はじめてのダンジョン配信
美月が取り出したのは、手のひらサイズの物体だった。
流線型のフォルムに、レンズが三つ装備されている。
重量は見た目以上に軽そうで、美月の小さな手にすっぽりと収まっていた。
「これがドローンカメラです」
美月は俺にそれを見せながら、得意げな表情を浮かべている。
「三十万円もするんでしょ? 高校生が持つには高すぎない?」
俺は思わず疑問を口にする。
声に驚きが混じっているのは隠しようがない。
この小さな装置に、俺の月収の数倍の価値があることが信じられなかった。
「あ、これは私のものじゃないんです」
美月は慌てて手を振りながら説明する。
「探索者協会では、Eランク以上の探索者に小型ドローンカメラを格安でレンタルしてくれるんです。月額一万円くらいで借りられるんですよ。配信で収益を上げて、探索者の地位向上を図るという協会の方針らしくて……」
美月の説明を聞きながら、俺は唖然とする。
探索者協会がそんなサービスを提供していることを、俺は全く知らなかった。
Fランク探索者には縁のない制度だったのだ。
「先輩、DTUBERって知ってますよね?」
DTUBER、つまりダンジョン配信者のこと。
「そりゃまあ……姫月氷華の配信は見たことがあるけど……」
「そうです! 今、ダンジョン配信は世界的に大人気のコンテンツなんです」
美月は興奮気味に説明を続ける。
手をひらひらと動かしながら、まるでプレゼンテーションをしているようだった。
「考えてみてください。普通の人には絶対に体験できない、モンスターとの本物の戦闘をリアルタイムで見ることができるんです。ゲームじゃない、本当の生死をかけた戦いを、安全な場所から観戦できる。これまでの人類史上、こんなエンターテイメントは存在しなかったんです」
確かに、そう言われてみれば納得できる。
スポーツ観戦とは比較にならないほど、生々しい興奮があるだろう。
観客は画面越しに、探索者の心拍数の上昇も、恐怖に震える手も、勝利の瞬間の高揚も、すべてをリアルタイムで共有できる。
「それに、探索者の技術や戦術を学ぶこともできます。プロの探索者がどんな判断をするのか、どんな装備を使うのか、どんな連携を取るのか……すべてが教材になるんです」
美月の解説を聞いているうちに、ダンジョン配信の魅力が理解できてきた。
視聴者にとっては、冒険への憧れ、学習への欲求、そして何より、非日常への渇望を満たしてくれるコンテンツなのだろう。
「そして……」
美月は少し恥ずかしそうに頬を染めながら続ける。
「人気になれば、広告収入やスポンサー契約で、探索者としての収入を大幅に増やすことができるんです。姫月先輩クラスになれば、月収数百万円って噂もあります」
俺の胃が一瞬きゅっと縮んだ。
月収数百万円。
俺の年収を軽く超える金額だ。
ドローンカメラが宙に浮上した瞬間、俺は息を飲んだ。
無音で滑らかに上昇していく様子は、まるで重力を無視した小さな奇跡のようだった。
青いLEDが点滅し、レンズが俺たちを捉える。
機械の目が俺を見詰めている感覚に、背筋がぞくりとする。
「配信開始します!」
美月の声が明るくダンジョン内に響く。
普段の彼女よりも少しトーンが高く、配信者としての顔に切り替わったのが分かった。
笑顔も自然で、カメラを意識した表情作りができている。
ドローンの小さなディスプレイには、配信タイトルが表示されていた。
『【ダンジョン配信】Eランク探索者二人がD級ダンジョンに挑む!』
文字を見た瞬間、俺の心臓が早鐘を打ち始める。
世界中の人々が、この瞬間の俺を見ているのだ。
手のひらに汗が滲み、喉が乾燥していく。緊張で口の中がカラカラになった。
「みなさん、こんにちは! 美月です!」
美月はカメラに向かって手を振る。
その動作は自然で、まるで友人に挨拶するかのような親しみやすさがあった。
画面の隅に、コメント欄が流れ始める。
文字が右から左へとスクロールしていく様子を見ていると、めまいがしそうになった。
:初見です〜
:美月ちゃんかわいい
:二人?パーティー配信か
「今日は学校の先輩と一緒にD級ダンジョンに挑戦します! 先輩、自己紹介お願いします!」
突然カメラが俺に向けられ、ドローンのレンズが俺の顔を正面から捉える。
俺は一瞬、何を言えばいいのか分からなくなった。
喉が詰まったような感覚になり、声が出てこない。
「あ、え、えっと……鈴木です。よろしくお願いします」
掠れた声で何とか挨拶する。
自分の声が情けなく聞こえ、顔が熱くなる。
緊張のせいで普段よりも高い声になってしまい、恥ずかしさが込み上げてきた。
:先輩おとなしそう
:彼氏?
