助けよう
初めて戦争を目にした。雄叫びと叫喚が交差するまさに地獄を眼前にしてオレは、
――『助けよう』とそう決断したんだ。
春の陽光、照らす朝日はまるでオレを歓迎しているかのように温かい。朝特有の肌寒さも緩和された。
エスケープ山脈をあとにしたオレら三人は、先ほど通った草原に立ち寄っている。溶けた雪が雑草に乗っかり光る。深黒の暗さで見た景色とはまるで違う、緑の空とも言える景色が存在していた。
「ここもまた綺麗だ……」
「あたしはもう見飽きたよ」
「思ってても言うなよ、姉さん」
カルガの優しさの忠告を無視して、遠くの物を視るように手をかざすホルン。目当てを見つけたのか、『はっ』と歓喜ともとれる息を吐き、走っていった。
その間に横へと並ぶカルガに疑問を呈する事に。
「カルガ、一つ訊いても良いか?」
「ああ」
カルガは目を眇めながらホルンを凝視している。その目には、実の姉に対して呆れや疲弊もあったかもしれないが、顔には愉快を隠して切れてはいなかった。
あの時、感じたこの奇妙な気持ちをどうにか言葉に出したい。その衝動に抗えなくて口を開いた時、
「こっちこっちー!」
透き通る声に横から遮られた。
破顔するホルンが手を大きく振って催促してくる。カルガと互いに視線を絡ませ、苦笑をする。足を運んでみると、ホルンが佇む場所は草が燃え灰となり、土が丸裸になっていた。
「これね、あたしとカルガで燃やしたの。凄いでしょ?」
「燃やした事を自慢してやがる……」
天術を使えないオレでも半端のない威力であった事が把握できる。頭に手を当て嘆息をつくカルガの反応を見て、偽りではないことが悟った。
「凄いな、これが真然術の力……」
「カルガは納得いってない顔だったけど」
「当たり前だろ。爺さんの思い出の木を燃やして嬉しい顔をできる訳ない」
「それだけじゃなさそうだった」
眉を寄せ、横目の視線を送るホルンは、いつになく懐疑的であった。
いつもの雰囲気ではない。神妙な面持ちの二人が掛け合う姿は珍しく思う。ホルンはカルガの本音に気付いていたのかもしれない。
カルガは目を閉じて息を吐き、その吐息に乗せるよう言葉を発した。
「……正直悔しかったんだ。爺さんの伝説を超えれなくて」
「なるほどーそれでかぁ」
「伝説? 何だよそれ」
毎回聞き直して申し訳ない気持ちが深まる中、カルガは嫌な顔せず説明を始める。
「シルには有名な伝説が残っているんだ。僕たちの祖父レオナルド・ジアーツとライゼン・ファーストという少年がシル一帯を燃やし尽くしたという伝説が」
「シル一帯⁉ ここら辺全てって事か?」
「うん、城もエスケープ山脈も見える所全てだよ」
「当時祖父のレオナルドは八歳で、ライゼンさんは七歳だったらしい」
「恐ろしいよね……さすが『零世代』って感じ」
「ライゼンって名前、さっき石碑で見たな」
「ああ、よく覚えてるな。どちらも同年代を生きた英雄だ。まあじいさんであるレオナルドは今も健在なんだが」
英雄が眠る石碑は伊達じゃないと再度理解する。あの場所に祀られている人達、全てがシルに関わりを持ち、偉業を成し遂げたのだから。
あーあぁと言いながら草原に寝転び、空を仰ぐホルン。
「あたしも英雄になりたーい」
「姉さんが?」
「別に、後世に残るまでのそんな大層な英雄にはならなくて良いんだけどね。誰かの英雄になりたいの」
聞き手のオレらは一斉に息を呑む。
「墓に残されなくても、生きた証を誰かの記憶に刻む事が出来れば、それであたしの頑張りがちょっとでも報われてるかなって」
彼女の述懐に心が熱くなると同時に、感傷的にもなった。
