『自分に言い聞かせる言葉』と『他人に押しつける言葉』
大型トラックのドライバーをやっております。
車の運転で、よく『急いだって10分ぐらいしか変わらない』ということが言われます。
その通りだと思います。
でも、これって『自分に言い聞かせる言葉』であって、『他人に押しつける言葉』ではないとも思います。
私は急いでいる時ほどゆっくり運転するよう心がけています。
気が焦ると普段は見落とさないものを見落としたりして、そこに危険が忍び寄るものなので、自分を落ち着かせるために、自分に言い聞かせております。
『急いだって10分ぐらいしか変わらないよ』
『ゆっくり行こう』
自分を落ち着かせるためにはとてもいい言葉だと思います。
でも、これを他人に対して使うのは、どうか?
何かに間に合いそうになくて急いでいるひとの前を塞いで、「そんなに急いだって10分ぐらいしか変わらんぞ」「10分なんて大した差じゃないだろ」みたいに言うのは、どうなのか?
まぁ、気が焦って事故る可能性のあるひとを落ち着かせる効果は……あるのかな?
かえって余計にそのひとを焦らせて、危険度を増してしまうような気もします。
何よりほんとうに10分ぐらいしか違わないのかがわかりません。
以前、同じスタート地点を同時に3台の車で出発したことがありましたが──
一番飛ばすひとは1時間50分ちょっとで目的地に着きました。
私は遅れて2時間ちょっとで到着しました。
ここまではまさに『10分ぐらい』ですが──
一番遅かったひとは3時間10分かかりました。
まぁ、途中でコンビニにでも寄っていたとしか思えないのですが、とにかく『運転が下手』『どんくさい』と日頃から言われていた方でした。
また、私のような仕事をしているひとは、一日に10時間とか走ったりします。
単純計算ですが、時速1km/hの差が10キロメートルの遅れになることになります。5km/h違ったら50キロメートルも違います。時速60キロ平均なら50分の差です。
10分遅れたら『延着』になり、事故扱いになって、お給料が半年間三万円ぐらい減らされたりもします。
私はタッチの差で事務所が閉まってしまい、16時間遅くなったことがありました。
予定より10分早く着けたら「やった! ごはんが食べられる!」みたいなことはしょっちゅうです。
『急いだって10分ぐらいしか変わらない』と自分に言い聞かせるのは余裕を生みますが──
同じ言葉を他人に対して押しつけるのは、むしろ相手のイライラを増幅させるだけのように思います。
『いじめはいじめられるほうにも問題がある』
これもよく聞く言葉ですよね。
私は高校生の頃、ひどいいじめを受けたことがありました。
それだからこそ、この言葉には『その通りだな』と、うなずけます。
私がいじめられていたのは、自分を表現することのない、つまりはよくわからない『気持ち悪いやつ』だったからです。
登校拒否になり、家の物置に隠れて毎日自殺の詩を書いたりしていました。誰にも読ませる気もない詩を、毎日毎日書いていました。
そんな私があることをきっかけに、まったくいじめられなくなりました。
高校二年の文化祭で、唯一仲のよかった子に誘われて、エレキギターを持ってステージに上がったのです。
「しいな、ギターうまいな!」
「よかったよ!」
そんな称賛の声を浴びて、今まで私をいじめていた子たちからも一目置かれるようになったのです。
それで私はまったくいじめられなくなりました。
それで思ったのです。
『あぁ、私がいじめられていたのは、自分を表現して、みんなに見せたりしていなかったからなんだな。自分ががもっと早く、ギターが弾けることや書いた詩をみんなに見せていれば……』──と。
ここで私が他人に対して次のように言うとします。
『あなたがいじめられるのは、あなた自身にも責任があるよ』
『自分を表現しなさい。そうしたらいじめられなくなるから』
『あなた自身にも問題があるんだよ』
これは違うと思います。
世の中には色んなひとがいます。
自分を表現しようにも、そんな手段がまったくないひとだっていることでしょう。
いじめをするひとにも色々いて、中には刑罰に処さないとそのうち誰かを殺してしまう子もいることでしょう。
だから『いじめはいじめられる自分にも問題がある』という言葉は、自己表現の手段のない子を追い詰めてしまうことにも、またいじめっ子を増長させてしまうことにも繋がると思います。
ただ、これだけは言えると思います。
『なんとかできるのは自分のことだけ』
他人のすることを変えようとしても無理があります。
だから何事でも自分の責任とする考え方には意味があります。
私はトラックを運転していて、何かトラブルが起きた際には、まず『自分はどうするべきだったか』を考えるようにしています。
相手がどうするべきだったかを考えたって何の意味もないですからね。
前に乗用車さんが右から前スレスレに割り込んできて、すぐに急ブレーキを踏んで左折して、それで私も急ブレーキを踏まされ、積んでいた荷物がぐちゃぐちゃになったことがありましたが、私が割り込みを予測して車間距離を詰めたせいです。割り込まれるのではなく割り込ませて、予め速度を落としていれば防げていた事故でした。あのジムニー、タヒね──なんて、思いますが、思ったってしょうがありません。
自分の責任と認めれば、成長があります。
次に同じような状況になった時、予め速度を落とし、車間距離を空けるようになりました。
『あのジムニーのせいだ』と思ってたら、こんな成長はなかったと思います。
SNSサイトなどを見ていても、『自分に言い聞かせる言葉』と『他人に押しつける言葉』を混同している印象を受けることがよくあります。
車の運転で『急いだって10分くらいしか変わらない』は明確に『自分に言い聞かせる言葉』です。相手に押しつけたら危険が増すだけです。あのジムニーは憎たらしいですが、私の前に割り込みたいなら、私は入らせるべきでした。
『いじめはいじめられるほうにも問題がある』は、自分に言い聞かせたら自殺してしまうおそれがあります。なので、自分だけで解決しようとせず、誰かに相談しましょう。
そしてこれもいじめられている子に押しつける言葉ではありません。それを正論としてしまうといじめっ子たちが増長してしまいます。
ただ、前述した通り、私はこれも自分に言い聞かせるなら正しい言葉だと思っています。
これを間違った論とすると、今度はいじめられっ子が増長して、すごい笑顔になって、社会的にいじめっ子を抹殺しはじめるかもしれません。漫画ではなく実際に。
要はその言葉をどんな状況で、誰に向かって言うか──ですよね。
それを間違ってるのをよく見かけるなーと、最近思うんです。
どこでも何にでも便利に使える定番の言葉なんてありません。
そんなことを問題提起してみました。
反論あれば、遠慮も忖度もなく、どうぞ。