「彼氏じゃないよー、学校の先輩です!」
美月は笑いながらコメントに反応する。
その自然な対応を見ていると、彼女の配信者としての才能を感じずにはいられなかった。
視聴者との距離感の取り方が絶妙で、親しみやすさと適度な距離感を保っている。
最初のゴブリンが現れたとき、コメント欄の流れが一気に速くなった。
:きた!
:ゴブリンだ
:がんばれ〜
「先輩、お願いします!」
美月が俺に合図を送る。
彼女の期待に満ちた視線を感じながら、俺は前に進む。
足音がやけに大きく響いて聞こえ、自分の呼吸音まで気になってしまう。
俺は例の如く、人差し指を立ててデコピンの構えを取った。
ゴブリンとの距離は約二メートル。
普通なら届くはずのない距離だが、俺にとってはもう慣れた間合いだった。
極限まで力を抑えて指を弾く。
空気を切る微かな音と共に、衝撃波がゴブリンに向かって飛んでいく。
ゴブリンは何が起こったかも分からないまま、後方に吹き飛ばされて気絶した。
そして光の粒子になって消えていき、小さな魔石だけが残る。
コメント欄が一気にざわつき始める。
:は?
:今何した
:デコピンでゴブリン倒した??
「すごい! 先輩、今のすごくかっこよかったです!」
:彼女テンション上がりすぎ
:本当にEランク?
次のモンスターも、デコピンの風圧だけで壁に激突して気絶した。
10体ほどのソルジャー・アントには息を吹きかけるだけで全滅させた。
コメント欄の勢いが止まらない。
:意味がわからん
:チートか?
:どんなスキル使ってるの?
:Eランクのレベルじゃない
美月はコメントを見ながら、俺の戦闘スタイルについて説明しようとする。
「先輩のスキルは『二重掛け』っていって、攻撃を二倍にできるんです。でも……」
彼女は首を傾げながら続ける。
「でも、先輩って今スキル使ってるのかな?」
:二重掛け?
:ステータス詐欺じゃないの
:これは絶対Eランクじゃないでしょ
1層目に入ったあたりで、より強力なモンスターが現れ始めた。
オークやブラックウルフなど、D級の中でも上位クラスの敵たちだ。
俺はブラックウルフに対して、足元の小石を軽く蹴り飛ばした。
石は音速に近い速度で飛んでいき、サンダーウルフの頭部を正確に貫通する。
電撃を操る狼は、一瞬の閃光と共に消滅した。
迫り来るオークにビンタすると、相手は壁を何度も貫通して隣の部屋まで吹き飛んでいった。
これでは魔石を回収できない。
俺はちょっと反省する。
その光景を見て、コメント欄が完全に混乱状態になった。
:これはバグ
:ランク詐称で運営に通報したほうがいいのでは
:隠れてるSランクじゃないの
:やらせ確定
:面白い
:美月ちゃんの反応が恋する乙女
:フェイクじゃないの?
彼女は俺の方をちらちらと見ながら、コメントに対応しようとしている。
「えーっと、みなさん、先輩は確かにEランクの表示になってるんですが……EXって表示も出てて、もしかすると新しいランク表記なのかもしれません」
:EX?
