8・たのしい狼狩り
「少しかじられたほうがいいダイエットになるんじゃないの?」
「黙って撃退なさい!」
右から左から。前から後ろから。足元から頭上から。ありとあらゆる方向から野獣の牙が襲いかかってきました。
私の技量でこの数は到底さばけるものではありません。
よって捨てられたボロ雑巾みたいになる前に防御魔法を張り巡らせます。
マヌケ令嬢の平手打ちを防いだ時のように、自分の身を守るだけなら、詠唱すら私は必要としません。これが才能というものです。
前後左右と上に壁を作り、この状況をルーハが打破するまで引きこもることにしました。まさか地中から穴掘って狼が出ては来ないと思うので真下は壁なしです。
「往生際が悪いな」
猟師風の殺し屋さんが呆れたように言いました。
「そんなことしたって俺たちは諦めないよ。魔法の壁が維持できなくなるまで待ちゃいいだけだ。時間の無駄だな」
「それはどうでしょうね」
「無駄な真似するより、こいつらの胃袋に収まる前に自害したほうがいいぜ。生きたまま貪り喰われるのは辛いぞ?」
「ご親切にどうも。ですけど、私の今後を心配なさるより、部下の現状を気遣ったほうがよろしいのでは?」
「は? 何をおかしなことを抜かし……」
異変が起きたのはその時です。
「なんだ? あいつら何をしてやがる……!?」
驚くのも無理はありません。
盗賊少年ルーハに群がっていた狼たちが、異常な振る舞いを見せていたからです。
ある狼はぼんやりと空を眺め。
ある狼は仲間にかじりつき血みどろの同士討ちを始め。
ある狼は気持ち良さそうに地面に転がり。
ある狼は怯えてこの場から逃げ出し。
ある狼はピクピクと痙攣していました。
「何をしている! ふざけてるのかテメエら!」
殺し屋が怒鳴りつけますが、狼たちの奇行は治まりません。
大声が耳に届いているはずでしょうにね。
「無茶を言うなよおっさん」
使いものにならなくなった狼たちをよそに、ルーハが殺し屋へとゆっくり歩み寄っていきます。
「たっぷり撒いたからな。しばらくは正気に戻らないぜ」
「わけのわからん事をほざきやがって……おい、お前達もいけ! その固い女は後回しにしろ!」
私の防壁にまるきり歯が立たず、周りを悲しげにうろうろするしかなかった狼たちが、主の号令を受けて狙いを変えました。
首や腕、脛などに同時に仕掛ける連係を見せましたが、ルーハはそれらを霧や霞のようにゆるりとかわしていきます。その怪しげな動きは盗賊のそれではなく、なにか別の職業のものではないかと思うのですが、決まって彼ははぐらかすだけなので真相はわかりません。いつか白状させます。
私がもう何度目かわからない決意をしている間も、狼たちは一度もその鋭い牙を当てることがかなわず、顎は宙を噛むばかり。
そうしていると次第に様子がおかしくなり始め、さっきのお仲間同様に正気を失っていきました。
残るのは殺し屋おじさんと、後ろに控えさせていた護衛役らしき数匹の狼のみ。
常套手段だったと思われる数と速さで押しきる戦術も、この寂しい状況では、もはやままなりません。
「く、くそ、どうなってんだ。何をしでかしやがった坊主!」
焦りからか口調が三下じみたものに変わっています。このくらいで余裕が消えるんですね。
「ちょっと危ないお薬をね」
幻覚系の魔法とか使ってたわけでもないし、まあそれしかないですか。
避けながら何らかの違法な粉薬でも散布したんでしょう。よく考えればわかる事です。
「獣は人よりはるかに鼻が利くからな。面白いくらい早くキマッたよ。月光夜草、アビスマイマイの殻、恐慌蝶の鱗粉、ベルセルフラワーの種……どれもあまり表に出回らない物だけあって薬効は抜群だ」
「あまりじゃないですよ。絶対にですって」
よりによって一つ残らず一線級の禁止薬物の素材じゃないですか。人間どころかエルフや獣人族ですら忌避する物までありますよ。
こんな洒落にならない品々をどこのツテで手に入れたのあなた。
……もしかして、怪しい身のこなしより、こっちを白状させないとヤバイのでは……?
「ちっ……」
ドスドスドスッ
「ぐああっ!?」
形勢不利と今更ながら悟った殺し屋おじさんが、残った狼に何かを──まあ逃げる時間稼ぎをやらせようとしたのでしょう──命じる前に、その両足に何本もの短剣が殺到しました。
いつもの高速解放です。
「あぐっ……! 馬鹿な、は、速すぎ……!」
おじさんは反応すらできず、足を押さえながら砂利と土の上をごろごろと転がって苦しんでいます。
わかりますよその気持ち。ほんとに速いですよねコレ。
直後、主がもがいている姿に動揺していた残りの狼達の頭にも短剣が生え、倒れ込んでおとなしくなりました。もう動くことはありません。ゾンビになればまた話は別ですが。
「意味のない抵抗するより、自害なさったほうが良いかもしれませんよ。拷問で洗いざらい吐かされるよりはマシでしょう?」
「ぐぐぐ、こ、このアマ……!」
さっきの意趣返しです。フフ、どんな気分ですか?
「態度がなっちゃいねえな」
「ぎゃああああっ!!」
恥も外聞もなく汚い悲鳴をあげる殺し屋おじさん。
足に刺さってる何本もの短剣。その内一つの柄にルーハがおもむろに足をかけ、グリグリしたのです。うわ、えげつない。
「このままブチ殺してもいいが、助けてほしいならこちらの質問に全部答えろ。そしたら気が変わるかもしれない。いいな?」
話の間もグリグリは止まりません。
「わ、わかった。だからやめてくれっ、何でも聞いてくれえぇ……!」
半泣きになりながら、おじさんは戦意を失い納得してくれました。
これが盗賊技能のひとつ、穏やかじゃない交渉術です。またの名を脅迫。