夏休みの平穏が揺らいだ
かなり長いこと小説を書いておりませんでしたが、ここ最近になってようやく時間を(少しずつですが)作れるようになってきましたので、執筆を再開したいと思います。
前作、『偽物カップル物語』でもお分かりいただけると思いますが、拙い文章と微妙な内容かもしれません。すいません。
それでも楽しめる、という方は是非読んでください。
また、前作を読んでおられない場合は内容がチンプンカンプンになる可能性がございますので、面倒でなければそちらもご覧ください。
感想などいただければ幸いです。
夏。
といえば何を想像するだろうか。
俺の場合、海や祭りなどといった賑々しいものを想像するわけだが、中にはとんでもなく辛気臭いものを思い浮かべる奴もいる。
今、俺の前に座る奴がそうだ。
「だから、宿題なんてものは夏休みに入ってすぐに終わらせちゃうものなんだって」
そいつは人の冷蔵庫から勝手に取り出したアイス(二分割出来るタイプの)を堪能しながら、そんなことを言う。
宿題? なにそれ美味しいの? とか言うのも一興だが、相手に「夏のうだるような暑さで元から悪いポンコツ頭がとうとう壊れた?」などと返事をいただきそうなのでやめておく。代わりに「ん゛ー」と濁った声を返した。
ここは俺の自室。自宅の二階の最奥に取り付けられた部屋だ。
ちなみにクーラーなどという文明の利器はない。あるのは生ぬるい風を絶えず送り続け、むしろ神経を逆なでしているとしか思えない扇風機一台のみだ。
「あんた返事ばっかりで結局最後までしないでしょ。小学校の時からずっとそうだったんだから」
お前は俺のオカンか、とツッコミを入れたくなった。
アイスを口に含みながら、疑似オカンを眺める。
浅田維月。
こいつは俺の彼女でガールフレンドだ。間違えた、ガールフレンドで幼馴染だ。かなり小さいころから一緒のため、お互いの情報は筒抜けなのである。だから今のように母親のような発言も結構してくる。
付き合い出したのは高校に入ってからだが、今までもカップルみたいなものだったから5月くらいまでは何ら変化のない、偽物のようなカップルだった。その月にあったちょっとした事件のおかげで、俺たちの距離は微妙に縮まったが、それでも偽物のレッテルは剥がれていないようだ。
まあそれでもいいや、と割り切ることはできたんだけどな。
「今年から私が彼女になった以上、責任をもってアンタの宿題を見てあげるからね」
自信満々に言っているが、張る胸がない。言葉にすると俺の存在が抹消されかねないので敢えて何も言わないことに努めよう。
「夏休みの醍醐味は、最初にパーッと楽しんでおいて最後に宿題の追い込みをかけるところにあるんじゃないのかと俺は思うわけなんだが如何」「却下」
即答ですか。
まあ維月の性格を考えれば聞くまでもないことだったな。
頑固と言えば聞こえが悪いが、とにかく一途なところがある。それが俺の彼女の性格だ。信じたら疑うということを忘れてしまうかのように、ただただ愚直なまでに一途。だから自分の意見だって正しいと思っておられる内は何がどうなろうと覆そうとしない。
俺も似たようなところがあるから人のことは言えないが。
「じゃあ明日から早速宿題始めるからね。約束!」
「ゆーびきーりげーんまーん嘘ついたらハリセンボンのーます」「だけじゃ足りないからオプションとして両手足の爪剥ぎと薄皮を紙で切り刻んで目玉に最高温度の半田ゴテ、最後に黒板を爪で引っ掻く音をBGMにアイアンメイデン行きだから」「こえーよ」
拷問どころか殺す気満々じゃねーか。
ハリセンボンを飲み込むことが楽に思える程恐ろしい条件を出されたので、俺は何が何でも明日から宿題が終わるまで遊ぶことは許されない。
ん、でもハリセンボンって魚の方なのか、リアルの針を千本なのかによって難易度変わってくるよな。 いつものように集中力の途切れた思考で物事を考えながら、そのあとも維月と雑談していた。
