80・夜釣り
──クリスティラの奴の懸念は、恐らく正しい。
俺はそんなことを考えつつ、王都クラウダイスの夜をさまよっている。
理由はない。
いや、あることはあるのだが、何かをしたいとか誰かを見つけたいとか何処かに行きたいとか、そんなハッキリとしたものではない。
当たりを引けるかどうか、そもそも当たりがあるかもわからないという、そんな目的なのだ。魚がいるかどうかもわからない池で釣り針を垂らすに等しい。
なので、この散歩も徒労に終わる可能性は高かったりする。
だとしても釣果を出すための工夫は凝らす。
あえて人気のない方へ。
裏路地の方へ。
騒ぎになろうとそうそう誰も来ないような方へ。
駄目ならそれはそれでよい。大会で決着をつけるまでのことだ。
と思ってると。
それは、不意に訪れる。
──きた。
肌すれすれに刃物を突きつけられてるような、この独特の視線。
殺人者が獲物を見つけたときのそれだ。
食いついたか。
無駄骨に終わっても仕方ないという程度の心境だったのだが、上手く俺という活き餌に引っかかってくれた。
後は適当な場所を見繕えばいい。
誰にも見られることなく、然るべき事を終えられる場所を。当たり前だが、殺しの一部始終など見られたくないからな。
廃墟へと足を踏み入れる。
建物の形状からいって、かつては小さな神殿だったようだが、今ではどんな神を崇めていたのかすらわからない。廃れたのだから有名どころではないのはわかる。
「ふふっ」
(あの女神のだったら笑うな)
一人ほくそ笑む。
◆◆◆
俺をこちらの世界へ転移させた、あの女神。
イルミナティと名乗っていたっけな。世界と次元の境界を管理する神格だとか。
初対面のときに『どう? あなたが親しみを持つ格好にしたのだけど、似合う?』とか言って、うちの中学の……女子制服を着てたんだよな。足元でとぐろ巻くほど長い金髪を伸ばした、大人の美女が。
親しみどころの話じゃない。無理したコスプレにしか見えなかった。
とんでもない美女なのが、また余計にアンバランスさに拍車をかけていた。
それを正直に伝えるほど無神経でも馬鹿でもないので、いい感じだよと曖昧に肯定すると喜んでくれた。知らぬが花。
『あなたの世界で、地に堕ちた者たちが、こちらの世界にちょっかいかけてきてるのよ。復権狙いでね。だからこっちに来て、その追い出しを手伝ってくれないかな。なんなら、スキルを一個おまけするわよ? 普通は一人一個なんだから嬉しいでしょ?』
女神は一方的にまくし立ててきた。
異世界転移。
文筆家になるぞ──通称『なるぞ系』の小説やコミカライズにありがちな、上位存在からの丁寧なお誘い。
まさか本当に自分の身に起きるとは。
「めちゃくちゃ唐突で理解が追いつかないんだけど…………いや、それより……なんで俺なの?」
『それはあなたが特異点だからね。運命や世界の理に、揺らぎやマギレをもたらす存在。それがあなたなの』
「あんま説明になってなくね?」
『そういうものだと納得しなさい。だからこそ、私もこうやって接触できたのだから。それで返事は? イエス? はい?』
「拒否権ねえじゃん」
『拒否したいの?』
言葉に詰まった。痛いところを突いてくる女神である。
なにせこの時の俺は、人を一人──殺したばかりだったのだから。
中学に入ってまだ一学期の頃。
ある日、帰宅すると家の鍵が開いていた。
両親は共働きで帰りは遅い。
では祖父の大玄か? しかし脱いだ靴がない。
おかしいなと首を傾げて居間に行くと、トントンと二階から階段を降りる音がした。聞き覚えのない音だ。父や母の鳴らす音ではない。
そうして階段を降りる音がしなくなると、俺がいる居間に、見知らぬ中年男が現れた。
泥棒だった。
右手には包丁を持っている。台所の物ではない。この男が持参したのだろう。
「顔を見られちまったな」
中年男は、へへ、と笑うと「こうなると生かしておけねえ。悪いな坊主」と、俺ににじり寄ってきた。
後で女神から教えられたのだが、こいつは過去にもこうして殺人を犯したことのある人間だったらしい。道理でためらいがなかったはずだ。つーか顔くらい隠せよ。
「いや謝らなくてもいいよ」
「!?」
怯えて硬直するどころか一瞬で急接近してきた俺にびっくりしたのか、中年男は慌てながら包丁を突き出してきた。
狙いは俺の首。
が、そんな苦し紛れが当たるはずもなく。
ゆるりとかわし、その腕を取りつつ、足元を払う。
