第5話 王女、単身で隣国へ
つい先日、フェルミルナ王国と合同軍事演習が開催され、兄アレク王子とフェルミルナ王国のレオ王子が参加した。
当然、エリザベスは筋肉を拝みに――いや、応援に行ったのである。
そこで見事レオ王子に一目惚れした。
鍛え抜かれた背中、無駄のない動き、汗に光る上腕――筋肉の神々しさに、エリザベスは完全にやられた。そして、肩と体幹にはまだ伸びしろがある。そこも含めて、理想的だった。
最初は王女らしく、気品を保って接しようとした。
けれど、レオの飾らない人柄に触れるうちに、エリザベスも自然と素で接するようになった。筋肉だけじゃない。誠実で責任感があり、何より――話をちゃんと聞いてくれる人だった。
演習最終日、レオはエリザベスのありのままを好きだと言ってくれた。
驚いたけれど、嬉しかった。自分の好きを受け止めてくれる人がいるなんて。
エリザベスも、自分の気持ちをまっすぐ伝えた。
その後、レオはすぐにルヴァン王国を訪れ、国王に正式な婚約の打診を行った。
誠意と熱意に満ちたその申し出は、王にも快く受け入れられ、二人の婚約は――まさに、あれよあれよという間に決まったのである。
「レオ様に、会いたいなぁ――」
朝の紅茶を飲みながら、あの日々を静かに思い返していた。
その時、部屋の扉がノックされ、侍女のミーナが顔をのぞかせた。
「エリザベス様。フェルミルナより、お手紙が届いております」
「えっ!? フェルミルナ!? それって、まさか――」
ミーナが差し出した封筒には、フェルミルナ王家の紋章。
そして、筆跡は――
「レオ様……!」
エリザベスは椅子から立ち上がり、思わず手を伸ばした。
胸がどきどきして、手が少し震える。
「キャー! 以心伝心!? 私、乙女だわ! 恋してるってこういうことなのね!」
ミーナが目を丸くしているのも気にせず、ベッドに飛び乗り、枕を抱きしめながら封を開けた。
ーーーーー
愛しのベスへ
そちらは元気にしているだろうか。
私は相変わらず訓練の毎日だよ。
君に教えてもらった“肩甲骨まわりの意識”を試してみたよ。
思ったよりも早く成果が出ていて、今では部下たちに驚かれている。
君の言う通り、筋肉は信頼だ。
そうそう、来月の初めに、セラフィーナ領のリュド港へ視察に行く予定だ。
海風が強いらしいが、君ならきっと「塩気がちょうどいい」と言うだろう。
お土産も期待していてくれ。何か君の筋肉に効きそうなものが見つかるといいんだが。
この視察を終えたら、やっと君に会える。
次に会えるのは、三カ月後か……。
少し遠いけれど、君の笑顔を思い出せば、頑張れる。
……でも、やっぱり会いたいな。
レオより
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「返事書かなきゃ!」
ベッドの上で枕を抱きしめながら、エリザベスはくるくると転がった。
手紙の最後の一文――「会いたいな」――が、頭の中で何度もリフレインする。
ペンと便箋を引っ張り出し、書き始めようとしたそのとき――ふと、手紙の一文が引っかかった。
「……リュド港って、どこかで聞いたような……」
エリザベスは、セシリアとの会話を思い出した。
レオとの婚約が決まったことを報告したとき、いろんな話をしたのだ。
『ルヴァンのミト港とフェルミルナのリュド港に航路があるのよ。海だと早くて2日もあれば着いちゃうのよ。陸だと数週間かかるのにねぇ』
たしか、ミト港は王都からそれほど離れていない。馬を走らせれば、2日もあれば着く。
そして、そこから船で2日。合計4日。
「ちょっと待って……レオ様がリュド港に行くのは、来月初めってことは――」
今は月末。今日出発すれば、4~5日後にはリュド港に着ける。
「レオ様に会えちゃう!?」
エリザベスは、立ち上がった。
胸がどきどきして、足がうずうずして、もうじっとしていられない。
思い立ったが吉日!「よし、会いに行こう!」
返事は、直接伝えればいい。
エリザベスは行動を開始した。動きやすい旅装束に着替え、髪を三つ編みにまとめる。
貯めてあったお小遣いと、下着と着替えを一着だけ、ショルダーバッグにしまう。
侍女のミーナが廊下を通る音。
エリザベスは息をひそめ、物陰に身を潜める。
「エリザベス様、いらっしゃいますか?」
(ごめんね、ミーナ。今は恋が優先なの)
マントのフードをそっとかぶる。顔の半分が隠れるだけで、なんだか別人になった気がした。
護衛の巡回ルートをすり抜け、使用人用の階段を下り、厨房の奥の古い扉を抜ける。
そこから石畳の通路を進むと、衛兵詰所の裏手にある厩舎に出る。
そこに待っていたのは――私の愛馬、ルーチェ。
「行くよ、ルーチェ。恋のために!」
鞍をかけ、手綱を握る。
そして、城の裏門へ。
衛兵の交代時間を見図り、「今だ!」
エリザベスは、ルーチェとともに門を抜けた。
風が頬を撫でる。心が跳ねる。