終業式の日のことである。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
新聞配達のオヤジがバイクの音をけたたましく鳴らして安眠を妨害したのは、早朝四時のことだった。起きる時間帯がおじいさんおばあさんのそれだ。
新聞配達員のクソヤロウ。
二度寝をするにも、暑さがまとわりついてそれどころではない。俺は仕方なくベッドからのそりと抜け出し、四時だというのに起床した。
腹いせに維月を起こしてみるかなー。
俺たちの家は隣同士で、なおかつ俺と維月の部屋が窓を隔ててすぐそこにあるため、少し大きな声を出せば起床を促すことだってできるのだ。勿論窓をたたいて目覚まし代わりにするのもアリだ。かくいう俺はそんな幼馴染のアラームに何度助けられてきたことか。
いつもの感謝に報いるべく、今日は俺がお返ししよう。
俺ほど寝起きは悪くないから、きっと目を眠たそうに擦って「なに?」とやや不機嫌気味な声を出すだけだろう、きっと。恩を仇で返すとはよく言ったものである全く。
決行した。
案の定だった。
パジャマ姿の維月が、俺を眠たそうな眼差しで睨みつけてくる。
「なんでこんな時間に起こすのよ……」
「維月の顔が早く見たくて」
「変態」
「どうしてそうなる」
まあ悪いのは俺だから、変態ということにしておこう。俺変態。
それはそうと、維月の乱れ方はいつも通り、異常だ。
黒真珠を細い糸に加工したかのような髪は、そのおびただしい量と長さの所為か、もうなんていうか大爆発だった。どれくらいかというと、俺の住む地域全体が焼け野原になってるんじゃないだろうかと疑ってしまうくらいに凄まじい。ビッグバンだ。
小学三年生のころにそれを見て、俺は大層笑ったものだ。後々に大層怖い目にあったものだ。維月はそれ以来、ビッグバンヘアーを隠さなくなった。まあ余談である。
維月は凛として整った顔立ちをしているため、そういう髪型になっていると相当面白い。高校生になった今でも気を抜くと噴き出してしまいそうになる。今も今とて、悪戯で起こしてしまったこともあり、笑いを堪えるのに必死だった。また、冷えた目で見てくるのもキツイ。髪型がビッグバンなのにその表情は反則だと思った。噴いた。
窓越しにどこからか持ちだしてきたらしい箒で叩かれました。
「何、こんな時間から宿題を始める気だったわけ?」
「おう楽しみで仕方なかったぜ」
「嘘つき」
「どうしてばれるんだ」
白々しいからか。
維月からの明確な答えは返ってこず、暗に『言わなくても分かるでしょう?』と含んでいるのが見て取れた。
「今から用意してそっちに行く」
「ばっちこーい」
最後にそう交わして、お互い窓を閉め、朝の挨拶とした。
「最初は何からする?」
維月が聞いてくる。
何から、というのはこれから手をつける教科のことを言っているのだろう。
俺は少し考えた。
国語は読書感想文と漢字練習、それから課題として出された現代文を読んで、問いに答えるというもの。数学は大体予想がつくだろうが、勿論のこと問題演習だ。これが生徒を怠けさせる第一の理由になっているといっても過言ではないくらい、量が多い。あとは英語。文章の和訳や英単語の練習である。俺の苦手分野でもある。最後に生物とか公民とか、これも量自体は大したことないが範囲が広い所為で手をつけたくないものになっている。
しかしいずれは全てを終わらせなければならないので、俺はまず最初に消化しておくものを手に取る。
「じゃあこういうタイプの奴から」
俺がとったのは、理科総合や社会総合の宿題だった。
「オッケー、じゃあ一緒にやってこ」
「おう」
そう言って、シャープペンシルを握る。1ページ目をめくる。
元素記号を記していく奴だった。化学か。
書き込む。書き込む。書き込む。詰まる。
「うーむ」
『水兵リーベ僕の船、七曲がるシップスクラークか』……。
教師がそういう風に覚えるといいとは教えてくれたのだが、語呂だけが頭に残って肝心の当てはめる部分がイメージ出来ない。水素はH、Heは……、彼?
