第8話
モモアにネタばらしをしてから数日が経った。
あれから彼女は、明らかに様子がおかしくなった。
以前のように傲慢に振る舞うこともなくなり、教室ではどこか落ち着きがなく、周囲の目を気にしている。
戦闘訓練などは体調不良を理由に休んだり、見学したりしてやりすごしているようだ。
特に、リアやユノアと一緒にいる時は、無理にでも普段通りを装っているが――。
そして、僕の視線が合うたびに、一瞬ビクッとするのを、僕は見逃さなかった。
―――良い傾向だな。
今はまだ、彼女に明確な"命令"はしていない。
だが、モモアの心には確実に"僕への恐怖"が刻み込まれ始めている。
彼女のプライドが完全に崩れ落ち、"僕なしでは生きられない"と思い込むまで追い込みたいなあ。
昼休み。
教室の空気はいつも通り、にぎやかだった。
各グループがそれぞれ談笑しながら昼食を取っている。
当然、僕にはそんな輪はない。
僕は教室の隅で食事をしながら、モモアを観察していた。
彼女は明らかに落ち着きを失っていた。
リアやユノアと一緒に座ってはいるが、どこか上の空だ。
「モモア? さっきからボーっとしてるけど、大丈夫ですか?」
リアが不思議そうに尋ねる。
「えっ……!? い、いや、なんでもない!」
モモアは慌てて笑顔を作るが、明らかに不自然だった。
「なんか、変よ? いつものあなたらしくないっていうか……」
ユノアも首を傾げる。
「何か悩みでもあるの?」
「……ないってば!」
モモアは声を荒げた。
それが逆に、リアとユノアの疑念を深めたようだった。
「……モモア、本当に大丈夫?」
「だから、なんでもないって……!」
モモアは立ち上がると、まるで逃げるように教室を出て行った。
――これは、チャンスだな。
僕も静かに席を立ち、モモアの後を追った。
人気のない廊下。
モモアは壁にもたれかかり、大きく息を吐いていた。
まるで、溺れかけた人間が水面に顔を出した時のように、苦しそうな表情をしている。
僕は足音を消しながら、彼女に近づいた。
「やあ、調子はどう?」
「……!!」
モモアがビクッと肩を震わせる。
彼女が僕を見る目には、明らかに"恐怖"があった。
―――いいね、その表情。
僕は愉快そうに微笑みながら、壁にもたれかかるモモアをじっと見つめる。
「さっきのやり取り、聞かせてもらったよ。リアやユノアに、僕のことを相談するつもりだったの?」
「そ、そんなこと……!」
「……しようとしてた、だろ?」
「っ……」
モモアの口が閉じる。
僕は肩をすくめ、ゆっくりと近づいた。
「別にいいよ。話せるものなら、話せば?」
「……え?」
「『アルトが私のスキルを奪った!』って? でもさ、誰が信じるんだろうね?」
「……」
モモアの表情が、絶望に染まっていく。
そう。どんなに彼女が訴えたところで――誰も信じるはずがないのだ。
僕のスキルは、"ありえないもの"だ。
だからこそ、どんなに事実を言ったところで、周囲からすればただの妄言にしか聞こえない。
ましてやモモアは、プライドの高い"炎の王女"だ。
彼女がそんな"弱音"を吐いたら、どんな目で見られることか。
モモアも、それが分かっているのだろう。
「それに……君は、いつまで"無能のまま"でいるつもり?」
「……っ!」
「悔しくないの? 今の君は、ただの"何もできないモモア"だよ。」
モモアは唇を噛みしめる。
僕はもう一押し、核心を突く。
「君はさ、"無能"をバカにしてたよね? でも、今の君って……僕よりも下の存在じゃない?」
「――っ!!」
モモアの顔が、悔しさに歪む。
その瞬間。
決定的な一言を、僕は放った。
「僕に従えば、元に戻してあげるよ?」
モモアの肩が、ピクリと動いた。
「……本当に……?」
「もちろん。僕は嘘は言わないよ。ただし――僕の"言うことを聞く"なら、ね。」
「……」
モモアは俯いたまま、震えていた。
僕はじっと、彼女の答えを待つ。
やがて――モモアは、小さく、しかし確かに頷いた。
「……わかった。」
「いい返事だ。」
僕は満足げに微笑んだ。
――これで、"炎の王女"は僕の手の中に堕ちた。
僕はゆっくりと炎のスキルを彼女に返還した。
モモアは驚いた表情をしたが、すぐに両手に炎を灯し、ホッとしたように息をつく。
「……本当に、返したのね。」
「言っただろ? ただし――今後は、僕の指示に従うこと。僕は24時間いつだってモモアのスキルを奪うことができるんだから。」
これは嘘だ。
視認できる距離にいるか、対象に触れないと僕はスキルを奪うことはできない。
でも、こう言っておけば僕を裏切ることが出来なくなる。
モモアは悔しそうに睨んできたが、結局何も言い返せなかった。
「じゃあ、これから君は、僕の彼女……恋人として振る舞ってね。」
「え……?」
モモアの瞳が、大きく揺れた。
彼女は一瞬、言葉の意味を理解できなかったようだ。
「……何を言ってるの?」
「そのままの意味だよ。」
僕は微笑む。
「恋人として、僕と接してもらう。もちろん、学園内でも外でもね。」
モモアの表情が凍りつく。
「……冗談じゃないわ。」
「冗談じゃないよ。」
僕はゆっくりと肩をすくめる。
「私は炎属性最強の魔剣士よ。クラウディア王国の第三王女よ。それが平民で無能のあんたと恋人って……無理に決まってるじゃない! 周りからどんな反応をされると思ってるの?」
「恋人が嫌なら、"下僕"の方がいい?」
「っ……!」
モモアの顔が引きつる。
「……わ、わかった。彼女という設定、ということね。」
彼女は渋々そう呟く。
僕は楽しそうに笑う。
「そうそう、その通り。設定だよ。僕はこう見えても純愛派なんだ。モモアは僕のことが好きではないことも知っているし。僕もモモアのことを本当に恋人だと思っていないしね」
僕は笑うのをやめて、彼女を見つめる。
「でも、"僕に逆らえない"ということを、忘れないでね?」
「…………」
モモアは拳を握りしめた。
悔しさが滲み出るほど、唇を強く噛みしめる。
「……分かった……分かりました。」
か細い声が、闇の中に消えるように響いた。
「素直な子は好きだよ。」
僕は優しく微笑む。
そして、そっとモモアの頬に触れた。
彼女の体が、ビクリと跳ねた。
そして僕は言った。
「じゃあ――僕にキスをして。」