王女であることも、城のしきたりも、今は全部置いていく。
王都の外れに着いたのは、夕暮れ時。
宿を探すのも、屋台でご飯を買うのも、前世の記憶があればへっちゃら。
「一人部屋、ありますか?」
「あるよ。お嬢ちゃん、しっかりしてるねえ」
「よく言われます!」
ルーチェにはたっぷり干し草を。
エリザベスは屋台で焼きたてのパンとスープを買い、宿の窓辺でほおばる。
夕焼けが街を染める。
(そうだ、前世でもこんなふうに、一人旅してたっけ。なんだか懐かしいな…)
「……レオ様、待っていてくださいね」
翌朝、エリザベスは再びルーチェと共に、街道を走った。
空は晴れ、風は追い風。
ルーチェの蹄がリズムよく地面を叩く。
そして、夕方――ついに、ミト港の看板が見えた。
「着いた……!」
港には、潮の香りと魚市場の喧騒。船が並び、荷物が積まれ、人々が忙しく動いている。
エリザベスは、港の受付に向かった。
「リュド港行きの船、ありますか?」
「明日の朝出る便がちょうどあるよ。天気も良さそうだ」
「乗ります!」
エリザベスは、胸を高鳴らせながら、港の宿に部屋を取り、ルーチェを港の厩舎でしばらく預かってもらう手配をした。
そして、明日には、海を渡る。
翌朝、ミト港から出航した船は、潮風を受けてゆっくりと進み始めた。
目指すは、フェルミルナ王国のリュド港。
レオ様が視察に訪れる場所――そして、私が会いに行く場所。
「ふふふ、海って気持ちいい!」
甲板に立ち、風を受けながらエリザベスは深呼吸した。
潮の香り、波の音、空の広さ。
全部が、恋の予感でキラキラして見える。
船旅は、だいたい二日。
その間、エリザベスはというと――
甲板でストレッチ。筋肉は信頼、旅の基本!
船員さんに話しかけて、航路や風の話を聞く。前世の知識があると、こういうとき便利。
お弁当を広げて、レオへの返事を下書き……でも、渡すつもりはない。直接言うんだから。
夜は星を見上げて、レオの笑顔を思い出して、ひとりでニヤニヤ。
「……レオ様、今ごろ何してるかなぁ」
船室では、枕を抱えてごろごろ転がる。
恋する乙女は、じっとしていられない。
そして、船員に聞いた話も役に立った。
「リュド港は、フェルミルナの南の玄関口さ。王族の視察があるって噂だよ」
「えっ、ほんとですか!? じゃあ、タイミングばっちり!」
エリザベスは、ますます胸を高鳴らせた。
この船が、恋の航路を進んでいると思うと、もう何も怖くない。
「よし、明日には到着。準備は万端!」
翌朝、リュド港が見えてきた。
朝の光を受けて、海がきらきらと輝いている。
遠くに見えるのは、石造りの灯台と、フェルミルナの旗。
港には船が並び、人々が忙しく行き交っていた。
「……ついに来た。レオ様のいる国」
エリザベスは、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、甲板の手すりをぎゅっと握った。
船が着岸し、乗客たちは順に降りていく。その先には、港湾の検問所。フェルミルナの兵士たちが、身分証を確認している。
(やっぱり、あるよね……)
エリザベスは、マントの内ポケットに手を入れた。
そこには、王都の外れの宿で手に入れた、ひとつの身分証がある。
「別れた恋人に会いに行くんです」と言ったエリザベスに、宿のおじさんは目を細めて笑った。
両親に反対されて別れたけど、どうしても忘れられなくて――
そんな話をでっちあげたのだ。もちろん、全部嘘。
……ちょっと申し訳ない気もしたけれど。
『……そっか。じゃあ、これ持ってきな。うちの娘が昔使ってた身分証だ。もう使わないしな』
『えっ、でも……』
『いいんだよ。恋ってのは、そういうもんだ。行ってこい、嬢ちゃん』
名前は「ザベス・ルー」。年齢は22歳。職業は「農具商見習い」
ちょっと年上だけど、誤差の範囲!
「次の方、身分証を」
兵士に呼ばれ、エリザベスは一歩前に出た。
緊張で手が手のひらがじんわり汗ばんでいた。
「こちらです」
兵士は身分証を受け取り、目を通す。
「……農具商?」
「はいっ。ルヴァンの農具と、フェルミルナの農具を比較したくて。視察です!」
「視察?」
兵士が眉をひそめる。
「はいっ。農具の違いを参考に、……あ、でもそれより――」
私は兵士の腕に目をやり、ぱっと笑顔を咲かせた。
「兵士さんの筋肉、すごくいいですねぇ。ちょっと後ろ向いてもらっても?」
兵士は戸惑いながらも、くるりと背を向ける。
「はあ……完璧です。肩の張り、背中の厚み、僧帽筋から広背筋への流れ……理想的です!さすがフェルミルナ、筋肉まで国家レベルですね!」
兵士はぽかんとしながらも、胸を張った。
「……まあ、視察なら問題ない。滞在は短く頼むぞ」
「はいっ!」
身分証が返され、エリザベスは深くお辞儀をして検問を通過した。
心臓がばくばくしていたけれど、顔は平然。
(ありがとう、おじさん。娘さんの分まで、恋してきます!)