誰かの英雄になんて、もうとっくになれているだろうに……。
仰向けの状態から足を振ってその反動で立ち上がったホルンは、『よっし』と一言。
「グダグダしててもあれだし、始めようか」
「そうだな、ではさっそくライ。先程の質問に答えよう」
「先程の質問?」
思い当たりのないオレは、分かりやすく首を傾げた。
「ライが天術を使えるかどうかについてだよ」
そうか、シルを出る前にそんな質問をした。
「まあ、まずはこのガラス棒の『TR計』に触ってみてくれ」
カルガは、網籠から液体の入った細いガラス棒を取り出し、手渡される。
目盛りがあり、零から七十までの数字が書かれていた。触れると、透明の水は底から灰色に染まっていく。しかし勢いはすぐに収まり、目盛りを示したのは二。
「よっし二だ! 天術の修行は問題なく出来そうだね。うふふっ」
後ろに手を組み、屈託のない笑顔で顔を近づけてくる。可憐な容姿をしているが、今は怖い、なんか怖い……。話を変えるため、自ら質問をふる。
「何を測ったんだ? その数字を見て何か分かるのか?」
「これはな、天術ランク通称『TR』の数値を測っていたんだ。TRは天術の完成度と真然術の式が分かる。まあ、ゼロを超えると【真然術】、十を超えると【巡鎧纏】を習得または使用できるという感じだ。あくまで目安だが」
だからーと言いながらも、頭の中で整理をつけていく。
「オレは現状、真然術を使えるって事か」
「うんうん、そういう事だね」
何の変哲もない右手を眺める。真然術か、オレは四つの内どれを扱えるのだろうか。やっぱり攻撃力特化の火式? 防御特化の土式? 万能の水式? ぱっとしない風式?
「で、で、オレは何式を使えるんだ? 予想だと水式だな」
「うーんとね、TR計の色を見たら分かるよ。灰色だから残念……最弱の風式だね」
「え?」
「聞き取れなかった? わ・た・しと同じ最弱の風式だね」
「最弱だと……⁉」
「姉さん! 余計なことを言うな、姉さんの発言には語弊がある」
「そうなのか?」
「風式は使い方によって他と対等に、いや勝ることだってある。真然術は何を扱うかではなく誰が扱うかなのだからな」
足を進めながら、カルガは火式を現す。
「一旦話を戻すぞ、まずライは天術を使用できる。その上でだ、TRが二という事はライが天術にあまり触れてこなかった可能性が高い。天術者を目指すものなら、五は超えるはずだ」
カルガは火式を拳に集中させ、高い冬の空に打ち込む。矢のように美しい弧を描き跳躍したが、雲も届かぬ場所で霧散した。雨や雷を簡単に落とす空に対して、我々がその逆をできない事へこの上なく不条理を感じる。
「だから、ライには【真然術】と【巡鎧纏】を完璧に習得してもらう」
「分かった」
オレの発言に瞠目する二人は、『へー』と感心の意を示す。
「嫌がらないんだ」
「どこに嫌がる必要があるんだよ。昔のオレが天術者になる気がなくたってもう居ないんだ。関係がないし、それに今は二人がいる」
天術で二人の隣に立つためだとは口にしない。今はそんな資格もない、ただ静謐に心へと刻むだけ。
「理由は聞かなくていいの?」
「理由?」
「天術を修行させる理由、聞かなくていいの?」
いいよと首を横に振る。シルを見てきて何となくだが分かる。この世は戦乱だ。英雄も戦争がなければ存在しない。二人がオレを修行させる、そこに計り知れない理由があるのだろう。
強くなるのに損はない。
「代わりに二人はどうして強くなろうとするのかを覗っていもいい?」
「それが父さんから生まれた僕らの使命だからだ」
カルガは使命だと言う。