男が面白いほど簡単にバランスを崩し倒れた。包丁が手から離れる。
胸や腹を居間の床に打ちつけ、がはっと肺の中の空気を吐き出す中年男の腕をねじり、体重をかけ、曲げてはいけない方向へとひねる。
ぼきり
右腕をあっさり折られた中年男が悲鳴を上げた。
「ち、畜生。ちくしょおおおっ! こ、こんな真似しやがって、ただで済むと思うなよ!」
泣きながら喚く中年男。
俺は、そりゃこっちの台詞だろと思った。
「よく言うね。おっさん、命が惜しくないの?」
右腕を押さえてへたり込む中年男の頬っぺたを、包丁の腹でペチペチと叩く。
「お、お前みたいなガキに人殺しなんぞやれるもんか。いいか、お、覚えとけよ。絶対にタダじゃ済まさんからな。お前だけじゃない、お前の家族もっがぁあ!?」
そこまで言われたら、俺もいよいよ覚悟するしかない。骨を折るだけで済ましてやりたかったが、そんな慈悲はこいつに届かなかったようだ。
ベラベラよく喋るその口を、スパッと切り裂いた。
なかなかよく切れる包丁だったな。
「い、いでぇ。うえぇ……」
口からボトボトと血をこぼす男の眼に、恐怖の色がようやく浮かんできた。
「いいから外に出ろよ。そのままの体勢でな。立ち上がろうとしたら足の腱を切るぞ」
どっちにしろ殺すんだけど、居間で殺るのも嫌だからな。
立ち上がることを許さず、膝をついたままの男を庭まで歩かせる。よほどビビッてるのか、中年男は抵抗せずに従った。
そして庭で男の喉をかっ切った。
まさか本当に殺されるとは思ってなかったのだろう。中年男は呆然としたまま、血のシャワーと化して庭を赤く染めていた。
初めての殺人。
取り返しのつかないことをした感は確かにあるが、あの爺ちゃんに心身鍛えられていたせいか、震えるとか吐くとかはなかった。
ただ、興奮しながら心は冷え込んだ。
人の命を奪うと、頭は熱くなるのに、腹の内は氷の塊を飲み込んだみたいに寒くなるんだな。新発見だった。
数分かけて落ち着いてから、これからどうしたものか、まずは警察か、正当防衛になるのか、人が死んだ家に住み続けるのもどうなのかと、色々と考えていた矢先。
女神イルミナティにお呼ばれしたのである。
◆◆◆
「……大した小僧だな。この状況に誘い込んだだけでなく、不敵に笑うか」
俺に少し遅れて、影が神殿の残骸へと入ってくる。
こっちは昔を懐かしんでいただけなんだが、なんか勘違いしてんな。
まあいい。訂正することもないだろ。
「おあつらえ向きの場所を選んだが、どうだい? 不服か?」
「いや、結構だ。どこであろうとやることは変わらん。いつも通りにこなすまで」
髑髏を模した仮面の下から、そんな返答がきた。
月明かりすらない建物内だが、夜目が利くので向こうの容姿もわかる。
「一応聞いときたいんだけど、なんで?」
どうして試合ではなく闇討ちで俺を殺すのかと、そう聞いたのだ。
「……………………」
髑髏の仮面が、しばし沈黙する。
「語る義理はないが……死にゆく者になら、まあ教えても構うまい……」
「そりゃどうも」
「大会は一日限り。なのに、初戦でお前のような者とやり合えば、次戦でユーロペラを殺す余力はまずなくなる。だから事前に始末して不戦勝で進みたい。それが理由だ」
あー、やっぱ王女狙いか。
そうなると試合中に殺したあと逃げる手筈も用意してありそうだな。例えば、兵士たちに連行されると見せかけて、実はその連中もグルだったとかよ。
「そこまで高く見積もってるわりには、たった一人で挑むんだな」
「群れるのは嫌いでね」
「ふぅん」
「──話はここまでだ。続きは俺に勝てたら語ってやろう」
髑髏仮面が、怪しげに輝くナイフを懐から取り出した。魔法のかかっている武器と見て間違いないだろう。
それに加えて、毒が塗られていても不思議ではない。
あちらとしては、王女との試合に備えて、できる限りダメージを残さず俺を仕留めたいのだ。
だからあらゆる手を打ってくるに決まってる。毒などその最たるものだ。かすり傷でも負うのは危うい。
(ま、やってみよう)
不利になれば時間を稼げばいい。
あらかじめ、こうなった時の打ち合わせはしてある。
多少時間はかかるだろうが、仲間がこちらに来るまで待つのも一つの手だ。コウモリタイプの使い魔たちを通じて、あの青銅色のお姫様がこっちの状況を把握しているはずだからな。
この国の王女が夜の国の王女と仲良しだとまでは知らないだろう。
さあ、俺とコイツ、どちらの手札が勝るかな?




