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第5話

――王立クラウディア魔剣士学園・特別ラウンジ


そこは高級な調度品が並ぶ貴族専用の談話室である。



大きな窓から差し込む午後の日差しが、煌びやかな装飾を照らしている。


その中で、三人の少女が優雅にティータイムを楽しんでいた。



―――クラウディア王国の第三王女

炎の王女 モモア・フレイム・アルトドルフ



―――ヴォルデンベルク帝国の第7皇女

雷の皇女 リア・ヴォルデンベルク


―――グランツバッハ公爵家の令嬢

大地の公女 ユノア・グランツバッハ



それぞれに貴族の中でも名家の出身であり、幼い頃からの親しい友人であり、そしてクラスメイトでもある。



三人は皆、貞操観念の厳しい貴族の世界で育ち、恋愛においても格式を重んじる立場にあった。


彼女たちは、静かに紅茶を楽しみながら、ひとつの話題について語り合っていた。



「ねえ、ちょっと聞いてよ。昨日、お忍びで市場に行ったの」



最初に話を切り出したのはモモアだった。


彼女はティーカップを手にしながら、わずかに顔をしかめている。


その言葉に、リアとユノアは同時に目を見開いた。



「市場、ですか?」


「どうしてそんな場所に?」



 二人の声には、驚きと呆れが入り混じっていた。



「まあね。たまには庶民の生活を観察するのも勉強になると思って」



 モモアは肩をすくめ、スプーンでカップの縁を軽く叩いた。



「それで……驚いたことがあったのよ」


「どんなことですか?」



 リアが興味深そうに身を乗り出す。


 モモアは、周囲をちらりと見回してから、少し声を潜めた。



「市場を歩いていたらね、平民の男女が堂々と手を繋いで歩いていたのよ」



 静寂が降りた。


 ユノアが、そっとティーカップを置く。

 

