第3節「詠むということ」
ミヨが霧に消えたあと、湊は長い間、立ち尽くしていた。
胸の奥に残ったのは、どうしようもない喪失感。
けれど、その中に確かに、彼女の声が息づいていた。
──お願い、歌を完成させて。
湊は短冊を手に取った。
そこには相変わらず、輪郭の定まらない文字が浮かんでいる。
何度見ても、意味を結ばず、ただ滲むように揺らめくだけだった。
「どうして、読めないんだ……。」
苛立ち混じりに呟いた瞬間、ふと祖母の言葉がよみがえった。
──言葉は“唱える”ものじゃない。“感じる”ものなんだよ。
湊ははっとして、深く息を吸った。
目を閉じ、文字を「解読」しようとするのではなく、その気配を心で受け取る。
すると、不思議なことに、黒い滲みの奥から柔らかな響きが浮かび上がってきた。
それは、意味ではなく“祈り”だった。
「ありがとう」「生きたい」「また明日」──それぞれの声が重なり、ひとつの旋律になろうとしていた。
「……そうか。
“読む”んじゃない。
“詠む”んだ。」
湊は小さく呟き、声を重ねた。
「ありがとう。
生きたい。
また……明日。」
言葉が空へ放たれた瞬間、短冊が光に包まれ、文字がはっきりと浮かび上がった。
それは、失われていた《歌》の断片。
湊の胸が震えた。
言葉とは、ただ意味を伝える記号ではない。
心と心をつなぐ“祈りの器”なのだ。
彼はようやく、自分が“詠み人”である意味を理解し始めていた。