:聞いたことない
:新ランク?
:管理局の発表あった?
視聴者数がどんどん増えていく。
最初は数十人だったのが、今では数百人に膨れ上がっている。
10層目で、ついに美月の出番がやってきた。
俺が力の制御に失敗して、少し強めに攻撃してしまったとき、壁の破片が美月の腕に当たって小さな傷ができてしまったのだ。
「ご、ごめん! 美月ちゃん……!」
俺は急いで美月に駆け寄る。
「あ、先輩、大丈夫です」
美月は慌てて俺を制止し、自分の腕に手をかざす。
淡い緑の光が傷口を包み、みるみるうちに傷が癒えていく。
完全に元通りになるまで、わずか数秒だった。
:おお
:治癒スキル!
:これは良いパーティーバランス
:先輩が攻撃、美月ちゃんが回復役なのね
:男の方は回復いらんだろ
「治癒スキルです。まだまだ未熟ですけど、小さな傷くらいなら一瞬で治せます」
実際、治癒スキルは探索者の中でも非常に貴重な能力で、パーティーには欠かせない存在だ。
:治癒スキル持ちは貴重
:美月ちゃんかわいいし有能
「みなさん、今日はここまでにしようと思います」
美月はカメラに向かって手を振る。
額には薄っすらと汗が浮かんでいるが、充実した表情を見せている。
「また配信するので、よかったらチャンネル登録お願いします! 先輩も、また一緒にお願いします」
美月が俺の方を見る。期待に満ちた瞳で、次回の約束を取り付けようとしている。
「うん。また時間があるときに」
俺の曖昧な返事にも、美月は満足そうに微笑んだ。
:面白かった
:登録した
:次回楽しみ
:先輩は何者なんだ
配信が終了すると、ダンジョン内に静寂が戻った。
ドローンが静かに降下し、美月の手のひらに着陸する。
「お疲れ様でした! 先輩のおかげで、すごく配信が盛り上がりました」
美月は嬉しそうに俺を見上げる。
頬には達成感による紅潮が見え、瞳は満足そうに輝いている。
「俺は何もしてないよ」
探索の成果として、俺たちは大量の魔石を手に入れていた。
カバンの中で、青い結晶がカチャカチャと音を立てている。
その音を聞いているだけで、収入への期待が高まってくる。
「先輩、魔石の分け方なんですが……ほとんど先輩が倒したモンスターだから、先輩が全部持っていってください」
美月の言葉に、俺は首を横に振った。
確かに物理的には俺が倒したが、美月がいなければ配信も、D級ダンジョンまで来る勇気もなかっただろう。
「だめだよ。美月ちゃんがいなかったら、ここまで来られなかった。山分けしよう」
「でも……」
「決まり」
俺の強い口調に、美月は観念したように頷いた。
小さなため息をついて、諦めたような表情を見せる。
「……分かりました。先輩、優しいですね、ありがとうございます!」
その表情の奥には、俺への感謝の気持ちが見え隠れしていた。
魔石を換金すると、予想以上の金額になった。
6万円。俺にとっては大金だった。
美月と山分けしても、3万円が俺の取り分となる。
手のひらに一万円札を握りしめながら、俺は小さな達成感に浸っていた。
昨日吉田たちに奪われた金額と同じだけの収入を、たった一日で取り戻すことができたのだ。
「先輩、今度はいつ配信できますか?」
帰り道で美月が尋ねる。
その表情は期待に満ち溢れており、今回の配信が彼女にとって特別な体験だったことが伝わってくる。
「そうだね……また時間があるときに」
俺は曖昧に答えながら、薄暮れの空を見上げた。
街灯が一つずつ点き始めている。
日常の景色が、どこか違って見えた。
俺の人生が、少しずつ変わり始めているのかもしれない。
それが良い方向なのか、悪い方向なのか、まだ分からないけれど。