「あたしはそれもあるけど、ある人を助けたいから強くなった。助けに絶対はないでしょ? だから強くなるの。助けられるかもしれないから」
ホルンはある人を助けたいと言う。それは、誰かの英雄になりたいという言葉につながりを持たせるものだった。
それと先の発言。まるで自分を助ける選択はすでに捨てているかのような言い草。
「姉さんのその話、初耳だな」
「そういえば言ったことなかったね」
この想いだけは伝えなければ。裏切ぬうちにと必要以上自分を急かして。
「オレ、何が起こっても二人を助けるよ」
想いを誓いへ。
「ははっ何だよ急に、随分と頼もしいな」
「助けてくれるのかぁ」
寂寥を孕んだような雲が顕在する空を眺め、ホルンは呟き続ける。
「あたしが強くなる理由なくなっちゃうね……」
なくなっていいじゃないか。
独り言ともとれるホルンの言動に、オレとカルガが返答する事は出来なかった。
内に秘めた想いも、空を仰いで隠した彼女の表情も読み取れない。だからこそ、先程の誓いと同時に噛み締めた。
温かさと優しさを意識して、救いの手へと変貌する事を願いながら。
振り向け。
そして笑顔であれ。
体から力を放流するように、
――オレは初めて真然術を使った。
風は、葉に滴る水滴を煌々と光らせ空へと流した。その光景と共に映ったホルンは、風に涙を拭われているようだった。
「凄いね、何も教えてないのに真然術を使えるようになるなんて! 何を意識したの?」
「いやぁ……」
口が裂けても、『ホルンへ風を届くように意識した』なんて言えねぇー。今の調子の限り、ホルンは悩んではいなかったような気もするし。まず風を送って何なんだよって話だし。
だけど彼女が振り向いた時は、やはり平常とは乖離していた、と思う。
「TRが二だから使えなくもないんだが、記憶がない中でよく成功したな」
「天力が勝手に流れてきたように感じたんだよ」
血液よりも顕わに、天力がくっきりと感じた。
「やり方さえ分かれば真然術は自分でも鍛えられる。今からは【巡鎧纏】の修行に移っていくぞ」
「分かった。よろしく頼む」
「はぁ……はぁ……」
息継ぎも儘ならないオレは、膝に手を置く。滴る汗と拭いながら二人の顔を覗った。
「初日はこんな所か」
「……【巡鎧纏】って……難しいなぁ」
「そりゃーね。これが可能となれば光翼団に入団できるレベルだから、そこまで簡単じゃないよ」
「まあまだTRは二なんだ、焦っても意味はない」
「こんな激しい修行をするために外套を渡したんだな? ホルン」
泥にまみれながら今も身体を守るマントを鷲掴み、ホルンに真意を問いかけた。
あれ程に激甚なる衝撃を耐え抜くこの外套は、高性能という以外に他はない。
「それだけではないよ。ライにも英雄になってほしいからね。マントは英雄の象徴でしょ?」
ふふんと腰に手を当てて胸を突き出すホルンの言動は、自然と腑に落ちるものだった。
「確かに……英雄の象徴だな」
風で白き外套を靡かせる二人を眼前にして。
すっと力が抜ける。
今は太陽が真上に登った正午。限界を超えついに腹が
「ぐぅぅぅぅぅー!」
……鳴った。
「お腹減ったよね。ってことでじゃじゃーん! サンドウィッチを持ってきてまーす」
「マジで英雄じゃん! 食べていいの?」
「もちろん」
と胸を叩くホルンを手で遮るカルガは、閉じていた目を鷹揚と開ける。
「家に帰ってから食べようか。そろそろ母さんに怒られてしまう」
「あー何も言ってこなかったしね、帰ろ」
「何かは言って来いよ」
「あと、二人で帰ってくれ。僕は残ってやるべきことがある」