「なあ維月、Heって彼だよな?」
「今英語じゃなくて化学をやってるって自覚ある?」
「なるほど、じゃあHeは何なんだ?」
「吸い込むと声が変わるあの面白おかしい気体の名前はなーんだ」
「おぉヘリウムか」
なぜそれでわかるんだろう。
「Liは?」
「ヒント、電池」
「なるほどリチウムだな」
「Beってなんだ」
「X線装置とか、〇〇ミラーとか」
「もしかしてベリリウムか」
「Bってボンバー?」
「ガラスの原料とか防腐剤に使われるのは?」
「色々あるだろ、ホウ砂とかか?」
「じゃあ目とかの洗浄剤にもなって、団子にしてゴキブリを駆除するのに使われる酸と言えば?」
「ホウ酸」
「それらの元素だから?」
「ホウ素か」
「あんた学校で習ってること身についてないのにそういうどうでもいい知識はどうしてそんなに詰まってるわけ? 普通わからないだろうと思ってヒント出していたんだけど」
「いやあ褒められると照れるなー」
「褒め半分貶し半分よ」
というような会話をしながら、化学の宿題を終える。
似たような会話になるので割愛するが、生物の分野でも地理歴史公民の分野でも俺は維月に質問してはヒントを出していただいて、それでようやく答えを導きだしていった。
維月には「ハードルを高く高くに設定したら出来た間をくぐり抜けられた気分」と言われた。
無駄な知識だけは豊富なんだぜ俺。
妙に誇らしげにしながら、俺は維月と朝の四時半くらいから九時頃まで宿題をやり続けた。成果は化学が全部終了したのと、生物や地歴公民の宿題が半分消化されたぐらいだ。
これで今日の分の約束は果たされたことになる、と安堵しながら俺はいつもとは全く違う宿題のはかどり具合に少し驚いたりしていた。よく頑張ったと自分を褒めてやりたい気持ち半分、手伝ってくれた維月に感謝半分……。
そんな気分で終わるその日の分の宿題も、まあ悪くはなかった。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
事件が起こったのは昼を過ぎてからだった。
「じゃあ私一旦帰るね、ばいばい」
「おう、助かったぜ」
以上の挨拶を最後に維月は自宅に帰っていった。十時くらいのことである。
昼からまた来ると言っていたから、大体午後の一時にはやってくるだろう。俺はそう目星をつけて、それまでの時間は適当にゲームをしたり漫画を読み返したり昼食摂ったりで時間を潰していた。
ところで一度言ったか定かではないのだが、俺の家には基本的に俺しかいない。
というのも、父親の方は他界しており、母親は遠くまで働きに出ているからだ。ちなみに母親の働いているところは外国。なんでもファッションデザインの仕事で飛び回っているとかなんとか、そんな話を聞いたことがある。
だから俺は実質一人暮らしなのだが、母親からの仕送りのおかげでなんとか食いつないでいけているのだった。食材類は全て俺がそろえなければならないため、たまに出かける買い物には維月を連れて行くのが定例となっている。
あぁ、そういえば今日で食材が尽くんだな。買いに行かないと。
昼からの予定を決めつつ、俺はテレビのニュースをボーっと眺めていた。
昼食も摂ってテレビでも眺めながらダラダラ出来る時間。
そんな時に、やってきた奴がいた。
「お邪魔しまーっす!!」
急な声。
俺はびくっと肩がはね、突然の来訪に何事かと振り向いた。
そういえば鍵を掛けていなかったから(掛ける必要性もなかったのだが)、常識の成っていない奴が来るとすんなり家に上がれるんだな。
「おぅ! 久しぶりやなぁキミィ! 私のこと覚えてる!? 四、五歳くらいの頃にちょこっと会うてんねんけど」
