第1節「忘れられた教室の黒板」
湊とミヨは、常世と現世を結ぶ“狭間の道”を通り抜けた。
辿り着いたのは、山の麓にひっそりと佇む廃校舎だった。震災の後に閉校となり、誰も訪れなくなった場所だ。
校庭の雑草は腰の高さまで伸び、遊具は錆びて赤茶けている。
風が吹くたび、窓ガラスの割れた音が微かに響いた。
「ここにも……言葉が眠っている。」
ミヨが囁く。
「この場所で交わされた“声”が、まだ常世に留まっているの。」
湊は胸の奥にざらつくような感覚を覚えた。
祖母に手を引かれて避難所へ行ったあの日の匂い──土埃と消毒液の混じった匂いが蘇る。
二人が教室に入ると、黒板に奇妙なものが残っていた。
かすれて消えかけた文字列。だが、その一部だけが淡く光っている。
「……『ありがとう』?」
湊が読んだ瞬間、黒板全体が揺らぎ、消えかけていた文字が次々と浮かび上がった。
──「また明日」
──「がんばれ」
──「生きて」
どれも、生徒や教師たちが最後に書き残した言葉だった。
光の文字は教室中に舞い上がり、ひとつの旋律を紡ぎ始める。
湊の耳には、歌のような響きが聞こえた。
「これが……歌の断片……。」
ミヨは静かに頷いた。
「そう。忘れられた祈りが、あなたの声で呼び覚まされる。」
湊は黒板に向かって、震える声を絞り出した。
「ありがとう……。」
その一言が教室に響いた瞬間、光の粒は黒板から解き放たれ、窓の外へ飛び立った。
空に昇るそれは、まるで子どもたちの笑い声が形を変えたかのようだった。
湊の目には涙が滲んでいた。
言葉は消えない。
誰かが祈りを込めた声は、たとえ忘れられても、どこかで必ず響き続けている。