殺伐とした空気を纏うカルガを見て、何故かと訊く勇気は失せた。疑問を呈すことのないホルンの後を続くように、オレは踵を返す。
彼の『いってらっしゃい』を聞き捨てて。
シルの西門が視界に入ったとき、息を吞む音がホルンから発せられる。
「門が閉まってる」
「それって珍しい事なのか?」
「珍しくあってほしいけど……珍しくはないかな」
徐々に声量が下がっていく。その先が知りたくても聞くに聞けなかった。オレは口を噤んだ。
右側、東方面を見て呟く。
「敵国が攻めてきたんだよ」
櫓の上から門兵が姿を現す。
「ホルン様! 『堕天軍』が襲撃してきました。今、モナ副分団長が対処に当たってます。危ないので早くお入りを」
「カルガが草原に一人残っているの」
「草原ですか? ここから見ても見当たりませんね。僕たちが探しておくので取りあえず中に入ってください」
「分かった、じゃあライ。先に城へ帰っておいて」
門が開くと同時にホルンは駆け出す。言動からして戦場に赴く事は明白だった。
「モナさんの所へ行くんだろ? オレも付いていく」
「危険だよ」
彼女はオレを見ない。
「それはお互い様だろ?」
「分からず屋」
口を膨らして不満げな顔を作るホルンを見て、安堵した。いつもと何ら変わりはない。それが無茶しないと確信できる十分な要因だったからだ。
でも、もしもの時は絶対に守る。
西門から息が切れるまで走った後、ようやく東門が見えてきた。周りの住民たちは、静寂に身を包んでいる。家で姿が見えない中でも、剣呑な空気を発さず平常心に保てているのが伝わる。戦争が身近にあるとともに、光翼団第三分団の信頼が高い証明だった。
「ハシゴを上るよ」
「う、うん」
ホルンが東門に到達しての第一声に対して、一瞬肯定するのを躊躇った。東門から赴くのだと思っていたが、考えればすぐにわかる。敵が襲撃を仕掛けているのに、わざわざ門を開けるわけがない。第三分団長の長女ときたらなおさら。
シルを囲う城壁の高さに感嘆の息が零れた。城壁は、石レンガで設計された典型的な造りであり、堅牢である事が伺える。それ故に、驚異の高さを誇ったシルの城壁へ少しだけの高揚と安心を得られた。
足を乗せるたびに梯子から木の軋む音が奏でられる。しかしそんな近くの音でさえ、怨嗟が沸き立つこの先の戦場の騒音に搔き消されてしまう。
城壁へと立つ。瞳に映るのは幻影か、そう問いかけてしまう程に眼前の景色は、現実とはかけ離れていた。
黒の物体に直撃し光翼団の一人が叫喚して倒れる。その悲鳴が耳に残った。
波打つような余響が頭を渦巻いていく。これが、戦場……。
死屍累々の前にして妙な胸騒ぎと吐き気を催す。手を口で押えて咄嗟に嗚咽を堪えた。
「ライ……大丈夫?」
「……うん」
少し視界が滲んだが、悲惨な光景が目に焼き付かなくて良いと非情で最低な思考が浮かんでしまう。流石に背中を擦ってくれるホルンには目を合わす事が出来なかった。切り替えも含め、多量に出た唾とその他諸々の事を飲み込む。
小声で感謝を伝え、目を眇めながらもう一度戦場を見た。
紫の外套と殺伐とした空気を纏い、無表情の奴もいれば、狂気的な笑いを見せる奴もいる。どちらにせよ、人を殺す事に何ら躊躇いもない者の集団だった。
これが、堕天軍――。
「あの黒いのは何なんだよ」
上擦る声を出さないよう抑え気味に訊く。
「闇式、いわゆる闇だね」
そう答えてホルンは下唇を噛む。釈然としない回答に対して反語を強めた。
「闇式? それも天術か?」
「うん、ライもよく知ってる真然術の一種だよ」
「真然術⁉ 四つしかないはずじゃ」
「四つで合ってるんだけど……」