関西人のハイテンションでドシドシと不法侵入を敢行したのは、確かに顔見知りの奴だった。
母親が仕事から帰ってくるときや、親戚と会うときは三割くらいの確率でいた俺の従妹。
俺よりは低いがモデルかと見紛う程の長身、艶やかな長髪、維月とはまた違った綺麗さをもつ切れ長の眼。顔立ちはすっきりしており、思わず振りかえってまで二度見してしまうような容姿の持ち主だ。可愛いという言葉は似つかわしくなく、綺麗だという表現が最もしっくりくる。愛らしい容姿で癒し系担当の相崎とは対極の存在だ。
そいつは目深に被った帽子をくいっとキザっぽく上げると、ある種妖艶とも言える笑みを浮かべた。
「何しに来たんだ。早弥」
早弥は居住者の許可もなく、勝手に座ってリラックスポーズ。具体的には足を投げ出して手を後ろに着く姿勢だ。俺の質問には、んー? といった様子で首を傾げる程度の反応だった。
昼ごろになって外は暑くなったらしく、帽子を取った早弥の額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「水欲しーなー」
「勝手に入れて飲め」
すげぇ、ここまで奔放だと怒る気力も削がれるというものだ。見習おう。
「えー、ウチは君に入れてもろたんがいいー」
足をバタバタさせて抗議をしてくる従妹。こいつと同年代とは少しショックだな。
足が床を打つたび、コイツの太もも辺りが微振動しているのがひどく気になる。別にそういう性癖ではないのだが、ホットパンツを穿いてさらけ出された女性の足というのは健全な高校一年生にとってはどうにかしてほしいものである。もしかして俺だけか? そういえば朝に維月に変態とか言われたな。
「喉、渇いたなっ!」
「だから自分で入れろって」
なんだその期待を全面に押し出した『やってくれるよねっ! 光線』は。
しばらく睨んでみてもニコニコと動く気配など皆無らしいので、仕方なく立ち上がりコップに水を注いで持ってきてやった。俺はなんて優しいんだろう。
「わーありがとうなー。ホンマ外暑うて敵わんかってんで」
「じゃあなんで来たんだって話だな。水飲んだら帰れ」
「えー、折角綺麗な同年代の従妹が遊びにきてあげたのにそういうこと言うんかー。自分一生彼女の『か』の字にも縁無いような人生送るで」
「安心しろ。彼女の『カノジョ』に縁がある人生を現在進行形で楽しんでいるから」
「お、それマジか! どんなや! ウチにも見せてぇな!」
「見せる前に帰れ」
「いーやーやー」
自分のことを綺麗だと言っている(実際綺麗だが)自画自賛さんは駄々をこねる。飲み干したコップをテーブルに置くと、今度は体を投げ出しやがった。自由奔放すぎて呆れるレベルだ。
「なんで来たんだよ。夏休み入ったからって浮かれてるんじゃねーぞ」
「ぷかー」
「そういう浮かれてるじゃねーよ」
ヤバイ、完全に早弥のペースだ。完全にツッコミ役にされている。
ここはボケないと。いやしかしこいつはそれをするとますますテンションを上げて、収拾がつかなくなるだろうからやっぱりやめておこう。
「わかった、帰る気がないなら伯母さん伯父さんに引き取ってもらうまでだ」
俺は立ち上がり、まず電話をするために受話器が置いてある場所まで移動する。
早弥は何も言わず黙って付いてきた。
なんか変だな。俺の記憶の中ではこういう時は決まって『嫌やっちゅうてるやん!』とか言って叩いてくるのが早弥という奴だったはずなんだが。
電話の子機を取る。
早弥はやや俯きがちに、やはり俺の後ろについてきていた。
……。
