勇者と仲間の密談 勇者side
──数刻前──
食器が下げられ場が落ち着いたころ、弓使い《オルフェ》は机の上に東方の地図と王宮からの書簡を広げた。
「……今回の旅は、いつもの討伐とは訳が違う」
低く告げられた言葉に、その場の空気がきゅっと引き締まる。
「王宮が本格的に“魔王討伐”を視野に入れ始めた。
マユラの《月読み》の結果、魔王の動きに関連する兆候がいくつも確認されたらしい」
説明を続けるオルフェの声は緊張を帯びていた。
今までの魔物や龍討伐ですら苦戦した。
まして今回の相手は――
「アンデッドの魔王。
先代勇者でさえ敵わなかった存在だ」
巫女が不安そうに手を握りしめる。
「……本当に、今の私たちで挑むべき相手なのでしょうか。
判断を誤れば、誰かが……」
言葉を濁すマユラに、レイヴンは静かに首を振った。
「逃げられる依頼じゃない。
被害も広がっている。誰かが止めなきゃならないなら、俺達が行くしかない」
その言葉自体は勇者らしい。
しかし、オルフェは勇者の横顔を見つめながら、小さく息をついた。
「……レイ。
アンデッドの魔王は、普通の魔王とは違う。
討伐経験があるのは君だけだ。慎重に行こう」
地図の上に置かれた指先が震えていた。
その震えが、これから向かう先の恐ろしさを物語っていた。
♢♢♢
話を進めるうちに、場の空気が妙に冷え込んでいく。
オルフェとロイドが険しい表情で向き合い、互いに譲らない。
「……僕は慎重になるべきだと言っただけだよ」
「でもよ、そんな言い方じゃ後ろ向きに聞こえるだろ。魔王が相手なんだ。油断は出来ない、ってだけの話じゃないか」
オルフェは眉をひそめ、ロイドへ鋭い視線を向けた。
「油断しないのは当然だ。だけど〝行けば何とかなる〟じゃ命が足りない。
この間だって無茶をしてレイに助けられたのは――」
「……それは、悪かった」
ロイドが目をそらし、小さく肩を窄めたことで、勇者はようやく二人の険悪さの理由に察しがついた。
(どうしたんだ、今日はいつになく張りつめてるな……)
場を整えるように、勇者はマユラへ視線を向ける。
「月読みのお告げはどんな内容なんだ?」
マユラは深いため息をつき、胸元から折り畳まれた紙を取り出した。
「これよ。こんなに揉めるなら教えなければ良かったと、少し後悔しているわ」
紙を広げると、赤い文字が淡く浮かび上がった。
マユラは静かに読み上げる。
「東へ向かえば、英傑が最弱で最悪な厄災に出会えるだろう。
最弱は厄災をもたらし、それを受け入れるも良し。
最悪な厄災に自らの正義を刺して、忘れるもよし。
選ばれし者の絶望に幸があらんことを」
読み終えた後、場に重苦しい沈黙が落ちた。
「……“最弱で最悪の厄災”。それは魔王のことを言っているのか?」
「そうよ。月読みで“厄災”と呼ばれる存在は、必ず魔王を指すの。だから最弱も最悪も、東の魔王と思って間違いないわ」
勇者は眉間に皺を寄せて呟いた。
「……でも、先代勇者でも倒せなかった魔王が“最弱”だと?」
オルフェが首を振る。
「僕もそこが引っかかってる。
先代勇者は三体の魔王を倒した英雄だよ。その彼ですら歯が立たなかった相手が、最弱なはずがない」
「〝最弱〟なのに、〝最悪〟?」
勇者は言葉を反芻するように口にした。
「普通こういう表現は“最強”と並ぶものじゃないか?」
ロイドは腕を組み、深く考え込みながらぽつりと呟く。
「言葉の意味が矛盾しているように見えて……でも、お告げは必ず何かを示している。
いずれにせよ、倒さなければ世界は救えない。
例えそれが、〝最弱で最悪〟だとしても、だ」
静まり返った空気を破ったのは、その静かな決意だった。
勇者は握りしめた拳に力を込める。
——魔王を討たなければ、この世界は終わる。
悲劇の地をいくつも見てきた。
泣き叫ぶ家族。焦土と化した村。帰る場所を奪われた人々。
誰かが終わらせなければならない。
それが“勇者”に選ばれた自分の使命なのだ。
ロイドが顔を上げて言った。
「……勇者。どうする?」
場の視線が一斉に自分へと向けられた。
全員、既に覚悟は固まっている。
ただ――
勇者は一度だけ唇を結び、静かに言った。
「……今回は、二手に別れよう」
予想だにしていなかった提案に、弓使い《オルフェ》は反応を見せる。
「何か、あったのか?」
「〝英傑に選ばれし者〟が俺のことを指すのだとしたら……
〝選ばれし者の絶望に、幸多からんことを〟という言葉は、俺が東へ行けば〝絶望〟する、そういう意味なんじゃないか?」
勇者が問いかけるように視線を向けると、マユラは息をつまらせ、視線を逸らして答えた。
「……読みようによっては、そう解釈できるわね」
場の空気が一気に重くなった。
勇者の魔剣は〝絶望〟をすればするほど、強くなれる。
勇者はどれほどの苦難にも迷わず挑む男だ。
恐れを表に出すような人間ではない。
だからこそいま、勇者が初めて迷いを言葉にしたことに、オルフェとマユラは凍りついたように息を呑んだ。
普段の勇者は、目の前の“成すべきこと”を正確に見極め、真っ直ぐに手を伸ばし、必ず前へ進む。
その姿勢が、二人にとって何よりの支えだった。
だが今の勇者は違う。
動揺を、恐れを、確かに抱えている。
勇者は静かに口を開いた。
「……俺は、一度〝深い絶望〟を経験している」
その声音はどこか遠くを見ているようで、深い傷跡を隠そうともしなかった。
「あんな思いは二度としたくない。誰にも、させたくない。
俺が勇者になることに迷わなかったのは……守るべき大切な者が、もういなかったからだ。
守りたい家族も、もういないなら、せめて俺の命はすべて人のために使おうと……そう思っていた」
マユラもオルフェも、かける言葉が見つからなかった。
勇者が勇者となった過去は知っていた。
けれど、当時の心情まで語られたことは一度もなかった。
勇者はゆっくりと息を吐き、続けた。
「ーーだから、今の俺が〝絶望〟するとしたら。思い当たることは、ひとつだけだ」
その瞬間、勇者の脳裏には一人の少女が浮かんでいた。
帰れば必ず「おかえりなさいませ」と微笑む少女。
背中に触れる小さな手の温もり。
一生懸命に支えようとしてくれる姿。
キスをしたとき、驚いて真っ赤になった顔。
――そのどれもが、守りたいものだった。
勇者はかすかに震えた声で呟いた。
「……再び、大切な者を守れず、失うことだ」




