82・生は沈黙、死は饒舌
暗殺者スカル。
余裕こいて手加減できるような相手ではなかった。久々に肌がヒリヒリする一戦だった。
終わってみれば俺のほうは無傷だが、潰し合いではなく殺し合いとはそんなものだ。ちまちました小競り合いから一転して全てが決する。その一瞬の決着は、時代劇の果し合いや西部劇の早撃ち対決に近いものがある。
もっとも、こちらの勝負はそれらと違って、見合ってからの正々堂々とは真逆のスタンスだが。
よりえげつない手札を多く持ち、より抜け目ない方が生き残る、それが殺し屋同士の勝負なのだ。
俺が刺した脇腹の傷は、浅いものではない。
足元に滴る血液は段々と範囲を広げて血溜まりへと変わっていく。このままだと失血死はまぬがれないので、それまでにできるだけ必要な情報を引き出したい。
命惜しさにベラベラと吐いてくれたら楽でいいんだが、そんな楽なケースなどそうそうあるはずもなく。
しかもコイツは口がかなり固そうだ。楽どころか至難のケースである。
一応、法に触れる類いのお薬は取り揃えているが、それを素直に飲むとも思えない。
無理やり飲ませようとしたら即座に自害しそうだ。自害用の毒薬や、寸鉄みたいな隠し武器くらいは持ってるだろう。
駄目そうな予感しかしないが、なるべく多く聞き出せるよう健闘しよう。
「ど、どこの誰の依頼か……だと?」
「そうそう、それが聞きたいね。とっても」
「言うと…………ごふっ、思うか……?」
「思わないけどさ、言わないと、待ってるのは確実な死だぜ。取り返しがつくうちに全部ゲロったほうが身のためだ」
「……はっ、はははっ…………そんな誘いに、誰が乗るものか……」
「まだ笑えるんだ。余裕あるね。もっと深手を負わせるべきだったか」
実際には余裕などあるはずもなく、ただの痩せ我慢に過ぎないとわかっている。
この窮地でも虚勢を張れるのは大したものだが、それはつまり、命よりも暗殺者としてのプライドを優先している事に他ならない。死ぬ覚悟をもって仕事に臨んでいるタイプだ。
そうだとしたら脅しや甘言など無意味となる。面倒な話だ。
「──手こずってるようね」
静かな、秋風のように冷えた声。
一歩一歩、石の床を優雅に踏み、俺と暗殺者のそばへとやって来る。
信仰の絶えた神殿に、美しい死の天使が舞い降りたかのような、そんな光景を見ている心境だ。
「これはこれは、お早いご到着で」
黒い影の美少女を伴って現れた、白い影の美女。
従者のナーゼリサさんと、スィラシーシア姫である。
「ナーゼリサさんまで来たんだ」
「まで、とはどういう意味ですか」
それくらい別にいいだろ……噛みつくほどのことか?
神経質だなぁ。
「深読みしないでくれ。姫様だけで充分すぎると思っただけさ。ま、でも、主人だけ動かして後は結果待ちなんてできないか」
「……当然です。主に付き従わず、黙ってじっとしてる従者など……愚の骨頂。許されるはずが、ないでしょう」
ナーゼリサさんは、ぼそりぼそりと、こちらの様子をうかがうように話す。
彼女が立て板に水となるのは、敬愛するお姫様に関することのみだ。聞いてるこちらが引くほど早口で喋り続けたあの様子の原動力を、果たして敬愛という穏やかな呼び方をしていいのか疑問だが。
「それはまた仕事熱心でいい事だけどさ、また姫様に庇われないよう、気を付けたほうがいいよ」
「ふぐっ」
みぞおちに鋭いストレートを喰らったように、黒のローブを羽織る影が、体をくの字に追って苦しみにうめいた。
石化の呪いを庇ってもらった一件はまだ吹っ切れていないらしい。
「古傷をえぐるのはやめなさい。この子は精神面がいささか脆いのよ」
「すんません」
白いマントをまとう影に怒られた。
俺が悪かったのはその通りだが、ナーゼリサさんも打たれ弱すぎるんじゃないかな。いささかってレベルか?