うーむ、これは電話をさせないための罠なのか、それとも本当に何か深刻なことでもあるのか。なんて読みづらい表情だ。悪戯を仕掛けて笑みを押し殺しているようにも、沈痛な表情にも見える。
子機を置いた。
「あーもう、どうしたんだよ」
「それそれ! それを聞いて欲しかってんな!」
途端に元気になりやがった。
そして俺の手を引くと、そのまま俺の部屋の方に一直線。こいつ俺の家の構造を完璧に把握してるな。つまり四歳とか五歳ごろの出来事をはっきり覚えているということだ。
引っ張られるまま、自室に入る。
「汚い部屋やけどまあ入ってーな」
「それは俺のセリフなんだが」
ん? なんか覚えのある会話だな。デジャヴって奴か。
そんなことを思いながら、早弥に倣って床に座る。そこまで大事な話なんだろうか。
「なんなんだよ、改まって」
「ウチ家出しました」
「あぁ、わかった」
なんとなくそれぐらいの予想はしてたからな。大方、親と喧嘩になったとかそれくらいの理由だろう。
「親と喧嘩、ウチキレる、『出てったるわっ!』、出てくる、行くあてない、そういえば、君のこと思い出す、運命を感じる、お邪魔する、今に至る」
「なんでカタコトなんだと言いたい。それから運命は感じなくていいから」
嫌に楽しそうに話すなオイ。んで喧嘩というのは予想通りか。
んー、さすがに内容までは想像つかんな。
「なんで喧嘩したんだよ」
「よくぞ聞いた!」
「おう」
「で、家出てきたから夏休みの間くらい一緒にいたいなーって」
「よくぞ聞いたとか言っておいて内容はスルー?」
「君に会いたかったんだよ」
「そうか、もう会えたからいいよな。帰れ」
「いやん冷たいなあ。もうそんなんやったらお嫁さんもらえへんで」
「やかましい」
クネクネしながら言うな。
「……」……? 「新生物!」
「面白くないからクネクネ楽しそうにするのやめろ」
本当に新生物みたいに見える。ただ、人類が関わるにはあまりにも高度すぎる気がする。
なんなんだろう。こいつは俺とコントをしにきたんだろうか。違うよな。やるならネタを披露しにきたってところだ。そして俺は疲労すると。やかましいわっ!
「大した理由もなく飛び出してきたんならすぐ帰れ」
「大したもんさ」
「だから何がだよっ!」
「色々とあるんよー、こっちも」
「俺の方も色々とあるんでさっさと帰りやがれ」
「いややん?」
「聞くな嫌じゃない」
ねえなんでこいつ楽しんでるの。なんでゲラゲラ笑ってるの。俺を怒らせる気かコノヤロウ。
アナログ時計を窺う。十二時四十五分。もうすぐ維月が来る!
維月と早弥には面識がない。俺も維月に従妹のこととか話していないし、今この状況を見られたりなんかしたら誤解されかねない。それだけは回避しないと。
そう思い、思考をフル回転させる。
するとカーテンを閉めた窓の方から、コンコンと聞こえた。
げ。
「ねえ、さっきからなに独り言いってるの?」
「呪文の練習だ気にするな!」
「……カーテン開けて」
「閉め切らないと駄目なんだよこの魔術」
「……カーテン開けて」
ヤバイ! 嘘だってばれてる! なぜだ!
俺が焦り出すと、早弥は楽しそうに笑いだす。こいつ後で閉め出す。
「っ!? ねぇ! 今女の人の声聞こえたけど!」
「アンペアボルトだ!」
「は? AVってこと? 嘘、アンタの家にはビデオも本もないもん。パソコンならあるけど」
なんでそういうとこ探っているんだろう。趣味嗜好でも確かめようとしたのか。
いや、今はどうでもいい。どうにかしないとっ!
そう思った矢先、早弥が動いた。
何するんだ?
カーテンを掴む。
ジャッ!
