89・鬼神の信徒
「どう転ぶかわからない試合だったが、ここにきて一気に動いたな」
「ええ、その通りですリューヤ。まさか、こんな番狂わせが起きるとは」
「はは、番狂わせか。それ聞いたら、あの鷲頭の兄さんが気を悪くするぜ? ……まあ、俺もお前と同じ思いだがよ」
「二人とも勝敗を断じるの早くないかい? あの親殺し、まだまだ余力ありそうじゃないの。ま、落ち目のまんま、ジリ貧で終わりそーな気もするけどさ」
「勝負って、やってみないとわからないものですね……。これでもそれなりに場数は踏んでるので、わかっていたはずなんですが」
「クク、だから面白いんじゃない」
「……全く、血の気の多いお姫様だな、あんた。コロッセイアの王族なだけあるよ」
「おうとも!」
それが自慢だとばかりに、ユーロペラ王女が片腕あげてグッと力こぶを誇示しました。戦闘狂のおっさんが中に入ってるのかしらと疑いたくなる言動です。
第一試合。
互いを出し抜こうとする攻防の末、先に痛打を叩き込んだのはゲドックさんでした。
私の予想が昔よく食べたパンケーキみたいにコロッとひっくり返されようとしています。
ちなみにこの場合の『パンケーキ』とは貴族やお金持ちが食べるふわふわ甘々ではなく小麦粉を水で溶いて平べったく焼いたものです。
調理はそれだけ。
砂糖はおろか蜂蜜すらありません。孤児院の食べ物ですからね。甘味は贅沢。
そんな舞台の上の哀れなパンケーキことロスさんは、精神の動揺を静めようと深呼吸しています。
才能に恵まれたが、それゆえに修業が足りず、高慢な面のあったロスさん。
腕を切り落とされ再起不能になるものだと思っていましたが、結果はご覧のとおり。
見事、戦士として甦りました。
純粋な復帰ではなく、あの邪教の力による後押しもあるのでしょうが、立ち直ったことそれ自体は紛れもなく本人の意思でしょう。そこだけは褒めてあげます。
そう。
その意思とは、恐らく……執念です。
実の父親の命を奪うまでに煮えたぎり、心という入れ物から溢れかえった感情。
彼らの父親──ダオゼルクとか言いましたか、ロザルクさんの語った話を真に受けるならば、死んで当然の男でした。
しかし、人として最低であろうと非道であろうと、人は人。
殺人は殺人。
親殺しに変わりはありません。
それも正当防衛ならまだしも、あの口振りからすると怪しいものがあります。どうも後継問題で揉めたくさいですよね。
彼が無双剣を名乗っているのが、その推測の根拠です。
不出来な兄に敗れ片腕となった弟を後継として認め、名乗りを許す。そんな支離滅裂な話が果たしてあり得るでしょうか。
死人に口なし。
文句をつけてくる者をこの世から消したから、大手を振って名乗っていると考えるのが自然です。
しかし、ロスさんがそれで罪に問われるかどうか、今そこは重要ではありません。私が判断する事ではないし試合に関係もないので。
重要なのは、ゲドックさんが善戦するどころか、優勢なことです。
「勝てないのはわかってるから、できるだけ食い下がってくれたら嬉しいな」
という、ムシのいい願望マシマシの事前予測を覆すほどに、ゲドックさんの方へと勝利の天秤は傾き始めているのです。
そのまま勝ってくれたら私がロスさんの心身を叩きのめす必要もなくなるので、大会で勝ち残る意味もなくなります。
つまり次の試合でわざと負けても問題ないのです。
なので、私が楽するために頑張って鷲頭さん! 応援してますからね! ファイト!
