第2節「ミヨと記憶の巫女殿」
目の前に立つ少女は、現実の誰とも違って見えた。
黒髪は常世の風に揺れ、瞳は水面に浮かぶ星屑のように淡く光っている。
湊は息を呑み、言葉を失った。
「あなたが……“詠み人”なのね。」
少女は微笑みながらそう告げた。声は優しいが、不思議な重みを帯びていて、湊の胸に直接響いた。
「……誰、なんだ?」
問いかけると、少女は胸に手を当てて名乗った。
「わたしはミヨ。この常世に縛られた巫女。かつて“記憶を護る役目”を与えられた者。」
「記憶を……護る?」
ミヨは頷いた。
その瞬間、周囲の景色がふっと変わった。
白い霧がほどけ、言葉が形を持って空を漂い始める。幼子の笑い声、誰かが書いた手紙の断片、古い祈りの歌。すべてが言葉の残像となって空間を満たしていた。
「人が忘れた言葉、祈り、思い──それらは消えることなく、この常世に流れつくの。わたしは、それを記録し、護るためにここにいる。」
湊は圧倒され、ただ立ち尽くした。
祖母の声、学校で消えていった文字、そして井戸の囁き。すべてが、この少女の言葉と結びついていくような気がした。
「でも……今、その記憶さえ崩れ始めている。」
ミヨの声は震えていた。
漂っていた言葉たちが、一つ、また一つと光を失い、霧に溶けて消えていく。
「原因は、失われた《トコヨノカミノウタ》。それは神々が人に与えた“言霊の歌”。その力が途絶えたせいで、世界から言葉が消えかけている。」
ミヨの瞳が湊を真っ直ぐに射抜いた。
「だから──“詠み人”。あなたにしか、取り戻せないの。」
湊の心臓が強く打ち、言葉を返せないまま、ただ立ち尽くした。