おでこに指をあて眉を寄せるホルンは、簡易に説明するため考える間を置く。
「最初で説明しなかったのは闇式が特殊だからなの。闇式はね、他と違って生まれた時に得られるモノではないんだよ。闇式を得るには、闇式を扱う者に力を譲渡されるしか方法はない」
「じゃあ今モナさん達が戦ってる相手は、闇式を誰かしらに譲渡された者達」
ホルンは静かに頷いた、我らの敵を睥睨しながら。
「闇式は強い……とっても。生まれがらに持った真然術に闇式を重ねがけするから、単純に力は二倍になるし。なにより闇式は生身で受けると死んでしまう、それ程に強力なんだよ」
その強き瞳に、果たしてどんな感情を抱いているのか自分には分かり兼ねた。恨み以外の感情は。
「だから闇式が集まる『堕天軍』は、この世で最も強い軍団なんだ」
「この世で最も強い軍団……」
黒く色付けられた闇の炎が四人の光翼団団員に襲い掛かった。四人が個々の真然術で必死に受け流す姿を見据えて、闇式の恐ろしさを理解する。
堕天軍一人に対して光翼団四人がかり。
兵の数は互角。
このままじゃ確実に負ける。
「あたし、ライに何が起こっても助けると言ってくれて嬉しかったんだ。結構ね、勇気づけられたの」
急に何を、と隣を向く前に空気が強く触れる。
風は彼女の手の下へ。透き通る風は視認できてしまうほどに苛烈さを増す。
膨らむ胸に拳とともに風式をぶつけた。風式がホルンの身体と一体化したのを証拠に少しだけ発光する。
「……【巡鎧纏】」
修行で見たはずなのに迫力が段違いだ。場違いだと分かっていても、どうしても今の姿が綺麗だと思ってしまう。
塀に片足を乗せたホルンは、首と茶色の髪を横に振った。
「誰かの英雄なんて生温い。ここであたしは皆の英雄にならないと」
彼女の掌には、白き炎が揺らいでいる。これは修行中に話していた、天力の塊【揺灯】。
「ホルン!」
呼ばないといけない気がした。
二度と戻ってこない気がした。
両手を合わせた彼女は、オレを一瞥したの最後に城壁から飛び降りた。
そしてすぐにホルンは言い放つ。
「【源変】――【冷風】」
塀に手をつき、落下の恐怖を完全に捨てて真下を見た。
空中で両手両足を広げ、下降していくホルン。その先の戦場の姿にオレは絶句した。
強いのは分かっていた。分かっていたがここまでとは。
奥手に見える堕天軍全員が今、ホルンの技により凍結したのだ。
瞬時かつ的確だった。すぐに破った者もいたが、戦況は確実に変わった。
土埃を派手に巻き立ててホルンは地上に降り立つ。そして、すぐさま塵を破って堕天軍の一人に強烈な飛び蹴りを咬ます。
注目を搔っ攫ったその時に、
「ジアーツ家長女ホルン・ジアーツ! ただいま参戦する!」
片腕と雄叫びを高々とあげた。刹那、歓喜と安堵が伝播し、凱歌に近い程の声音が戦場に響き渡る。
「ホルン様があれを⁉ 正確な上に広範囲とは驚いた」
「【源変】を扱える者はいても、ここまで使いこなせる者は中々居ない。相当な鍛錬が必要となるはずだが……」
彼女はまだ十五歳だと口にしようとして光翼団の団員は止めた。笑う方が先だった。
このような調子の下、光翼団の士気は格段に上がった。上がらない訳がなかった。ただ一人を除いて。
「何しに来たのよ、ホルン! 戦場に来るのは禁じているはずでしょ⁉」
モナさんは、焦燥する気持ちを出来る限り抑え、幹部と互角に構える。しかし、ホルンが戦場に赴いた時、槍は鈍っていた。
「もう嫌なの! 誰も失いたくないの! あたしもここで戦わせて」
滔々(とうとう)と口にしたその言葉が、モナさんの背中に投げ掛けられる。モナさんは丸腰で戦う幹部相手と乱戦を繰り広げていた。