そして落ちた沈黙。
あぁ、最悪だ。
維月の眼がぱちくりしていて可愛い。
それだけが、今の俺の救い……。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
一時になった。
予想通り、維月は俺の部屋にいる。
マジでおぞましい形相で。
「どういうこと」
「ウチ? この人に呼ばれてん」
「嘘吐くな、お前が勝手に来ただけだろうが。コイツ俺の従妹だ」
「そんな人の話聞いたことないんだけど」
「言う必要もなかったからだって」
「言うたら大変なことなってたやろうしな?」
「お前は話こじらせんな! 誤解するなよ、俺とこいつは何の関係性もないんだからな!」
「体の関係」
「血の繋がりって言いたいらしい」
「なんで従妹が家にいるのよ」
「知るかよ、俺が聞きたいぐらいだ」
「許嫁っていう設定にしてみいひん?」
「絶対嫌だね、俺をストレスで殺す気か」
「あんた関西圏だったっけ」
「もともとは関西人だよ」
「ウチと一緒♪」
「そうだな泣きそうだ」
「初耳」
「だから言う必要なかったんだって」
「言うたら大変なことになってたやろうしな?」
「何が起こるんだよ、俺が関西人で何がどうなる」
「地球の全面凍結」
「俺は何者だよ」
「この人は何者なのよ」
「そーよそーよ!」
「お前のことだろうがっ! 俺の従妹で親と喧嘩して家出してきたそうだ!」
「それがどうしてあんたの家に来るのよ!」
「運命を感じたから」
「お前黙ってろ」
なんだ、俺正しく正直に素直な話をしているのに維月の顔がどんどん怖くなる。俺が何をしたというんだよ。ポイ捨てもしない善良な市民だぞ俺。
俺が維月と対面、そして早弥がテーブルの左側に座る形でミーティング。
俺は決して悪くないはずなのに修羅場はどんどん悪い方向に向かっておられる様子です。全くどういうことだコンチキショウ。
「この人がさっきいうてた彼女さん?」
「あぁそうだよ」
早弥はなんだかとっても明るい。しかも維月が俺のガールフレンドだとわかって、元から高いテンションに拍車がかかる。
「ウチ内谷早弥。よろしくな!」
「浅田維月です。よろしく」
「アンタには勿体ないくらいの美人やなぁ、ん?」
やかましい。
俺は早弥を睨んでその意を伝えながら、維月を窺う。美人と言われて少し嬉しそうにも見えるが、根本に宿った怒気はまだまだ見て取れるレベル。もしここで俺か早弥が失言すれば即刻修羅になりかねない雰囲気を醸し出していた。
「さっき話してもろたんやけど、ウチ実家から遥々家出してきてん」
「どうしてこっちに来るの」
「全くだ」
「えーだってぇ、行くあてなかってんもんー」
「お前交友関係広いんだから行くところくらい探せば見つかるだろう」
「最初に思いついたのが君の家やってん!」
なんで嬉しそうに言うかなあ。俺は全然嬉しくない。
維月も早弥と俺が話していると微妙な顔をするし、正直本当に帰ってほしい。
「俺たちの仲なんて四、五歳の頃に数回会っただけだろが」
「数回やからこそ印象に残ってるんやねきっと」
俺ってそんなに印象深い人間なのだろうか。確かに常時無愛想だとか怒ってるみたいとか言われるが、印象的ではないと思う。あぁ、背が高かったからか? 関係ないか。
「とにかくさ、ウチ遠くから来て疲れてるし今晩泊まるところもないねん。せやからなんとか夏休みの間くらいは泊めてほしいなーって」
なげーよ。夏休みの間中ずっと泊まるとかこの夏に俺は五年くらい年を取りそうだぞ。
「ダメ、そんなの私が許さない」
「えー?」
維月が食いついた。まあ俺も反対派の意見だから維月を支援する。
「俺もお前の面倒をみるのは嫌だ」
「そんなこと言うてー、結局最後はちゃんとしてくれるお人よしのくせに」
「だからってダメ」
「維月ちゃんが決めることやないでしょー」
「ダメなものはダメなの」
む? なんだか雲行きが怪しいような。
「なんでや、ウチが彼氏を奪い取ってしまうかもしれんからか?」
「違う。高校生の無断外泊とかは禁止されているから」
「うわぁ、ええ子やなぁ。今時維月ちゃんみたいな子いいひんで? この際時代に乗って悪いことをしてみるのもええんちゃう? ちょい悪言うてな、今流行りやねんで」
「私流行りとか興味ない」
「強がりは言わんとき。自分そうやって我慢ばっかりしてきたやろ」
