然の話題転換。こいつ、人の話をまるで聞きやがらない。
どう見るって、とりあえずかくまうしかないだろう。
『ほう、珍しく意見が合うな』
いつまでも傍観してるだけの奴と被るなんて最低の気分だ。
『まあそう言うなよ。こっちも反吐が出そうなんだ』
ふん、まあ早弥のことは今はどうしようもないさ。とりあえず成り行きに任せるか、アイツ自身がアクションを起こしてくるかのどっちかだ。
『じゃあ早弥を傷つけているのは誰だって話だが』
クズ男。
『これも同意見か。血涙があふれそうだ』
なんだっていいさ。とりあえず、早弥の件は触れられない。
『そうだな、じゃあ結論。彼女を大切にしろよ』
わかってるっつってんだろうが。
俺は会話が進むごとにどんどん埋まるそいつを冷ややかな視線で見ながらテレパシーを送る。
『わかってるとは思うが、お前が少しでも彼女を捨てるようなことがあれば……』
殺す、だろ?
『……上出来だ』
夢は覚めた。