「誰に似たのかしらね。いいわ、あまり無茶はしないで」
彼女の成長と親の真似事を間近で感じて、母として反論する事は敵わなかったらしい。
「ふーん、あれがお前のガキか。上玉じゃんか」
「貴方のような奴に私の宝をあげないわよ!」
モナさんは槍を横に振り、相手に距離を取らせる。そして、余った右手で自身の真然術【火式】を放出した。炎で姿が見えぬ程の火力を誇って。
だが、
「だから俺様には効かねえって言ったじゃんか」
火の中から声が聞こえてくる。狂気に笑う奴が再び現れた後、嫌悪な黒い水で消化してしまう。その勢いのまま、奴は闇の水式をモナさんへ放つ。逃げる間もなかった。
「ママぁ!」
立ち呆ける彼女に高速で飛ばされた水塊が直撃する。しかし、おかしかった。勢い余った黒き水は後方に流れない。モナさんの体で、いやモナさんの前方で止まる。火式は水式に相性が悪いと二人から聞いたのに。
――モナさんは、火式で闇式の加わる水式を相殺していた。
「私も効かないわよ」
意趣返しのように口の端を吊り上げるモナさんは、悠然と歩きながら穂――槍先の刃――を手で撫でる。空気が割れる音を奏で、刃に揺灯と火式が混じって発生した。
「【源変】――【続火】」
「なるほど。お前の源変は、燃え続ける炎か。厄介じゃんか」
燃え盛る穂を自身に向けられた奴は、肩をすくめて片足を上げる。その足からは闇の水が滴れていた。
「では俺様も使うか。【源変】――【弾水】」
地へ強く戻した足からは、水が溢れ出る。いや、水と言えようか。液体を逸脱し、弾力のある固形物と変化していた。当の本人は、反動と弾性力の影響で波打つ【弾水】の下、上下に揺れている。
モナさんは、ホルンを一瞥した。団員の援護に奔走しているのを確認し、安堵を寄せるのと同時に【弾水】を纏った奴の攻撃を受け止める。だが、【弾水】に弾かれ足は浮き、後方に飛ばされる。モナさんは空中で回転し体勢を整え、槍を地面に刺して減速を図った。土埃が舞う中、何事もなかったのように立ち直す。何て身のこなしだ。
「そんなに気になるのか?」
「何のことかしら」
「お前のガキの事じゃんか」
「ふんっ、アナタの敵は私よ。余計な事を考えないで頂戴ね」
「それはこっちのセリフなんだが」
モナさんは槍を両手で持つ。奴は身を屈み【弾水】に力を込める。
駆けたのは同時、茶色の髪の少女を加えた三人が。
拳と槍の激しい応酬に対してホルンは隙を見て接近を果たす。
「ママ援護するよ。ゼロ距離なら効くでしょ、【源変】――【冷風】」
ホルンは前屈みに肉薄し、揺灯と風式と両手を重ねて奴の腹に当てる。
「ちっ」
舌打ちを零すと同時に手を心臓に当てた。それを最後の抵抗として、奴の体が薄氷を張っていく。今が絶好の機会。
「流石うちの娘ね。よくやったわ」
モナさんは槍を突き刺すため、跳躍した。穂には今だ【続火】が付与されており、刃の延長しているかようだった。槍は、手で脆弱な防御を施した奴の心臓へ一直線に向かう。
こいつは、先のホルンの源変も瞬時に解いていた。数秒、いや一秒が限界だ。
触れる。そう思った時、白き火花が奴の体から発せられる。
穂先は今しがた奴に到達した。
――血一滴も流さない奴の掌の中に。
奴は鼻で笑う。小さく呟く。
「【白武】」
「遅かった……」
「俺様が速すぎたんじゃんかよ」
何をしたんだ? 確実に一秒は経ってはいなかった。先程の【白武】という技。【揺灯】と形状は似ていたが……。
「今のを凌ぐの……?」
「もう一度やるわよ! ホルン!」