「今はそんなこと関係ない。とにかく泊まるのは禁止」
「お固いなあ。ちょっとくらいええやんかぁ」
「ダメ、そんなに人の家に泊まりたいなら他へ行って」
「こんなところまで来て友人なんかいやへんよ。維月ちゃんの彼氏さんだけを当てに来たから」
「私たち宿題とかで忙しいしそういう遊びをちらつかせるようなこと言うのやめて」
「お! もう宿題してんの!? おぉ、ウチもまぜてぇな」
「毎日通うのなら一緒に宿題見てあげないこともない」
「えー、それやったらなおさらこの家に泊まるのがベストやんかー」
「それだけは駄目だって言ってるの」
「あれ、維月ちゃん怒ってる? 怖い顔してんで」
「怒ってない。宿泊が駄目って言ってるだけ」
「ふうん、でもウチほかに行くところないねんなー。このままやったら維月ちゃんに追い出される所為で路頭に迷って野垂れ死んでしまうわ」
「実家に帰るくらいのお金くらい持ってきてるはずでしょ」
「お、鋭いところ突くねぇ。でも折角来たのにもう帰るのは嫌やなあ」
「あらかじめ宿泊施設に連絡してない方が悪いと思う」
「ん? 従兄ん家来るのに連絡いる?」
「普通いるもんだと思うけど」
「アハハ、それは悪かったなぁ。でも来てもうたんはしゃーない。泊めてくださいっ」
「反省の意味も含めて帰路につくのが一番」
「えー、維月ちゃん冷たーい。夏やのに」
なんだこの冷戦状態は。俺が入る隙が全くない。俺空気。
今も維月と早弥は一向に進歩のない会話をしているが、全部を記すと恐ろしく長くなりそうなので割愛させていただく。あー、誰か今の俺のポジションと代わってくれねぇかなぁ。親友の朝川君でも呼ぼうか。いや、あいつはこういう場面は本当に苦手だからやめておこう。
泊まりたい、ダメ。泊まらせて、禁止。お願い、ダメ。と、同じようなことを繰り返す二人は少し熱を帯びてきているように見える。いや、維月が静かに怒っているのはわかるんだが、早弥はニコニコと逆に楽しそうにしているため、ちょっと掴みづらい。もしかしたらこっちも水面下で怒りを隠しているのかもしれないな。女って怖いから。
「とにかく絶対ダメなの、帰って」
「維月ちゃんこわーい。暗に死ねっちゅーて言うてるのとおんなじやで?」
「そんなこと言ってない」
「あ、そや!」
再び二人の会話を聞いてみると、早弥が何かを思いついたようだった。
維月は眉に皺を寄せて、何事かと沈黙する。俺は依然お黙り中。
「こっちに泊まるのがアカンのやったらさ。維月ちゃんのトコ泊めてぇな」
は?
維月の反応も似たようなもので、唖然としていた。
維月はさっきから、無断外泊は禁止って言ってるんだぞ? それなのにコイツはどうして俺の家から維月の家に移したくらいで名案を思いついたみたいな顔してるんだ。
「あぁなんでそんなこと思いつかへんかったんやろ、ウチってホンマにアホやなぁ」
ケラケラと一人笑いながら、俺と維月の注目を浴びる。
「それならええやろ? 男の子の家に泊まらんかったら、不純異性交遊の可能性は皆無やし」
維月は何も不純異性交遊の可能性があるから駄目って言ってたわけじゃないと思うんだが。俺も俺でそんなことしようとも思わねえし。
「……」
維月が黙ってしまった。おいおい、どうした。
「……親に聞いてくる」
ええええええええええええ。何、俺が早弥に如何わしいことするかもしれないから泊めるのを禁止してたってこと? 俺ってそんなに信用ないのか。
ショックを受けていると、維月が即座に行動を起こした。
静かに立ち上がると、隣家である自宅へ向かったのだ。
そして取り残される俺と早弥。
「ククク、信用されてへんみたいやね」
おいやめろ言うな。俺は今落ち込んでいるんだ。
それから維月が戻ってくるまでの間、俺の気分は消沈の一途をたどっていた。
まず、ここまで読んでいただいたこと。大いに感謝申し上げます。ありがとうございます本当に。
この一区切りを読み終えて「コイツはダメダメだな、ハン」という方はとにかくお読みいただいたことに感謝です。次こそはお楽しみ頂けるお話を作ってまいります。「まあまあ面白いんじゃない?」と言う方には涙と鼻水を流して感謝申し上げます。感激です。
また、ご意見や批判、アドバイス他ございましたら是非ご連絡ください。後々私のためになると思って、お願いします。
それでは後書きはここで失礼します。