「……あぁクソ、なんてこった。また邪魔が入りやがる。優勝して名声を高め、のし上がっていくはずが、いきなりこれか……! 兄貴といい親父といいテメエといい!」
「上手くいかないのが人生だ。よく覚えておくといい」
「知ったような事をぬかすなぁ!」
野望を胸に参戦したものの一歩目でゲドックさんという大岩にぶつかれば、それくらいの愚痴はこぼしたくなるでしょうね。
痛い目を見させられた上、教訓めいたことまで偉そうに言われたお返しがしたいとばかりに、ロスさんは怒りに声を震わせ、猛攻を開始しました。
「太刀筋が荒くなってきたぞ」
「黙れと言ってんだこのクソがぁ!」
荒くなってきたのは言葉もですね。
人間、追い詰められた時と酔っ払った時に、本性が剥き出しになりますから。
大物ぶってた人が進退窮まってみっともない様を晒すのを過去何度か目の当たりにしましたし、なんなら情け無用で潰した経験まであります。
そこでつい優しさを見せようものなら、油断したところや後日ほとぼりが覚めたところを刺されるので、心を鬼にしましょう。
見逃してもらえたくらいで人は改心しません。今際の際で善性に目覚めたとしても、長続きすることは決してなく、その場限りのものです。心に深く根を張った悪徳を抜くのは一朝一夕では到底無理無理。諦めてサッと殺すべし。
「けいっ!」
「おっと。まだそんなに残像を出せるか。なんともタフな奴だ…………むっ?」
ゲドックさんがロスさんから少し距離を取り、自分の左手首を不思議そうに見つめています。
どうしたのでしょう。
「針か」
リューヤには見えていたようです。私にはさっぱりでした。
「はぁ……よく見えたね、そんなもの」
ユーロペラ様も私と同じだったみたいですね。
「武闘祭は刃物等は禁止なんだが、針は……やっぱ駄目だろうねえ」
王女様が頭を悩ませてると、急にゲドックさんがよろめきました。
疲労?
あの被り物のせいで表情がわかりませんが、実はだいぶ疲れが蓄積していたとか?
「……どこまでも、下劣な真似をしてくれるな」
「ヒヒ、ヒヘヘ、効いてきたか。なかなか身体に巡るのが早いだろぉ?」
「武術家の誇りすら、無いとはな……」
「やかましい。もういい……ああ、もういいのさ。優勝して名声を得たかったが、ここでアンタを潰すのも悪くない。どちらの流派が上かの格付けになる。見てるバカどもは俺が何をしたかなどわからんよ」
その言い回し──毒ですね。
間違いないでしょう。他に該当するものなんてありません。
「姫様、こりゃもうルールどうこうとかの話じゃなくないか?」
「わかってるよ。だから私がぶちのめ──」
「お、おい、クリス!」
「クリスじゃなくてクレアですよ。今はね」
四方八方から観客のどよめきが私に降り注いできます。
それもそのはず。
ぐらつくゲドックさんのそばまで、試合中にも関わらず、私が歩み寄って行ったのですから。
「大丈夫ですか?」
「君は……ああ、問題ない。ちょっと毒でやられたが、もう大丈夫だ」
確かにふらふらが収まってますね。
「飲んだからな」
鷲頭の中に手を突っ込んで何かしてたのはそれですか。解毒系のお薬とか持ってたんですね。
「おいおい。角兜の姉さん、今は試合中だぜ? どういうつもりだ?」
「もう試合ではありませんよ。反則を繰り返す失格者を叩き潰す、言わばお仕置きです」
「なんだ、バレてたのか」
「聞こえてましたからね」
「そうか。まあどうでもいいさ。そこをどいてくれ。ならせめてその鳥頭野郎を仕留めないことには、おめおめ帰れねえよ」
「お断りします」
「フン、ならいいさ。だったら、そうだな──奥の手といこう。もう試合とか関係ないしな。遠慮なく使わせてもらうぜ……!」
何をする気なのか、ロスさんが身体を震わせ、全身に力を込め始めました。
するとその肉体にすぐさま変化が現れていきます。
「な、何だ、この変わり様は……!」
「成長期かしら」
ロスさんの体がどんどん膨らみ、手足が伸び、筋肉の鎧に覆われ、身長も三メートルを越えていきます。義手まで巨大化してるのはどういう理屈なんでしょう。
同時に、肌の色も真っ赤になり、額からは太く長い一本の突起──角が生えました。
その恐ろしい変化の一部始終を見てしまった観客席からは悲鳴が飛び交って止まりません。
「ふははぁ~~」
変化が終わり一息つくと、牙だらけの口を笑みの形に歪ませて、勝ち誇るように、私とゲドックさんに話しかけてきました。
「どうだぁこの姿は? 本来、この『鬼人化』はよぉ、お前らごときに見せるものじゃないんだが……ぐはは、今日は特別だ。地獄で存分に語ってやるんだな! この俺の、圧倒的な力をよぉ!!」
鬼人化とやらで、怪物と化したロスさん。
人間だった頃よりも威圧感や力強さが遥かに上がっています。
これは、一筋縄ではいかないかもしれませんね……!
ということで第二章ボスバトル開始です!




