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第9話


「じゃあ――僕にキスをして。」


「……」



沈黙。


モモアの表情が固まる。


口元がわずかに震えている。


まるで、今聞いた言葉を理解するのに時間がかかっているようだった。



「……え?」


「僕にキスをして。」



モモアの肩がビクリと跳ねた。



「っ……!」



恐る恐る顔を上げる彼女の瞳が、暗闇の中で揺れている。



「恋人なら、キスくらい普通だよね?」



僕は淡々と言う。



「それとも……それもできないの?」



モモアの顔がみるみるうちに真っ赤になり、言葉を詰まらせる。



「……っ!」



しばらく唇を噛みしめていたが、突然、思いついたように口を開いた。



「ちょ、ちょっと待って! そもそも、いきなりキスなんておかしくない!? 恋人って、もっとこう……お互いのことを深く知って、信頼関係を築いてからじゃないと……!」


「でも、モモアは僕の言うことを何でも聞くって言ったよね。僕はモモアに恋人として振る舞ってくれと言っているんだよ」


「恋人って、ゆっくり時間を重ねて、愛情を積み重ねていくものじゃない? いくら恋人のフリでも、まずは時間をかけないと……その、私、アルトのことはあまり知らないし……アルトも私のことを知らないでしょ……?」



僕は肩をすくめた。



「正直、いきなりキスって段階を飛ばし過ぎじゃないかなー……って言うか、普通、男女が手をつなぐのでも結婚してからなわけじゃない?それも婚前にキスなんて卑猥すぎると言うか、ピュアな乙女にはハードルが高過ぎだし!」



モモアは顔を真っ赤にしながら、さらに慌てて続ける。



「そ、それに! 今ここ、場所が悪い! こんな暗がりの中で、突然キスって、ロマンチックじゃないでしょ!? もっとこう、夕日が沈む丘の上とか、夜景が綺麗な場所とか……雰囲気が大事なのよ!」


「じゃあ、そういう場所に移動する?」


「……っ!」



モモアは口をパクパクさせてから、さらに言い訳を考え始める。



「え、えっと……ほら、私、お昼ご飯食べた後に歯を磨いてないし!あ、でも、そ、そうじゃなくて! もう時間が経ってるから、きっと口の中が気持ち悪いかもしれないし、そんな状態でキスなんて……!」



もう完全にしどろもどろになっている。


これが炎の王女か。


僕が支配する立場になると、こんな姿を見ることが出来るんだな。



「う、うーんと……! ほ、ほら、私は今、心の準備ができてないの! 乙女にはそういうの、大事だから! 気持ちが整ってないと、キスするにしてもちゃんとした気持ちになれないし……!」


「じゃあ、いつ準備ができる?」


「え、ええっと……その、近いうちには……」


「近いうちって、いつ?」


「……そ、それは……あ、明日とか……?」


「明日なら大丈夫なんだ?」


「えっ!? ち、違う違う違う! やっぱり明日も早いかもしれない……! だ、だから、その……ええと、ほら、私たち、まだ正式に婚約もしていないでしょ?いや、婚約なんかする気ないけど……いや、違うよ!あなたの言うことには従うよ!でも、もっと時間をかけて、お互いを知ることが大切なの!」


「じゃあ、どれくらい?」


「ええっと……一年くらい……?」


「長いね。」


「ち、違うの! それくらいじっくりと恋愛を育むのが普通なの! ね? ね? ほら、恋愛って、ゆっくりと深めていくものだから!」



僕はじっとモモアを見つめる。



「……逃げようとしてるよね?」


「……っ!そういうわけじゃない!で、でも、でも! ほ、ほら、キスのタイミングってすごく大事だし……! まだ、まだ心の準備が――」


「モモア」


「……な、なに?」



僕は声のトーンを落としていった。



「僕の言うことが聞けないなら、モモアのスキルをまた奪うしかないな」


「………………わかったわ」



かすれた声。



「キス、すればいいのね……?」



僕は無言で微笑む。



モモアは、まるで死刑宣告を受けたかのような顔で、ゆっくりと僕の方へ近づいてきた。



彼女の瞳には、怒りと屈辱が入り混じっている。



でも、逆らうことはできない。



彼女は僕の前にひざまずいた。




そして――




震えながら




そっと僕の手の甲に唇を寄せた。






一瞬。






ほんの一瞬の接触。



それだけだった。




「……これで、いいでしょ?」




モモアはすぐに顔をそらし、悔しそうに睨みつけてくる。


僕は満足そうに微笑む。



「ふーん……まあ、今回はこれでいいよ。本当は唇にしてもらいたかったんだけど」


「っ……!」



第一段階として、これだけモモアの戸惑う様子や屈辱に耐える顔を見ることができたんだ。


今日はこれくらいで満足しておこう。



モモアは唇を噛みしめ、拳を握りしめる。


相当悔しいのだろう。


自分が完全に僕の掌の上にあることを、自覚してしまったから。



僕はゆっくりと彼女の髪に触れる。



「でもね、モモア?」



彼女の体がビクリと震える。



「恋人っていうのは、もっと自然に振る舞うものなんだよ?」


「…………っ」


「これから……少しずつ慣れてもらうからね。」



僕は優しく囁いた。


モモアは――


何も言えず、ただ静かに目を伏せた。






僕はついに、モモアを"完全に"手に入れた。


彼女はまだ心の中では反抗心を持っているかもしれない。


でも、それは些細な問題だ。


彼女の"行動"は、すでに僕の支配下にあるのだから。





そして、次は誰にしようか?


リアか、ユノアか。


どちらにせよ、彼女たちもいずれ僕のものになる。

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