第3節「トコヨノカミノウタ」
霧に包まれた常世の大地を歩くうち、湊は不思議な建物に辿り着いた。
それは神殿とも図書館ともつかない場所で、石柱に刻まれた古い文字が、今にも消えそうに揺らめいている。
ミヨは静かに言った。
「ここは“記憶の巫女殿”。人の祈りや言葉を記録する場所。でも……見て。」
壁に刻まれた文字が、砂のように崩れ落ちていく。
古代の祝詞、子守唄、詩、告白の言葉……数えきれない声が、風に散っては消えていった。
「この世界を繋ぎとめていたのは《トコヨノカミノウタ》──“常世神の歌”。」
ミヨは両手を胸に組み、まるで祈るように目を閉じた。
「その歌は、天地が生まれた時に紡がれた、最初の言葉。
人と神、常世と現世を繋ぐ唯一の旋律だったの。」
湊は息を呑んだ。
「……そんなものが、本当に?」
ミヨは首を振らなかった。
「わたしは断片だけを覚えている。でも、それだけでは足りない。
歌が完全に忘れ去られた時、この世から“言葉”そのものが消えてしまう。」
彼女の声は震えていた。
「いま、現世で起きている“言葉をなくす病”──あれはその前触れ。
人の記憶と声が、次々と失われている。」
湊は短冊を取り出し、ミヨに見せた。
「これも……その歌の一部なのか?」
ミヨの瞳が揺れた。
「……ええ。その紙片は、歌の断片。“詠み人”にしか拾えないもの。
あなたは、それを集め、歌を取り戻すために選ばれたの。」
湊は言葉を失った。
自分が選ばれる理由など、どこにもないと思った。
けれど、井戸から聞こえた声と、祖母の遺した歌が、胸の奥でひとつに重なっていく。
「湊……。
世界は、あなたの声を待っている。」
その言葉が、常世の風に溶けて響いた。