モナさんはそのまま槍頭を鷲掴みする奴に、【続火】を放出させている。しかし、彼の体に炎が触れた瞬間、消化される。そうして、ただ無反応を極める奴は、槍を離さないでいた。
モナさんと奴とでの拮抗が崩れている。奴が心臓に置いた手から【白武】を出してから、【白武】を身体に纏わしてから。オレの知る【巡鎧纏】に酷似している。
「もう一回はないじゃんか」
奴の余る掌から黒き水と揺灯が混在して現れた。【源変】が来る。
「【弾水】」
後方右に飛んだモナさんは、紫の髪先が掠ったものの間一髪で回避に成功する。しかし当の本人は、槍を相手方に渡してしまった事を随分悔やんでいる様子だった。
モナさんの槍を奪い取った後、奴は果敢に攻めの姿勢を見せる。手に施された【続火】でモナさんが守りを貫くことが必然化された。
「攻撃してこないじゃんか!」
「今からよ」
モナさんは、地に付くほど低く屈み、腹を目標に振られた槍を回避。そのまま、奴の足を蹴って転倒させる。刹那、追従するように炎の拳を真上から奴の腹に炸裂させた。その驚異的な攻撃速度には防御も受け身も不可能と化した。炎で増された打撃は、人の体では収まらず、地を砕く結果となった。
「くっ!」
口から息を零した。無作為に槍を振り回して、モナさんに距離を取らせる。すぐさま立ち上がり、腹を摩った奴は苦悶の表情を浮かべていた。
この戦いで初めての傷を奴は負った。
「無傷では勝たせてもらえないか」
「これでも倒せないのね、やはり私は武器がないと」
視線を残しながら屈み、手探りで落ちた武器を探す。ようやく剣に辿り着いた時、接近する奴が穂先を向けて振りかぶっていた。
「モナさん! 危ない!」
驕っている訳でも、油断している訳でもなかったと思う。ただ、単純に奴は速かった。
「もらった!」
膝から崩れ落ちる。鋭利な物が彼女の背から姿を現し、その個所が赤く染まっていく。
――モナさんは穂先で腹を突き刺され、背中まで貫通していたのだ。呻吟を漏らした後、多量の血を吐く。
「うそでしょ……ママ」
そして彼女の前に肉片が落ちた。血の雨が彼女の周りで吹き荒れる。
「やりやがって……」
肉片、左腕、それは奴のモノだった。モナさんは刺される前に、剣で敵の片腕を切り落としたのだ。
しかし、痛み分けとはならない。片腕の欠損と腹の損傷に釣り合いを持たす事は不可能であり、依然モナさんは生死の危機が強いられる。
右手で損傷部分を押さえつけて、口の葉を吊り上げる奴は【弾水】と【白武】を放った足で蹴り上げた。無抵抗でモナさんは、城壁に叩き付けられる。壁は崩れ、瓦礫により姿は消える。
「ママァァァーーー‼」
「モナ副分団長がやられた……」
「よくも副分団長を!」
ホルンと光翼団の皆が焦燥にかられ、仇討ちに向かうが。
「我らがミスさんと戦えると思うなよ」
当然、堕天軍が通してくれるはずもなく、闇式の圧倒的な力を見せつけられる。
乱れた……。モナさんは生死不明おそらく瀕死、ホルンは立ちはだかる二人の堕天軍に苦戦、他の団員は統率が取れず士気は下がるばかり。
拳を塀に叩き付ける。
「オレに何かできることはないのか」
皆が戦っているのに。恩人が死の淵にいるのに。
「ホルン様ーーー‼」
俯く視線を地獄へと戻した。
ホルンが後退る。
その先に憎き奴がいる。
そしてその先に見えるのは……と縁起でもない事を想像してしまった。
彼女の言葉が想起される。
『ある人を助けたいから強くなった。助けに絶対はないでしょ? だから強くなるの。助けられるかもしれないから』と彼女は言った。
『オレ、何が起こっても二人を助けるよ』とオレは返した。
噓はつくなよ、ライ。
ホルンを――
助けよう。