第32話 レゾヌス遺跡 6
姿を現したのは、あの巨大な蜘蛛の形のモンスターだった。
闇の奥からぬるりと這い出すたび、硬い脚が石床を引っかき、乾いた音が反響する。
無数に並ぶ複眼は不気味な赤に光り、一つ残らずこちらを捉えていた。
その視線に晒された瞬間、空気が一気に重くなり、逃げ場のない圧迫感が胸にのしかかる。
タルネの足には糸がしっかりと絡みつき、逃げ場を塞ぐように食い込んでいた。
引き剥がそうとするたび、糸はきしむように震え、逆に力を増していく。
次の瞬間、抗う間もなく、タルネの身体は少しずつ、だが確実に巨大な捕食者のもとへと引きずられていった。
「タルネ!!」
タルネの服を掴んで引っ張るイスト。
「このやろう!」
ドォン!!
ライドンは低音を一発喰らわせた。
空気が唸り、腹の奥に直接叩き込まれる衝撃が走る。
「ヴヴ……ヴ…」
複数の目が、ほんの一瞬だけ揺らいだようにも見えた。
だが次の瞬間には何事もなかったかのように、動きは止まらない。
ゆっくりと捉えた獲物を引き寄せる。
「タルネーッ!」
タルネの両脇を支え、歯を食いしばって踏ん張るイスト。
だが糸は容赦なく張り詰め、二人の足元を削るように、少しずつズルズルと引きずっていく。
シュンは一瞬だけあたりを見回した。
次の瞬間、転がっていた鉄の棒を掴み取ると、迷いなく踏み込み、巨大な蜘蛛の頭部めがけて叩きつける。
ガァンッ!
金属のような音は鳴るものの効果があるかはわからない。
ガァンッ!ガァンッ!!
その瞬間。
反撃する隙すら与えぬ速さで、蜘蛛の腕が伸び、シュンの首を見事に捕らえた。
「うっ…!!」
耐えきれなくなり、シュンは両手で首を押さえる。
指の隙間から漏れる息は浅く、視界がじわじわと歪んでいく。
「くそ……こいつ……鼓動が、わからない」
必死に解析を試みるライドン。
だが普段のモンスターとは違い、思うように進まなかった。
「おらっ!!」
思い切り蜘蛛を蹴り上げ、シュンは辛うじて危機から脱出した。
着地する間もなく視線を走らせる。
まずい――蜘蛛との距離は2メートルもない。このままでは、タルネはあと少しで捕食されてしまう。
「この糸さえ…」
シュンは鉄棒を振り上げ、タルネの足に絡みついた糸を切りにかかった。
「切れない……」
嫌な手応えだけが返ってくる。
糸は肉に食い込むほど深く絡みつき、とてもじゃないが、力任せに断ち切れる代物ではなかった
蜘蛛の口が迫る。
ライドンはひとり集中していた。
(鼓動さえわかれば…)
(こいつから鼓動が無いのは変だ
もしや、動力自体と合わせるのか…?)
ドォン ドォン
ライドンは遠くで鳴る鼓動に耳を澄ませた。
呼吸、軋む床、糸の擦れる音――周囲の雑音が次々と剥がれ落ちていく。
「ここだっ」
ドォン! ドォン!
叩きつけられたドゥンバの低音は、部屋全体に満ちる鼓動とぴたりと重なった。
「ヴヴ…!」
蜘蛛の動きは、ほんの一瞬だけ鈍ったように見えた。
だがそれは錯覚に近い、儚い間だった。
次の瞬間には何事もなかったかのように、再び不気味な活動を始める。
タルネの意識は朦朧としていた。
糸に含まれた毒のせいか、視界は滲み、輪郭が定まらない。
それでも体だけは容赦なく引き寄せられ、気づけば彼女は、化け物の口の奥へと少しずつ近づいていった。
「タルネーッ!起きて!」
仲間たちの声も、遠くで反響するようにしか聞こえず、
それは危機を知らせる叫びというより、彼女を眠りへと誘う子守歌のように響いていた。
「クソッ!」
シュンは両足を蜘蛛の口付近に突っ張った。
タルネの体を強く抱き寄せ、少しでもその口に近づかぬよう、必死に支える。
「ライドン!なんとかできないか!?」
ライドンは答えず、ただ集中するように、固く目を閉じた。
そのとき。
ズルッ!
蜘蛛の口元に溜まった粘液に、シュンの足が滑った。
踏ん張る間もなく体勢が崩れ、そのまま足から
シュンは蜘蛛の口の中へと飲み込まれてしまう。
「シュン!」
ライドンが思わず目を見開いた、その瞬間。
ヒュッ!
空気を裂く鋭い音。
第二の矢――放たれた蜘蛛の糸が、ライドンの腰に絡みつき、一気に締め上げた。
「うわあっ!」
ライドンは体ごと地面に叩きつけられた。
視界は揺れ、片目は半分閉じたまま、意識も急速に遠のいていく。
イストはその光景を前に、目いっぱいに涙を溜めていた。
「だめーっ! みんな、寝ないで! 死んじゃう!!」
叫びは空しく響くだけだった。
シュンは死を決意し、元の世界のことを想像した。
(ユウナごめん、でもおれ頑張ったよね)
あの下北の夜に、これで帰れる。
(父さんと母さんは元気かな)
ドォン ドォン
遠くに響く鼓動すら、今は心地よく感じていた。