あらら、車酔いした子を介護する時みたいに姫様に背中さすってもらってやんの。効きすぎだろ俺の皮肉。
いやそれより尋問尋問。時間がない。
終わりを告げる砂時計ならぬ血時計は刻一刻と流れているのだから。
「──もう、虫の息手前のようね」
「そうなりますね」
隠しようがないほどに死相が出ちゃってるからな……誰でもわかるわこれ。
「何か収穫は?」
姫様のその問いに、俺は何も言わず、黙って目をそらした。
何の成果も、得られませんでした。
「死んでも教えるつもりはない……ということかしら。口先だけでなく有言実行できるなんて、驚きだわ」
「普通は、死が間近に迫ると化けの皮が剥がれるもんなんですがね。よほど命の軽い世界で生きてきたのか、大した開き直りだ」
俺もその開き直りを爺ちゃんから教え込まれてはいるんだけどね。生命を捨てることで得られる道もあると。
「その通り、だ。語る気は、ない……。さ、さっさと、殺せ……げふっ、ごふっ」
暗殺者はいよいよ助からない領域に踏み込んだ様子である。
血が流れすぎた。
それをリカバリする方法は一切ない。
輸血なんてものはこの世界にあるはずないのはわかりきっている。手術すら原始的なやり方しかないからな。かなりキツい酒か毒消しの魔法で消毒した刃物で悪い部分を切り取る程度だ。
ぶっちゃけ癒しの魔法でどうにかなるんで、医療があまり進まないのだろう。痛し痒しである。
「殺してほしいの?」
「……どうせ、もう助からん……命乞いなど、だ、誰がやるものか…………ごぶっ、がふ……」
「そう。それなら、願い通りにしてあげましょう」
姫様は、魔力による黒い爪らしきものを右手に発生させると、それをいきなり暗殺者の首に突き刺した。止める間もない早業だった。
「ごばぁっ!?」
暗殺者は、まだこんなに残ってたのかと言いたくなる量の血を吐いた。
この一撃がとどめだった。
暗殺者スカルは最期まで黙したまま死んだ。
「あら、本当に殺っちまった」
「その方が手早いわ。いつ人が来るかわからないし、場所を変えましょう」
スィラシーシア様が、ほぼ死人と化した暗殺者へ、
「ふーーーーっ……」
白い息を吹きかけた。
白い息。
季節は、これから夏になろうかという時期だ。息が白くなるなどあり得ない。
ましてや彼女は吸血鬼であり、それも真祖の末裔だ。寒さなど無縁に近いはず。
ではこの息は一体なんなのだと、俺が怪訝な顔をしていると、その正体が明らかになった。
「……あ、ああ、あううっ。お、おおお……」
暗殺者が、死人の顔のまま、おもむろに立ち上がった。
どこか苦しげな、しかし呆けたような顔で、言葉にならない呻き声と血とヨダレをこぼしている。
そして、よろよろとスィラシーシア様に近寄ると、跪き、両手を床にペタリとついて服従の姿勢をとった。
「死人になると、誰でも素直に、従順になるものよ。誰であろうと私の前ではね」
吸血鬼の──いや、真祖の能力か。
「……負の力を浴びせ、生前の知識や記憶すら残した死人を、作り出す。姫様……ならではの、とても繊細なお力です」
「そういうことか。なるほどね。それなら何もかも洗いざらい白状させられる」
「聞くべきことを全て聞き出して不要になれば、後は燃え尽きさせればいいわ。……外がうるさくなってきたようだし、もう行きましょう」
確かに、神殿の外から人の声がしてきた。
足音もだ。
こっちに近づいてきている。
「声のする方向は正面入口のほうだ。裏手から出よう」
そうして廃墟神殿を離れ、適当に見つけた空き家で、スィラシーシア様主導による死人への質問会が始まったのだった。