 リアは、眉間に皺を寄せた。



「……まさかとは思いますが、本当なのですか?」


「本当よ。私、この目で見たんだから」



 モモアはため息をつきながら、紅茶を一口飲んだ。



「しかもね、ただ手を繋いでるだけじゃないの。まるで当然のことのように、指を絡ませていたのよ。しかも、二人は夫婦でもない様子なの……」



 リアとユノアが、一瞬にして表情を曇らせる。



「そんな……婚約も交わしていないのに?」



 リアは絶句し、手元のティーカップを握りしめる。



「礼節というものを知らないのですね。信じられません」


「まるで動物ね……」



 ユノアが静かに首を振った。


貴族にとって、婚前に手を繋ぐことなど、考えられない。


恋愛は慎ましく、格式を守り、家同士の結びつきを第一に考えるべきものだ。


しかし、モモアの話は、それだけでは終わらなかった。



「それだけなら、まだよかったの」



 彼女の表情が、さらに険しくなる。



「市場の中にあったカフェに入ったの。私も少し疲れていたし、せっかくだからってね」


「まあ、それは理解できますが……」



 ユノアが頷く。



「それでね、驚いたのが――さっきの男女が、同じカフェに入ってきたのよ」



 リアが息をのむ。



「まさか……」


「そいつらが座ったのがオープンテラス席だったから、私の席からよく見えたの。でもね……私、目を疑ったわ」



 モモアは、唇を引き結びながら、指をとんとんとテーブルに当てる。



「その女、男の膝の上に座ったのよ」



 ユノアがカップを持ち上げかけたが、驚きのあまり手を止めた。



「……は?」



 リアが完全に固まる。



「ええ、そう。公衆の面前で、男の膝の上に座るのよ? 常識では考えられないことよね」



 モモアの語気は強まる。



「それも、ただ座っていただけじゃない。彼女、男の首に腕を回して、甘えるように顔を寄せていたの」


「なんて下品な……!」



 リアが目を見開き、呆然とした声を上げた。



「それだけじゃないのよ」



 モモアは深く息を吸い込み、そして続ける。



「私、ついに見てしまったの。その男女が、飲み物が来るまでの間……ずっと……繰り返し……」



 言葉が詰まる。



「……キ……キスしてたのよ」



 その瞬間、ラウンジの空気が凍りついた。


 リアもユノアも、紅茶を飲むことすら忘れ、顔を真っ赤にして固まる。



「……っっ!」



 リアが小さく息を詰まらせる。


 ユノアは、そっと扇を開いて顔を覆った。



「ちょ、ちょっと衝撃的すぎて……」


「何も言えないわ……」



 モモアも顔を手で覆い、首を振る。



「衛兵は何をしているのでしょう? 取り締まるべきでは?」



 リアの声には、怒りすら滲んでいた。



「本当よ。こんな品位のない振る舞い、取り締まらなければ、国の秩序が乱れてしまうわ」



 ユノアも同意する。


 しかし、モモアは疲れたように首を振った。



「でもね、これが平民の普通らしいのよ」



 絶句するリアとユノア。



「……動物以下ですね」



 ユノアが、紅茶をそっと口に運びながら、静かに呟いた。



「……まったく、その通りね」



 リアもため息をつき、目を閉じる。


 モモアは、遠くを見つめながら、再びスプーンを回した。



 貴族の世界では考えられないことが、平民にとっては日常なのかもしれない。


 しかし、彼女たちには到底受け入れられるものではなかった。



 彼女たちにとっては、婚前に手を繋ぐことすらも、平民の乱れた価値観としか思えない。



 しかし――そんな話題の流れが、ふと変わった。



 モモアが、スプーンをくるりと回しながら、少し真剣な表情をする。



 「……まあ、でもさ」



 リアとユノアが彼女を見つめる。


 モモアは、わずかに頬を染め、指でテーブルをとんとんと叩いた。



 「私たちだって、いつか結婚したら……相手と、手を繋ぐことになるわよね?」


 「……それは、まあ」



 リアは腕を組み、少し考えるように目を伏せた。



 「貴族である以上、正式な婚約を結べば、そういう日が来るのは当然ですね」


 「じゃあさ……しいて言うなら、どんなシチュエーションが理想的?」



 モモアがニヤッと微笑みながら尋ねる。


 リアはしばし沈黙したあと、静かに口を開いた。



 「……私は、馬に乗るときがいいですね」


 「馬?」



 モモアが首をかしげる。


 リアは堂々とした声で続けた。



 「騎乗の際、彼が手を差し出し、私を馬上へ導いてくれる……その瞬間なら、まあ、許容範囲です」


 「なるほどねぇ~」



 モモアは感心したように頷いた。



 「騎士としての所作の一環ってわけか」


 「そういうことです」



 リアは淡々と紅茶を口に運ぶ。


 次に、ユノアが静かに口を開いた。



 「私は夜会がいいわね」


 「夜会?」


 「ダンスの時に、自然に手を取られるの。優雅な音楽の中で、そっと指を絡ませて……格式を守りつつ、穏やかに触れ合うのが理想的だと思うわ」


 「へぇ~、さすがユノア。まるでおとぎ話みたい」



 モモアは微笑みながら頷くと、自らの胸をポンと叩いた。



 「私は戦場ね!」


 「……戦場?」



 リアとユノアが、同時に驚いたように声を上げた。


 モモアは自信満々に微笑むと、情熱的な声で言い放つ。



 「熾烈な戦いの最中、彼と共に剣を振るい、背中を預け合う。その極限の中で、無意識に手を取る――まさに炎のような愛よね!」


 「……そんな余裕、戦場にありますか?」



 リアが冷静にツッコむ。



 「あるわよ!」



 モモアは即座に言い切った。



 「だって、その瞬間こそ、本物の絆が生まれると思わない?」


 「まあ……モモアらしいわね」



 ユノアは微笑を浮かべながら、優雅にティーカップを傾けた。


 こうして、貴族令嬢たちは平民の貞操観念を嘲笑しながらも、それぞれの「初めて手を繋ぐ瞬間」に夢を馳せていた。



 彼女たちにとって、愛とは格式と誇りの上に成り立つものであり、それを乱すものなどあってはならないのだ。



 ――それが、彼女たちの揺るがぬ価値観だった。



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